昔書いたやつの再掲




 手を刺す痛みに、あぁ、これが恋なのだとやっとわかった。



**

 私は、『わからない』ものが嫌いだ。わかるということは、それを自分の支配下に置けるということだ。勉強してそのことがわかれば知識を自由に操れるし、人柄を理解すれば言動をある程度予測して良好な関係を築きやすい。わからないということは、『わからない』ものからの支配を意味する。化学反応を知らなければ酸性とアルカリ性を混ぜてしまう可能性があるし、全く知らない人と最初から友好的に会話できる可能性は未知数だ。可能性という言葉は無責任だ。できるかどうかわからないが勝手に期待だけはしていたい人間がよく使うので嫌いになった。数学で使われる可能性は計算で出せるので好きだ。


 千子村正。私の本丸で一番『わからない』刀剣男士。最初はただの脱ぎたがりな、周りを困らせて楽しんでいる、図体の割に茶目っ気のある刀だなと思っていた。段々と過ごしているうちに、他人が自分のことを『わからなく』とも関係ないというところが鼻につくようになった。私の中の理屈では、それは誰にも支配されたくないという主張で、なんだか可愛くないなと思った。それでも同じ刀派の蜻蛉切の練度が最高まで上がっていたので、それに追いつかせてあげようという謎の義務感で部隊からは外さなかった。蜻蛉切の実直さは理解しやすく、好ましかった。

 練度が最高まで上がりきった村正から修行に行きたいと言われたとき、他の刀から同じ申し出を受けたときとは全く違う感情を持った。修行先から来る手紙。心情の吐露。彼をわかるようになるのではないかと期待し、同時に今の自分が嫌いだった人間と同じように可能性を信じていることを嫌悪した。相反する感情を抱えるのはカロリーを消費させるので、その原因である彼に少し苛立った。この感情をぶつけるのはただの八つ当たりで、彼のせいで感情を乱されたことを悟られたくなかったので、優しい主の顔を保って承諾した。
 
 修行に送り出してから届いた手紙に正直言って興奮した。自信から生まれる微笑の裏側を見たような気がした。私の内面は村正は『わからない』、でも私はわかる。やっと安心できる関係になった。そう思ったが、三通目の手紙を読んで、やっぱり『わからなく』なった。何故誤解を解く努力を怠ってしまうのか、私には理解できなかった。



 私は「わかる」ことに安心する。その状況を作るためにはある程度周囲も「わかる」ことが多い方がいい。同程度の教養があると会話しやすいし、互いに互いを理解している関係は心地よい。私は相手のことをできれば本性まで知ることができれば安心するし、相手には外向きの「わたし」を知っていてもらえると円滑にコミュニケーションが取れて有難い。そのために情報開示だってするし、腹を割って話すふりもする。全部隠してしまうと怪しまれるが、一枚二枚カーテンをめくって見せてあげれば人はそれを中身だと信じてしまうのだ。本当の中身は床に隠してあるのに。村正も同じ匂いがした。カーテンを限界まで開けて、舞台のはけ口の裏まで見える。でもまだ隠している。それがわからないのが疎ましかった。あと一日待てば帰って来るとわかっていたが、わざわざ鳩を取り寄せて使った。どうしてこんなタイミングで、と近侍の前田が不思議そうにしていた。予定より早く呼び戻された村正本人は特に驚きもせずけろっとしていたのにまた腹が立った。着ていたパーカーの伸びた袖の下できつく握りしめた爪の音を聞かれたかもしれないが、もうどうでもよかった。

 極になった村正は前にも増して強くなり、私の中の彼への苛立ちも強くなった。でも修行から帰ってきた日の他にそれを顔に出すことはなかった。


 その日は、机に飾っていた遠征部隊のお土産の花が綺麗だった。その日は毎日ちょっとずつ溜まっていった書類が一つの山になってしまって、それを片付けてしまわねばならなかった。その日は、作業が長引いて深夜になるまで取り組んでいた。その日は、近侍が千子村正だった。

 本丸中が寝静まっているときに、ふと思いついて村正を畳の上に押し倒した。この刀とセックスしてみようと思いついた。性的快楽はそこまで好きでもないけど、村正の裸が見たかった。修行後の村正を観察するうちに、「脱ぐ」とか「裸」とかの意味には「本性をさらけ出す」が含まれるとわかった。だから村正の「裸」が見たかったし、そのために多少私も「裸」になる必要があった。特別ふしだらな女じゃないけど、そこまで貞操というものに興味もなかった。
 
