2026年7月公開予定作品(下書き)




 ザアァァァ──という激しい音を立てながら、バケツの水をひっくり返したかのような雨が降っている。先程までの静かな夜が嘘のように、まるで台風のように風が吹き荒れ、街中の自転車や看板といったありとあらゆるものを薙ぎ倒していた。予報にも無かった荒れた天候に、人々は慌てたように家の中や建物の中に避難している。
 そんな中、土砂降りの雨に打たれながら、クロサキ医院の前で佇む一人の男の姿。そんな男を見ていられなくて、コンは思わず声をかけた。

「一護……」

 ずぶ濡れになりながら、俯いたままの一護は、ジッと地面を見つめていた。コンは玄関前に立ちながら、そっと視線を背後に向ける。家の中では夏梨が変わらず苦しんでいる。あれからそっと家を抜け出した一護は、雨が降っているにも関わらず、まるでその雨を浴びたかったかのように、数歩出て立ち止まった。それからずっとこの調子だ。
 コンはこの重い空気にそっと溜息を吐く。
 一護の気持ちもわからないでもない。突然妹が何かに苦しみ、それをどうもしてやることができないもどかしさ。自分も、一護から頼まれて夏梨の様子を見守っていたというのに、結局何も気付けなかった上に、何もできなかった。家に着いた途端、いきなり胸を押さえて苦しみだした彼女に、自分は見ていることしかできなかった。あまりの不甲斐なさに謝罪しようと思ったが、当の一護が何かに思い詰めている。そんな彼に、自分がかけられる言葉は見つからなかった。

 そうして気まずい時間に耐えていると、ふと一護が顔を上げたことに気が付き視線を向ける。一護はコンに背中を向けたまま、土砂降りの雨音に負けない声量で声を上げた。

「コン」
「?」

 落ち込んでいるかと思いきや、何か吹っ切れたような、それでいて強い覚悟を決めたかのような声色に、コンが眉根を寄せていると、一護はゆっくりと振り返る。その眼差しには、何かを決意したかのような強い意思が滲み出ていた。

「一護……?」

 戸惑って声をかけると、一護はコンをジッと見つめてから、ゆっくりと口を開いた。

「俺は……これから世界を敵に回す」
「……は?」

 聞こえてきた突拍子もない言葉に、思わず呆けた声を上げてしまう。一瞬冗談かとも思ったが、一護の強い眼差しが嘘ではないことを告げていた。どういう言葉を返していいか悩むコンに、一護はそっとコンから視線を外して、持ち上げた右手を見つめた。

「護らないといけないもんがあるんだ。どうしても」

 そう言いながら、ゆっくりと右手を握りしめる。あの夕暮れに染まった景色の中、遠ざかる銀色に向けて無意識に伸ばしていたこの手。どうしてあのまま手を伸ばさなかったのか。そのことを悔むかのように。

「その為には、世界を敵に回す覚悟をしないといけないことがわかった」

 ──じゃあな

 あの時の日番谷の表情。それがどうしても頭から離れなかった。隊長達から真実を聞かされた時も。ルキアと恋次に行く手を阻まれた時も。浦原から諭された時も。茶渡と夏梨が虚化によって苦しんでいる時ですら。
 皆の言い分もわかっている。しかしどうしても認めることはできなかった。頭では理解していても、魂がそれを拒絶するのだ。日番谷を犠牲にする選択肢を考えるだけでも、具合が悪くなりそうなくらい。
 それでも、数々の現実を突きつけられて、圧し潰されそうになった。仲間達から自分の考えを否定され、大切な人達が苦しむ姿を目の当たりにして。
 しかしもう決めた。思い出すのは、乱菊の、茶渡の、夏梨の、一心の言葉。もう迷わない。皆の想いを受けて、自分が進むべき道はただ一つ。

