2026年7月公開予定作品(下書き)





 突如現れた謎の集団。そして自分達を神族しんぞくと名乗ったその者達は、言葉を失ったように立ち尽くす隊長達を前に、不敵な笑みを浮かべているだけだった。
 元柳斎は赤黒い髪の男をジッと見据える。彼らが何を考えているのかわからない。その目的すらも。そもそも此処までどうやって侵入できたのか。見張りや結界はどうしたのか。しかし、死神の虚化という前代未聞の状況に、突如として現れた神族と名乗る者達。どう考えても無関係とは思えない。
 そう考えを巡らせながら、元柳斎はゆっくりと口を開く。

「その神族とやらが、儂らに何の用じゃ」
「その言葉を待ってました」

 言葉の通り待ちわびたと言うように、元柳斎の言葉尻にほぼ被せるようにそう言った男は、「よいしょ」と言って立ち上がり、両手を広げて肩を竦める。

「皆さん、きっと今混乱の最中でしょう?俺達はそれを助けに来たんですよ」
「何じゃと……?」

 怪訝そうに眉間に皺を寄せる元柳斎に、男は続ける。

「死神の虚化、欠ける空……一体何が起きたんだって戸惑ってるんでしょう?」
「まさかこれは貴様らの仕業か!?」

 今にも飛び掛かりそうな勢いで男を睨みつける砕蜂に、男は呆れたような視線を向けた。

「だから、俺達は”助けに来た”って言ってるでしょ?あんた話聞いてた?」
「そんなもの容易く信じられるか!!」
「そりゃそうか」

 納得したように手をポンッと打った男は、悪びれもせず総隊長へと視線を戻した。

「何度も言うけど、俺達はこの現象を引き起こした犯人じゃない。俺達はあくまでこの状況を助けに来たんだ。それだけは信じてほしい」
「……どう信じろと?」
「今からこの世界に起きてることの全てを説明する。そうすりゃ嫌でも信じてもらえるんじゃないかな」

 霊圧を放ちながらこちらを睨みつける元柳斎に、億すことなく自信ありげにそう言うと、男は片手を腰に当てて話し始めた。

「まず単刀直入に言うと、死神の虚化も、欠ける空も、ある”一つの現象”によって引き起こされたものに過ぎない。だからそれぞれに対応策は存在しない。大元の原因をどうにかしないと」
「ある一つの現象だと?」

 ずっと探していた要因に繋がる話しに、マユリが反応して聞き返すと、男はマユリを振り返って一つ頷き、内緒話をするように人差し指を唇に当てる。

「そ。そしてその現象とは──世界の崩壊」
「ッ──!?」

 予想にもしていなかった、あまりにもスケールの大きな言葉に、全員が目を見開く。その反応に満足そうに笑みを浮かべた男は、元柳斎へと視線を戻した。

「この世界──尸魂界だけじゃない、現世も虚圏も含めて、この世に存在する全ての世界が崩壊するんだ。死神──というより、魂魄の虚化も、欠けていく空も、世界崩壊によって引き起こされている現象の一つなんだよ」

 いつの間にか先程までわざとらしく使っていた敬語を取っ払い、男は元柳斎相手にもタメ口で話す。しかしそんなことを気にしている場合ではないほど、聞かされた内容がとても信じられるものではなく、皆が言葉を失ったように呆然としている。そんな隊長達に男は続けた。

「これからもっと色んな事が起こるかもしれない。けど、何かしようとしても無駄ですよ。あんた達にはこの世界崩壊をどうにかすることはできない。それができるのは、俺達神族だけだから」
「ッ……どうしてお前達はそんなことがわかる!? どうしてこの状況を救えるのが自分達だけだと……!」

 堪えきれなくなったかのように矢継ぎ早に浮竹がそう問いかけると、男はまぁまぁと浮竹に向かってその言葉を止めるように手の平を向けた。

「気持ちはわかるけどちょっと待てって。これから全部説明するって言ったろ?」
「ッ……」
「……じゃあさ、まず教えてよ。君達は何でそんなこと知ってるの?」

 恐らく清音のことを思っているだろう浮竹の心情を察した京楽が、いつものように飄々とした余裕ありげな笑みを浮かべながら男に問いかける。男は京楽を振り返ってから、一度後ろに控える仲間達を一瞥し、再び視線を京楽へと戻した。そのよくわからない視線の動きに、京楽が表情には出さずに怪訝に思っていると、男はニッと笑みを浮かべる。