あれだけ屈強そうな筋肉をしているくせに、村正は特に抵抗もなく倒れた。胸に手をついて、形のいい唇に歯を立ててもあの微笑みは変わらなかった。むかついて、今度は舌でも齧ってやろうかなと思っていたら、村正が体を起こして私を床に転がした。そのままさっきの私のように唇を合わせた。ただ私と違って齧ってはこなかった。口づけするのも、服を脱がすのも、全部優しくって気持ち悪かった。これじゃまるで恋人のするセックスだ。村正の肌は綺麗で、私のは綺麗じゃない。それなのに壊れもののように扱ってくるのに腹が立つ。体のきもちよさと心のきもちわるさのバランスがとれなかった。荒い息の隙間で、村正が
「好きデス」
と吐き出した。

 あんまりにも滑稽で笑い出してしまいそうになった。私が君を誘ったのは好いた腫れたの可愛いものとは似ても似つかない理由なのに。こんなどろどろした感情を抱えているのにも気づかずに、馬鹿なおとこだな。わたしも、なんて返さなかった。胎の奥を突かれて出る生理的な喘ぎ声で返事して、何故か胸がじくじくと痛んだ。好きな女のことはこうやってやさしく抱くんだ、でも知りたかったことじゃない。こんなのが知りたかったわけじゃない。結局『わからない』じまいじゃないか。お腹の上に出された白を眺めて無性に泣きたくなった。怒りとかむかつきって、一周回ると涙に変換されるんだと知った。
 
 あの夜以降、村正が夜に部屋にいる機会はなく、私も勿論誘うことも無かった。あんな思いをするのはもう懲り懲りだという気分だった。それからというもの、あの薄紅藤の髪を見ると心臓が痛んで手汗が酷くなるようになった。金色の眼にだけはそれを見られたくなかったからオーバーサイズのパーカーを買い足した。



 買い足したパーカーが着慣れてさらに袖が緩く伸び始めたころ、政府から見合いの誘いが来た。職務が特殊なこともあって、審神者は審神者同士で結婚する場合が多いのだが、如何せん出会いの場が限られるので、こうして政府から直々に婚活パーティーだとか諸々の斡旋がある。今度はどこの国だろうか、前は筑前だったから今度は築後かな、行かない理由は何にしようかなどと考えながら端末をタップしてメールを開く。

 一度内容をざっと読んでから、もう一度読んで、端末をスリープして頭を抱えた。平たく言ってしまえば「試験的に審神者と刀剣男士で婚姻関係を結んでみよう!」という内容だった。不可解すぎる政府からのご提案に恐怖すら感じた。こんのすけを呼んで、内容を改めて詳しく確認したが、繫殖の可能性だとか、霊力の上がる可能性だとか、興味のない政府の思惑を聞いただけだった。管狐は小さな前足でぴん、と胸を張って、本丸中にこのことは既に通達済みです、と言い放ったのでもう一度頭を抱えた。前回のパーティーで地位をひけらかす審神者を袖にしたのが悪かったか。そういえば政府関係者だとこぼしていた気がした、あまり記憶にないが。管狐は、期日は一週間後の朝だと告げるとしっぽを揺らして消えた。ねだられてもしばらく油揚げは奴にあげないことに決めた。

 改めて夕食の時間に、遠征部隊も帰ってきていることを確認して、嫌な刀は嫌だときっぱり意思表示していいと伝えた。その上で選ばれても構わない刀は私に教えてくれるとありがたいとも言うと、夕食後に何振りかがその旨を伝えに来た。最初に障子を叩いたのは長谷部で、次が巴形で、大包平、小狐丸。忠誠心、自信、好奇心、等々。
静かになってからやってきたのは村正だった。どくりと心臓が動いた。
「ワタシも立候補しにきました」
「……そう、ですか。わかりました」
 返した声が震えてはいなかっただろうか。冷や汗のせいで季節外れの寒さを感じた。好奇心? それともあの日の意趣返しか。
「では、これで」
「あとこれをアナタに」
 そう言って渡されたのは安っぽいプラスチックでできたネックレスだった。
「……は? え、ちょっと」
 私の動揺をよそに村正はさっさと立ち去ってしまった。こんなもの、捨ててしまおうかと思った。村正の言葉を借りるなら、使わないものに価値がないのだから、こんなものは使わないので価値がない。しかし誰かが障子を叩くのが聞こえて、咄嗟に引き出しにしまった。障子の向こうにいたのは蜻蛉切だった。真剣な声で、
「選ぶなら、できれば自分を」
 と言うので思わず身構えてしまった。真っ赤な耳で桐の箱を手渡して帰っていく背を見ながら、同じ刀派でも違うものだなと思った。中を改めてみると牡丹の立体彫りが美しい櫛だった。一旦蓋をして、先のネックレスの軽さとこの箱の重さにひとり笑った。