「俺は──冬獅郎を絶対に護る」

 あの時気付けなかった、死を決意した表情。あんな表情もう二度とさせたくない。あんな姿はもう見たくもない。絶対に助ける。絶対に護る。

「このまま俺が何もしなければ、夏梨も、チャドも、今世界で起きてる異変も、全部解決する」
「えッ……!?」

 その言葉に驚いた様に目を見開くコンに、一護は続けた。

「けどそれじゃあ、俺が一番護りたい奴だけは護れないんだ」

 日番谷を犠牲にすれば世界は救われる。虚化も止まって、夏梨も茶渡も助かる。しかし、日番谷だけが犠牲になる。日番谷が犠牲になった世界なんて「救われた世界」と言えるはずがない。言いたくもない。

「だから俺は動く。誰が何と言おうと、誰が俺の邪魔をしようとも、例え世界中を敵に回したとしても……例え、このまま世界が滅んだとしてもだ」
「お前、何言って……」

 突然世界が滅ぶというスケールの大きな話を出されて戸惑っていると、一護はコンを振り返った。

「下手したら世界を滅ぼすことになるかもしれない俺を、お前は許せないかもしれない。それでも構わねぇ。俺はもう、誰に止められたとしても、俺のしたいようにする」
「一護……」

 何もわかっていないコンに一方的に告げるのは、自分の決意を自分の魂に刻む為。もう迷わない。もう戻らない。もう立ち止まらない。自分が信じる道を突き進み、その果てにあるのは自分が望む世界だけ。それが叶わないなら、そんな世界滅びればいい。そういう覚悟。

「俺はアイツを──冬獅郎を犠牲にする世界だけは絶対に認めねぇ!!」

 コンは何とも言えない表情で一護を見つめる。
 自分ではない誰かに、決意するように、誓うように声を上げる一護。それはもしかすると、自分自身に言っているのかもしれない。先程から言っている言葉は、全てコンに向けて言っているようには聞こえなかったから。恐らく一護は、覚悟の宣言をしているのだ。誰かに伝えておきたかったのだ。自分の覚悟を。自分の為に。そしてその場にたまたまコンが居合わせただけなのだ。
 ずぶ濡れになりながら、そんな雨など構わないとでも言うような一護の姿に、コンは大袈裟に溜息を吐いた。

「良いんじゃねぇの、テメェの勝手にすれば」
「──!」
「どうせテメェは、俺様が何言おうと聞きゃしねぇだろうが。だったらいつもみたいに、テメェの勝手にすりゃいいってんだ」
「コン……」

 両肩を竦めて、吐き捨てるように言いながら、捻くれた様で、一護の在り方を否定しないコンに、一護は嬉しそうな表情で肩の力を抜く。そんな一護からプイッと顔を逸らしながら、早口で捲し立てる。

「ただな、くれぐれも俺様を巻き込むんじゃねぇぞ!お前がどう動いて、これから世界がどうなろうと知ったこっちゃねぇがな!俺様は巻き込まれることだけはごめんだ──」

 そこまで言って、ふと思い出した様に一護を振り返った。

「そういや、”冬獅郎”って言ってたけど、それ、お前の妹もその名前呼んでたぜ?」
「は……?それどういうことだよ!」

 唐突の言葉に咄嗟に反応が遅れた一護だったが、それを理解すると飛び掛かるように歩み寄り、びしょ濡れのその手でコンの両肩をガシッと掴む。その勢いにしどろもどろになりながらも、コンは今日の夕方あった出来事を話した。

「お前に言われて、お前の妹を見張ってたんだけどよ。今日の夕方、川沿いの土手でお前の妹が川に向かってその名前を呼んでたんだ。俺様の位置からじゃその人影は見えなかったけどよ。ありゃその”冬獅郎”って奴を見かけたような呼び方だったぜ」
「川沿いの土手……」

 行方の掴めなかった日番谷の唯一の手がかり。日番谷のことを知る夏梨が見かけたなら間違いない。今はもうその場所には居ないだろうが、それでもそこに行けば何かわかるかもしれない。尸魂界に居るのか、現世に居るのか、はたまた自分の知らない場所に居るのか。何一つとしてわからなかったのだ。これは日番谷へ続く大きな手がかりだ。

「サンキュー!コン!」

 一護はコンの肩を離すと、善は急げと言わんばかりに、瞬歩で目的の場所へと向かった。



***



 雨が降っている。シトシトと、静かな音を立てながら。薄暗い室内からでも分かる、窓に滴る水滴。それらが静かに流れ落ちては、新しい雫を付ける。そんな光景を呆然と見つめながら、ルキアは力が抜けたように、窓際の椅子に座っていた。

