Transmigration of the Cold Rain 時に消える蒼い涙
尸魂界・瀞霊廷。
青い空の下、瀞霊廷は桜の花びらで満ちていた。
季節は春。
真央霊術院を卒業した生徒たちは、これから死神となり護廷十三隊に配属される。
現世でいうなら学生が会社という場所で働きはじめること、らしい。
そんな自分も先日までは院生だった。
今日から死神。
漸く夢が叶ったのだと思うと、嬉しくて仕様がない。
しかしこれからは更に気を抜くことは許されない。
気合いを入れていかなければ。
そう思って軽く伸びをしていると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「輛冰~!!」
「・・・脉媛」
輛冰は呆れたような表情で振り返ると、そこには大きく手を振りながらこちらに駆けてくる脉媛の姿があった。
「何の用だ?脉媛」
「冷たーい!輛冰冷たい!」
「当たり前だ。もう院生の時の俺とは違う。これからは死神として尸魂界のために・・・」
輛冰が拳を固めて熱く語っていると、そんなことも気にせずに脉媛は、「輛冰冷たぁい!」と言い続けている。
「・・・脉媛!!」
「輛冰が冷たい!輛冰が冷たい!」
「・・・ッ」
顔を引きつらせて、キレる寸前の輛冰。
しかしそれは、バコンという頭を叩いた良い音によって阻まれる。
「痛ッ!何すんのよ、澪尓!」
「お前はいちいちうるさいんだ脉媛!輛冰が嫌がってるだろうが!」
「だって輛冰ったら、すっかり死神気取りなんだもん!」
「気取りじゃない!俺たちは死神なんだ。自覚しろ、脉媛」
口を尖らせて言う脉媛に、輛冰が呆れた表情で冷たくあしらう。
その隣で澪尓がうんうんと頷いている。
「な、何よぉ!そんなことわかってるもん!」
「いいや、お前はわかってない」
「輛冰の言う通りだ」
「あんたは黙っててよ澪尓」
「何だと?!」
睨みつけてくる脉媛に、澪尓はカッと右手を頭上に構える。
脉媛はそれを見て「キャー!輛冰助けてー!」とわざとらしく輛冰に抱きつく。
「離せ脉媛。無理やりにでも振りほどくぞ」
「やっぱ輛冰冷たーい!」
不満気にそう言う脉媛を振りほどいて、輛冰は歩き出した。
振りほどかれたことでムスッとした表情の脉媛は、大声で輛冰に問いかけた。
「ちょっと輛冰!何処行くのよー!?」
「馬鹿が。これからどの隊に配属されるか発表されるだろう」
「あ、そっか」
キョトンとしてから納得したような仕草をする脉媛に、澪尓は冷たい視線を送る。
「おそらくこれから死神になる奴の中で、お前だけだろうな。知らなかったのは」
「な・・・何ですって!!」
キィイイイ!!と脉媛は逃げる澪尓を追う。
そんな様子を呆れた目で見つめていた輛冰は、やれやれと肩をすくめると、さっさと先に行ってしまう。
「あッ、ちょっと待ってよ!輛冰!」
「輛冰!俺を見捨てるなよ!」
「・・・自業自得だろう」
そんなくだらない会話をしながら、歩んでく。
これからの死神の道を。
未だ知らない、試練の道を・・・
脉媛と澪尓とは、霊術院のときに知り合った同期生である。
現世で行った人工虚を使った訓練のときに、三人組みになったのが俺達だった。
脉媛はやたらと俺に絡んできて、少しうっとおしいと思うことが多々あるが、信頼できる仲間である。
澪尓は、脉媛に抱きつかれ困っているときに助けてくれる、というより脉媛の世話係のような奴だ。脉媛と同じで信頼できる仲間の一人である。
霊術院時代の俺達の成績はいつも上位で、常に1・2・3を争っていた。
しかし、不思議とライバル意識はなく、親友といえるほど仲が良かった。
卒業試験も、見事に三人合格。
皆で死神になれることを喜びながら、今俺達は死神になろうとしているのだった。
「にしても、よくお前のような奴が死神になれたよな」
「何よ、澪尓。あたし的にはあんたの方がなんで死神になれたのか不思議でしょうがないわよ」
「フッ。俺と輛冰はお前とは違うからな。霊術院を卒業して当たり前なんだよ」
「輛冰ならわかるけど、あんたは奇跡ね」
「お前は百万分の一の奇跡で卒業したんだな。すごいぞ脉媛」
「あんたは一億分の一の奇跡で卒業したのね。あんたのほうがすごいわよ、澪尓」