「そりゃ、俺達が神族だからさ」
「それじゃわからないよ。もっと詳しく教えてもらえる?」
「勿論。俺達神族は、その文字通り”神の一族”だ。俺達は数百年前、神からあるお告げを貰ったんだ」
「お告げ?」

 キョトンとする京楽に男は一つ頷いてから続ける。

「”数百年後、現世の神の力が失われる。そして全ての世界は崩壊の道を辿るだろう”ってね」
「”現世の神”とはどういうことだ?」

 狛村が問いかけると、男は肩を竦めて狛村を振り返った。

「この世界は主に尸魂界、現世、虚圏の均衡が保たれていることでその存在が成り立っているのは知ってるよな?その各世界には、概念として存在する”神”が居るんだ。その神の力が平等の力を持っているからこそ、この世界は均衡を保っている」
「では、”現世の神の力が失われる”というのは……」
「そう。現世の神の力が無くなれば、世界のバランスは崩れる。だから世界は崩壊するんだ。──全ての世界がな」

 到底信じられない話。しかし、実際に原因不明の虚化や、欠ける空を目撃している。男の言葉を信じるしかないほどに、自分達はあまりにも知らないことが多かった。

「世界は今も崩壊へと向かっている。魂魄の虚化や、欠けていく空は、それをわかりやすく象徴しているだけだ。世界崩壊によって起きている現象をどうにかしようなんて、土台無理な話なんだよ」
「じゃあこの世界崩壊を、君達はどうやって救おうとしているのかな?」

 京楽が再びそう尋ねると、男はフッと笑みを浮かべた。

「神のお告げには、この世界崩壊を予知する言葉と、その解決を示す言葉が含まれていたんだよ」
「それは?」
「それは──新しく神を創造すること」
「!」

 驚いた様に再び目を見開く隊長達に、男は愉快そうに笑った。

「新しく現世の神を創造するんだ。神の力が失われて世界が崩壊するなら、新しい神を創造して、失われた力を取り戻せばいい」
「……随分凄いこと言うねぇ。そう簡単に神が創れるのかい?」

 思いもよらなかった解決策に、京楽は動揺を滲ませながらそう問うと、男は京楽へと視線を向けながら自分の胸に手を当てた。

「その為に俺達神族が居るんだ」
「?それはどういう……」

 怪訝そうにする京楽から視線を外すと、男は舞台役者のように両手を広げて正面を向いた。

「俺達神族は、神に仕え、神のお告げを聞くための一族じゃない。俺達一族の本当の役割は、世界崩壊を救う新たなる神の創造の為に、その身を捧げることさ!」
「ッ……!?」

 意気揚々と話す態度とは裏腹に、その口から出た重すぎる言葉の意味に差がありすぎて、一瞬何を言っているのかわからなかった。しかし、ゆっくりと嚙み砕いて、男の言葉を認識した隊長達は思わず言葉を失う。彼らはごく自然に”神を創造するために自分達の命を捧げる”と平然と言っているのだ。しかも悲観に暮れるどころか、それが光栄であるかのように。
 そんな隊長達に構わず、男は恍惚な笑みを浮かべながら話を続けた。

「俺達はそれぞれに神の部位となる役割が与えられているんだ。俺は”神の声”。俺が言ったことは全て本当になる。ま、あくまで俺の力は、自然現象に対してだけだけどな」
「……」
「そして後ろに控えてる仲間達も、それぞれの役割がある。俺達全ての身を神に捧げることで、新たな神を創り出すことができるんだ」

 世界崩壊。神の創造。神の部位。死神の虚化どころではない。壮大すぎる話の展開に付いていけない。

「新たな神を創りだすことができれば、今起きてる現象を全て救済することができる。欠けている空も、魂魄の虚化もだ」
「ッ!? それは本当か!?」

 浮竹が食いつくように問うと、男は自信満々に頷いた。

「勿論。それが神の力だからな」

 自分達ではどうすることもできなかったこの現象を、彼らなら救うことができると言う。その身を犠牲にして──。方法はともかく、漸く見えた希望の兆しに、今まで張りつめていた隊長達の空気が少しだけ和らいだ時、白哉がゆっくりと口を開いた。