「……ルキア」

 そっと呼びかけられてゆっくりと振り返る。そこには、自分と同じ様に暗い表情でこちらを見つめる恋次の姿。

「恋次……」

 恋次は近くにあった椅子を手に取ると、乱暴な手付きで引き寄せてドカッと座る。その音を皮切りに、部屋に静寂が訪れる。聞こえてくるのは窓に当たる雨の音。そして二人の呼吸音。長い沈黙の後、ずっと思い詰めたように地面を見つめていた恋次が、そっと口を開いた。

「……一護の奴は……」

 出てきた名前に思わずピクッと指先を動かす。そんなルキアに構わず、恋次は続けた。

「……アイツは、今でも……日番谷隊長の為に、動いてんだろうな……」
「……」

 安易に想像できる。黒崎一護という男はそういう男だから。だからこそ、自分達は一護を止めなければならなかった。だから、決死の覚悟で一護に斬魄刀まで突きつけた。それなのに、あの男は止まることを知らないとでも言うように、自分達の脇をいとも簡単に通り抜けていってしまった。

 ──もしテメェらが俺の邪魔をするってんなら、テメェらは俺の敵だ

 敵意を滲ませながら言われた言葉を思い出す。あの時のことを思い出すと、今でも胸が痛い。しかし、もしあの時に戻ることができるなら、自分達は何度でも一護に斬魄刀を突きつけるだろう。だって、今でもあの時の気持ちは変わらない。仲間を、世界を救うためには、この方法しかないのだから。自分達の選択肢はこれしかないのだから。
 そっと拳を握りしめるルキアを一瞥してから、恋次は言いづらそうにそっと視線を逸らす。

「……正直、俺ぁ今でも気持ちは変わらねぇぜ」
「……恋次……」
「日番谷隊長に死んでほしいわけじゃねぇ。そんなこと言えるわけねぇだろうが。けど、これしか方法がねぇから……だから俺は、あの人に死ぬほど感謝してんだ……!あの人が、自ら進んで……ッ」

 その先は言いたくなかった。自分達が頼まなくても、日番谷が自ら進んで犠牲になってくれたことに感謝しているなどと。自分達の罪悪感を、全て背負って行こうとしている日番谷に感謝しているなどと。言い訳じみた自分の言葉に反吐が出そうだった。

 奥歯を噛みしめながら言葉を詰まらせる恋次の姿を、何とも言えない表情で見つめていたルキアは、そっと目を伏せた。
 恋次が言ったことは自分も思っていたことだ。だから恋次に対して何かを言うことはできない。勿論、日番谷に対して思うことも同じだ。だからこそ覚悟を決めた彼に対して、自分達にできることが”一護を止めること”だったのだ。一護はきっと、世界を救うことよりも、日番谷を救うことを優先するだろうからと。

 ──大勢の仲間を護るためなら、内の一人の仲間には何してもいいってのか!?

「ッ……」

 一護の言葉が重く圧し掛かる。自分達は間違っていない筈だ。だってこれしか皆を救う方法がないのだから。

 ── 怖いとか辛いとか、自分勝手なその思いの為に、その誰かが傷つくのは構わないって言うのかよ!?

 そういう訳ではない。そういう訳ではないが、それが最善策だと思っただけだ。たった少しの犠牲で、世界中の人が救われる──。
 そこまで考えて、その思考をかき消すかのようにブンブンと首を左右に振った時、コンコンという静かなノック音が響き渡る。二人が扉の方を振り返ると同時に、ガラリと音を立てて扉を開けたのは檜佐木だった。

「檜佐木さん……」
「よぉ、ってどうした?そんな辛気臭ぇ顔して」

 二人の様子に驚いたように目を剥いた檜佐木は、そのまま後ろ手で扉を閉めて室内に足を踏み入れる。

「いや……それより、檜佐木さんこそどうしたんすか?」
「あぁ、少しだけ近況を共有しておこうかと思ってよ」

 そう言いながら近くにあった椅子に腰を下ろすと、開いた足に両肘を乗せて、真剣な眼差しで恋次を見る。

「虚化による被害だが、依然として減る傾向はねぇな。寧ろ増えてく一方で、正直“保護“なんかで対応できねぇ状態だ」
「……」
「ま、解決策がわかっただけで、それを実行した訳じゃねぇからな。当然っちゃ当然だが……」
「ッ……」

