Drachenfutter
よく晴れた夏の午後。
じわじわと耳障りな蝉の声が、やけに遠く聞こえる。
頬に伝う汗を拭いもせずに立ち尽くす燭台切に、大倶利伽羅はふいと背を向けた。
「……あんたが悪いんだからな」
本気で苛立っている深くて重い声が、捨て台詞のように吐かれた言葉が、いつまで経っても燭台切の耳に染み付いていた。
喧しい蝉の鳴き声を耳に、ぶらぶらと廊下を歩いていた鶴丸国永は、開け放たれた一室に本が散らばっているのを見て怪訝な表情を作る。
この本丸で本が好きそうな奴と言えば、薬研藤四郎や歌仙兼定、秋田藤四郎といった面々が思い浮かぶが、彼らが本を無造作に広げているのは想像できない。
薬研は多少大雑把なところがあるが、兄である一期一振に何度か注意を受けて、最近は彼に小言を言われてしまわないような振る舞いを心掛けていると聞いた。それは、集中すると周りが見えなくなる秋田も同じだ。
ならば、こうして本を広げているのは誰だろう。
ちらりと部屋を覗き込むと、障子にもたれて難しい顔をしている短刀の姿があった。鶴丸に気付かないほど熱心に本を読んでいる。少し青みがかったセミロングの髪に、羽根飾りがそよそよと揺れていた。
「よっ!」
「わっ!」
驚かすつもりはなかったのだが、鶴丸は日頃から相手の不意を突くのが癖になってしまっているせいか、短刀――太鼓鐘貞宗が肩をびくりと跳ね上げた。
「すまんすまん、驚いたか?」
いつもの驚き具合をはかるような物言いでは無く、本心から謝罪する鶴丸。
座って本を読んでいた太鼓鐘は、その体勢のまま顔だけを鶴丸に向け、金色の瞳を丸くして息を吐いた。
「なんだ、鶴さんか。びっくりしたぜ」
「何だとはご挨拶じゃないか。なにしてるんだ?」
口を尖らせつつも、太鼓鐘の膝上で開かれた本に目をやった鶴丸は、そこに並ぶ見慣れない文字の羅列に目を見張った。イラストや図画が一切ない、文字だらけの本だ。
しかも、その文字は明らかに日本語ではない。単体で見れば前に見たアルファベットというものの組み合わせであると分かったが、どうも英語とは違うようだ。
「この間、粟田口の短刀たちと外国の映画を見たんだけどさ。その映画に『龍の餌』って言葉が出てきたんだ」
しかめっ面と背筋の凝りをほぐすように両手を組んで背を伸ばし、太鼓鐘は頬を掻く。
「仲間との酒飲みで夜を明かしたおっさんが、翌朝カンカンに怒って待ってる奥さんにご機嫌取りのプレゼントを買っていくってシーンだったんだけど、いまいち意味が分かんなくて」
左手を、胡坐をかいた足首の上に置いて、右手で本を鶴丸に渡す。受け取って表紙を見ると、独和辞典と書かれている。数ページ目を通すと、ドイツという国の言語を日本語に訳した辞書らしい。
「龍の餌か……」
呟いて更にページを捲る。龍と言えば独眼竜の異名を持つ元主と、その身に龍を彫っている身内の刀を思い出す。正確には家族という間柄でも無いのだが、彼らの距離感は身内と言って差し支えないほどのものだ。だからこそ、太鼓鐘も気になったのだろう。
「英語でドラゴンって言うのは知ってるんだがなぁ」
唸る鶴丸に、太鼓鐘は首を横に振って、床に散らばっている本の一冊を示した。英語と日本語が載っている、英和辞典だ。
「フランス語やらイタリア語やら、辞書を借りてきて調べたんだ。ドラゴンやら龍にまつわる単語って、どの国にもけっこう多くてさ」
龍って格好良いもんなぁ。呟く太鼓鐘は、言葉とは裏腹に疲れ切った顔をしていた。
辞典を手にした鶴丸は、そんな太鼓鐘の頭を撫でてにっと笑う。
「そういうことなら、俺も手伝ってやろう。勉強は得意じゃないが、俺も龍の餌の正体が気になるからな」
頼もしく片眼を閉じて見せる鶴丸に、太鼓鐘は「さっすが鶴さん!」と歓喜の声を上げるのだった。
しかし、二人がかりでも予想以上に手間がかかった。
「龍ねぇ……。龍なぁ……」
ぶつぶつと辞典を捲りながら右手を顎に添える鶴丸。無意識のうちに、眉間にしわが寄っている。
龍という単語自体は早々に見つかったが、それと餌という単語の関連性は見受けられない。
「逆に、日本語を外国語で表している辞書とかないのか?」
