2026年7月公開予定作品(下書き)
瀞霊廷、九番隊隊舎付近。
今日も今日とて平穏な日常を送っていた死神達は、日々の業務をいつも通りこなしていた。隊舎内での業務が基本的ではあるが、他隊とのやり取りが発生した際には、重要な書類を渡しに行ったり、逆に受け取りに行ったりと、隊舎の外に出ることも珍しくはない。
良く晴れた青空の下、二人の男性死神が、脇に他隊から預かった書類を抱えながら、九番隊舎への道程を並び歩いていた。内の一人である黒髪の隊士は、歩きながら伸びをするように身体を動かし、顔を顰めて唸り声を上げる。それに気付いたもう一人の茶髪の隊士が隣に視線を送った。
「どした?」
「いやぁ……最近なんか身体が怠くてさ……」
そう言いながら肩を回す黒髪の隊士に、茶髪の隊士は少しだけ心配そうな表情を浮かべる。
「大丈夫か?働きすぎなんじゃねぇの?」
「うーん……そんなことないと思うんだけど……ほら、俺結構サボり魔だし」
「そうだったわ。ってか自覚してたんだな」
「おう!偉いだろ!?」
「ドヤるな」
悪びれもなく笑う黒髪の隊士に、茶髪の隊士はジト目で小突く。それを笑って受け止めていた黒髪の隊士だったが、少しだけ疲れたように溜息を吐いた。
「でもさ、怠いのは本当なんだよ。ここ二三週間くらいずっと続いててさ」
「二三週間?そりゃ長いな。ちゃんと休みは取ってんのか?」
呆れた表情だった茶髪の隊士は、黒髪の隊士の言葉に軽く目を剥いてから、再び心配そうに眉根を寄せる。黒髪の隊士はコリを解す様に首を回しながら口を開く。
「そりゃ勿論取ってるけど、どんだけ寝ても良くならねぇんだよな」
「風邪引いたとか?四番隊には行ったか?」
「そう思って行ったけど、別に風邪じゃないって。それにどこも悪くないからただの疲労じゃないかってさ」
大きく溜息を吐いた黒髪の隊士に、茶髪の隊士は怪訝そうな表情を浮かべながら、考え込むように顎に手を当て、地面に視線を落とす。
「原因がわからない身体の怠さか……四番隊で診てもわからないなんて……」
「ほんと参っちまうよ……最近じゃ何か胸も痛いような気がするし……」
「胸?」
身体の怠さだけではなく、胸も痛むというのか。やはりもう一度四番隊で診てもらった方が良いのではないか。
本気で心配した茶髪の隊士が、そう提案しようと顔を上げると、そこには胸を強く抑えて苦しむ黒髪の隊士の姿。
「!? お、おい!! 大丈夫か!?」
「ぐぅッ……ぅあ……ッ!」
抱えていた書類を投げ出し、黒髪の隊士の肩に手を添えながらその顔を覗き込む。そこにあったのは、今までに見たことがない程の苦し気な表情。これは只事ではないと判断した茶髪の隊士は、必死に声をかけた。
「しっかりしろ!! 今すぐ四番隊に運ぶからな!!」
「ッ、うぅ……ぅアあッ……!」
「誰か!! 誰か、手を貸してくれ!!」
「ァあ……ぐゥウ……ッ、ゥウウウウ!」
「!? どうした!? 大丈夫か!?」
黒髪の隊士の声がおかしいことに気が付き、周囲に向けていた顔を戻す。そこには、先程よりも更に蹲って苦しんでいる姿。茶髪の隊士は慌てたように地面に膝を着き、その両肩を掴んだ。
「お、おい!! しっかりしろ!!」
「ウゥウウウウウ!」
声が裏返るのも構わず呼びかける。しかし返ってくるのは人間の呻き声というより、化け物の呻き声に近い。しかもこの声は、初めて聴くようなそれではなく、死神であれば散々聞き慣れている声。
茶髪の隊士は脳裏に過る嫌な予感に、違っていてほしいと祈りを込めるように、黒髪の隊士の肩を掴んだ手に力を込める。しかしそれを裏切るように、黒髪の隊士は咆哮を上げながら、茶髪の隊士を勢いよく振り払った。
「グォオオオオ!!」
「うぁッ!!」
