2026年7月公開予定作品(下書き)
瞬歩を使いながら必死に来た道を戻る。ただ一つの霊圧を探るが、どこを探してもその霊圧を感じ取ることができない。血眼になって辺りを見回しても、求めている銀色が見つからない。焦る気持ちばかりが募り、冷静さがどんどん失われているのも自覚している。それでも足を止めるわけにはいかない。今ここで見つけ出さなければ、手の届かない遠くへ行ってしまうから。そしてそのまま二度と会えなくなるなんて認められるわけがない。認めない。
一護は血が滲む程唇を噛み締めながら、瀞霊廷を勢い良く駆け抜けていた。
(冬獅郎……ッ!)
心を占めるのはあの時の日番谷の表情のみ。何かを諦めたような、覚悟を決めたような、何とも言えなかった表情。どうして助けを求めてくれなかったのか、どうして何も言ってくれなかったのかと悲しみに暮れる一方で、何も言わなかった日番谷にも納得している。納得できてしまう。だからこそ、誰もがそんなの無理だと言ったとしても、それでもどうしてあの時の自分が彼をあのまま行かせてしまったのかと悔やまれる。あの時全てを知っていれば、絶対に日番谷を行かせはしなかったのに。
「冬獅郎……ッ!」
空の異常。尸魂界で起きた死神の虚化。そのどちらもが、世界は確実に崩壊へと向かっているという象徴。しかもその世界崩壊を止めるには、神を創造し、その神の創造には、神族という者達の犠牲が必要。
そんなこと急に聞かされて、ただでさえ頭が着いていかない状態だというのに、その神族に日番谷も含まれていて、その身を犠牲にしようとしているなんて、とてもじゃないが受け入れられない。
とにかく一つ分かっていることは、日番谷の命が危ないということだけ。それだけは何としても阻止しなければならない。
「ッ……冬獅郎ぉおおおおお!!」
だから、一刻も早く日番谷を見つけなければ。
一護がありったけの声で叫んだ時、後方から激しい爆発音が鳴り響く。勢いよく振り返ると、そこには瀞霊廷に居るはずがない大きな黒い影──大虚の姿があった。
「なッ──!?」
どうしてと驚くと同時に思い出す。卯ノ花から聞いた、死神の虚化現象について。まさかこれがそうなのかと呆然としていると、大虚の足元から複数人の悲鳴が聞こえてハッとする。
一護は斬月を手に取り、慌てて悲鳴の聞こえた方へと向かった。
そこには、尻もちを着いて、怯えたように大虚を見上げている隊士達の姿。一護は「大丈夫か!?」と声をかけながら、彼らを庇うようにして立ち、大虚に向けて斬月を構える。大虚はその大きな足を上げて、今にもこちらを踏み潰しそうな勢いだ。
緊張を滲ませながら、いざ飛び出そうとした時、一護から大虚を庇うように一人の男性死神が現れた。
「待ってくれ!!」
「!?」
両手を広げ、必死の形相でこちらを見つめる男に、一護は驚いて思わず動きを止める。男は泣きそうになりながら、叫ぶようにして口を開いた。
「ちょっと待ってくれ!! 殺さないでくれ!!」
「な、何言ってんだよ……!? だからって放っておく訳には……!」
チラリと上を見上げると、大虚は今にもこちらを踏み潰そうと狙いをつけている。しかし、それに構わず男は叫んだ。
「俺の彼女なんだ!! 殺さないでくれ!!」
「ッ──!?」
思いがけない言葉に、一護は驚いて目を見開く。大虚が彼女とはどういうことかと戸惑っていると、男は一護に背を向けて、大虚に向かって大きく手を伸ばした。
「なぁ!お前なんだろ!? 俺だ!分かるよな!?」
「グォオオオ……」
男の声に反応するように、大虚が唸り声を上げる。男は反応があったことに嬉しそうに笑って、更に声を張り上げた。
「そうだ!俺だよ!! 安心しろ!今すぐ元に戻してやるからな!誰にもお前を傷付けさせやしないから!!」