よく知らない言葉を闇雲に探すより、まず日本語で単語の検索をかけた方が早いと踏んで、鶴丸は太鼓鐘にそう尋ねた。けれど、すぐに力の無い否定が返ってくる。
「その辞書は薬研に借りたんだけど、薬研は外国の医学書を読むことはあっても、日本や自分の医書を外国語で書くことは無いみたいだからなぁ」
「ああ、これ薬研に借りたのか」
書物を好む刀剣は多いが、率先して洋書を読むような者は少ないだろう。薬研は医術を学ぶためなら、どんな分野にでも手を出してみる性質らしい。
「それにしても、手がかり一つ無いとなると、ちっと参るなぁ」
Dの項目を虱潰しに見ていた鶴丸が、弱ったように音を上げた。ずらりと並ぶ文字の群れに、何だか頭痛がしてきた。
「外国語に詳しい刀でもいれば良いんだが」
固まった背を伸ばして、鶴丸はどさりと上半身を畳に倒した。
「というか、その映画は何処の国のやつだったんだ?」
寝転がったまま太鼓鐘に訊くと、太鼓鐘は記憶を探るように視線を宙に彷徨わせた。
「確か、ドイツって国だったぜ。でも、その辞書に龍と餌が関係するような言葉は無かったし、他の国の辞書も同じだ」
散乱する辞書を纏めて積み重ね、太鼓鐘は表紙に頭を乗せた。燭台切が見たら怒りそうな絵面だが、生憎彼は今頃、厨でおやつを作っている時間だ。
「龍の餌か……。龍って何食うんだろうな」
真面目な表情の鶴丸に、太鼓鐘は顔を上げて少し笑った。
「伽羅はずんだ餅が好きだけどな」
つられて鶴丸も口角を上げ、それから再び渋い顔に戻る。龍の餌が仮に何であったとしても、太鼓鐘の言っていたシーン――朝帰りをした主人が、家で待つ嫁に贈り物を買って帰るという場面には似合わない気がするのだが。
「まさか、龍の餌をプレゼントするわけでもないだろうしなぁ」
思わず口をついた言葉に、太鼓鐘はそれだけで鶴丸の考えていることを読み取ったらしく、「鶴さんじゃあるまいし」と冗談とも本音ともつかない返事をする。
太鼓鐘と鶴丸が揃って溜息を吐いていると、廊下の方から男士が歩いてきた。
「二人とも、こんなところに居たんだ。おやつが出来たから、手を洗って居間においでよ」
障子に手をかけて顔を出した燭台切光忠が、二人の傍に積まれた辞書の山に目を丸くする。
「勉強会? 珍しいね」
鶴丸は身体を起こして燭台切へ一縷の望みをかけた。
「光坊、少し聞きたいことがあるんだが」
真剣な眼差しを向けられて、燭台切は疑問符を浮かべる。
「なに? 僕に分かることなら良いんだけど」
困惑の色を隠せない燭台切に、太鼓鐘が事の成り行きを手短に説明した。
「映画に出てきた言葉で、龍の餌ってのがあったんだけど――」
一通り話を聞き終えた燭台切は、両腕を組んで首を傾げた。
「初めて聞く言葉だなぁ。龍と言ったら、政宗公と伽羅ちゃんを思い出すんだけど」
伊達の刀らしく、思い当たる節は鶴丸や太鼓鐘と同じのようだ。
「力になれなくてごめんね」
申し訳なさそうな燭台切に、鶴丸は「いやいや、もし知ってたら驚きだったぜ」とフォローを入れる。
「おやつの前に、本を返してくるか」
辞書を抱える太鼓鐘を手伝って、鶴丸と燭台切も数冊ずつ本を持った。
廊下に出て薬研の部屋へと歩を進めながら、太鼓鐘がふと燭台切の方を見た。
「そういえば、伽羅はどうしたんだ?」
今日は、大倶利伽羅も非番だったはずだ。休みの日にはたいてい燭台切の近くにいる彼の姿が無いことを訝しがる太鼓鐘に、燭台切が苦笑する。
「ちょっと、喧嘩しちゃって」
今度は鶴丸と太鼓鐘が驚く番だった。
「みっちゃんと伽羅が喧嘩?」
危うく辞書を落としかけた太鼓鐘が、あんぐりと口を開ける。鶴丸も、白睫毛に縁どられた目を瞬いた。
「おいおい、いったい何があったんだ」
鶴丸の口調は、責めるというよりも心配しているようだ。燭台切は、二人を安心させるように微笑んでみせた。
「大したことじゃないよ」
鶴丸と太鼓鐘からすれば、喧嘩しているという時点で充分「大したこと」なのだが。
好きで世話を焼く燭台切に、馴れ合いを良しとしない大倶利伽羅が鬱陶しそうな態度をとることは少なくない。だけどそれはあくまでも形だけのもので、結局のところ、燭台切は大倶利伽羅が一番心を許している相手と言っても過言ではない。