突き飛ばされた勢いで地面に尻もちをついた茶髪の隊士は、慌てて黒髪の隊士へと視線を向ける。しかしそこに、求めていた姿は既に無かった。代わりに居たのは、まるで黒髪の隊士と場所を入れ替わったように突如現れた、見慣れた化け物──虚の姿。
「え……?」
何が起きたのかわからず、呆然と呟く茶髪の隊士。目の前の虚はそんな隊士に構わず、何かから解き放たれたかのように再び咆哮を上げる。そして、すぐ傍にある"餌"に気が付くと、ゆっくりとその身体を向ける。呆然とした表情を浮かべている茶髪の隊士の方へ。
虚はノシノシと一歩ずつ歩みを進める。茶髪の隊士はこちらに歩み寄ってくる虚を見つめることしかできない。その胸中は、恐怖と言うより、混乱で埋め尽くされていた。
だって意味が分からない。同僚は一体何処へいったのだ。そしてどうしていきなり目の前に虚がいるのか。一体何が起こっているのか。
そんな隊士に、虚は狙いを定め、グッと足に力を込めてから、勢いよく飛び掛かった。
「ッ──!!」
マズい。そう思ったときには時すでに遅かった。斬魄刀も手元には無い。鬼道も間に合わない。隊士は来る衝撃を想像し、思わず目を瞑る。しかし、目の前に突如現れた霊圧に気が付き、すぐに目を開けた。
「副隊長!!」
「大丈夫か!?」
隊士の前に現れ、虚を自身の斬魄刀で受け止めたその男──檜佐木修兵は、隊士に振り返らずに声を上げて尋ねる。隊士はコクコクと頷きながら「はい!」と答えると、檜佐木は容赦なく虚の腕を斬り落とした。
「グォオオオアアアア!!」
「何だって瀞霊廷内に虚が居やがんだ……!」
悲鳴を上げる虚に、檜佐木は続けてその存在を抹消しようと斬魄刀を構えたとき、後ろにいた茶髪の隊士が慌てたように悲痛な声を上げた。
「ま、待ってください副隊長!!」
「ぁあ!?」
何故止めるのかと苛立ったように聞き返した檜佐木に、茶髪の隊士は涙ぐみながら恐る恐る口にする。
「そ、そいつは……多分ただの虚じゃありません……!」
「どういうことだ!?」
檜佐木の前には腕を抑えながら苦しむ虚の姿。その姿が、先程まで苦しんでいた同僚の姿と重なる。そんなことは在りえないと思いながらも、自身の中で浮かび上がった仮説を、話さずにはいられなかった。
「さっきまで……ッ!さっきまで、そこには俺の同僚が居たんです!! でも、あいつが居なくなって、急にその虚が現れて……!何言ってるのか意味わかんないと思いますけど、俺には……俺には、同僚がその虚になったように見えるんですッ!!」
「何だって……!?」
隊士の言葉に目を見開いた檜佐木は、マジマジと目の前の虚を見つめる。
どこからどうみてもただの虚にしか見えない。霊圧も後ろの隊士のものなら覚えがあるが、目の前の虚の霊圧には覚えがない。それにそもそも、死神がいきなり虚になるということがあり得るのか。しかし隊士が嘘を言っている様にも見えない。瀞霊廷内に急に虚が現れた原因も不明だ。だが隊士の言葉が本当であれば、目の前の出来事に説明はつく。納得できるものではないが。
そんなことを考えていると、傷の痛みに耐性ができた虚が、顔を上げてこちらを見つめてくる。もし隊士の言葉が本当であれば、目の前の虚は仲間の死神ということになる。斬り捨てることは容易にできるが、その可能性が出てしまった以上、そう簡単に処理することはできない。
檜佐木は軽く舌打ちをすると、当初考えていた斬り捨てるという対処法を変え、両腕を前に突き出した。
「縛道の六十二『百歩欄干』!!」
その言葉と共に両腕の前に現れた一本の光る棒。それを手に取ると、檜佐木は勢いよく虚に向かってそれを投げつける。棒は空中で無数に分裂すると、勢いを殺さずに虚の腕、脚、身体に、地面に縫い付けるように突き刺さった。
「グゥォオオオ!」
痛みは無いが身体を拘束するその棒に、虚は藻掻きながらそれを解こうとする。しかし、いくら暴れてもその棒はビクともしない。その様子を見ていた檜佐木は、軽く一息吐いてから、後ろで虚を痛まし気に見つめている隊士を振り返った。
