冷めやらぬ冬の熱
時計の針が正午を回り、皆よりも一足早く昼餉を食べ終えた堀川は、自分が使った食器を片付けると厨の共用エプロンを首にかけた。
バンダナもしっかりと被って、手順を記した手書きの帳面を片手に調理器具と材料を揃えて慣れた手つきで料理を始める。
用意した水と大さじ一杯の酒、粉末だしやらめんつゆやらを分量を確認しつつ土鍋に入れて弱火にかける。厨にぱたぱたと動き回る足音が響いた。
卵を割って白身と黄身に分け、卵白をボウルに入れてハンドミキサーで掻き混ぜていると、同じく食事を終えて食器を下げにきた長曽祢に声を掛けられた。
「お、もう八つ時の準備か?」
流し台で洗い物をしながら尋ねられ、堀川は苦笑して首を振る。
「いえ、清光くんのお昼ご飯を。食欲ないみたいで」
その答えに、長曽祢が「ああ」と濡れた右手をタオルで拭いて顎に添える。
「風邪をひいたんだったか……まあ、最近は冷えるからなぁ。お前も、毎日忙しそうにしているが、体調を崩さんようにな」
「はい」
会話を終え、長曽祢は「加州に早く元気になるよう言っておいてくれ」と言い残して厨を去って行く。
再び一人になった厨房で、堀川はてきぱきと調理を進めていった。
ボウルで混ぜている卵白がメレンゲになり、つんとツノが立つのを確認して、分けておいた卵黄を投入する。小さじ一杯分の麺つゆを入れてさらに混ぜ、お玉で土鍋にゆっくりと流し入れた。
大きめのガラス蓋をして一息ついたところで、今度は加州の相棒が入ってきた。
「あ、堀川。なに作ってるの?」
「清光くんのお昼ご飯。あんまり重いのは食べたくないって言うから、特別」
「ああ、あいつ風邪ひいてたんだっけ。あんまり甘やかさない方が良いよー?」
冗談めかして笑いつつ、自分の食器を先ほどの長曽祢と同じように流し台で洗う大和守。
「堀川の作るご飯美味しいからなぁ。次、いつ厨当番だっけ?」
厨の壁に貼られている当番表を見る彼に続いて、堀川の相棒も現れた。食器を片手に、大和守の後ろから当番表を覗き込む。
「国広は三日後だな……げ、オレ明日当番じゃねぇか」
長い髪を掻いて面倒くさそうに言った和泉守は、堀川に視線を移しからかうように笑う。
「で、それはあいつの昼飯か? 甲斐甲斐しいこったなぁ」
堀川は照れて頬を赤く染め、「もう、恥ずかしいよ」とはにかんだ。
しかし満更でもない表情に、大和守と和泉守は顔を見合わせてやれやれと大袈裟に呆れた動作をする。
「いちゃいちゃするのは良いけどさぁ、熱上がらせないようにね」
含み笑いをする二人に堀川が困ったように苦笑したところで、和泉守が火にかけている鍋を指差し首を傾げた。
「これ、そろそろ頃合いじゃねぇか? 中身だいぶ膨らんでるぞ」
慌てて堀川が火を止め、ガラスの蓋を取ると、熱い湯気が上がった。同時に卵の甘い香りが広がって、大和守がきらきらと目を輝かせる。
「たまごふわふわだっけ? 近藤さんが好きだったっていう」
長曽祢の元主の名前を言った大和守に「そうそう」と頷きつつ、堀川は火傷に気を付けながら料理の出来具合を確認した。
綺麗な黄色の表面は滑らかで、一見ポタージュのようにも見える。心配していた割れはなく、誰の目から見ても上等の出来だ。
安堵して鍋掴み代わりに布巾を濡らし、土鍋を持ち上げた。
仕上げに三つ葉をのせ、コップ一杯の水とスプーンと共にお盆に載せて運ぶ。厨を出るとき、和泉守と大和守に加州への伝言を頼まれた。
「早く元気になりなよって。面と向かってじゃ絶対言えないけどさ」
「ま、お前が付いてれば大丈夫だろ。さっさと回復しやがれってんだ」
照れ隠しか、ぶっきらぼうだが優しく温かい言葉を受け取って、堀川はにこりと微笑んだ。
「清光くん、入るよ」
障子越しに声を掛け、返事を待たずに入室する。一人部屋の和室に布団が敷かれていて、少年一人分の形に丸く膨らんでいた。
持ったお盆を畳に置いて布団を覗き込むと、掛け布団に潜った加州の黒髪だけが見えた。
「寝てるの?」
そっと肩を叩くと、頭が動いた。
ゆっくりとした動作で気怠げにこちらを向き、赤い瞳がぼんやりと堀川を見つめる。寝惚け眼の焦点が少しずつ合い始めた。
「……起きてるよ」
眠そうな声はいつもより掠れていて、妙に細く聞こえる。黒々とした睫毛の奥の眼球が、堀川をじろりと見る。
「体調、どう? お昼ご飯作ったけど食べられそう?」
言いながら加州の額に乗っている濡れタオルを取って、額に触れてみる。タオルのせいで湿っていたが、熱は高くはなさそうだった。