何しろ、二人は恋仲であるのだから。
当初、その事実を報告されたのは伊達刀の鶴丸と太鼓鐘だけだが、空気を読むことに長けた一部の刀には、勘付いている者もいる。
詳細を尋ねて仲立ちするべきか、それとも二人に任せて見守るべきか。鶴丸と太鼓鐘が逡巡しているうちに、薬研藤四郎の部屋に着いてしまった。
「運んでくれてありがとうな、みっちゃん」
太鼓鐘が礼を言うと、燭台切は「どういたしまして」と返してにっこり笑った。
「本は俺と貞坊で返しておくから、光坊はおやつの準備に戻ってくれ。俺たちもすぐに行く」
歌仙一人に任せてたら可哀想だ、と、もう一人の厨の番人を思いやる鶴丸。
「じゃあ、二人と薬研君も早くおいでね」
燭台切は辞書を二人に渡して、一足先に台所へと戻っていった。
「あの二人が喧嘩するとはなぁ」
踵を返した燭台切の後ろ姿が完全に見えなくなって、鶴丸は驚きを吐露する。
「たぶん、初めてだよな」
太鼓鐘も表情を曇らせた。
「まあ、とりあえず薬研に本を返して居間に行こう。伽羅坊も、せっかく光坊が作ったおやつをすっぽかしはしないだろう」
気落ちしている太鼓鐘に、鶴丸は励ましの言葉をかけて、薬研の部屋の扉をノックした。
間が空いて、ドアノブを回す音と共に部屋の主がドアを開ける。
「はいはいっ……と、太鼓鐘に鶴丸の旦那か。調べ物は済んだのか?」
内番服である白衣姿の薬研藤四郎は、二人を部屋に招き入れた。本棚や机に置いといてくれと言う彼に、太鼓鐘は肩をすくめてみせる。
「どうにも外国の言葉は難しくてな。さっぱりだったぜ」
お手上げだ、という言葉を添えて大袈裟に両手を上げる太鼓鐘に、薬研は不思議そうな顔をする。
「今更だが、太鼓鐘は何を調べてたんだ?」
辞書を借りるときは医学書を読むのに夢中で、詳しいことを聞いていなかった薬研に、太鼓鐘は要点を纏めて事の顛末を語った。薬研は映画の鑑賞会に参加していなかったので、龍の餌という単語も、当然初めて耳にした。
「はあ、龍の餌なぁ」
突拍子もない話だなぁとこぼして、薬研は何かを考えこむように口を閉じた。鶴丸と太鼓鐘が、それよりおやつの時間だぜと薬研に告げようとした、その時。
「……もしかしたら、慣用句の類かもな」
薬研の、眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。
「慣用句? 諺や四字熟語みたいなものだったか」
反応した鶴丸に頷いて、薬研は思いついたばかりの推測を口にする。
「括りとしてはそんな感じだな。俺の当て推量だが、外国でも日本と同じように言葉遊びの類があるのかもしれないってことだ」
「なるほど。日本のもので言えば、鶴の一声とか、掃き溜めに鶴といったやつか」
自身の名と絡めて二つほど挙げた鶴丸。薬研は満足げに肯定する。
「そうそう、腐っても鯛なんて言葉もあるな」
「太鼓判を押すってのも、そうだよな」
嬉しそうに言った太鼓鐘に同意して、薬研は推理のまとめに入った。
「要するに、龍の餌って言っても直接的に餌となるものを指しているわけじゃなくて、比喩の可能性が高い。やすりと薬の飲み違いって言葉があるが、実際に薬と間違えてやすりを飲む馬鹿はそういねぇ。それと一緒で、龍の餌も何かを大袈裟に表現しているんだろう」
なるほどなぁ、と感嘆したところで、結局その「何か」については誰も分からないままだ。
「餌というからには食べ物だろうか」
連想ゲームをしているかのように鶴丸が言い、
「でも、映画だとおっさんは酒を買ってたぜ。何でも、奥さんと一緒に飲みたいんだとか」
太鼓鐘が補足する。
「それで、おっさんの飲み仲間が『龍の餌か』って笑ってたんだ。酒の銘柄は、龍にも餌にも関係なかった。ワインっていう、洋酒だったな」
新たに追加された情報に、薬研と鶴丸は眉間のしわを深くする。
「龍って酒飲むのか?」
「ヤマタノオロチなら、大好物らしいがなぁ」
もう少し、あと少しで分かりそうな気がするが、なかなか繋がらない。歯痒くて、気持ちが悪い。餌が比喩じゃないとすると、例えられているのは龍の方か?