「さっき言ってたこと、本当なのか?」
隊士はビクッと肩を震わせ、不安気に檜佐木を見上げながら頷いた。
「は、はい……」
「何があった?」
「さ、最初は普通だったんです。ただ、あいつは最近怠いって言ってて……それでいきなり苦しみ出したので、四番隊に連れて行こうと思ったんですが、突き飛ばされた後、あいつを見たときにはもうあの虚が居て……」
「……」
自分にはどうすることもできなかったと言うように、両拳を強く握りしめる隊士を、檜佐木はジッと見つめてから虚に視線を送る。そこには相も変わらず拘束を解こうと藻掻き苦しんでいる虚の姿。隊士の言っていることはにわかに信じられることではないが、そう無下にできることでもない。
檜佐木は面倒なことになったと溜息を吐いてから、周囲に視線を向けた。漸く騒動に気付いた他の隊士達が、何があったのかと様子を見に来ていた。
「おい!誰でもいい!卯ノ花隊長を連れてきてくれ!」
周囲の隊士達にそう声をかけると、内の一人が「は、はい!」と返事をして瞬歩で居なくなる。それを見送ってから、不安そうな表情を浮かべている茶髪の隊士に振り返った。
「とりあえず卯ノ花隊長に診てもらう。どう考えても十二番隊の方が専門のような気はするが、四番隊でどうにかできる問題ならそれに越したことはないからな」
「あ、ありがとうございます、副隊長……!」
茶髪の隊士は涙ぐみながらゆっくりと立ち上がり、ガバッと頭を下げた。
自分の言葉を信じてくれたこと。十二番隊よりも先に四番隊を手配してくれたこと。十二番隊、特に技術開発局に送ってしまえば、恐らくありとあらゆる実験をされる。例えそれで元に戻ったとしても、流石に同僚が不憫でならない。檜佐木はそこまで配慮してくれたのだろう。その全てに感謝の想いで一杯だった。
暫くしてから、深刻そうな表情で卯ノ花が駆けつける。そして捕えられた虚の姿を見て、驚いたようにゆっくりと目を見開いた。
「これは……」
「すみません卯ノ花隊長。ご足労頂いてしまって」
軽く頭を下げる檜佐木に、卯ノ花は「構いません」と告げてから、虚へと歩み寄る。
「一体何があったのですか?瀞霊廷に虚など……」
「俺も実際に見た訳ではないんですが、こいつが言うには──」
檜佐木は簡潔に卯ノ花へ説明する。これはただの虚ではなく、隊士が虚になったかもしれないことを。とても信じられない話だが、茶髪の隊士の証言を信じないとこの状況に説明ができないことを。そして、十二番隊に伝える前に、もし四番隊でどうにかできないかと思って卯ノ花を呼んだことを。
「そういうことでしたか……」
「すみません。回道でどうにかできる問題ではないとは思っていますが、念のため診てもらった方が良いかと思って……」
「お気持ちはお察しします。私もできることなら
申し訳なさそうに目を伏せる檜佐木に答えながら、卯ノ花も困ったような表情で虚を観察する。しかし、暫くしてからフルフルと静かに首を横に振った。
「ですが……やはり私達ではどうにもできない問題のようですね……どれだけ探っても、この方からは虚の霊圧しか感じられない。元が死神であったとしても、それを信じるには難しい程に」
「そう……ですよね……」
「そんな……ッ!」
卯ノ花の言葉に、予想通りだったと息を吐く檜佐木と、悲痛な声を上げる茶髪の隊士。そこへ、周囲に集まっていた隊士達が騒めき立ち、何事かと振り返るとそこに居た人物に、檜佐木は目を見開いた。
「涅隊長……ッ!」
「一体何をやってるんだネ、君たちは」
マユリは少しだけ苛立ったような声でそう言いながら、後ろに控える副官のネムと共に歩み寄ってくる。周囲に居た隊士達はその圧倒的なオーラと恐怖心から、自然と頭を下げている。檜佐木も軽く頭を下げてから、気まずそうに顔を上げた。