そんな不毛な言い争いを後で聞きながら、輛冰は肩を落とす。
(全く・・・いつまでやってるつもりだ)
この終わりそうもない言い争いを、いつまで聞いていなければならないのだろうか。
(早く行きたい・・・)
しかしそこでまた二人を置いて行くと、後ろからうるさいくらいのブーイングがかかる。
それもまた面倒なので、こうして我慢しているのだが・・・
「いい加減うるさいぞ、お前ら・・・!」
「ごめんね、輛冰!澪尓が黙らないのがいけないのよ」
「すまん輛冰。脉媛が居なくならないのがいけないんだ」
「何であたしがいなくならなきゃいけないのよ!ここはあんたが居なくなるべきでしょ!」
「頭でも打ったんじゃないか、脉媛・・・?ここは普通に考えてお前がこの場から消えるべきだろうが」
「あんたのほうが悪い病気になってんじゃないの!?ここは、あんたが尸魂界の果てに消えていくべきなのよ!!」
「考えることが幼稚だな。お前は大虚の腹の中に消えてしまえ」
「あんたは雑魚虚の中に消えなさい!」
再び始まった言い争いに、輛冰は深いため息を吐く。
(また始まった・・・)
この二人が向かい合っている以上、この言い争いは永久に終わることはないだろう。
死神になるというのに、全く変わらない二人の姿に呆れを通り越して苦笑しか出てこない。
しかし、
(流石にもう疲れてきた・・・)
そう思った輛冰は「先に行くぞ」と言って瞬歩を使って行ってしまった。
「あッ!!輛冰!!」
「待ってよぉ!!輛冰~!!」
言い争いをしていた二人は、先に行ってしまった輛冰に気づき、急いで輛冰の後を追ったのだった。
「うわぁあん!!」
「うるさいぞ、脉媛。そして退け」
「だって!!だってぇ・・・!」
嗚咽を繰り返しながら輛冰にしがみ付いている脉媛を見て、澪尓はため息を吐く。
「泣くな脉媛。たかが輛冰と同じ隊になれなかったくらいで・・・」
「うるさい!!あんたにあたしの気持ちがわかるか!」
「わかるわけねえだろ・・・」
ほぼ八つ当たり状態の脉媛に、何を言っても無駄だと判断したのか、澪尓はため息を吐く。
脉媛はしばらく澪尓を睨みつけていたが、しばらくすると再び目に涙が溜まってきて、再び輛冰にしがみ付いた。
「うわぁあん!!輛冰ぃ~!!」
「・・・」
輛冰は困った表情で澪尓を見つめるが、澪尓は肩をすくめて首を横に振った。
それを見た輛冰はため息を吐くと、優しく脉媛の肩に手を置いて、ゆっくりと引き離そうとする。
「脉媛・・・。別に隊が違うだけで会えなくなるわけじゃない。それに、隊が同じだったとしても話が出来るわけでもないんだぞ?」
「それでも一緒に居たかったぁ!!」
「・・・ずっとその隊で勤務するわけじゃない。隊の移動だってあるんだ。その時に同じ隊になるかもしれないだろう。それまでの我慢だ」
どんなに説得しても、首を横に振ってしがみつくのをやめない脉媛に、輛冰はただため息を吐くだけだった。
「だって・・・!だって・・・!あたしは輛冰と出会ったときから、一緒の隊に入って、一緒に戦うっていう夢があったのに・・・!」
「・・・脉媛」
輛冰にしがみ付いて、嗚咽を繰り返しながら言う脉媛に、輛冰は何とも言えない表情で見下ろすことしかできなかった。
しかし脉媛は更に大声で泣き叫ぶ。
「よりによって、澪尓と一緒の隊なんてぇえ!!」
「おい!!それはどういうことだ!?」
脉媛のその一言で、固まった輛冰と澪尓。
しかし直に復活した澪尓が、納得いかないと言わんばかりに脉媛を怒鳴る。
そんな澪尓に、脉媛はベーっと舌を出した。
「確かに輛冰と同じ隊になれなかったのは辛いけど、あたしにとって何より辛いのはあんたと同じ隊になることなの!」
「貴様・・・!!」
どうしてここまで仲が悪いのか。
輛冰は大きくため息を吐いた。
遠慮なく脉媛を引き剥がすと、「くだらん」と言って自隊に向かって行く。
「ぁあ!ヤダ!!輛冰ぃ!!」
「お前の隊はこっちだろうが!脉媛!」
「掴むな、変態!!」
「誰が変態だ!!」
終わることのない言い争いを背中で聞きながら、輛冰は再びため息を吐く。
(たまには静かに過ごしたいものだな・・・)
そう思う輛冰だが、そんな日は永遠に来ないだろうと、輛冰は肩を落とした。
.