龍に餌を与えることと、奥さんにプレゼントを買っていくことは、つまり――。
薬研が閃きかけた瞬間、部屋の扉が強くノックされた。薬研が扉を開けると、燭台切が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「貞ちゃんに鶴さん。おやつの時間だから薬研くんと一緒に早くおいでねって言ったよね」
般若、とは言わないまでも、立腹している燭台切が棘を剥き出しにしている。
「皆、もうおやつ食べちゃってるよ。鶴さんたちの分まで食べられても知らないからね」
「悪かった光坊! 少し話が長引いちまったんだ!」
「みっちゃん、ごめんってー!」
怒った様子で立ち去る燭台切に、鶴丸と太鼓鐘が必死に弁明している。
腹を立てながらも呼びには来るんだな、と含み笑いして、薬研も二人の後を追った。
用意された今日のおやつは、ずんだ餅だった。燭台切が腕を振るったのであろう鮮やかな緑色は、見ているだけで癒される。
「青葉は目の薬と言うが、この餅は目にも心にも良さそうだ」
先程の言葉談義を引きずって呟いた薬研に、燭台切が照れ笑いの表情で微笑みかけた。
「ありがとう、料理で人に喜んでもらえるのは作り手冥利に尽きるよ。さっきは貞ちゃんたちが世話になったみたいだね」
お茶を運んでくれた燭台切に礼を言い、薬研は意味深な視線を部屋の隅に投げる。薬研たちと同じく、だいぶ遅れてやってきた大倶利伽羅が、鶴丸に絡まれて面倒くさそうに相手をしていた。
「わっ! 驚いたか?」
「……なんだ、鶴丸か」
「何だとは何だ! 君たち、俺の扱いが雑過ぎるぞ!」
騒々しいやり取りを横目に、薬研は燭台切へ耳打ちした。
「一番喜んでほしい相手に、お茶だけじゃなく言葉も運んできたらどうだ?」
途端に、燭台切の顔が耳まで赤く染まった。目に見えて狼狽する燭台切へ、薬研は更に言葉を重ねる。
「察しの良い連中は、伊達の刀じゃなくても気づいてる」
「……それはちょっと恥ずかしいなぁ」
片手で器用に顔を覆い、燭台切はちらりと大倶利伽羅を見やる。大倶利伽羅は燭台切の方を見ようともしない。燭台切お手製のずんだ餅を食べてはいるが、さして感情を表に表すことも無い。無意識なのか、口元がへの字に歪んでいるようにすら見える。
そんな大倶利伽羅を悲しげな目で見る燭台切に、薬研は湯呑を掴みながら助言する。
「何があったのかは聞かねぇが、へそを曲げた龍への餌はあれだけじゃ足りないと思うぜ?」
「薬研くん、それってどういう――」
大倶利伽羅から目を離した燭台切の肩を、太鼓鐘が軽く叩いた。
「みっちゃん、伽羅と仲直りするなら今だって!」
小声だが、薬研には筒抜けなほどの声量だ。それを聞かなかったことにして、薬研は茶で喉を潤した。身内刀故に案じる気持ちは、野暮と言う方が野暮だ。鶴丸はどちらかというと当人同士に任せる方針のようだが、時には第三者が背中を押すことも必要なんだろう。
燭台切は未だ踏ん切りがつかないようだったが、大倶利伽羅の元から移動してきた鶴丸にも意味ありげな視線を送られて、
「ああもう、分かったよ! 行ってくれば良いんでしょ!」
半ば投げやりな態度で大倶利伽羅のところに歩いて行った。そして、大倶利伽羅の目前で盆にお茶を載せていないことに気付いて、慌てて厨へと引っ込む。
伊達男が珍しく動揺している姿に、心なしか険しい顔をしていた大倶利伽羅の口元が僅かに緩んだのを、薬研たち三人は見逃さなかった。
後日。連日のうだるような暑さに辟易していた鶴丸が、冷房の効いた広間へ向かうと、
「龍の餌って、つまり『怒った嫁さんへの機嫌取りの品』ってことだったんだな」
謎が解けた爽快感で満面の笑みを浮かべる太鼓鐘と、薬研の姿があった。太鼓鐘の手には「世界のことわざ辞典」と銘打たれた本がある。