「グォオオォ……」
「だから、な?俺が絶対お前を守って──」
「グォオオオオオ!!」
突然咆哮を上げた大虚は、持ち上げていた足を物凄い勢いを付けて、地面に向けて下ろす。その勢いは、一護が反応できないほど咄嗟のことで、男の「え……?」という小さく呟きが聞こえた時には、グシャッという音と共に、地面と足の隙間から勢い良く血飛沫が吹き出していた。
「ッ……!!」
目の前で一瞬の内に起きた惨劇に、一護は思わず息を飲み込む。その間にも、大虚は足を持ち上げ、男の身体があった場所を何度も何度も踏み付けている。その足の裏は、恋人だったであろう男の血で真っ赤に染まっていた。
「きゃぁああああ!!」
「うわぁああああ!!」
一護の後ろでその様子を見ていた隊士達が、足を縺れさせながら叫び声を上げて逃げ出そうとする。しかしその声に反応した大虚が、今度はその隊士達を視界に入れて咆哮を上げた。それと同時に、大きな仮面の前に現れる赤い光球。虚閃だ。
「チッ……!!」
一護は顔を歪めながら、斬月を強く握りしめる。そして虚閃が放たれる前に、斬月を大きく振りかぶった。
「月牙天衝ーー!!」
勢いよく放たれた斬撃が、虚閃諸共、大虚の身体を真っ二つにする。断末魔を上げながら、霊子となって消えていった大虚。それを見送った後、一護は視線を落とし、血で染まった地面を見つめた。
──俺の彼女なんだ!!
「ッ……」
無意識に斬月の柄を強く握りしめる。
恐らくこれが卯ノ花の言っていた死神の虚化。男の彼女が大虚となり、男はそんな彼女を殺されたくなくて一護から大虚を庇った。しかし男は無惨にも殺されてしまった。命を掛けて守ろうとした彼女の手によって。そんな彼女も、彼氏を殺す気など無かっただろうに。
こんな理不尽なことがあって良いのか。しかもこれが、世界の崩壊によって起きている現象だなんて。もしこのまま世界の崩壊が進めば──。
「──一護!!」
突然呼ばれた自分の名前。一護はハッとして振り返る。そこには、瞬歩で現れた乱菊の姿。
「乱菊さん……!」
乱菊はそのままの勢いで一護に駆け寄ると、縋り付くようにその両肩をガシッと掴んだ。
「一護!! うちの隊長見なかった!?」
「ッ──!!」
その言葉と形相に、一護は思わず息を飲み込む。いつになく取り乱した様子の彼女は、一護から手を離し、脇に抱えていたものを取り出す。そうして見せられたものに、一護はゆっくりと目を見開いた。
「これが隊首机の上に置いてあったのよ!! 『すまない』なんて置き手紙まで添えて……ッ!!」
声を裏返らせ、震える手で手に持ったもの──隊首羽織と氷輪丸を握りしめる。乱菊の手が震えると共に、まるで主人を失った刀が泣き声を上げているかのように、氷輪丸の鞘がカタカタと音を立てる。
乱菊と同じ様に、顔面蒼白になりながら、言葉を失った一護がそれを唖然として見つめていると、乱菊は目に涙を浮かべて、膝からその場に崩れ落ちた。
「一護ぉ……ッ!隊長が、居ないのよ……ッ!どこにも……ッ!」
縋り付く様に片手で一護の袴を握り締め、俯いて涙をボロボロと零す。そんな普段の乱菊からはかけ離れたその姿に、一護は悲痛な表情で、漸く言葉を取り戻したかのように、その名前を苦しげに呼ぶ。
「ッ……乱菊、さん……ッ!」
「また……ッ、また!あたしは、お……置いて、いかれ……ッ!」
嗚咽の中で、口に出すのも苦しそうにそう言う乱菊に、一護は血が滲む程強く拳を握りしめる。
一護が日番谷と会ったとき、その背にはまだ羽織も氷輪丸もあった。しかしそれが今乱菊の手元にある。ということは、あの後日番谷は自身の執務室へと向かい、これを置いて姿を消したということだ。やはりあの時追いかけていれば、まだ間に合ったかもしれないという後悔が浮かび上がる。