 一週間後の朝、手に取ったのはつげの櫛だった。朝食の時間に本丸中の刀の前で蜻蛉切の名前を呼ぶのは、呼び慣れているはずなのになんだか気恥ずかしかった。釣った魚に餌をやらないのは動物愛護に反するし、自分に懐く魚は誰だって可愛いんだから進んで餌やりをしたくなる。きっとこんな気持ちは愛ではない。しかし蜻蛉切は私に『わからない』という不安を与えないし、私の床下収納を勝手に暴けるほど器用でもない、それらに安心を覚えた。

 夜、宴が始まった。どの刀を選んでも催す予定だったらしく、出てくる食べ物はどれも皆の好物ばかりだった。普段私が一人で座っている上座の隣にもうひとつ座布団が増えた。結婚が幸せだと信じている男士たちは無邪気に喜んでいて、急に酒を流し込んで喉を焼かなければいけない気持ちになった。アルコール5ml。べたつく甘さ。唇に残ったひとしずく。アセトアルデヒドの足音。そんな飲み方ばかりしているので酔ってしまって、いつもより少し早めに宴を抜けた。一人で自室まで戻ろうと思ったが、この日は蜻蛉切が肩を支えてくれるので、寄り道もせず真っ直ぐに部屋に戻った。部屋の中で知らぬ間にふたりぶん敷かれた布団を見てまた心臓を握られたような感覚に襲われた。
「主殿の布団はどちらですか」
「……え、あぁ、こっちです」
「では、どうぞ休んでください。自分は水を持って参ります」
 あ、とか、う、とか声になったかどうか曖昧な返事をしているうちに蜻蛉切は部屋を出ていった。戻ってきた蜻蛉切から水を貰って寝た。心臓の痛みは既に消え、まどろみの隙間で頭を撫でられた感覚に、撫でられるなんて何歳ぶりだろうと思った。
 起きたらもう蜻蛉切は隣に居なかった。つげの櫛で梳かす時間は穏やかで、髪に付けた柚木油の香りがいつもより上等なものに感じられた。



 政府から諸々の提出すべき書類データが届き、不備の無いように入力し、送り返す。送ってから三日後また政府から知らせが届く。これを受け取ってから二週間以内に審神者とその該当の刀剣男士は記載された施設に足を運ぶようにとのこと。遠征から帰ってきた蜻蛉切に旨を伝え、一日休養を取らせてから共に向かう。担当の方と提出した書類の再確認をし、審神者養成所で習ったことと習っていないことが混ざった儀式を執り行う。これにて、審神者と刀剣男士は婚姻関係と認められる。審神者のみ別室に呼ばれて戸籍等重要書類に自分で火をつけ、審神者名だけが書かれた新しい戸籍や身分証明書を確認する。これにて、現世において「わたし」という個人の存在を公的に証明できるものはなくなる。

 蜻蛉切は始終背筋をぴんと張っていて、その緊張がこちらにも移ってきそうだった。全てが終わって転移装置に入ったときにぎゅっと手を握られて、意外な行動に驚いて隣を見上げると
「夫婦はこういうことをしたりすると、学びました」
 どこでそんな初心な情報を得たんだろう。でも繋がれた手の温もりを手放すのは嫌だと思った。らしくないと思いながら繋がれた手をそのままに腕にもたれかかると、あからさまに緊張したのが伝わってきて、まるでにんげんみたいだった。



 せっかく夫婦になるっていうのに祝言をあげないのは勿体ないだろう。
 だれともなくそういった話が出て、以前このことで宴も開いたのにもう一回お祝いするのかと自室で独り言ちると、
「そういう人間を沢山見てきましたから、自分たちの手でお祝いできる立場になったのが嬉しいんですよ」
 と前田が教えてくれた。白無垢を仕立てるのに採寸が必要で、初鍛刀で短刀なら審神者の身体に触れてもまだ問題ないだろうという話だ。そんなに気を遣ってもらうほど綺麗なからだではないのだが、それをわざわざ伝えられるほど図々しくもなかった。準備が済んでしまうのは二週間ほどになると聞いて、本丸中で準備するとなんだか早いなあと他人事のような感想を持った。

 夜。余計なことを考える時間。いつもしないことをしてしまうきっかけが暗がりに隠れている時間。この緞帳が上がったら私は白い着物に袖を通して花嫁というその日の主役になる。その緊張から眠れなかった。
 眠れなくて、布団から出てぼんやりしていた。ぼんやりと視線を彷徨わせたとき、なんとなく小物入れの小棚が目に入った。その小棚の中にあのネックレスが入っていることを思い出した。