「涅隊長、どうしてここに……?」
此処は九番隊隊舎付近。卯ノ花のように呼び出さない限りは、他隊の隊長が立ち寄るような場所ではない。
檜佐木がそう問いかけると、マユリはギロリと視線だけを寄越した。
「馬鹿かネ?寧ろ何故さっさと私を呼ばなかった?貴重な実験材料の為にわざわざここまで足を運んでやったんだ。感謝して欲しいくらいだヨ」
「!実験材料って、どうして……!」
この虚の正体については卯ノ花にしか告げていない。一見ただの虚でしかない存在を、何故実験材料と判断しているのか。
咄嗟に言葉にした檜佐木に、マユリは鼻で笑った。
「まったく、知能が足りない者と話していると時間がかかってしょうがないネ。ネム、さっさと回収しろ」
「はい、マユリ様」
後ろに控えていたネムは、一つ頷いてから、他の十二番隊の隊士と共に、捕えられた虚へと近付いていく。その様子を見ながらマユリは面倒くさそうに口を開いた。
「本来、瀞霊廷にそう簡単に虚が入り込むことはない。それなのに、突如として現れた虚の霊圧。しかも、その付近に居た隊士の霊圧が、虚の出現と共に消滅した。これだけ情報が揃っていれば、隊士が虚へと変わり果てたと判断することなど、呼吸をするくらい容易いことなのだヨ」
「それは……」
十二番隊ではこの広い瀞霊廷内の、全ての隊士の位置と霊圧を把握しているということではないか。
檜佐木はふと思い至った考えに口を噤む。これを口にしてしまうと、更に面倒なことになりかねないと思ったからだ。そんな檜佐木に構わず、マユリは続けた。
「そして案の定来てみれば、さっさと斬り捨てればいい虚を前に、捕えたまま戸惑う隊長格の姿。それでどうして実験材料にならないという考えに至るのかネ?」
「……」
ぐうの音も出ない論理に、檜佐木は何を言うこともできず口を閉ざす。そんなやり取りを静かに見ていた卯ノ花は、ゆっくりとマユリへ向き直った。
「どうにかできそうですか?涅隊長」
「さぁネ。私の興味はあくまで”隊士が虚になったこと”のみ。この隊士が元に戻るかどうかは、実験の過程で偶然そうなった場合のみだ」
「ッ……」
マユリの言葉に、茶髪の隊士は悲痛な表情で唇を噛みしめる。そんな姿を視界の隅に入れながら、卯ノ花は静かに続けた。
「可能であればその方法の模索もお願いいたします。もしかすると、今後役に立つかも……」
「気が向けばネ。行くぞネム!」
険しい表情で言う卯ノ花へ冷ややかに返すと、マユリは虚運搬の準備が整ったネムへと声をかけた。ネムはいつも通りの返事で頷くと、さっさと背を向けたマユリの後に続き、技術開発局へと虚を連れて立ち去っていった。
***
一番隊舎内、隊首会場。
仄かな灯りのみで照らされた薄暗い室内。そんな重厚感のある部屋の中には、上座に総隊長である山本元柳斎重國を置き、その前を向かい合うようにして、各隊の隊長が並んでいる。彼らは深刻な表情を浮かべながら、一歩前に出たマユリの話を聞いていた。
「──というわけで、この”虚化”の原因は未だ不明だヨ。実験材料が一つしかないんじゃ、手間取るのは想定済みだったがネ」
そう言いながらマユリは肩を竦める。
あれから技術開発局で件の虚をあらゆる手を使って調べ続けた。しかしどれだけ調べても、隊士が虚になったという証拠も、この虚が隊士だったという証拠すら出てこない。わかったのは虚が虚であるということだけ。
その報告を聞いた隊長達は険しい表情で考え込み始めた。
「にわかには信じられないが……本当に死神が虚になったのか……?」
浮竹がとても信じられないと言うように尋ねると、マユリは苛立ったように振り返る。
「私の言うことが信じられないとでも言うのかネ?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