それと同時に決意を固める。虚化した死神を斬ってしまったこと。世界崩壊が進めば、今回以上にこういうことが起きるかもしれない。寧ろ、最近現世で増えてきたと思っていた虚。あれも既に”虚化”によるものだったのかもしれない。それを自覚してしまった今、ただの虚退治と違い心に来るものがある。しかし──。
一護は嗚咽を繰り返す乱菊の姿を、沈痛な思いで見つめる。
日番谷の喪失に咽び泣く彼女の姿。彼女の気持ちは痛い程わかる。自分もどうしても日番谷を失いたくない。このまま日番谷が犠牲になるかもしれないこの状況を、黙って見過ごすことなど自分にはできない。
「乱菊さん……」
そっと呼びかけながら、乱菊の視線に合わせるように一護は片膝を折る。
「冬獅郎は絶対に連れ戻す」
「……!一護……ッ!」
涙をボロボロと零しながら、漸く顔を上げた乱菊に、一護は一つ頷いて、その瞳を強く見つめる。
「絶対にだ!」
自分にも言い聞かせるように、強く、ハッキリと、そう告げた。
***
乱菊と別れた一護は、只管真っ直ぐ走っていた。目指すのは現世へと繋がる穿界門。闇雲に探したところで恐らく日番谷は見つからない。ならば現世に居る浦原に、事の全てを伝え、協力してもらう。それが一番の近道だと判断したのだ。
穿界門前の広場まで辿り着いた時、そのままの勢いで門番へと声をかけようとした一護だったが、一護の前に現れた二つの気配に、咄嗟に足を止める。そうして目の前の人物を確認した一護は、驚いて声を上げた。
「ルキア!恋次!」
「……一護」
「……」
斬魄刀を携え、神妙な顔つきで一護の名を読んだルキアと、険しい表情で口を閉ざしている恋次。少しだけ様子のおかしい二人に内心首を傾げながらも、一護は気の知れた仲間の登場に、少しだけ気分を上げて声をかけた。
「どうしたんだよ?そんな顔して……」
一護の問いに、ルキアは眉根を寄せて、気まずそうに視線を逸らす。一方恋次は、表情を変えずにジッと一護を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「一護……今、世界がどういう状況かってのは……テメェも知ってるよな?」
「え?あ、あぁ……」
それがどうしたと怪訝そうな表情を浮かべる一護に、恋次は少しだけ目を細める。
「なら、お前はこれから現世に戻って何をするつもりだ?」
「何って……」
こちらを警戒するような恋次と、伺うように一護の答えを待つルキアの姿に、戸惑いながらも口を開く。
「そりゃ、冬獅郎を探す為に、浦原さんのところに行くつもりだけど」
「……やっぱりか」
一護の言葉に、恋次は顔を顰めて忌々しそうに舌打ちをする。ルキアも何とも言えない表情で視線を落としている。そんな二人の態度の意味がわからず、一護が思わず「やっぱりってなんだよ」と不満そうに尋ねると、恋次は一護をキッと睨みつけた。
「単刀直入に言うぜ。日番谷隊長を探すのは止めろ」
「はぁッ!?」
言われた言葉の意味がわからず声を上げると、恋次は続ける。
「朽木隊長から全部聞いた。死神の虚化も、空が欠けてんのも、全部世界崩壊が原因だってな。そして、それを救えるのが日番谷隊長しか居ないってのも」
「だったら──!」
そこまでわかっていて、どうして日番谷を探すのを止めろと言うのかと言いかけたとき、それをわかっていたかのように恋次が声を上げる。
「だからわからねぇ!! 一護!! 何でテメェはそれを邪魔しようとしてんだよ!!」
「ッ!?」
あまりの気迫に思わず口を噤むと、恋次はクシャッと顔を歪めて、吐き出す様に言葉を続ける。
