彼岸の桜
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ぞっとして思わず身を離す。彼は何の話をしているんだろう。それも今この状況で。状況?
「コル、」
音をさせて桜の花びらがまた強風と共に吹きつけ、バランスを崩して膝をついたその時、何か嫌な感じがした。
「……え」
何かが脳裏をよぎった。何か不快な……そう、嫌な思い出が不意に蘇る感覚。
ただこれは◯◯◯の内からくるものではない、外からもたらされたものだ。虚空を埋め尽くすように降ってくる桜の花びら。どこを見ても桜、桜。広場を照らしていた月すらもう見えない。
じわりと不安が胸に広がり、指先が冷える。同時に直感で何が起きているのかが分かった。
──そういうことか。
これは精神攻撃の一つだ。花で包まれた者は精神に侵入され破壊される。研究者の一人はここで死に、生き残った一人は気が狂って、遠からずコルも同じ目に遭うだろう。そして自分も。
ぐっと歯を食いしばり、刀から双剣に持ち替える。刀身の短いそれを逆手に握り、腿を突いた。
「痛った……!」
それでも痛みで頭の中がすっきり晴れて、◯◯◯は立ち上がる。コルの肩を掴んで強く揺さぶった。
「将軍!しっかりしてください!!」
何度か揺さぶると曇っていた瞳に光が戻るが、またすぐにぼんやりとした顔つきに戻ってしまった。諦めて刀を構え花嵐の向こう、桜のシガイの方へ狙いをつける。
「大元を叩くしかないってことね」
一瞬、何かに気を取られてコルは足を止めた。何だったのか、微かな光が閃いたような感じで今となっては分からない。頭を振ってレギス王子の居室へ向かう。控えの間に茶が用意されているはずだ。待って行こう。
ドアを開けると彼女がはっと顔を上げた。
「……今」
彼女の立つそばのテーブルにはポットと、湯気を立てる紅茶の入ったカップが銀のトレーに載せて置かれていた。そのカップの上に手をかざしていたのを、コルは見逃さなかった。
「今、何をした」
「お茶の用意を……たまたま、侍女が席を外していて、それで……」
彼女はぎこちない笑みを浮かべている。片手はスカートの後ろに隠されている。カップの上にかざしていた方の手。
「手を見せてくれ」
彼女は動かない。見間違いだと思いたい。誤解ならいい。だがコルは知っている。保安上、王族の口に入るものを取り扱う人間は厳しく定められている。庭師が代わりに任されるはずがない。
彼女が叩きつけるように小瓶をトレーに置いた。茶色いガラス瓶に、一瞬気を取られる。視界の隅に銀色の光が見えた。
──誤解なら良かったのに。
そう思うより早く、コルはナイフを持った細い手首を払いのけ、小刀をブラウスの胸に深々と突き刺していた。植物の話をする時は幸せそうに細められていた目が、今は驚愕に見開かれて至近距離からこちらを見つめる。
「なぜ、武器を……」
いつも笑みを浮かべていた口から赤い塊が溢れ出た。濃い血の臭いが漂って、お茶の香りをかき消してしまう。
「俺は城内でも帯刀を許されている」
それは限られた者にしか許されていない。彼女は知らなかったのだろう。だから警護隊の人間で、年若いコルを与し易いと見て近づいたのだろう。この……暗殺者は。
はらはらと薄紅色の花びらが舞い落ちてきた。降りしきる桜の花は、コルの髪に、肩に、小刀を握る手に次々と落ちてくる。
蛇のようにくねりながら襲ってくる枝を切り払う。樹木のシガイは枝と花の攻撃を同時にはできないようで、◯◯◯の周囲に花びらは落ちてこない。