「無理もないよ。例えそれが本当だったとしても、そう簡単には信じられない話でしょ。だから君も調べてるんでしょ?涅隊長」
浮竹を庇う様に、京楽が飄々と尋ねると、マユリはフンッと鼻を鳴らして顔を元に戻した。そこへ卯ノ花が静かに口を開く。
「傍に居た九番隊の隊士の証言から、虚へと変化したという隊士について、四番隊でも調べてみました。彼は、一週間程前に身体の倦怠感があると訴え、四番隊に足を運んでいました。その時のカルテを見てみましたが、主な症状としては、倦怠感、腕や脚などの節々の痛み、あとは胸部の痛みがあったそうです」
「倦怠感と痛み……」
卯ノ花の報告を聞きながら、日番谷は視線を落としたまま、頭に刻み込むように呟く。
「直接的な原因は不明。その際は疲労と判断したそうです。ただ、それが今回の虚化に関係しているかはわかりません」
「しかし件の隊士は、身体の不調を訴えた後、苦しみだして虚化したという話ではなかったか?」
狛村が檜佐木から聞いた報告を口にすると、卯ノ花は一つ頷く。
「はい。その為断言はできませんが、無関係とは言い切れないかと」
「困ったことになったねぇ。どうする?山爺」
京楽が眉尻を下げながら振り返ると、元柳斎は険しい表情で考え込むように口を閉ざしていた。そして一拍置いてから砕蜂へと視線を向ける。
「隠密機動の調査はどうなっておる?」
元柳斎の言葉を受けて砕蜂は一歩前に出た。
「ハッ。こちらも調査を進めていますが、死神が虚になったという現場は確認できていません。目撃証言についても聞き取り調査をしていますが、そういった光景を目にした者は居ないそうです」
「そうか……」
再び定位置に戻った砕蜂の報告を聞き終えると、険しい表情で目を伏せる。
前例が無い上に、死神が虚になったという確証もない。しかしこれがもし本当であれば、ただならぬ事態が起きている可能性がある。このまま放置するわけにはいかない案件だ。しかし原因も対応策もわからない以上、現時点では打つ手立てがない。
元柳斎はゆっくりと目を開けると、隊長達を見据えてからゆっくりと口を開いた。
「とにかく調査を進めることを最優先とせよ。何かわかり次第、直ちに報告を──」
そこまで言いかけたとき、固く閉ざされていた隊首会場の扉が、重たい音を響かせながらゆっくりと開く。隊長達が一斉に視線を向けると、一人の隊士が飛び込むように室内に入ってきた。
「──隊首会中失礼いたします!!」
室内に入ってきた一番隊の隊士は、そのままの勢いで両膝を折り、首を垂れる。余程の緊急事態でもない限り、自隊の隊員がこのような無礼はしないと把握している元柳斎は、冷静に問い正した。
「何事じゃ?」
「瀞霊廷内に複数体の虚出現!報告にあった”死神の虚化”と同じ状況かと思われます!」
「──!!」
隊士の言葉を受けた隊長達は、元柳斎を筆頭に目を見開き、すぐさま室内を飛び出していった。
隊首会場を飛び出し、瀞霊廷を一望できる、一際見晴らしの良い場所へと来た隊長達は、身を乗り出す勢いで欄干に手をかけた。そこから見えたのは、夕暮れで赤く染まった瀞霊廷。そしてその中にある、三番隊、六番隊、七番隊付近に存在する無数の虚の影。霊圧も馴染みのある虚そのもの。
「あれが、死神が虚化した姿だというのか……どう見ても虚そのものだが……」
浮竹が呆然と呟く隣で、白哉も目を細めて自隊の隊舎を見つめている。その更に隣では、京楽も険しい表情を浮かべていた。
「一護君の虚化とも違うみたいだねぇ。死神が虚になったって言うんなら、その面影くらいあっても良さそうなもんだけど」
「そうとも。”アレ”は完全に別個体の虚だヨ」
京楽の後ろに居たマユリは、一歩前に出て、冷静な眼差しで虚を見つめる。
