彼岸の桜
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背後で笑う気配がする。
「将軍が森とか花に詳しいって知らなかったから」
「ああ」
先ほどの蘊蓄……というか雑談のことか。
「サニアから聞いたんだ」
「サニア?あの人もここへ来たことが?」
「言ったろう。固有種が多くいると」
生物学者の彼女もまた、ここを訪れている。けれども昼間にしか足を踏み入れたことはなく、おかしな目に遭ったことはないと言っていた。
『あそこは多様性の楽園!くれぐれも生態系を破壊しないように気をつけて!』
滔々と森について頼んでもいないのに語ったあと、具体的に何をどうすればいいのか分からない注文をつけられて辟易した。
『誰かの思いつきが』
サニアが呼び水となって、古い記憶が浮かび上がってくる。穏やかな声。
『実を結んで、いま王都中に咲き誇っている。それってすごいことだと思いませんか?』
桜の歴史についてひとしきり語ったあと、彼女は目を輝かせてそう言った。十代のコルには、その表情がとても眩しく思えた。
けれど。
少しずれてしまった、記憶の箱の蓋をしっかりと閉める。これは思い出さなくていいものだ。
「昼は安全なら、シガイの仕業かな」
「おそらくはな」
追憶に浸っている場合ではない。頭を切り替えなければ、被害者と同じ轍を踏むことになる。警戒しながら森を進んでいくと、周囲の植生が変わってきた。木の近くにぽつぽつと花が咲いている場所もある。
『あんたは本当に花が好きなんだな』
『だから今こうして働いてるんじゃないですか』
剪定鋏を持って悪戯っぽく笑う口元。
思い出してはいけない。
頭を振って歩みを進める。不意に視界が開けた。
「これは……」
ざあっと一陣の風が吹いて、月明かりに薄紅の花びらを散らす。
広場のようになった場所に、満開の桜の木がいっぱいに咲き誇って、煌々とした月の光に照らされている。王都のそれよりもやや花の色は濃く、枝ぶりも良い。思わず息を飲んだコルの脳裏で、記憶の蓋がまたずれた。
『儚くて、美しくて、桜ってどうしてあんなに人を惹きつけるんでしょう』
花瓶に活けられた大輪の花を整えながら、彼女はうっとりと呟いた。王宮の中では低い地位の、庭師の小使いという立場を天職と言い切るほど花を愛していた。
『俺が知るわけないだろ』
花はただそこにある。そうとしか思えないコルがそう言うと、彼女は頬を膨らませた。
『それなら、次のお休みに一緒に桜を見に行きませんか。あの美しさを間近で見ればそんな考えも変わるかも』
広場に足を踏み入れるとはらはらと花弁が落ちてきて、視界を薄紅に染めるようだ。人の手で整列させられたわけでない、迷路のようになった木立の間を進む。前も後ろも、右も左も、桜。
「将軍!」
後ろから腕を掴まれてはっと我に返る。切迫した顔で◯◯◯が見上げていた。
「すまない。つい見惚れていた」
「おかしいですよ。急に周りも気にせずどんどん歩いていっちゃって」
「そうだったか?」
彼女の表情がどんどん強張っていく。コルには◯◯◯がなぜそれほど焦るのかが分からない。
「もう引き返しましょう」
「しかし調査が」
「やばいことは十分に分かりましたから!」
腕を引かれるがコルは動く気になれず、どう説得したものかと思案を巡らせる。