「世界を救えんのは日番谷隊長だけなんだぞ!! その日番谷隊長を止めるってのがどういうことか、テメェはわかってんのか!?」
「それは……ッ」
日番谷を止める、連れ戻す、護るということは、即ち”世界崩壊を止めない”ということ。それをわかっているのか。
恋次の叫びに、気圧されたように口籠る一護に、恋次は一歩前に出る。
「テメェの気持ちはわかる!! 俺だってこんなこと言いたかねぇ!! けど!! 世界を……仲間を救うにはこれしか方法がねぇんだよ!!」
「恋次……」
血反吐を吐きそうな恋次の勢いに、一護が呆然と見つめていると、沈痛な面持ちのルキアがそっと顔を上げた。
「すまぬ一護……私も、恋次と同じ気持ちだ」
「ルキア……」
「貴様のことだから、日番谷隊長を助けようとすることはわかっていた。しかし、今回ばかりは貴様を行かせるわけにはいかぬ」
ルキアはそう言いながら、斬魄刀の柄にゆっくりと手を伸ばす。
「もし、貴様が意地でも日番谷隊長の元へ向かうと言うのなら──」
ゆっくりと鞘から引き抜いたその刀の切っ先を、一護へと向けた。
「──私達は全力でそれを止める」
「……ルキア……」
向けられた刃。本気の眼差し。まさか二人に止められると思っていなかった一護は、ショックを受けたように呆然と立ち尽くす。
「……一体、何があったんだよ……?」
常に自分の味方で居てくれた二人が、ここまでして自分を止める理由とは何か。一護の視線を受けた二人は、同時に辛そうに顔を歪める。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……虎徹三席が……虚化で苦しんでおられる……」
「……俺の後輩も、同じだ……」
二人の脳裏に蘇るのは、今も尚、苦し気に表情を歪ませて、虚化に抗っている大切な人の姿。
「私達には、見ていることしかできぬのだ……!それがどれだけ歯がゆく、悔しいか……ッ!」
「それに、もしあいつが虚になっちまったら……ッ、あいつを俺が……ッ!」
この先に起こりえる未来。既に数多くの死神が虚化する中で、虚を泣きながら斬る死神達の姿を何度も見てきた。このまま進めば、自分達もあの道を辿ることになる。苦しみ続ける仲間を救うことができない無力な自分が辛い。仲間を、大切な人を斬らなければならないことがとにかく怖い。
「虚化だけではない。このまま世界が崩壊すれば、私達も、何もかもが消えてなくなるのだぞ!」
「そんな、ずっと皆を救う方法もわからなかった中で、唯一日番谷隊長だけが、俺達を、世界を救うことができる希望なんだよ!!」
出口の見えないトンネル。光が差し込まない暗闇。そこに差した一筋の光。それが日番谷だ。
「俺だって、日番谷隊長を死なせたいわけじゃねぇ!! けど、それしか方法がねぇから……!! 世界を救うには、あの人を犠牲にするしか方法がねぇから……ッ!!」
「ッ……」
ルキアは口にできないと涙を浮かべて唇を噛みしめている。しかし、恋次の言葉を否定しないということは、同じ気持ちだということだろう。
「わかれよ一護……ッ!お前だって大切な奴らがいるだろ……!? 世界が崩壊すれば、皆死んじまうんだぞ……!」
「……」
何とも言えない表情で二人の話を聞いていた一護が、徐々に表情を無くしていく。二人はそれに気付かない。
「皆を助けるためにはこの方法しかねぇんだよ……!日番谷隊長を、犠牲にするしか──」
「──わかんねぇな」
恋次の言葉を遮るように、静かに、それでいてハッキリとした言葉が響き渡る。二人がハッとして一護を見つめると、一護は無表情でいながら、怒ったように二人を見つめていた。
「テメェらが言ってる意味が微塵も理解できねぇ。虚化する仲間を見ているのが辛い。虚化した仲間を斬りたくない。仲間を護りたい。それはわかる」