「本来、魂魄が虚になると、少なからず虚になる前の魂魄のデータが残っているものだ。しかし、”アレ”をどれだけ調べても、基になったという隊士のデータは残されていなかった。加えて、どの魂魄を基にした虚なのかも不明。”アレ”は、完全に無から生み出された虚なのだヨ」
マユリの説明に、一同は息を飲む。原理はわからないが、これが異常事態であることがわかったからだ。
日番谷は、夕陽によって赤く染まった瀞霊廷へ改めて視線を向ける。
建物に受ける赤い光と黒い影のコントラスト。赤い空に浮かぶ、青が混じった幻想的な色の雲。いつもと変わらない瀞霊廷の中に、突如現れた異物。その存在だけで、穏やかで綺麗とも言える夕暮れの景色が、不気味な景色へと一変してしまったかの様だった。
そんな中、虚とは違うもう一つの異物の存在に気が付き、目を見開く。
「あれは……?」
「どうしたんだい?日番谷隊長」
隣に居た浮竹が、その小さな声に気が付き日番谷を振り返る。しかし日番谷は、もう一つの異物から目が逸らせなくなったかのように、それを凝視していた。
浮竹は日番谷の視線を追うようにして、瀞霊廷へと視線を向ける。そこには虚の存在を除けば、いつもと変わらぬ瀞霊廷の姿。しかし、日番谷の視線の先は、瀞霊廷というよりその更に上の空を向いているような気がした。そうして視線を上げたとき、タイミング良く日番谷が口を開く。
「浮竹……お前にも”あれ”が見えるか……?」
「?それは……」
「真正面。空にある──”あれ”だ」
日番谷はそう言って、ゆっくりと腕を上げて指を差す。その方向へと視線を向けると、浮竹は日番谷と同様に目を見開いた。
「な……何だ、あれは……?」
二人の視線の先には、夕陽によって赤く染まった空──ではなく、空にある”黒いもの”へと向けられていた。
ガラスの破片のような歪な形をしたその”黒いもの”は、空に浮かび上がり、微動だにしない。いや、正確には動きはある。その”黒いもの”は何かを削ぎ落しているかのように、そこから黒い粒子を落としていた。しかも、その歪な形は、粒子を落としている箇所から、徐々にその面積を広げていっているようにも見える。まるで、空があそこを起点として剥がれていっているかのようだった。
「元柳斎先生!」
浮竹が声を上げると、元柳斎はゆっくりと欄干へと近付く。そして、浮竹の視線の先へ目を向けると、驚いた様にその細い目をゆっくりと開けた。
「あれは……」
千年という時を生きてきて、今までに見たことが無い光景だった。死神が虚になるという問題だけではない。静かに、それでいて恐ろしいスピードで、何か良からぬことが起きている。確証はないが、長年の経験による勘だった。
他の隊長達も空にある異物に気付き、信じられないようなものを見る目でそれを凝視していた。
そんな中、先程隊首会場に現れた一番隊の隊士が、再び元柳斎の傍に駆け寄り、首を垂れる。
「隊長!虚の対処についてご指示を!」
その言葉を耳に入れたマユリは勢いよく振り返った。
「そんなもの生け捕りに決まっているだろう!全て捕まえて私のところに連れて来い!」
「え!? あ、いや……しかし……」
他隊の隊長の指示とはいえ、優先すべきは総隊長であり自隊の隊長である元柳斎の指示。隊士は困ったように口籠りながら、チラチラと元柳斎とマユリを交互に見つめる。即座に動かかない隊士に苛立ったマユリが再び声を上げようとしたとき、大袈裟に溜息を吐いた元柳斎がそれを制した。
「落ち着け涅。そう何度も言わなくてもわかっておる」
「ッ……」
流石のマユリも元柳斎にそう諭されては何も言えなくなる。口を噤んだマユリを一瞥してから、元柳斎は不安気な表情を浮かべる隊士へと向き直った。
「涅の言う通り、件の虚は死なせてはならぬ。但し、あくまで”保護”を最優先とせよ」
「──!ハッ!」
元柳斎の言葉にハッとした表情を浮かべてから、隊士は力強く頷いた。
(流石は我らの隊長だ。自分はこの人になら何処までも着いていける……!)