「なんだ、龍の餌の正体が分かったのか?」
ひょいと背後から覗き込んだ鶴丸に、太鼓鐘は開いた本を広げて見せた。怒った顔の女性の背後で龍が睨みを利かせ、それに対してケーキを捧げる男性の姿がコミカルに描かれている。
「怒った嫁さんのことを、ドイツでは龍に例えるらしい。その怒りを鎮めるための貢ぎ物を、Drachenfutter(ドラッヘンフッター)、龍の餌と言うそうだ」
洒落た言い回しだな、と薬研が面白そうに笑っている。
「鬼嫁なんて言葉を耳にしたことがあるが、龍の嫁か。どっちにしても恐ろしい存在に変わりないな」
鶴丸が声を上げて笑い、太鼓鐘と薬研の間に腰を下ろして胡坐をかいた。
「ところで、うちの龍は機嫌を直したんだろうか」
あのおやつの日以来、三人とも大倶利伽羅と燭台切には会っていない。夕餉は大所帯の騒々しさで言葉を交わすことも稀だし、出陣やら遠征が被って、その後の二人が仲直りしたのか確認できていないままだ。
「あのおやつのときには、伽羅も、もうあんまり怒ってなかったみたいだけどなー」
そう言う太鼓鐘は、しかしやっぱり二人が気掛かりらしく、落ち着かない様子だった。
肝心のおやつの時はと言うと、鶴丸や太鼓鐘の気配に耐え切れなかった燭台切が早々に大倶利伽羅を連れ出したので、二人がどんな話をしたのかは知れずじまいだ。
「そもそもあの二人、何が原因で喧嘩なんかしたんだろうな」
両手の指を組んでその上に顎を乗せ、鶴丸が小首を傾げる。心当たりのない太鼓鐘と薬研も首を捻ったところで、噂されている二人の話し声がした。
三人は部屋からそうっと顔を出して、様子を窺う。
「おかえり、伽羅ちゃん。遠征お疲れさま」
タオルを持った燭台切が、遠征から戻った大倶利伽羅を出迎えているようだ。
「ただいま。……あんたも内番で疲れたろう、部屋で休んだ方が良い」
応じる大倶利伽羅の声も穏やかなもので、二人は恋人らしい平和な雰囲気だ。
仲直りは成功したようだな、と三人が安堵し、襖を閉める直前。燭台切の一言で、和やかな空気は一変する。
「いや、僕はこれから収穫した野菜を使って、新しい料理を作ってみたいからね。伽羅ちゃんは先に部屋に戻ってなよ」
何でもない日常的なその一言に、大倶利伽羅の眉がぴくりと上がる。
「朝から内番をしていたくせに、今度は料理か。少しは休んだらどうだ」
すると燭台切は「でも、採れたての新鮮な野菜で料理したいし……」と抗弁する。
「この前も言っただろう、また俺と喧嘩をしたいのか」
「そうやって脅し文句みたいな言い方するの、凄く格好悪いと思うけど?」
口を尖らせる燭台切。二人は、人目も憚らずに言い争い始めた。
「だいたいあんたは、このクソ暑い中で畑に出たり調理場に立ったりして、働きすぎなんだ。それを見ているのは嫌いじゃないが、いちいち心配する俺の身にもなれ」
「これは僕が好きでやってることなんだし、伽羅ちゃんが気を揉むことじゃないって言ったよね。もうずんだ餅、作ってあげないよ?」
「脅すのは格好悪いんじゃなかったのか? 伊達男が聞いて呆れるな」
「ああ言えばこう言う……っ!」
ぎゃんぎゃんと口論する二人の姿に、薬研と太鼓鐘、鶴丸は静かに襖を閉める。
「……まさかあの二人、これから定期的に喧嘩するつもりじゃないだろうな」
ぼやく鶴丸に、薬研も遠い目をした。
「何とか喧嘩は犬も食わんらしいが、俺たちのおやつは当分ずんだ餅一択になりそうだな……」
そして太鼓鐘が、ぽつりと正直な感想を漏らす。
「っていうか、伽羅が怒ってる内容が惚気ってやつに聞こえるの、俺だけ?」
呟きに答える声は無く、冷房の風が辞典の表面を撫でて、はらりとページが捲れた。
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