「──して、貴様等は何故この場へと足を運んだ?」

 静かに告げられた言葉にハッとなった隊長達は、思わず白哉へと視線を向ける。
 ただ丁寧に説明をしに来ただけ。そう言われても納得できそうな気はするが、彼らの態度を見る限り、自分達にわざわざ説明している暇があったら、その神を創造することに専念する方が良いのではないか。自分達に説明をしたところで、神を創ることはできないのだから。
 白哉の問いかけを受け、男は軽い音を立てながら数回拍手をする。

「さっすが切れ者そうな隊長サン。話が早い」

 男は合わせていた手を離し、元柳斎に向き直ってから、その手を腰に当てて再び口を開いた。

「本当は今すぐにでも神を創造する準備を始めたいんだけど、実は俺達には”足りないもの”がある」
「足りないものじゃと?」
「そう。今日此処に来たのは、その足りないものを探す許可を得るために来たんだ。一応この瀞霊廷はあんた達死神の領域だろ?そこを好き勝手捜索するとなると、旅禍扱いされても面倒だ。だから俺達が此処を自由に捜索できる許可が欲しいんだよ」

 人に頼む態度とは思えない男の姿に、元柳斎はスッと目を細める。しかし、彼の言葉が全て本当であれば、彼らは”救世主”ということになる。その身を捧げてまで世界を救おうとしている彼らを、自分達はそう無下にできる立場ではない。

「ちなみに、その”足りないもの”とは?」

 ──……声が聞こえる。

「それは言えない。企業秘密ってやつかな。でもまぁ、もう少ししたらわかるんじゃないかな。だから俺がわざわざ説明するつもりもないよ」

 ──泣き声が聞こえる。

「……そうか……ではそれが見つかれば、その新たなる神を創造し、その世界崩壊とやらを止めることができるというわけじゃな?」

 ──耳元で、劈くように。

「そゆこと。だから、あんた達は俺達に任せて、この世界が救われるのを待っていればいいよ」

 ──何かを求めるように。まるで悲鳴のように。

「……」

 ──彼らが現れるのと同時に聞こえた泣き声。

「あぁ、俺達のことは気にしなくていいから。俺達神族は、神に捧げられる為に──神に選ばれた一族なんだ」

 ──だからずっと、話に集中できない。

「俺達一族に血の繋がりはない。神に選ばれた時点で、神族としてその身を捧げることが決められるんだ」

 ──……の為に、大事な話を聞き逃してはいけないのに。

「うーん……俺達が探しているものについて『言えない』って言ったけど、やっぱり訂正。”言えない”っていうより”分からない”の方が正しいか。簡単に言うと、俺達神族は一人足りない・・・・・・んだ」

 ──今も尚、虚化が進んでいるかもしれない……

「一人足りないじゃと……?」

 ──祖母の為に。

「そう──ところで話は変わるけど……」

 男は元柳斎に向けていた視線を外し、仰ぐように顎を上げて、ゆっくりと左に顔を向ける。

「──さっきからそこの隊長サン。具合悪そうだけど大丈夫?」
「ッ……」

 男の視線の先に居た人物──日番谷は、荒い呼吸を繰り返しながら男を見つめていた。男の言葉に日番谷を振り返った他の隊長達は、軽く目を剥く。そして最初に駆け出したのは卯ノ花だった。

「大丈夫ですか……!?」
「ッ、……はい……」

 卯ノ花に肩を支えられながら、何とか頷く。具合が悪いというより、煩わしかっただけだ。頭に響き渡るように聞こえ続ける泣き声が。
 そんな日番谷の様子を見つめていた男は、再び後ろに居る仲間達を一瞥した後、元柳斎へと視線を戻す。

「じゃあ、許可は貰ったってことで、俺達は好き勝手にさせてもらいます」
「……うむ」

 渋々と言ったように頷いた元柳斎をしっかりと見つめてから、男は踵を返す。他の四人も男に続くように隊首会場の入口へと向かっていく。

「──もしかしたら、此処にはもう来ることはないかもしれないけど……」

 口角を上げながら呟かれた、男の小さな声は、彼の仲間達以外に聞こえることはなかった。
 そうして重たい音を立てて閉まった扉。張りつめていた緊張という空気が少し和らぐと同時に、京楽や浮竹が日番谷へと駆け寄った。