 “解決策“という言葉に、無意識に息を飲み込んだ恋次とルキア。そんな二人を順番に見つめてから、檜佐木は静かに問いかける。

「……何考えてんだ?お前ら」
「ッ……それは……」

 言いづらそうに視線を逸らす二人に、檜佐木は眉根を寄せる。そして「まさか」と前置きしてから、真っ直ぐに二人を見据えた。

「日番谷隊長のこと考えてんのか?」
「ッ……!」

 図星のように反応を示す二人を見て、そういうことか納得した檜佐木は、ふぅと大きな溜息を吐いてから、両腕を組んで後ろの背もたれに凭れ掛かる。そうして何かを思案するように天井を見つめてから、数拍置いて二人に視線を向けた。

「日番谷隊長を犠牲にすることに、抵抗があんのか?」
「それは……ッ、その、そういう訳じゃ……」
「……ま、お前らの気持ちはわからんでもねぇ……というか、全死神が同じ気持ちだろうよ」

 檜佐木はそう言って立ち上がると、二人に背を向けて、近くにあった腰ほどの高さの棚の上に、そっと手を置く。

「誰も、あの人に死んで欲しいって思ってるわけじゃねぇ。ただ、そうしないと世界が滅びることになるからな……死と隣り合わせで生きてる死神は、いつ死んだっておかしくねぇ。だから……死ぬ覚悟は出来てる筈だ」
「檜佐木さん……」

 そう、それが自分達にとっては“普通“なのだ。だから自分達は間違ってない。

「それでも、自分を犠牲にするってのは並大抵の覚悟じゃねぇ。俺だって即決できるかどうか……いや……だから、日番谷隊長のその覚悟を、俺達は敬意を持って受け入れなきゃならねぇ。それが、あの人に対して俺達ができる唯一のことだ」

 そう、だから一護を止めなければならなかったのだ。自分達の“普通“を覆そうとする一護を。

「だから俺は、どれだけ辛くてもあの人の覚悟を重んじる。それが、救ってもらう俺達が背負わなきゃいけない業として」
「そう……っすよね……」

 檜佐木の言う通りだと思う。自分達も同じ気持ちだ。しかしどうしても、一護に言われた言葉が頭から離れない。
 そんな二人に背を向けたまま、檜佐木は「ただ……」と前置きする。

「乱菊さんのことが心配でな……」
「ッ……」

 その名前に思わず呼吸を止める。そんな二人に構わず檜佐木は溜息を吐いた。

「あれからずっと隊舎に篭もりっぱなしで……必要最低限の用事以外、俺達他の隊の死神とは話したくないみたいで……」

 ──冬獅郎が居なくなって、乱菊さんが泣いてたんだぞ!! あの乱菊さんが!!

 再び二人の脳裏に蘇る、一護の声。そして想像される、悲しみに暮れる乱菊の姿。
 日番谷を犠牲にするしか世界は救えない。仕方ないこと、どうにもならないこととは言え、本当にこのままで良いのだろうかという考えが過ぎる。

「あの人のあんな姿見ると、覚悟が揺らいじまう。俺達死神は、時に冷酷にならなきゃいけないってのに」

 檜佐木は沈痛な面持ちで拳を握りしめる。そんな彼の後ろ姿を、なんとも言えない表情で見つめる二人に、檜佐木は振り返って自嘲的な笑みを浮かべた。

「結局、俺って奴は、自分の事しか考えてねぇんだろうな。自分が最も大切に想う人さえ無事なら……例えその人が傷付いてたとしても、その人が大事に想う──俺にとっても仲間であるあの人を、犠牲にするなんて判断ができちまう」
「檜佐木さん……」