右足を立て、それを軸にして立ち上がる。
(早急にこのことを全ての隊士に伝達しなければ……!)
左足と右足を交互に動かし、部屋の扉へと向かう。
(──例え多少の倦怠感があっても、例え身体の節々に痛みがあっても、この程度の不調どうってことない)
もう少しで扉に辿り着く。閉ざされたその扉を開けようと、両手を前に付き出そうとした──その時。
「──ッ……」
ガクッと膝が勝手に折れ、隊士は床に崩れ落ちた。それに気付いた隊長達が、何事かと一斉に振り返る。隊士は震える手で胸を苦し気に押さえながら、ヒューヒューと荒い呼吸を繰り返していた。事態に気付いた卯ノ花が慌てて隊士に駆け寄る。
「どうされました!?」
「はぁッ……!はぁッ……!きゅ、急に……む、胸が……ッ、くるし……ッ!」
隊士の言葉を受けて、卯ノ花がそっと隊士の胸元を覗き込む。そこに見えたモノに、卯ノ花は目を見開いた。
「これは……!」
「どうしたんだ!? 卯ノ花隊長!」
心配そうに駆け寄る浮竹の後に、日番谷が一拍遅れて続いていく。
浮竹の後ろから床に伏して蹲る隊士の姿が見える。その一瞬の間──隊士の身体に、ザザッというノイズが走ったかのように見えた。
「ッ──!?」
日番谷は目を見開いて思わず足を止めた。そして瞬きすることなく隊士を凝視する。
あれは見間違いか。そんなまさか。しかし、もしあの一瞬で見えたものが”本物”であれば、隊士の症状は”アレ”の前兆ということになる。
自身の中に浮かんだ仮説に冷や汗をかいていると、後ろから心配そうに京楽に声をかけられる。
「大丈夫かい?日番谷隊長」
「あ、あぁ……」
そうは言いながらも、ドクンドクンと激しく脈打つ鼓動を抑えることができない。だって、もし自分の仮説が正しければ、あの時、流魂街の実家で見えたあの光景は──。
その場で立ち尽くす日番谷を余所に、卯ノ花達は慌しく隊士の様子を確認していた。
「卯ノ花隊長、何かわかったのか?」
「……こちらをご覧ください」
覗き込む浮竹に見えるように、卯ノ花は自身の身体をずらしながら、隊士の胸元を指差す。そうして見えたモノに、浮竹も同様に目を見開いた。
「これは……孔、か……!?」
「何!?」
卯ノ花達のやり取りを興味無さげに見ていたマユリは、浮竹の言葉に反応し、先程までとは打って変わり慌しく隊士の元へと駆け寄る。そして首を傾げるようにしてマジマジと隊士を観察したマユリは、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。
「これは素晴らしい!これぞ正しく”虚化”の過程だヨ!」
「何じゃと……!?」
片眉と共に片目を開いた元柳斎に構わず、マユリは浮竹と卯ノ花を退かすように前に出て、隊士の身体を隅々まで調べ始める。
「この孔はどう見ても虚に空いている孔と同様のものだヨ!他に何か変わったところは無いのかネ!?」
「お、おい涅!そんな乱暴にしたら……!」
「邪魔するんじゃないヨ!折角のチャンスをみすみす逃す訳には──」
心配そうに手を伸ばす浮竹を一喝してから、マユリが再び隊士に顔を戻した時──。
「グォオオオオ!!」
「──!」