「大丈夫かい?日番谷隊長」

 まさか日番谷までもが虚化による体調不良を発症してしまったのではないか。そう心配する彼らに、日番谷は片手を上げた。

「大丈夫だ……悪い、少し三半規管がやられただけだ……倦怠感とか胸の痛みがあるわけじゃねぇよ」
「そうか……」

 日番谷の言葉を聞き、安心そうに息を吐く浮竹とは対照的に、マユリは忌々し気に舌打ちをする。

「チッ……初の隊長格の被検体になるかと期待したのだが、残念だヨ」
「涅!」

 あまりにも配慮のない言葉に浮竹が叱るように声を上げると、涅はくるりと踵を返す。

「喧しいヨ。私は疲れているんだ。奴らがこの現象をどうにかするというのなら、全て放っておけばいいんだヨ。虚化する死神も、世界崩壊も、全て」
「……涅?」

 ヤケクソのように吐き捨てて隊首会場を去っていく。そんな、いつになく消沈したかのようなマユリの後姿を呆然と見つめていると、「あ〜あ」という呆れたような声が響き渡る。振り返ると、面倒くさそうな表情で頭をかいている更木の姿があった。

「くだらねぇ。アイツらと戦えると思って期待したのによ」
「更木……」
「要はアイツらに全部任せときゃ良いんだろ?だったらこんな面倒くせぇことはもう終いだ」

 そう言いながらマユリの後を続いていく様に会場を出て行ってしまう。何とも言えない表情でそれを見送っていると、後ろから京楽が歩み寄ってきた。

「無理もないよ。特に涅隊長なんて、あれだけ必死に研究してたのに、全部世界崩壊が原因だなんてあっさり答えを出されて……自分で解き明かしたかっただろうね」
「京楽……」
「皆やる気が無くなっちゃったんだよ。どうにかしないとって藻掻いてたのに、横から出てきた人達に全部掻っ攫われて、自分達は足手纏いだって言われたようなもんなんだから」

 言われて確かにそうだと思う。この状況に漸く希望が見えたと思うと共に、やはり自分達ではどうにもできなかったことだと痛感させられた上に、以降はただ待ってることしかできないなんて。話を聞いた時、これで助かるという安堵ともに襲ってきたのは、自分まで虚化してしまったかのように、胸にポッカリと穴が空いたかのような虚しさだった。
 浮竹は、沈んでいきそうな気分を振り払うように首を左右に降ってから、卯ノ花に支えられている日番谷の元に、改めて歩み寄る。

「具合はどうだい?日番谷隊長」
「心配かけた。もう大丈夫だ」

 心配そうに見つめる三人の視線を受けながら、日番谷は卯ノ花の手を離れて一息吐く。
 彼らが去ると共に、あの五月蝿い声も遠ざかって行った。そんな姿は見えなかったというのに、一体何処に居たというのか。皆もよくあの五月蝿い声が聞こえる中で平然と会話できていたものだ。自分がまだ未熟故に具合まで悪くしてしまうなんて。
 自分が情けないと思いながら溜息を吐くと、京楽が心配そうに首を傾げる。

「一体どうしたってんだ言うんだい?珍しいじゃない、君が隊首会の最中にフラフラになるなんて」
「いや、あの赤ん坊の泣き声があまりにも五月蝿くてな……寧ろあんた達はよく平気だったな」

 頭を押さえながらそう言うと、京楽達はキョトンとした表情を浮かべてから、怪訝そうに顔を見合わせる。そして日番谷を振り返り、戸惑いながら口を開いた。

「えっと……赤ん坊の泣き声って……?」
「……は?」

 訳が分からないと言うような三人の態度に漸く気付いた日番谷は、呆然と三人を見上げる。本気で何のことか分からないと言うような表情を浮かべる三人に、日番谷は眉根を寄せながら問いかける。

「いや……聞こえてただろ?アイツらが入ってきた時から、五月蝿いくらいに赤ん坊が泣き続けてただろ?」
「いえ……」
「僕には全然聞こえなかったけど……」
「すまない、俺もだ……」

 困惑したように答える三人に、日番谷は唖然とする。
 まさか、こっちが具合が悪くなるほど、あんなに五月蝿く泣き続けていたのに、その声が聞こえなかったと言うのか。だから皆平然と会話していたというのか。では何故自分にだけ聞こえたのか。あの一族達の中にも赤ん坊を抱えているような素振りも、その存在も確認することはできなかった。あの一族にも聞こえない声だったというのか。
 冷や汗をかく日番谷を、三人は再び心配そうに見つめていた。