額と顔周りを軽く拭いてやると、加州はのっそりと上半身を起こした。
「ちょっと眠くて関節が痛いけど、それだけ。ご飯、食べられるよ」
髪を下ろして前髪も普段より無造作な姿は、なんだかとても無防備に見えた。
江戸の頃に流行った『目病み女に風邪ひき男』という言葉を思い出しつつ、堀川は「良かった」と胸を撫で下ろす。
「じゃあ、タオル洗ってくるから、ちょっと待っててね」
熱で温かくなっているタオルを手に一度部屋を退出し、近場の水道で洗って、よく絞って水気を切り再び加州の部屋に戻る。
「清光くん、おでこまだ熱い? タオルもう一度使う?」
要らないと言われたらすぐ用具入れに片付けられるよう、障子から顔だけ部屋に出した格好で尋ねた堀川は、起き上がった体勢でお盆を膝に置いて昼餉を食べ始めている加州に驚いて詰め寄った。
「ちょ、ちょっと! まだ力入らないんでしょ、危ないよ!」
慌てて膝の上からお盆を取り上げると、スプーンを咥えた加州は不服そうに唇を尖らせた。顔が赤いのは熱のせいか、それとも別の原因か。
「だって堀川、絶対あーんってする気じゃん。恥ずかしいし」
「病人なんだから当たり前でしょ。大人しくしてて!」
ぴしゃりと言われてしまい、加州は「はぁい」と観念したように溜息を吐いてスプーンを渡す。
「まったくもう……」と立腹しつつ、堀川は丁寧な動作で土鍋の中身を加州の口へ運んだ。
ふうふうと息を吹きかけ、言われた通り大人しくされるがままにスプーンを口に含んだ加州は、何度か咀嚼して無言で嚥下する。
それを何回か繰り返すうちに、青白かった肌に健康的な赤みが差してきた。
「美味しい?」
遠慮がちな問いに、「ん、凄く美味しい」と本心を口にする。
土鍋はあっという間に空になって、加州は「ご馳走様でした」と緩慢に手を合わせた。
「お粗末さまでした」と堀川が微笑して、土鍋にスプーンを入れてお盆ごと枕元に置いた。
コップの水を飲む加州へ、ふと新撰組の面々から託された伝言を思い出す。
「みんな、清光くんのこと心配してたよ。長曽祢さんも兼さんも……安定くんとかは、やっぱり気恥ずかしいみたいだったけど」
「げー……。復活してから、からかわれそうだな」
しかめ面して眉を寄せる加州に、「愛されてるね」と堀川は笑みをこぼした。浅葱色の瞳を細めて、優しい眼差しを送る。
「早く元気になれってさ。新撰組一同からのお願い」
そんな言葉に加州は「はいはい」と頬を掻く。
素っ気ない声音とは裏腹に、頬だけではなく耳まで赤くなっているのを見て、堀川は声を出さずにくすくすと笑った。
「お水のおかわりいる?」
「いらない」
のんびりと会話を交わし、二人の間にしばしのどかな空気が流れる。
やがて、堀川がゆっくりと腰を上げた。
「それじゃ、僕はこれから内番があるから。しっかり休んでてね」
お盆を持って立ち上がった堀川のジャージの裾を、加州が幼子のようにくいくいと引っ張った。
朝から伏せているせいで爪紅を塗っていない、珍しく自爪があらわになっている指先を見つめ、堀川はしゃがんで加州と目線を合わせる。
「……風邪、うつっちゃうといけないから」
控えめに堀川の頬へと口付けを落とし、へらりと笑う加州。堀川もつられて顔をほころばせた。
「可愛い。治ったらたくさんちゅーしようね」
「ん。……おやすみ」
もぞもぞと布団に潜りこみ、加州が静かに目を閉じる。
髪を梳きながら撫でていると、徐々に寝息が立ち始めた。規則的な呼吸音にふふ、と微笑し、堀川はお盆を手に立ち上がる。
そのまま足音を立てずに障子の前まで移動して、貼り付けたような笑顔を浮かべ、障子の向こうへと声を掛ける。
「二人とも、そこで何してるの?」
口角を上げた爽やかな笑顔のまま、冷たい声で問いかける。
数秒の間が空いて、堀川は更に言葉を続けた。
「兼さん、安定くん。今日の手合わせはスパルタだからね」
淡々と告げると、途端にどたばたと廊下を駆けていく足音が響いた。
障子を開けて「廊下は走らない!」と一喝し、「まったくもう」と嘆息して、堀川は困ったように苦笑する。
「早く元気になってよね、清光くん」
元気になったら、今度はあの二人の目の前で、口付けを見せつけてあげようよ。
そう言って障子を閉め、部屋を去った堀川に、加州は布団の中で頭まで真っ赤になっていたのだった。
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