 檜佐木は地面に視線を落とし、何かを思案するように数拍置いてから「もし……」と静かに前置きする。

「もし……こんな、絶望的で、どうしようもない状況でも、それでもどうにかしようと足掻く奴がいるなら……」

 その言葉に、二人の脳裏に過ぎる一人の男。

「それは……そいつは、俺が乱菊さんを大切に想うくらい、余程、日番谷隊長のことを──」

 その先に続く言葉は、本人に確かめなければ分からない。
 口を噤む檜佐木に、二人も同じようにして視線を落とす。静寂に包まれる室内の窓は、静かに雨水が流れ落ちている。そんな静まり返る部屋へ、一匹の地獄蝶が静かに忍び寄っていた。



***



 雨が降り注ぐ夜の瀞霊廷。それを一望できる自隊の隊舎で、元柳斎は仁王立ちのまま、静かにジッとその景色を見据えていた。
 今も尚、死神達の虚化が止まったわけではない。報告によれば、流魂街でも虚化を確認しているそうだ。しかし自分達には成す術はない。こうして被害を最小限に抑えながら、ただ神族達がどうにかしてくれることを待つしかないのだ。

「山爺」
「元柳斎先生」

 そっと背後から声を掛けられる。振り向かなくてもその呼び方と声で分かる。
 背を向けたままの元柳斎に、京楽と浮竹はそっと歩み寄った。

「本当に僕達、何もしなくていいの?」
「俺達にも、何かできることがあるんじゃないでしょうか?」
「一体何をしようと言うのじゃ」

 すぐ後ろまで近付いて来た二人に、振り向かないまま問いかける。京楽は肩を竦め、浮竹は困ったような表情を浮かべた。

「わかってるくせに」
「勿論、この世界崩壊を止める方法を──日番谷隊長を犠牲にしない方法を探すことですよ」
「……」

 二人の言葉に元柳斎は口を閉ざす。その背に向けて二人は続けた。

「僕達もわかってるよ。現状分かってる最善策がこれしかないことくらい」
「しかし、それはあくまで”現状”です。もっと色々と探れば、他に方法があるかもしれない」
「要は、諦めるのはまだ早いんじゃないの?ってこと」
「一護君だって諦めてないのに、仲間の俺達がそう簡単に諦めるのは──」
「──黙れ」

 ぴしゃりと強い口調で遮ってから、元柳斎は杖をガツンッと床に突き立てた。

「これは決定事項である。我々は神族及びこの件には介入せん」

 重い霊圧を解き放ちながら言う元柳斎に、それでも動じず二人は声を上げる。

「何意地張ってんのさ。本当は山爺だってどうにかしたいって思ってるんでしょ?だから、そうやって未練がましく外ばっか見つめちゃってさ」
「日番谷隊長を犠牲にして世界を救う……本当にそれしか方法が無いならそうするしかない。しかし、本当に他に方法はないのか、もう少し足掻いても良いんじゃないかって話です。俺達だって、できることなら日番谷隊長を犠牲にしない方法の方が良い。彼を犠牲にしてでも世界を救うのは──最終手段で良いんじゃないでしょうか?」

 個人の感情と現実。現実に逆らってまで個人の感情を優先するほど、自分達は子供ではない。それでも、大切な仲間の為に、足掻ける時間があるなら足掻きたい。自分達を𠮟りつけた死神代行の青年程、熱くなることはできないけど。自分達にも何かできることはあるのではないか。
 そんな二人の言葉を受けて、元柳斎はゆっくりと振り返る。

「どんな理由があろうとも、確実な方法があるならそれを選択する。それが護廷十三隊じゃ」
「だからそれは──」
「意義は認めぬ。今も尚、虚化現象は後を絶たない。そんな不確実な方法を探している暇があったら、被害を最小限に抑えるように行動せよ」

 それだけ言うと話はもう終わりだと言わんばかりに再び背を向ける。これ以上の説得は無理かと、二人は重い溜息を吐いてから、踵を返して部屋を出ていった。
 二人が遠ざかったのを確認してから、元柳斎は誰もいないこの部屋でゆっくりと口を開く。