***



 サァァーと吹き抜ける一陣の風。その風を受け、髪を靡かせながら、日番谷は目の前にある一つの古びた家屋を見つめる。
 つい先日も訪れた、西流魂街の祖母の家。見慣れた景色の筈なのに、何処か不穏な気配を感じるのは、自身の中に浮かぶ仮説の所為か、はたまた時刻を紛らわせる様に空を覆い隠す曇天の所為か。
 日番谷は灰色の空を一瞥してから、再び実家へと視線を戻し、ゆっくりと一歩を踏み出した。震える手を誤魔化す様に、必要以上の力を込めながら扉の取っ手に手をかける。そして、中に居るであろう祖母を驚かせないように、ゆっくりとその扉を開けた。

「……ばあちゃん」

 静かに、それでいて芯の通った声で呼びかける。すると、中からパタパタと乾いた足音が聞こえてきて、驚いた様な表情で祖母が顔を覗かせた。

「冬獅郎?どうしたんね?いきなり顔見せてくれるなんて」

 驚いた様に、それでいて嬉しそうな声色で、ゆっくりでありながらどこか駆け寄るように歩いてくる。一見どこも悪くなさそうな祖母の姿に、日番谷は安堵したような表情を浮かべて、無意識に力が入っていた肩の力を抜いた。

「いや……ちょっと近くに用があったから、どうせなら少しだけ、ばあちゃんの顔が見たいなと思ってさ」
「そうかい。それは嬉しいねぇ。お茶の一杯くらい飲んでく時間はあるんかい?」
「あぁ、それくらいなら大丈夫だよ」
「なら温かいお茶を入れ直してくるから、ちいと待ってなさい」

 そう言って台所へと向かう祖母を見送りながら、日番谷は居間へと向かい、自分の定位置であるちゃぶ台の前に腰を下ろす。そうして祖母に気付かれない様にそっと溜息を吐いた。
 やはり考えすぎだったのかもしれない。あの時見えたノイズはたまたまそう見えただけで、それが虚化の前兆の一つであるとはまだ決まってない。きっと疲れが溜まっていて、たまたま祖母とあの隊士がそう見えただけ。そしてたまたまその隊士が虚化しただけ。そうであって欲しい。
 そう思って日番谷が台所に立つ祖母へ視線を向けた時──祖母の腕にザザッという砂嵐のようなノイズが走る。

「ッ──!!」

 日番谷は目を見開いて、思わずガタッと立ち上がる。
 確かに見えた。見えてしまった。祖母の腕に纒わり付くようなノイズを。そして、そのノイズの向こうに見えたモノ。今まではただのノイズだと思っていたそれの正体を知ってしまった。

(──虚の、腕……!)

 一瞬でも確かに見えた。今度は見間違いではないとハッキリ言えてしまう程に。
 日番谷は顔面蒼白になりながら、祖母を見つめて立ち尽くす。お茶の準備が終わった祖母は、湯呑みを置いたお盆を手に振り返ると、漸く日番谷の様子に気が付いた。

「おや、冬獅郎?一体どうし──」
「──ばあちゃん」

 キョトンと首を傾げる祖母に、日番谷はゆっくりと歩み寄り、そのお盆を受け取ってそのまま台所に置いた。そして、改めて祖母に向き直ると、覚悟を決めたように口を開く。

「ばあちゃん……最近、身体がダルかったり、痛みがあったりするところはあるか?」

 倦怠感と節々の痛み。虚化の前兆とも言える症状。これが無ければまだ可能性があるかもしれない。祖母が虚化しない可能性が。
 しかし、日番谷の期待を打ち砕くように、祖母は少し考えた素振りを見せてから、右手で左手を摩った。

「そういや少し、左腕が痛い時があってね……」
「ッ──!」

 なるべく表情に出さないようにしながら、日番谷は息を飲み込む。そして湧き上がるような冷や汗をかいた。
 祖母の言った左腕とは──日番谷が先程ノイズを見た方の腕だったからだ。
 そんな日番谷の雰囲気に気付いたのか、祖母は何でもないように微笑む。