無事死神として護廷に居ることになった。そしてそれぞれの隊に配属された。
俺は五番隊。
脉媛と澪尓は八番隊に配属された。
せめて職務の時だけは、静かに過ごせることを心の中で喜びながら、俺は自隊に向かった。
<五>と書かれた大きな扉の前で、輛冰は立ち止る。
「・・・」
緊張した面持ちで、しばらくその文字を見つめた後、大きく深呼吸をして覚悟を決めたような表情になると、一歩踏み出して扉を開けた。
「待っとったで~」
「っ!?」
ビクッと肩を震わせて、立ち止った輛冰が見たのは、長い金髪の男がこちらも見ずに手を振っている。
キョトンとしている輛冰に、呆れた顔をしながら振り返った男は「何しとんねん」と言って手招きをする。
「あ、はい!」
輛冰はハッと我に返って返事をすると、急いで中に入る。
金髪で長髪のその男は、純白の羽織を纏っていることからおそらく隊長だろう。
そして、その隣にいる茶髪で眼鏡をしている男は、副官章をつけていることから副隊長だということがわかった。
輛冰はバッと頭を地面につける勢いで頭を下げる。
「新しく五番隊に配属された――」
「言わんでええ、言わんでええ」
鬱陶しそうにシッシッと手を振る隊長に、輛冰はキョトンとなってその隊長を見つめる。
すると、隊長はあからさまに嫌そうな顔をする。
「そういう堅苦しいもん嫌いやねん」
「えっ・・・?」
本当に隊長の言葉なのだろうか、と輛冰は呆然とする。
「隊長。こういう時くらい真面目にやってください」
「何や惣右介、お前が真面目すぎるんや」
副隊長――惣右介と呼ばれたその人は、隊長を窘めるも、隊長は面倒くさそうに頭を掻きながら答える。
――想像していた隊長と違う。
今頭の中にあるのはそのことだけ。
隊長というのはもっと真面目で、職務に厳しく、尊敬できるような背中を持つ・・・
(この人には・・・それがない)
冷めた目で輛冰はその隊長を見つめていると、その視線に気づいた隊長が「な、なんやねん・・・」とたじろぐ。
「失礼ですが、あなたは五番隊隊長でよろしんですよね?」
「な、何やそれ!?疑ってんのかい!?」
「いえ・・・」
輛冰は隊長から視線を外す。
そんな輛冰に、隊長は困り果てている。
「なんやねん!惣右介、何とか・・・」
「私は隊長を助けません」
「酷ッ!!」
(騒がしい人だ・・・)
この人を隊長だと思うのは無理だな、と輛冰は思いながら再び隊長を見た。
「何やねんお前ら!この平子真子のことを隊長だと思っとらんやろ!!」
「思ってますよ、平子隊長」
「かぁー!!完璧な棒読みやなぁ!惣右介!」
平子真子――それが自隊の隊長の名前らしい。
ちゃんとした自己紹介でもなく、隊長の名前を知ってしまったことに、輛冰はため息を吐いた。
(・・・職務に就いても静かな時間は送ることはできなさそうだな・・・)
やはり自分には静かになる時間などないのだろう。
――死神である限り。
.