目の前の隊士の身体が、突然膨れ上がるようにして形を変え、一瞬の内に虚へと姿を変える。あまりにも一瞬のことで、隊長達は目を見開いてその様を見ていることしかできなかった。
虚は咆哮を上げ、一番近くに居たマユリに襲いかかろうとする。キョトンとした表情で虚を見上げていたマユリは、それに気がつくとニンマリと笑みを浮かべた。
「──良いネ」
口を大きく開けた虚は、マユリまであと一歩のところで、縛道で拘束されたかのように、ピタッと動きを止める。まるで石化してしまったかのような虚の目の前で、マユリはゆっくりと立ち上がり、ガバッと両手を広げた。
「素晴らしい!また新しい研究材料を手に入れたヨ!」
右手に持った怪しげな注射器を揺らしながら、マユリは恍惚の笑みを浮かべて目の前の虚を見つめる。
やはり瀞霊廷に現れた虚は、死神が虚化した事によるものだった。自身が立てた仮説は、目と鼻の先で証明された。後はこの現象の要因を調べ尽くさなければならない。
マユリは興奮冷めやらぬ表情で、後ろを振り返った。
「私は研究室に籠るから、さっさと他の素材も集めてくるように」
他の隊長達に早口でそう告げると、もう此処に用はないと言うように、動きを止めた虚と共に居なくなる。そんなマユリを何とも言えない表情で見ていた隊長達は、元柳斎を振り返った。
「元柳斎先生……」
「まったく仕方の無い奴じゃ。しかし、彼奴の知識が必要なのもまた事実。各隊、瀞霊廷内に出現した虚を保護次第、十二番隊に移送すること。また、もし先程の隊士と同じような症状を訴える者が居れば、即座に報告せよ」
元柳斎の言葉に頷いた隊長達は、それぞれの隊舎へと足を向ける。そんな中、日番谷だけは、先程まで虚になった隊士がいた場所を見つめていた。震える拳を、血が滲む程強く握りしめながら。
***
天井から滴る一滴の水滴が、地面の水溜まりに落ちて反響する。静寂に包まれた空間で、たった一つだけ火が灯された蝋燭が、空気中の塵を燃やしてジリッと音を立てる。そんな薄暗い洞窟の中、複数人の人影が、蝋燭を囲むように佇み、壁に大きなシルエットを浮かび上がらせていた。
「──始まったか……」
若い男の声が木霊する。男の視線の先には、一つの大きな水晶があり、そこには死神が虚に変わり果てる姿が映し出されていた。それは、今まさに瀞霊廷で起きていること。この異常な光景を見ても、男を始め、彼らはこうなることがわかっていたかのように、驚く素振りも見せない。
そんな水晶に力を込めるように両手を翳していた女が顔を上げる。
「遂に来ましたね。私達の使命を果たす時が」
静かな声が洞窟内に響き渡る。それに同調するように、もう一人の女が声を上げた。
「あとは最後の“探し物“を見つけるだけね」
その言葉に、一際体格の良い男が静かに頷く。そしてその隣に居た年老いた男は、杖をつきながらゆっくりと口を開いた。
「では、早速向かうとするかの?」
「あぁ」
老人の言葉に頷いた若い男は、皆の顔を見回してから口を開いた。
「俺達の神のお告げの通り、崩壊へと向かうこの世界を──救うためにな」
静まり返ったその場所に、再び水滴の音が響き渡った。