「けどそんな辛い痛みじゃないから、心配せんでも大丈夫よ。歳をとると、あちこちが悪くなって嫌んなるねぇ」
「ッ……」

 いつもなら祖母の話に合わせることができたのに、咄嗟にそれができずに、唇を噛み締めてしまう。その痛みが歳によるものでは無いことは確実だ。それを知っているからこそ、その現実を受け入れられないからこそ、何と返せばいいのかが分からなくなってしまったのだ。
 まるで自分の方が辛そうな表情を浮かべる日番谷に、祖母は右手を伸ばして、その柔らかい銀糸越しに、頭をポンポンと撫でた。

「大丈夫よ冬獅郎。大丈夫」
「ッ、……ばあちゃ……ッ!」
「お前は本当に優しい子だねぇ」

 恐らくこの優しい子は、自分のことが心配でわざわざ此処まで来てくれたのだろう。「近くに用がある」と小さな嘘までついて。そんな不器用な優しさが愛おしくして仕方がない。どうかこの優しい子が幸せに過ごせますようにと、願わずにはいられないほどに。
 そんな祖母の、しわくちゃで温かみのある手の感触を頭に受けながら、日番谷はギュッと目を瞑る。

 隊首会に現れた神族という者達。彼らはこの状況を救うと言っていた。もしこのまま祖母を含め、他の死神達が虚化したとしても、それを救えるのは神族だけだとも。それが本当かどうかはわからない。しかし、彼らの言っていたことが本当であれば、もうそれしか道はない。自分にできることは、もしこのまま祖母が虚化したとしても、それを見守り、誰かを殺さないように、誰かに殺されないように保護することだけ。神族達があとどれだけの日数をかけてこの状況を救済するつもりなのかは知らないが、自分達にできるのはもう彼らを待つことだけなのだ。
 日番谷は覚悟を決めたようにそっと目を開け、顔を上げて祖母を見つめた。

「ばあちゃん……」
「ん?」
「……もし、痛みが酷くなるようなら、我慢しないで、兕丹坊のところに行って、俺を呼んでほしい」
「冬獅郎……」
「頼むよ……ばあちゃん……」

 祖母はきっと我慢する。自分がまだ霊圧をコントロールできていなかった時、自分の霊圧によって祖母が死にかけた時、祖母は何も言わなかった。あの時のように、自分に心配をかけまいと、きっと今回も何も言わないだろう。だからお願いするしかない。どうか我慢しないでほしい。どうか自分を頼ってほしいと。
 頭を下げる日番谷を、困ったように見つめた祖母は、優しく微笑んだ。

「わかったよ。何かあったら冬獅郎を呼ぶ」
「……約束だからな、ばあちゃん」
「あぁ、約束よ」

 再び日番谷の頭を撫でる祖母。そんな祖母に向けて頭を下げたまま、日番谷は祖母に気付かれないようにそっと両拳を握りしめた。





「……」

 祖母の家を出て、少し離れたところからその外観を見つめる。真上の空は先程と変わらずの曇り模様。しかし、瀞霊廷方面の遠くの空には、天使の梯子が見えていた。まるで希望の光を与えるかのように、空から光が差し込んでいる。
 日番谷は一つ溜息を吐く。
 もし神族達の言うことが本当であれば、彼らの存在は希望そのものだ。

(──信じて……いいんだろうか……)

 世界が崩壊しているということや、世界を救うと言ったその言葉を。しかし彼らの話以外に、今起きている現象を説明する手段が自分達には無い。どれだけ突拍子が無くても、どれだけ信じられない話でも、どれだけ彼らが胡散臭くても、現状彼らを信じることが何よりの近道であることは間違いないのだ。

(ただ……あの時聞こえた、あの赤ん坊の泣き声……)

 耳を劈くように聞こえたあの泣き声。自分にしか聞こえなかったあれは一体何だったのだろうか。心配そうにこちらを見つめる浮竹達に「気のせいだったかも」と無理矢理誤魔化したものの、あれは気のせいでも聞き間違いでもなかった。あれだけハッキリ聞こえていたのだ。頭がおかしくなると思うくらいに。しかし神族達の中に、赤ん坊を抱えているような素振りも、背中に背負っているようなシルエットもなかった。そんな可笑しな現象を起こす彼らを本当に信じて良いのだろうか。神を創りだそうとする一族だからそんなことあっても不思議ではない、と言われてしまえばそれまでだが、それなら何故、自分にだけそれが聞こえたのか。