「まぁ、ええわ。それよりお前、名前何ちゅうねん?」
「・・・え?」
ハッと我に返って顔を上げた輛冰は、こちらを見つめている平子に気づく。
輛冰のそんな様子を見て、平子はため息を吐いた。
「名前や名前。教えんかい」
「・・・」
(あなたが名乗るのを止めたくせに・・・!)
苛立ちを覚えながら、輛冰は静かに口を開いた。
「輛冰、と申します・・・」
「輛冰か。・・・?名字は無いんか?」
「流魂街で育った俺には、両親が居ません。俺を引き取ってくれた方曰く、名前だけでいいかと・・・」
輛冰のことばに「ふ~ん」と納得し頷いた平子は、輛冰に背中を向ける。
数歩歩いた後、首だけ振り返って「何してんねん」と輛冰は軽く睨みつけた。
その視線にたじろいだ輛冰は「は、はい?」と聞き返した。
「自己紹介も済んだことやし、さっさと行くで」
「え?・・・いや、あの・・・」
「何や?まだ何かあんのかい?」
「僕がまだですよ、平子隊長」
そう言って一歩前でた惣右介と呼ばれた男。
副隊長の名字を知らずに職務を続けるのは流石に無理がある。
「そういやそうやったな」
「副隊長の藍染惣右介です。よろしく」
「よろしくお願いします」
そう言って手を差し出してきた藍染の手を、輛冰は素直に握り返した。
「何やねん!その態度の違い!」
「平子隊長。やはり隊長というのは真面目な方がいいんじゃないんですか?」
「真面目すぎんのは堅苦しくて嫌かな思うて、俺は不真面目になってんやぞ!感謝しろや」
「・・・不真面目と真面目なら真面目のほうが良いに決まってるじゃないですか」
藍染は微笑みながらそう言う。平子はそんな藍染に「何やと!?」と大声を出しているが、愛染はそんな平子を無視して輛冰に「行こうか」と言うと、平子を置いてさっさと置いて行ってしまう。
「待てや、惣右介!!」
「待ちません」
「・・・」
輛冰は静かに肩を落として、騒がしい平子ととそれをあしらう藍染の後を静かに付いて行くのだった。
「輛冰ぃ!輛冰ぃ!!」
「うるさいぞ脉媛。少しは静かにしろ」
「うるさい、澪尓」
大声で輛冰の名を叫ぶ脉媛を叱責する澪尓だが、脉媛はそれを睨みつけて呟いた。
「貴様・・・ッ!」
「あんたと一緒だなんて、本当に早く隊を変えたいものだわ」
「それは俺の方だ。腐れ縁であるお前なんかと同じ隊でいるより、親友である輛冰と同じ隊でいたかったぞ、俺は」
「あんたのことなんか輛冰は親友だなんて思ってないわよ」
「お前のことは鬱陶しく思ってるだろうな、輛冰は」
何処に居ようと喧嘩する二人を止める手立てはないのか、二人は言い争いを続けている。
・・・八番隊隊舎の前で。
「だいたい何であのとき、あんたが輛冰と一緒に居たのよ!!あの現世での人工虚を使った演習の時に、あんたじゃなくて他の人だったら、こんなイラつく思いはしなくて済んだのに!」
「俺だってお前が他の奴なら、今頃こんなストレス溜まってなかっただろうな!」
二人がそんな終わりのない言い争いをしていると、突然目の前の扉が大きな音を立てて開いた。
「何!?」
「ッ!?」
二人は驚いて、目を見開いて呆然としていると、中から笠を被った男性と、眼鏡をかけた女性が出てきた。
「いつまでそこで口論してんのさ。さ、早く入って」
「え・・・あの・・・」
「す、すいませんでした!!京楽隊長!!矢胴丸副隊長!!」
戸惑っている脉媛とは対照に、澪尓は勢いよく頭を下げる。
そんな澪尓を見て、脉媛は更に「えッ!?えぇ!?」と混乱している。
「ハハハッ!そんな畏まんなくていいよ、澪尓君。それに、少し落ち着きなよ脉媛ちゃん」
「え、あ、はい!!」
