『ハッピーくまさん』

 
 驚きの余り、俺は放心してしまった。

 引っ越し。
しかも明日だなんて……。

「湿っぽいのは嫌いだから、皆には黙って行くつもりだ。明日の朝、先生が伝えてくれることになってる。ちょっと寂しいけど、新しい場所へ行くことは楽しみなんだ。アメリカだから英語も出来るようになるだろうし。でもさ、……やっぱり辛い」

 貴志が悲しそうに笑う。
なんとか明るい声を出そうとする彼を見た途端、俺の瞳から涙が溢れた。

 胸が裂けそうに痛くて、嗚咽が漏れそうになる。

 会えなくなる。

 ただそれだけで、とめどなく涙が流れる。
着ぐるみを着ているから涙も拭えず、ただ立ち尽くした。

 俺は突き付けられた現実を受け止めるのに精一杯だったけど、彼を送り出してやらなければと、持っていた風船の束を差し出した。

すると、貴志が俺の前に立つ。

「俺、好きな人がいるんだ。今日、そいつにだけは言おうと思ったんだけどさ、急いでたみたいで、走って帰っちゃって……」

 彼が、俺が被っているクマの頭に触れた。
そして、ゆっくりとそれを取る。

「泣いてんなよ、バカ」
「っ、うるせぇ! 急すぎるだろうが……!」

 泣きじゃくる俺に、貴志は優しく笑いながら、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 目を閉じると、重なる影。
手から風船が離され、夕焼けの空へと舞う。

「……なんで俺がここで働いてるって分かったんだよ」

 聞くと、貴志がポケットから一枚の紙を取り出した。

「もちろん始めは分からなかった。ここに来ていたのも、単純に好きな場所だったからだ。分かったのは今日の昼休み。これが廊下に落ちてた。シフト表」

 渡された紙には、ここの店の名前がしっかりと印字されてある。
そして、その裏にはマジックで文字が書かれていた。

「それ、新しい連絡先。これから遠距離になるんだから、なくすなよ」

 そう言って笑った彼に、俺の目から、また涙が溢れた。

 最後のアナウンスが、舞い上がった風船の空に響き渡る。
その下で、俺達はまたキスを交わした。


『ご来店ありがとうございます。お探しものは見つかりましたか? ハッピーストアで今日もハッピーな一日を』














end


 
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