「……そう簡単に諦めたのではない」

 誰にも聞こえない声で呟いてから、元柳斎はそっと溜息を吐いた。



***



「……」

 窓を滴る雫を見つめながら、白哉は自隊の執務室で、一人立ち尽くしていた。
 自隊の隊員も、既に何人か虚化してしまっている。部下を部下に斬らせるわけにもいかず、虚化した部下達は全て自分のこの手で斬り捨ててきた。副官の恋次が特に気にかけていた利吉も、先刻虚化したという情報が入った。義妹のルキアの隊の三席も、同時刻に虚化したらしい。二人の手を汚させるわけにはいかないと思い、急ぎ駆け付けたが、時すでに遅く、二人とも血に塗れた自身の斬魄刀を握りしめて、呆然と立ち尽くしていた。雨の中、その頬に流れる水が、果たして雨だけなのかはわからない。そんな二人に、かけてやる言葉が見つからない。だからこうして、彼らに気付かれることなく、執務室へと戻ってきた。そうしていつも通り、自分は隊長として振舞い続ける。それが、今自分ができる唯一のことだから。

 白哉はそっと腕を押さえる。
 数刻前から感じている痛みと倦怠感。これが何を表しているのか、考えるまでもない。しかしそんなことに気を取られている場合ではない。例え自分が自分で無くなろうとも、その最後の瞬間まで、自分は朽木家当主兼六番隊隊長の朽木白哉で居続けるのだ。唯一気にすることといえば、もし自分が自分で無くなってしまった時、なるべくあの二人に迷惑をかけない方法のみ。あの二人に、あんな表情は二度とさせるわけにはいかない。

 ポタポタとどこからか聞こえる雨音。白哉はその音を耳に入れながら、今も走り回っているであろう黒崎一護のことを思う。
 あの隊首会の時、元柳斎に窘められても一護に対して言葉を紡いだのは、あの時の自分にはああすることしかできなかったからだ。規律を重んじる朽木家の当主として、六番隊隊長として、自分がすぐに動くことはできなかったから。あそこまで言えば、一護ならすぐに動くと思ったから。もう二度と、掟や規律に縛られて、誰かを失いかける思いはしたくない。

(私が”今”できること──)

 日番谷のことは一旦一護に任せた。とにかく今は、今自分ができることのみに集中する。この先に訪れるかもしれない未来のことは後回しだ。そんなことに気を取られている場合ではない。

 白哉は、痛む腕を無視するように、強く拳を握りしめた。



***



「まったく腹立たしいことこの上ないネ!」

 十二番隊技術開発局では、マユリが苛立たしげに机に拳を叩きつけた。そんな彼の目前には、虚化した死神達が怪しげな液体で満たされた大きなカプセルの中に浸かっている。虚化している彼らは、気を失っているのか、暴れることなく、ぐったりとしてその液の中に浮かんでいた。
 あれだけ慌しかった技術開発局内は、機械は物音一つ立てず、皆も意気消沈したかのように、だらしない姿で椅子に座っていた。一人機械に寄りかかりながら、タバコをふかしていた阿近が、そっとマユリを一瞥してから、気付かれないように溜息を吐く。
 隊首会から戻ってきたマユリは、ずっとあの調子だ。なんでも、話を聞いた限りでは、自ら解き明かそうとしていた答えが、虚化も空の異変も、世界の理によるものだから解明できるものではないと、あっさりと教えられてしまったとのことだ。それならあの怒りも納得だが、あれから何時間経ったと思っているのか。いい加減怒りを鎮めてほしいと思う。しかしこちらが何かを言えば火に油を注ぐことになる。だから聞こえぬふりをしてやり過ごすしかない。
 阿近は再びそっと溜息を吐いた。