「一護……」
「けど、それで”冬獅郎を犠牲にする”っていう結論になるのが意味わかんねぇ」
吐き捨てるようにそう言う一護を、今度は二人が呆然と見つめる。そんな二人に構わず一護は続ける。
「何で足掻こうとしねぇんだよ?何でそれしか方法はないって決めつけてんだよ?『仲間を護りたい』?冬獅郎は仲間じゃねぇのかよ!?」
「ッ……」
最後は激昂する一護に、二人は無意識に一歩後退る。そんな二人を追い詰めるように、一護は一歩前に出た。
「大勢の仲間を護るためなら、内の一人の仲間には何してもいいってのか!? 怖いとか辛いとか、自分勝手なその思いの為に、その誰かが傷つくのは構わないって言うのかよ!?」
「ッ……それは……」
「冬獅郎が居なくなって、乱菊さんが泣いてたんだぞ!! あの乱菊さんが!!」
「──!」
一護の言葉に二人は思わず息を飲む。そんな二人を一護はキッと睨みつけた。
「俺だって乱菊さんと同じ気持ちだ。誰に何と言われようと、あいつは──冬獅郎は絶対に助け出す」
「一護……」
「もしテメェらが俺の邪魔をするってんなら──テメェらは俺の敵だ」
「一護……ッ!」
クシャッと泣きだしそうに顔を歪める二人に向かって歩き出す。
「そこどけよ」
そう吐き捨てて、一護は二人の間を通り抜け、振り返ることなく、穿界門へと真っ直ぐ歩みを進めた。
***
黄昏時の公園。周囲で遊んでいた子供達も、すっかり帰路へと歩き出していた。それに気付いた夏梨も「そろそろ帰るかー」と、一緒にサッカーをしていた友達に声をかける。そうして友達と別れの挨拶を交わし、それぞれの帰路へと歩いていく。
いつもと変わらぬ日常。こんな毎日がずっと続けばいいのにと思いながら、夏梨は空を見上げた。視線の先には、空を剥がしたかのような黒い形。そこから空が欠けていくようにボロボロと何かが剥がれ落ちている。どう見ても異常な光景。他の誰にも見えていない。きっと兄や自分の様に、霊力が高い人間のみが見える光景。
夏梨は一つ溜息を吐きながら、そこから視線を外した。
きっと兄はアレをどうにかしようと奮闘しているに違いない。それならば自分にできることは、兄を信じて待つだけだ。兄と違って力のない自分には、そうすることしかできないのだから。
そうして歩き続けていくと、いつの間にか土手の道を歩いていたことに気付く。ふと何気なく視線を落とし、思い出した一つの光景。サッカーボールを勢いよく蹴っ飛ばし、慌てて取りに行った先に居た、銀髪の少年の姿。兄と同じ死神──日番谷と初めて出会った場所だった。
(冬獅郎の奴、元気にしてるかな……)
神出鬼没の彼は、兄の一護を通して呼び出さない限り、滅多に顔を出してはくれない。死神であることを知ってからは納得した、その並外れた運動神経の持ち主である彼と、またサッカーがしたい。
時間があるときに兄に呼び出してもらうかと思いながら、ふと視線を移した時、考えていた人物の姿が視界に入ったような気がして、慌てて視線を向ける。薄暗くてよくわからないが、川沿いに佇む小さな影。表情はわからないが、そのシルエットは正しく日番谷だと確信した夏梨は、嬉しそうに笑みを浮かべて声をかけた。
「おーい!冬獅郎ー!」
しかしその人物は動じることなく佇んだまま。夏梨は聞こえなかったかな?と思いながら、一際大きな声でもう一度声をかけた。その直後、二人の間をトラックが走り抜ける。そうしてトラックが走り去った後、夏梨が同じ場所に目を凝らした時、先程まで居た人影は何処にも見られなかった。
「あれ?」
キョロキョロと辺りを見渡すが、人っ子一人見当たらない。
(見間違い……だったかな……?)
