『天使を抱くマリア』
煉瓦作りの家々が山手から階段のように建ち列んでいる。そこの路地を、スケッチブックを抱えた碧い瞳の青年が走り抜けていく。
白いシャツに、チェックのズボンにはサスペンダー。いかにも画家という風ないで立ちの彼は、ハンチングキャップからのぞく金髪をキラキラとなびかせて石段を駆け降り、中世の騎士のまね事をする子供達の横を通り抜けて大通りへ出た。
果物や野菜が所狭しと並んだ露店、騒がしく行き交う馬車、それらを縫うように避けて、装飾の施された白い石柱のある美術館の中へ入って行った。
「アンナさん、こんにちは!」
館内に響き渡る元気のいい声と、ハンチングキャップを脱ぐ礼儀正しい所作に、受付に座っていた中年女性が穏やかに笑った。
「あら、ルーカ。今日もエリオット・グアドラードの絵を見に来たのかい?」
「うん、彼は二十年も前に死んでしまった画家だけど、作品は今も色褪せない。天才的に素晴らしいよ」
「私も好きだけどねぇ。少し暗いわね。それはそうと、今日も来てるわよ、ア・ル・ディ・オ」
「えっ、ほんと!?」
名前を聞いた途端、ルーカは鼓動が速くなるのを感じた。
早速中へ入り、迷うことなく通路を歩く。お目当ての作者の絵画達は、天井にステンドグラスのある中央ホールを抜けた先の一番奥まった一角にある。
沢山の絵画が並ぶ通路。
その観覧用に設置されているベンチに、長い黒髪を後ろで束ねた男性がスケッチブックを開いていた。
ルーカは彼の姿を見つけると、いつも立ち止まって躊躇してしまう。それほどに彼は美しく、まるで絵画の一部であるかのようだった。
彼は白いシャツと黒いズボンという何の変哲もない服装だったが、それがかえって美しさを引き立たせていた。
「アルディオ、こんにちは」
「ああ」
アルディオがエメラルドの瞳だけをこちらに向けた。
彼はあまり話す事が好きそうではなかったが、おしゃべり好きなルーカは気にする様子もなく、隣に座った。