結んで解いて赤い糸

「……あー、最悪」
 濛々と土煙が立ち込める戦場で、加州さんは舌打ち混じりの溜息を吐いた。
「どうかしましたか」
 言いながら彼を見ると、徐々に晴れていく視界の中で、加州さんの苦々しげな顔が見えた。
 普段は緩く一房に結んでいる黒髪が、今は真っ直ぐな小川のように背中へと流れている。少し癖の付いた毛先だけが、ぴょこぴょこと軽く跳ねていた。
「髪紐、切れちゃった」
 加州さんは腰を落として地面から白い紐を拾い上げる。いつも彼の髪を結っているその紐は、今回の戦闘で土埃に汚れ、二つに裂けていた。
 それぞれの端をよく見ると、刃物の切れ味を思わせる切り口で真っ二つに切断されている。
 先ほど応戦した敵の短刀から攻撃されていたのだろうか。血が付いていない辺りに少し安堵する。
「代わりの物……」
 僕は自分の戦闘衣装を見て、ふと首元に手をやった。赤いリボンタイが指先に触れる。
「これで良ければ、使いますか?」
 結び目に指をかけながら尋ねると、加州さんは驚いたように目を瞬かせた。顔を上げた拍子に肩の髪が揺れて、大きく跳ねた。狼の尻尾みたいだ。
「え、良いの?」
 申し訳なさと有難さを半分ずつ滲ませた声で僅かに眉を下げ、両手を合わせて笑う加州さん。
 僕は一気にリボンタイを首元から抜き取り、彼の手に渡した。
「長さ、足りますかね」
 彼から千切れた紐を預かりつつ首を傾げて見守ると、加州さんは器用にも僕のリボンタイで髪を緩く結び上げていく。
 心配は杞憂だったらしく、赤いリボンタイは問題なく加州さんの髪をいつも通りの一房に纏めた。
 それでも少し長さが余ってしまったので、加州さんはその余った部分を更に結んで小さなリボンを作った。
「ん、どう? 形おかしくない?」
 リボンの形を整えながら尋ねられ、僕は手を伸ばしてリボンの端を見栄えが良いように引っ張ってあげる。
 綺麗に出来ましたよ、と言うと、加州さんは満足げな笑みを浮かべた。
 加州さんに千切れた髪紐を返し、彼が自分の刀の柄へそれを巻き付けたところで、離れた場所で戦っていた同じ部隊の面々が僕たちのところへ戻ってきた。
「おーい、そっちも殲滅できた? ……あれ、清光なんか髪紐可愛くなってない?」
 本体を手に駆け寄ってきた大和守さんが、加州さんのリボンに気付いて不思議そうな顔をする。加州さんは「紐が切れちゃって、堀川のリボンタイ借りたんだ」と簡潔に説明した。
 大和守さんは納得した様子で「ああ、なるほどね」と呟いて、加州さんのリボンタイをまじまじと見つめた。
「なんか大般若さんみたいだね」「まあ、リボンの形、似てるしね」
 たわいない会話をする二人の元に他の男士たちも続々と集まってきて、僕たちは全員が揃うのと同時に本丸へ帰還した。

 怪我の深いものから順に手入れ部屋へ、という規律通りに手入れ部屋の順番待ちをしていると、戦装束のままの加州さんが廊下の向こうからやって来た。
 髪だけは手入れの前に櫛で梳いたらしく、新しい紐で黒髪を結っている。
 加州さんは縁側で腰かけていた僕の隣に座り、「これ、ありがと。助かったよ」と僕のリボンタイを差し出した。
 どういたしましてとそれを受け取り、自分の首元に結ぶ。
「……結んで解いて、って曲なかったっけ?」
 僕の手元を見ていた加州さんが唐突に言って、僕は少し考えた後に「……結んで開いて?」と思い当たる歌の歌詞を口にした。よく短刀たちが口ずさんでいる歌だ。
 途端に加州さんが「それそれ」と嬉しそうに笑う。
「あの歌って、俺たちみたいだよね」
 急な言葉に思考が追い付かず疑問符を浮かべると、加州さんは軽やかに歌いながら言葉を続けた。
「また開いて手を打って、その手を上に……。何度か離れても何度も人間と巡り合う、俺たち刀剣男士みたいな歌だなって思って。運命とか柄じゃないけど、堀川の赤いリボンタイ見てたら、赤い糸とか連想しちゃったり」
 照れたようにはにかむ加州さんに、まあ何となく気持ちは分からないでもないなと納得する。
 結んで、開いて、縁は繋がって、離れて。
 突然、加州さんは僕の首元に手をやった。赤い爪先がリボンタイに触れて、二人の赤が混じり合う。
 何故だろうか、加州さんのまなじりも赤くなっているように見えた。
「……堀川は、俺と繋がれて良かったって思う?」
 不意打ちの質問に少しだけ面食らったが、僕は素直に「はい」と答えた。
 加州さんだけじゃない、いくつもある縁の一つ一つ全てが、僕にとっては大切でかけがえのないものだ。
「……そっか」
 加州さんは噛み締めるように笑い、ちょうど同じタイミングで手入れ部屋から大和守さんが出てきた。
「加州さん、お先にどうぞ」と順番を譲ると、「良いの? ありがと」と彼は真っ直ぐな足取りで手入れ部屋に入っていった。
「清光と何話してたの?」
 手入れ部屋から出てきた大和守さんに、加州さんとのやり取りを語ろうと口を開いた僕の耳へ、幼子みたいな加州さんの鼻歌が流れ込んでくる。
「結んで、開いて……また結んで、開いて」
 歌声は風に乗って空へ流れていき、加州さんが手入れ部屋の扉を閉めると同時にぷつりと途切れた。

「……今回は上手くいったけど、もう同じ手は使えないよなぁ」
 自身である刀身を抜き、打ち粉で丁寧に手入れしながら、加州清光は一人きりの手入れ部屋で唇を尖らせた。
 刀の柄に巻いていた、真っ二つに切れている髪紐――堀川に気取られないよう自分の刃で切った髪紐――を繕いながら、彼は次の策を考える。
「結んで開いて……早く、もっと俺に心を開いてくれないかなぁ」
 童謡を歌い、加州は自分の髪に優しく触れた。応急処置として堀川が貸してくれた赤いリボンタイは、まるで恋人同士を繋ぐ赤い糸のようだった。
 今はそう思っているのが自分だけだとしても、いつかは堀川にも思ってもらえる日が来るのだろうか。
「もしもそんな日が来たら……絶対に、解かせたりなんかしないから」
 赤い爪紅が光る右手を天井へ掲げ、小指を眺めながら、加州は赤い目を細めて静かに微笑んだ。
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