確かにあのシルエットは日番谷の様に見えたのだが。
おかしいなと思いながらも、夏梨は諦めて帰路へと足を向ける。その少し離れた後ろから、夏梨の姿を見つめる人物──。
(あのガキ……いきなり何叫んでやがんだ……?)
電柱の影に隠れながら夏梨を見つめる不審者──ではなく一護──でもなく、一護の身体に入ったコンは、げんなりとした表情で溜息を吐いた。
何故コソコソと、こんなストーカー紛いなことをしているかというと、空の異変に気が付いた一護に頼まれたのである。「暫く死神として行動することになるだろうから、妹達を頼む」と。双子の妹のもう一人である遊子は家に居る。そのもう一人である夏梨が家に帰ってきてないことを知ったコンは、仕方なく様子を見に来たというわけである。しかしなるべくなら一護の家族に関わりたくないコンは、実の兄の身体に入っているにも関わらず、こうしてコソコソと様子を見守っているのだった。
(なんでもいいからさっさと帰ってくれよ……)
本来なら自由に行動したいところ。しかしもし夏梨に何かあれば、自分が更に厄介なことになるのは明白。それならどんなに面倒くさくても、彼女を監視している方がマシだ。
そう思いながら天を仰ぐ。視界に入るのは切り抜かれたような黒い形。まるで吸い込まれそうなその漆黒に、コンはブルブルと首を横に振って、夏梨の後を追いかける。あんな不気味なもの、見ていたくない。とにかく夏梨の姿を見失わないようにしなければ。そうして彼女の背中を見つめたとき──。
「あ?」
彼女の背中に、妙なノイズが走ったように見えた。
***
「浦原さん!!」
浦原商店へと戻ってきた一護は、バタバタと足音を立てながら、勢いよく浦原の居る部屋の障子をスパンッと開ける。そこには、一護が来ることをわかっていたにも関わらず、驚いた様に目を見開いてこちらを見つめる浦原の姿があった。
「どうしたんスか?黒崎サン」
あまりにも慌てた一護の様子に、キョトンとしながら首を傾げている。そんな浦原に一護は掴みかかる勢いで歩み寄る。
「早く冬獅郎を見つけねぇといけねぇんだよ!!」
「日番谷隊長を?」
とにかく落ち着いてとジェスチャーしながら、一護に座るように促す。そうしてハッとした一護は、少しだけ冷静を取り戻し、ちゃぶ台の横にドカッと腰を下ろした。浦原がお茶を注ぎ、湯呑をそっと差し出すも、一護は思い詰めたような表情でそれを見つめるばかりだった。
「一体何があったんスか?」
「……」
話を促すと、一護は一度頭の中を整理するかのように目を伏せてから、ゆっくりと口を開いた。
カチカチという時計の音が鳴り響く。静寂に包まれた室内では、重苦しい空気に包まれていた。全てを話し終えた一護と、それを聞いて何かを考えるように腕を組んだ浦原は、目の前のちゃぶ台をジッと見つめている。浦原は自分の前に置いてあった湯呑を手にして、一口お茶を啜ってから一息吐く。
「なるほど……そんなことが……」
険しい表情でそう呟く浦原に、一護は身を乗り出した。
「だから、一刻も早く冬獅郎を見つけねぇといけねぇんだ!だから、冬獅郎が何処にいるのか探して欲しいんだよ!」
「……」
一護の言葉を聞いても、浦原は眉間に皺を寄せる一方で、思い詰めたように何かを考え込んでいる。難しいことを頼んでいることは百も承知の為、暫くの間は浦原が口を開くのを待つ。しかし、数分経っても何も言わない浦原に痺れを切らし、一護が口を開きかけたその時、浦原が漸くその重い口を開いた。
「黒崎サン」
浦原は組んでいた腕を解き、両拳を自身の膝の上に置いてから、一護を真っ直ぐ見つめた。
「すみませんが、アタシは協力することはできません」