そういう京楽の来ている女物の着物の下に、白い羽織が見えて、脉媛は漸く我に返ると頭を下げた。
「ちょ、ちょっと澪尓・・・何で隊長のこと知っているの?知り合い?」
脉媛は隣で未だ頭を下げている澪尓に、小声で問う。
すると、澪尓は呆れた表情をして脉媛に視線を向ける。
「んなわけねえだろ。配属される隊長と副隊長のことくらい、知っとけよな」
「うぅ・・・」
いつもなら言い返すのに、今回は言い返す言葉も見つからなかったのか、脉媛は口を尖らせるだけだった。
「顔を上げな、二人とも」
二人が同時に頭を上げると、目の前で京楽が笑っていた。
「ホント、似た者同士って感じだね。二人とも」
「なッ・・・!」
「えッ・・・!」
二人は同時に顔を見合わせるが、直にフンッと顔を逸らす。
そんな二人の行動に、京楽はただ笑うだけだった。
「さぁ、さっさと入りなよ。皆待ってるから」
「え・・・?皆って・・・?」
脉媛がそう問うと、京楽はニッコリと笑って、
「歓迎パーティだよ」
八番隊・隊舎。
職務時間は静かなこの場所は、今では隣の隊に聞こえてくるほど騒がしい。
酒好きの京楽が、新しく入った脉媛と澪尓の歓迎会と称して、八番隊隊士全員で宴会をしているのであった。
「ほら、脉媛ちゃんも澪尓くんも飲みなよ」
「いや、俺あんま飲めな・・・」
京楽から酒を勧められ、断ろうとする澪尓の猪口に、横からドバドバと酒が注がれ、驚いて振り返った澪尓の見たものは、
「もっと飲みなさぁい、澪尓!」
「・・・脉媛」
完全に酒に酔った脉媛の姿だった。
そんな脉媛の姿を見て、京楽が感嘆の声を上げる。
「お、脉媛ちゃんいいねぇ、その飲みっぷり!」
「京楽隊長も~もっと飲みますかぁ?」
「じゃあ、お願いしようかな」
「・・・」
次から次へと皆に灼をして、自分も飲み続ける脉媛に、澪尓は冷たい視線を送る。
しかし、酔っぱらった当の本人はそれに気づくはずもなく・・・
「さぁ、皆さぁん!!じゃんじゃん飲みましょ~ね~!!」
と言っている始末であった。
澪尓は大きくため息を吐くと、ギリギリどころかもはや溢れだしてしまった酒が入った猪口を長机の上に置くと、一息ついた。
すると、京楽に鋭い視線を送っているリサの姿に気づき、澪尓は傍に寄って声をかけた。
「矢胴丸副隊長はお飲みにならないんですか?」
「・・・」
リサはこちらを振り向いて澪尓を一瞥すると、再び京楽に視線を向けた。
「あたしが飲んだら、誰がこいつらの始末すんねん」
「あ・・・」
既に酔いつぶれて寝てしまっている者も居れば、酔いの所為で暴れまわっている者も居る。
京楽も酒に強いと聞いたが、流石に酔っぱらい親父と化していた。
「すごい惨状ですね・・・」
「こんなのいつものことや」
リサはそう言って立ち上がると、京楽の元に行きその背中に蹴りを入れる。
「痛い!!何すんのリサちゃん」
「酔いを醒ましてやってるんや」
そう言って容赦なく蹴りを入れていた。
「痛いッ!痛いよリサちゃん!」と叫ぶ京楽はあまりにも哀れに見えて、澪尓は「見なかったことにしよう・・・」と呟いて視線を逸らした。
(それにしても・・・)
何とも明るい隊なんだろう。
これなら、今までの苦しみや悲しみで深く刻まれた傷を、癒すことが出来るかもしれない。
確かに脉媛のことは嫌いだが、信頼できる仲間だと思っている。
輛冰と脉媛のおかげで、自分は霊術院を乗り越えることができたのではないか。
死神になれたのではないか。
二人には本当に感謝している。
だから、これから何があろうとも、自分は二人の味方でいる。
共に闘う。
二人に出会えたのは、奇跡だと、そう思うから。
.