 日番谷は再び溜息を吐く。こんなこと考えている場合ではない。そろそろ隊舎に戻らなければと踵を返そうとしたその時──。

「──あぁ、居た居た隊長サン」
「!?」

 不意に後ろから掛けられた声に、勢いよくバッと振り返る。そこに居たのは、先程隊首会に現れた神族達の姿。しかし先程とは違い、先頭にいる赤黒い髪の男以外も、そのフードを取っ払い、素顔を見せている点だった。

「お前ら……」

 あまりにも突然の出来事に、日番谷が目を見開いて呆然としていると、空色の長髪を風に靡かせ、糸目でどこを見ているのかわからない女が、隣の赤黒い髪の男の方に顔を向けた。

「漸く見つけましたね」
「あぁ。まさかこんなところに居るなんてな。こんなことなら、瀞霊廷捜索の許可、貰わなくても良かったわ」

 げんなりと頭を掻く男に、男を挟んで空色の髪の女とは反対側に居た金髪ツインテールの女が、その長い爪を見せびらかす様に人差し指を口元へと当てる。

「でもあそこに行かなかったら確証もなかったわけじゃん?いくら”神の眼”があるとは言っても、実際に確かめてみないとわからなかったわけだし、大収穫でしょ」
「その通りだ」

 空色の髪の女の後ろに居た、短い茶髪の一際ガタイの良い大柄な男が一つ頷く。その更に隣に居る、杖を付いた年老いた男が、灰色の髭を指でなぞりながら赤黒い髪の男へと声をかけた。

「さて、では始めようかの」
「あぁ」

 老人の言葉に頷いた男は、訳が分からないという表情をしている日番谷へと歩みを進めた。

「悪いね。突然のことで驚いたでしょ?」
「お前ら……さっきから一体何言って……」
「俺達は”ある探しものをしている”って言っただろ?そしてそれは”あと一人の神族だ”とも」
「それは……」

 赤ん坊の声にかき消されてあまり良く聞こえなかったが、確かにそんなことを言っていたような気もする。戸惑ったような表情を浮かべる日番谷の前まで来た男は、足を止めて懐へと手を伸ばした。

「俺達はずっと探してたんだよ。なんせ、その人が居ないと神を創造することができないんだから」
「……だからって、何で此処に……」
「だから言ってるだろ?その最後の一人を見つける為に来たんだ、よ!」
「ッ!?」

 男は懐に手を入れたまま、もう片方の手で素早く日番谷の右手を取り、それと同時に懐から取り出した”ある物”をその掌で被せるようにして握らせる。いきなりのことで反応できなかった日番谷は、男に手を取られたまま、何事かと取られた手を見つめていた。男が日番谷の手を滑るように、ねっとりとその手を離すと、日番谷の掌の上には透明の小さなガラス玉のような水晶が乗せられていた。

「これは……?」

 怪訝そうに男を見上げると、男は不敵な笑みを浮かべているばかり。
 突然自分の前に現れ、訳も分からずに妙なものを手渡され、気味悪いにもほどがある。嫌悪感しか感じないその水晶を無理矢理付き返そうとしたその時──。

 ぐにゃり。

「──え?」

 唐突な圧迫感と、肉の中に無理矢理固いものを押し込めようとするような感触。日番谷が恐る恐る掌を見つめると、先程まで掌の”上”に置かれていたその水晶は、掌の”中”に半分ほど埋め込まれていた。

「ッ──!?」

 慌てて取ろうと左手でその水晶を掴もうとするが、それよりも速く水晶は吸い込まれるようにして日番谷の掌の中へと埋め込まれていった。そして、そこには初めから何も無かったかのように、いつもと変わらない掌の姿。そして急激に身体が重くなったような気がして、力が抜けたかのように膝から崩れ落ちる。一体何が起きたのかと、呆然と掌を見つめる日番谷に、男は笑みを零した。

「やっぱりあんただったんだな──神族の最後の一人」
「なッ──!」

 男の言葉に驚いて目を見開き、バッと顔を上げる。そこには男と同じように笑みを浮かべてこちらを見つめている神族達の姿。その光景に気味悪さを感じながら、日番谷は声を上げた。

「何言ってんだ!俺が神族なんてそんなこと……!」
「ありえないって?そんなことはないさ。言ったろ?俺達神族に血の繋がりは無いって。俺達はあくまで神に選ばれた一族なんだって」
「それは……!」