「……は?」
思っても見なかった言葉に、一護は絶句して目を見開く。そんな一護に浦原は続けた。
「話はわかりました。あの空の異常が今後訪れるであろう世界崩壊の前兆であるということ。その世界崩壊を止めるには、新たな神を創造する必要があること。そしてそれができるのは、神族と呼ばれる者達を犠牲にすることで、その中に日番谷隊長が含まれているということ」
そう淡々と告げた後、浦原は帽子を目深に被る。
「できることならアタシも協力したい。しかし、それにはあまりにも時間がなさすぎるんス」
「……時間?」
どういうことだと怪訝そうな表情を浮かべる一護に、浦原は一息吐いてから説明し始める。
「ここ最近、現世での虚の数が増えていること……黒崎サンもなんとなく気付いてましたよね?」
「あ、あぁ……」
「その原因が、世界崩壊による”虚化”によるものだとした場合、ここ数日での虚の出現率の推移が、世界崩壊への速度を現していると仮定すると、多く見積もってもあと一週間もしない内に世界は崩壊します」
「ッ……!?」
予想以上の速さに、一護はこれでもかというくらいに目を見開く。まさかそこまで時間が無いとは思わなかった。つまり、日番谷を救い出す時間もあと数日しかないということだ。
一護は強く拳を握りしめると、焦ったように口を開いた。
「なら尚更、急いで冬獅郎を助けに行かねぇと……!!」
そんな一護に、浦原は冷ややかな視線を向ける。
「えぇ。時間がありません。──”日番谷隊長を犠牲にすること”以外の方法を探し出す時間が」
「なッ──!」
言葉を失う一護に、浦原は続けた。
「神族の言う”神を創ることで世界を救う”という方法……正直にわかには信じられませんが、現状有益な情報はそれしかないとも言える。それに、アタシや涅隊長がいくら調べても何一つとしてわからなかったというのも、世界崩壊などというスケールの大きな話だったから、と言われれば頷けます。神、概念、理……そういったものを相手に戦うなんて、無謀もいいところッス」
「ッ……」
どこか突き放すような、投げやりのような口調に、一護は叫び出すのを堪える様に歯を食いしばる。しかし、そんな一護に、浦原は更に追い打ちをかけた。
「正確な時間はわかりません。明後日かもしれない、明日かもしれない。世界がいつ滅ぶかもわからないこの状況で、唯一わかっている解決策が”日番谷隊長を犠牲にすること”。正直、いい大人なら、それを選ばない選択肢は存在しません。たった少しの犠牲で、世界全てを護ることができるんですから」
「ッ!! そんなこと──」
「仮に、”日番谷隊長を犠牲にすること”以外の方法を探し出すとして、黒崎サンのことですから、その方法を探すよりもまず先に日番谷隊長を助けに行くことを優先されるでしょう?しかし、もし他の方法を見つけられなかったら?折角助けた日番谷隊長諸共、世界は崩壊するんスよ?」
「ッ……!」
畳みかけるような浦原の言葉に、一護は悔し気な表情で、強く拳を握りしめる。そんな一護をジッと見据えながら、浦原は続けた。
「悪いことは言いません。今回ばかりは分が悪すぎる。理想論を掲げるのは自由ですが、もう少し現実を見た方がよろしいかと」
「……じゃねぇ……」
「日番谷隊長も全てを覚悟して行かれたのでしょう。それならアタシ達にできることは、彼の覚悟を受け入れ、その勇姿を称えてしかるべきではありませんか?」
「ふざけんじゃねぇ!!」
一護は勢いよく立ち上がり、浦原をギンッと睨みつける。
「なんでどいつもこいつも、冬獅郎が犠牲になるしか世界は救えないなんて決めつけんだよ!! 探してもいないうちから諦めてんじゃねぇよ!!」