尸魂界・瀞霊廷。
男と女が八番隊隊舎へと続く廊下を、並んで歩いている。
「いやぁ、つい最近新人隊士としてうちの隊に入ってきたばっかだと思ってたのにねぇ」
「いつの話ですか。あれからもう数十年経ってるんですよ?」
男の言葉に女はクスクスと笑いながらそう言う。
男は「そうだっけ?」と惚けてみせる。
「時間が経つのは早いねぇ」
「そうですか?私は漸く四席になれたと思いますよ」
「いやいや、たった数十年で四席になって『漸く』は無いでしょ」
「そうですか?」
そう談笑しながら歩いていると、自隊の八番隊舎が見えてきた。
「そうだ脉媛ちゃん。仕事終わったら久々に呑みに行かない?」
女――脉媛は、振り返って笑顔で答える。
「すいません。私も久々に京楽隊長と呑みに行きたいですけど、今日は約束があるんです」
「?」
男――京楽は、不思議そうな顔をして首を傾げるも、「あぁ、そっか」と思い当たる。
「今日はあの日だったねぇ」
「はい!あ、輛冰!!」
大きく頷いた脉媛が振り返ると、そこには会う約束をしていた輛冰の姿があった。
「やれやれ、振られちゃったねぇ」
京楽は肩をすくめながら呟いた。
「輛冰!!久しぶり!!」
「おい、昨日も会っただろう」
輛冰が呆れて言うと、脉媛は口を尖らせる。
「一日経ったら『久しぶり』なの!ねぇ、あたしに会いに来てくれたの!?」
「馬鹿。仕事だ」
キャッキャとはしゃぐ脉媛に苦笑しつつ、輛冰は持っていた書類を歩み寄ってきた京楽へ渡す。
「京楽隊長。書類を渡しに参りました」
「ああ、君が五番隊三席の輛冰君ね。脉媛ちゃんから話はよく聞いてるよ」
書類を受け取りながら、ニッコリと笑って言う京楽に、一瞬キョトンとなった輛冰は自分の腕にしがみ付いている脉媛を睨みつける。
「・・・脉媛」
「良いじゃん輛冰!悪いことなんて一つも言ってないんだし!」
「そういう問題じゃない」
輛冰はそう言ってため息を吐くと、「でわ」と言って京楽に頭を下げ、そのまま踵を返そうとする。
「ま、待ってよ!輛冰!」
「ん?」
脉媛が慌てて呼び止めると、輛冰は不思議そうな顔をして振り返る。
「あのさ、今日のこと、覚えてるよね?」
「当たり前だろ」
冷めた表情をして輛冰が淡々と言う。
輛冰の言葉に、脉媛は大きく安堵の息を吐いた。
「よかったぁ~」
「お前俺が忘れてると思っていたのか?」
「そ、そういうわけじゃ・・・!ただ、澪尓が忘れてたから、心配になっちゃって・・・」
「・・・」
輛冰は澪尓のことを思い浮かべる。そういえば・・・
「あいつは最近忙しいからな。今日のことを忘れても仕方がないだろう」
「うん・・・」
脉媛が寂しそうに頷く。
数十年経った今でも犬猿の仲な二人だが、信頼できる仲間であることは変わらず、やはり心配なのであろう。
輛冰はため息を吐くと、脉媛の頭に手を乗せる。
「あいつなら大丈夫だ。それにちゃんと言ったんだろ?」
「・・・うん」
ムスッとしたまま脉媛は頷く。
そんな脉媛に、京楽と輛冰は顔を見合わせて苦笑した。
俺達が死神になってから数十年。
脉媛が望んだ隊の移動は一向にない。
だが俺達は皆で同じ隊になりたいという思いから、一生懸命頑張った結果、俺は五番隊三席、澪尓が八番隊三席、脉媛が八番隊四席という地位に就くことが出来た。
澪尓より地位が低いことを、脉媛は不満を露わにしていた。
澪尓にとっては、女の脉媛より男の自分の方が地位が低いなど考えられないと言っていた。
霊術院時代の苦しい日々が嘘のように、今は楽しいと心から思うことが出来る。
俺たちは普通の魂魄ではない。
俺たちは普通の死神でもない。
俺達にはある能力が宿っている。
普通じゃ考えられないほど、ありえない力だ。
それは、この尸魂界に来た時から備わっていたもの。
それが普通だと思っていたのに、否定された時の衝撃が今でも忘れられない。
でも今は、それを隠して生きている。