 そんなことも言っていたような気もする。あの喧しい赤ん坊の泣き声の後ろで。

「そうそう。もう一つ、あんたが神族であるっていう証拠を見せてやるよ」

 男はそう言って、背後の空色の髪の女を振り返る。女は一つ頷くと、手に抱えていた”あるモノ”を男へ差し出した。その時気付いた。あの喧しい声が再び聞こえていることに。

「あんた、この子の声が聞こえてるだろ?」
「ッ……!」

 下からではその姿は見えない、その布に包まれた”何か”。しかし見えなくてもわかる。その布に包まれたものこそが、自分の体調を悪くする程に、けたたましく泣き続けている主であると。
 忌々しそうにこちらを──正確には自分の腕に抱えているモノを睨みつける日番谷に、男はフッと笑い声を上げた。

「そう怖い顔しなさんなって。この泣き声が五月蠅い気持ちはわかるけどさ。俺達じゃどうしようもできないんだよ。この子を泣き止ませることができるのは、あんただけなんだから」
「何言って……!」
「じゃあそういうわけだから、はい、持った持った」
「やめッ……!」

 そう言いながら男は、地面に座り込んでいる日番谷に合わせるように腰を下ろし、腕に抱えているモノを無理矢理その胸に押し付ける。受け取りたくないと拒否するように出された手を取り、しっかりと抱えるようにその手を回させると、男は満足したように立ち上がった。

「おい!何で俺がこいつを……!」

 日番谷は腕に抱えさせられたモノ──赤ん坊を男に付き返そうとする。しかし、何故か手が言うことを聞かない。

「ッ!?」

 日番谷は驚いて赤ん坊に視線を向ける。あれだけ泣き喚いていた赤ん坊は満足したかのように笑みを浮かべ、すやすやと心地良さそうに眠りながら、離さないと言うように日番谷の死覇装の襟元をギュッと握りしめていた。しかし、赤ん坊が服を掴んでいるからではない。そもそも手が動かないのだ。赤ん坊の手を剥がそうとしたくても、赤ん坊の身体を両手で持って付き返そうとしたくても、男に無理矢理回された手のまま固定されてしまったかのように。それどころか、赤ん坊を更に強く抱き締めるかのように、腕に力が込められる。

「なんで……ッ」

 自分の意思で自分の身体を動かせない恐怖。日番谷が震える声で呟くと、男は笑みを浮かべたまま口を開いた。

「漸く泣き止んだか。ほんと五月蠅かったな。これでやっと静かな日常を送れるよ。ありがとうな」
「……」
「そいつが泣いてた理由は単純さ。誰だって、自分の心臓が無かったら嫌だろ?だからそいつは『心臓が欲しい!』『心臓を頂戴!』って泣いてたんだよ」
「なに……言って……」

 男の言っている意味がさっぱりわからない。赤ん坊を抱いてから、徐々に抜けていく身体の力のように、思考回路までも奪われてしまったかのようだ。それほどまでに、何を言っているかが分からなかった。
 そんな日番谷に、男はニンマリと口角を上げて、腰を折り、日番谷に顔を近づけながらゆっくりと口を開いた。

「だから、あんたのことだって。なぁ?──”神の心臓”?」

 一言一言ハッキリと聞こえるようにゆっくりと告げられたその言葉に、日番谷は連動するようにゆっくりと目を見開く。そんな日番谷に男は続けた。

「この子の声が聞こえるのは神族だけ。そして、この子が必死に声を上げていたのは、最後の一人である”神の心臓”を求めていたから。この子は”神の翼”。別名”神の器”と言っても過言じゃない。器は器だけじゃ機能しない。心臓がなければ神は生まれない」
「──」
「もうわかっただろ?あんたが居ないと神は創造できないんだよ。最悪俺達の誰かが欠けても、ある程度は補える。でもあんただけは駄目だ。あんたは神の力の源なんだから」

 畳みかけるように続けられる男の言葉に、理解が付いていかない。しかし、一つだけわかったことがある。

「俺が居ないと……神が創造できない……?」
「そう!優秀そうなあんたのことだからもうわかるよな?」

 男はそう言って、日番谷の顎をくいっと持ち上げ、視線を無理矢理合わせる。

「世界を救うためにはあんたの力が──あんたの命が必要なんだよ」
「──」

 魂魄の虚化。欠けた空。その全ての要因である世界崩壊。それを救うためには──自分の命が必要だということが。





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イイネ!