 一方マユリは、貧乏揺すりをしながら、苛立たし気に机を指でコツコツと叩く。
 研究の邪魔をされた。それだけで万死に値する。しかし奴らを殺してしまえば、世界崩壊を止める術はない。世界が崩壊してしまえば、研究することもできなくなってしまう。だからこうして耐えている。奴らを殺して良いのであれば、今すぐにでも殺しに行きたいところなのに。
 そんなマユリの傍らで、ネムは無表情ながら、心配そうにマユリを見つめていた。その視線に気付くこともなく、マユリはガバッと立ち上がると、虚化した死神達が入っているカプセルの前に立ち、それを睨みつける。
 虚化の方法は突き止められない。いつまでもこんなもの残しておいても何にもならない。いい加減捨ててしまおうかとも考えたが、貴重な研究材料であることには変わらない。神族が何と言おうと、研究を続けても良かったが、それをするには時間が足りない。このまま世界が崩壊しても、このまま世界が救われたとしても、残されているのはあと数日。もし、このまま研究を続ければその原理を解明できるとしても、あと数日で全てを調べ尽くせるような話ではないだろう。そして中途半端に手を出して、再び[[emphasismark:研究の邪魔 > ﹅]]をされたらたまったものではない。だからこうして、もどかしい思いを抱えながら、それによるフラストレーションで爆発寸前なのだ。

「もし奴らを殺せるなら、生きたまま五体と五臓六腑全てをバラして、その毛細血管に至るまで、ありとあらゆる実験をしてやるんだがネ……」

 忌々し気にそう呟いてから、マユリはニタリと笑みを浮かべた。あぁ、そうなったらどれだけ愉しいだろうかと。



***



 頬杖をついて寝転がりながら、ボリボリと太ももを掻く。どうしてこうも退屈なのだろうか。死神が虚化していると知った時には、戦いで満たされた日々が送れると思っていたのに。雑魚の虚に用は無い。それを作り出した元凶──強い奴と戦えると期待したのだ。まさかこんな拍子抜けな終わり方をするとは。

「剣ちゃん、戦いに行かないの?」

 後ろからひょっこりと顔を出し、更木の身体に体重を乗せたやちるは、不思議そうな顔で首を傾げている。更木は振り返ることなく、気だるげに答えた。

「虚なんか斬ってもつまんねぇだろうが」
「そっちじゃないよ。いっちーの方には行かないの?」
「あー……そうだな……」

 やちるの言葉に考えを巡らせる。
 一護は日番谷を助けに向かった。恐らく一護は神族達と戦うのだろう。正直彼らと戦えるのであれば、今すぐにでも飛んで行きたいくらいだ。隊首会の時に見かけた彼らの、只ならぬ雰囲気。それを感じ取ったからこそ、正直あの場で剣を抜かなかった自分を褒めてほしいくらいに、彼らとは戦いたい。
 しかし、彼らと戦い、彼らを殺してしまえば、世界が崩壊するらしい。そうなれば、自分が戦えるのはこれで最後ということだ。神族とは戦いたいが、最後の戦いにするには惜しい。自分はもっと戦い続けていたいのだ。だから身を引いた。自分の楽しみを終わらせない為に。

「あいつら斬っちまったら、戦いが終わっちまうからな」
「でもいっちーは諦めてないんでしょ?ひっつーも助けて、世界も救うつもりなんでしょ?」
「あいつならそういう甘っちょろいこと考えてんだろうな」

 心底どうでも良さそうに答える更木に、やちるは口を尖らせた。

「いっちーに着いて行ったら、楽しい戦いもできて、世界も救われるかもしれないよ?」
「何だよ?お前は一護んところに行きてぇのか?」
「だって剣ちゃんがつまらなそうなんだもん」

 不満そうにそう言うと、更木の肩に顎を乗せる。

「いっちーなら、今までもそういう奇跡を起こしてきたでしょ?今回だってきっとそうだよ」
「あー……まぁ、そうかもな」
「それでも行かないの?」

 確認するように問うやちるに、更木は一つ溜息を吐いた。

「今は気分じゃねぇ」
「剣ちゃん……」

 言いながら目を閉じる更木に、やちるはつまらなそうに眉尻を下げる。
 やちるの言う通り、一護ならもしかすると別の方法で世界を救うことができるかもしれない。そうだとしても、おそらく自分が動き出すべき時は”今”じゃない。自分の本能がそう告げていた。だから「気分じゃない」。もし本当に一護が世界を救えるなら、恐らく”その時”はきっと来る。それまでは待つ。そして”その時”になったとき、本当に楽しい戦いができる気がするのだ。
 更木は目を閉じながら、その時が早く来ればいいのにと、武者震いを堪えるかのように拳を握りしめた。





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イイネ!