「アタシも諦めたくはありません。しかし、どう足掻いても無理ということが、この世には存在するんスよ」
「うるせぇ!! んなもん知ったことか!! 結局テメェらは、あいつの覚悟ってやつに全て責任を押し付けて、自分達じゃどうにもできないからって逃げてるだけじゃねぇか!! あいつが!! 冬獅郎がどんな思いで、神族達のところに向かったか考えもしねぇで……ッ!!」
言葉と共に胸の内から込み上げるものを、必死に堪えるように唇を嚙みしめる。
どうして皆、そんな酷いことが言えるのか。どうして皆、そんな簡単に日番谷を見捨てるようなことが言えるのか。大切な仲間ではなかったのか。それより何よりも、日番谷の気持ちを考えはしないのか。「日番谷はわかってる」「日番谷は覚悟を決めた」とばかり言って、その覚悟を決めるのに、日番谷がどんな思いをしたのか考えはしないのか。きっと辛かったに決まってる。苦しかったに決まってる。世界を救うことができるのは自分だけだと言われて、その為に自ら命を捨てる覚悟を強いられたのだ。好きで覚悟を決めた訳じゃない。それしか道は無いと、無理矢理処刑台への道を歩かされているようなものだ。それが辛くない筈がない。
だから助けてやらなければならないのだ。日番谷を犠牲にしなくても世界を救う方法がある可能性を信じて、「お前が犠牲になる必要はない」と伝えてやらなければならないのだ。それにもし、日番谷を犠牲にして世界が救われてたとしても、自分の心はきっと救われない。そもそもそんな世界、救われてなどいないのだから。
「お前ら全員、揃いも揃ってこんな奴らだと思わなかったぜ!! もうあんたなんか二度とあてにしねぇよ!!」
吐き捨てるようにそう言って、部屋を勢いよく飛び出していく。そんな一護を何とも言えない表情で見送った浦原は、一つ溜息を吐いた。困ったようにポリポリと頬を掻いていると、黒猫姿の夜一が静かに部屋の中に入ってくる。
「喜助。一体どうしたと言うのじゃ、お主らしくもない」
浦原喜助という男は、一護程熱くとはいかずとも、少なからず”抗う側”の人間だ。それなのに、全てを放棄するかのように一護を見放し、協力することすら断るとは。いつもの彼らしくない姿に、流石の夜一も内心驚いている。
そんな夜一の問いに、浦原は再び溜息を吐いた。
「アタシだってできることなら諦めたくはありません。黒崎サンに協力だってしたかった」
「それなら……」
「ですが、黒崎サンは現実をわかっていない。世界崩壊がどれだけのものなのか。我々がいかに太刀打ちできない相手を前にしているのか」
浦原はどっこいしょと立ち上がり、一護が出ていった際に開けられたままの障子まで歩み寄り、そこから外の景色を眺める。辺りはすっかり日も暮れ、地上の光によって薄れた星々がチラチラと瞬いている。いつもと変わらない日常の様でいて、その背景では刻一刻と世界崩壊へと進み続けている。
「科学者、研究者だからこそ、この世界に起きている異常性が、目に見えてわかってしまうんス。どれだけ調べても”何もわからない”ということがわかり、その答えが世界崩壊だと伝えられ、更にそこから導き出された答え──それが、”時間が足りない”ってことなんスよ」
「喜助……」
「恐らく涅隊長もアタシと同じ気持ちでしょうね。調べたい、研究したい、それなのに時間が足りない。アタシ達がその答えを得る頃には、世界が崩壊しているか救われているか、そのどちらか……それくらい、時間が足りないんスよ」
悔しさ、もどかしさ、そう言った哀愁漂う雰囲気を背中から醸し出す男に、夜一はかける言葉が見つからなかった。