 そうだ、ネックレス。あのプラスチックの。今晩、今晩どうしても捨ててしまおうと決意した。一度その決意をすると深夜に特有の眠りにまでは達しない柔らかなまどろみは一気に覚めた。引き出しを引くとあの日突っ込んだそのままの状態でネックレスがあった。手のひらに乗せて月明かりに当てると安っぽいプラスチックのルビーがきらめいた。そのきらめきに無性に腹が立った。もう何にこんなに苛立っているのかもわからない。また『わからない』! あぁもう嫌だ、なんでこんなに気持ちを乱されるのか。なんで、どうして、何故!感情の爆発のままに手を握りしめると乾いた音と鋭い痛み、一瞬遅れて湿った感覚がした。手を刺す痛みに、あぁ、これが恋なのだとやっとわかった。

 好きだったのだ、どうしようもなく。握りこんだ手にぽとぽと落ちる水滴が自分の涙だと気づいて、でももうどうしようもない。遅すぎる。この恋の幼体は土中から孵化して羽ばたく夢はもう叶わない。私は村正のわからないことに腹を立てていたのではなく、私のことをわかってほしかった。私のどろどろを綺麗に見せかけた絨毯を剝がして床下収納の中身まで肯定してほしかった。あのとき、好きと言ってくれたとき、裸になりきれなかった。絨毯を自分の手で片付けられなかった。村正はもしかしたら、収納を開けて「裸」になるときを待っていたかもしれなかったのに。見栄を張らずにこのネックレスを受け取ったときの感情も今までのも全部ぜんぶ吐露していれば。今発揮した爆発力をそのとき発揮していれば。

 今までの行動を思い返しては最適な選択肢をシミュレートして涙を零すことを繰り返した。感情と行動とそれらに対する自覚にタイミングを合わせられなかった。掛け違えたボタンを直す機会はあったのに自分でそれを上から縫い付けてしまったのだ。今の私は、選ばなかった可能性の未来を夢想してそっちがよかったと泣く子どもで、馬鹿ね、本当に馬鹿。散々理屈をこねて自分を納得させて、結局いちばん欲しかったものを手に入れられなかった。

 怖かった、この感情に正面から向き合うのは。私はずるくて臆病だから、先にわかりやすく感情を見せてくれる蜻蛉切のやさしさに逃げた。蜻蛉切の真似をして開いたようなふりをすれば、自分の感情に向き合えたような錯覚を得られた。二振りはやさしくて、私はやさしくない。私はどちらに対しても酷い女だ。今更鈍愚な私が気付いたことに、どちらも恐らくもう気付いているだろう。今からつげの櫛を叩き割って逃避行に走るには、あの手の温もりが足を引っ張ってしまう。そして、壊れた合成樹脂はもう元には戻らない。

 握りこんだ手を開くと、割れた破片が手のひらに刺さっていた。偽物のルビーも赤く染まって本物らしくなっていた。箪笥から白いレースのハンカチを出して破片や諸々を包んで、流れた血で紅を引いてハンカチに口づけた。最後に一つこぼれた涙と一緒にゴミ箱に捨てた。夜中に初期刀を起こして手当てしてもらうのは気が引けたけど、怪我の理由や涙の痕に突っ込まない優しさにまた甘えた。私は自分で思っていたより甘えん坊らしかった。



**

 白無垢と綿帽子を身にまとった自分を見て、皆が祝福してくれた。
 ありがとう。今日は結婚式であり、私にとっては葬式だ。こころの中の一番小さくてやわく弱い部分を切り離してしまう日だ。その部分を旦那様に差し上げることはできないが、それ以外ならなんだって明け渡してしまっても構わない。頭の冷えた部分で、何にも手に入らず勝手に恋心と一緒に埋葬されるのも、女の心の一部を他のおとこに永遠に持っていかれながら生きるのも、どっちも可哀そうだと思った。

 私の部屋から広い廊下を選んで進んで普段神事を行うところで神刀たちが式に付き合ってくれる流れになっているので、障子を開けてそこで待っている蜻蛉切と歩みを進める。石切丸と今剣が先導し、初期刀、初鍛刀が後ろに並んで歩いた。歩きながらどこにいても雅楽が聞こえてくるのは、ここに見えない刀がどこでも聞こえるように配置に気を遣って演奏しているんだと察した。綿帽子の下から演奏している刀たちが見えるたびにありがとうと小さく呟いた。薄紅藤の髪が見えた。琵琶の弦をはじく手を見ると自分の手の傷が少し痛んだ気がした。弦から顔を上げた村正と目が合ったから、ずっと無理していた作り笑顔やしかめっ面じゃない、本心からの微笑みに口だけで「     」とあの日の返事を返した。薄い涙の膜で視界が滲んで、磨り硝子越しに見る外のような世界はとびっきり綺麗に想えた。
1/5ページ
スキ