だからこそ、周りは俺達の異常さを知らない。
それが、いけなかったのかもしれない。
――今日もまた、幸せな日々を送ることが出来ると、思っていた。
『五番隊三席、至急中央四十六室まで来てください。繰り返します・・・』
「俺?」
いきなり窓から入ってきた地獄蝶が伝えたものは、自分を呼ぶ言葉。
呆然としていると、隊主机に座っていた平子が疑いの眼差しを向けてきていた。
「何ですか?隊長」
「お前なんかやったんやないか?中央四十六室に直々に呼ばれるなんて、滅多にないで?」
「隊長ならともかく、私には思い当たる節はありません」
そう淡々と述べると、「それどういう意味や!?」と叫ぶ平子を無視して、執務室を出ていこうとする。
「待てや輛冰!俺は何もしてへんで!」
「そうですか。でわ」
「コラッ!!待ちや!!」
さっさと執務室を出た輛冰は振り返って扉を閉めようとするが、
「――?」
「・・・」
藍染がこちらを鋭い眼で見つめているのに気付いて、一瞬手を止めるも平子があまりにもうるさいので見なかった振りをすることにした。
「でわ、失礼します」
頭を下げて、扉を静かに閉める。
――あの瞳は何だ?
まるで・・・
(いや、気にしないことにしよう・・・)
輛冰はそう考えて、中央四十六室まで向かった。
.
――今日もまた、幸せな日々を送ることが出来ると、思っていた。
『五番隊三席、至急中央四十六室まで来てください。繰り返します・・・』
「俺?」
いきなり窓から入ってきた地獄蝶が伝えたものは、自分を呼ぶ言葉。
呆然としていると、隊主机に座っていた平子が疑いの眼差しを向けてきていた。
「何ですか?隊長」
「お前なんかやったんやないか?中央四十六室に直々に呼ばれるなんて、滅多にないで?」
「隊長ならともかく、私には思い当たる節はありません」
そう淡々と述べると、「それどういう意味や!?」と叫ぶ平子を無視して、執務室を出ていこうとする。
「待てや輛冰!俺は何もしてへんで!」
「そうですか。でわ」
「コラッ!!待ちや!!」
さっさと執務室を出た輛冰は振り返って扉を閉めようとするが、
「――?」
「・・・」
藍染がこちらを鋭い眼で見つめているのに気付いて、一瞬手を止めるも平子があまりにもうるさいので見なかった振りをすることにした。
「でわ、失礼します」
頭を下げて、扉を静かに閉める。
――あの瞳は何だ?
まるで・・・
(いや、気にしないことにしよう・・・)
輛冰はそう考えて、中央四十六室まで向かった。
.
「輛冰?」
中央四十六室へ向かっていると、不意に後ろから声をかけられ、輛冰は振り返った。
そこには不思議そうな顔をしている澪尓と脉媛の姿があった。
「澪尓。脉媛」
「輛冰、何でここに居るの?」
脉媛はこちらに歩み寄りながらそう訊いてきた。
二人に背を向けて歩きながら、輛冰は答える。
「いや、どういうわけか中央四十六室に呼ばれたんでな」
「え?!」
「輛冰もか!?」
二人の驚きようと澪尓の言葉に、輛冰は驚いてバッと振り返る。
「『も』って・・・お前らもか!?」
「うん・・・」
脉媛が不安そうに頷く。
輛冰は「どういうことだ・・・」と呟きながら再び歩き出した。
中央四十六室前に着くと、待っていたかのように扉が開く。
「・・・」
三人は無言のまま中へと入って行った。
全てがここから始まることを知らずに――
.
「中央に立て」
入って直に言われたのはその言葉。
三人は訝しげに眉根を寄せたまま、言われた通りに中央に立つ。
自分達の周りを囲んで、見下しているかのような視線が痛い。
輛冰達は無意識に表情を険しくする。
「は、話とは・・・?」
輛冰はその威圧に圧されながら問う。
すると眼の前の賢者達が口を開いた。
「単刀直入に言う」
「死神を辞めよ」
「なッ!?」
その言葉に、三人は驚愕して目を見開く。
澪尓は一歩前に出て「どうしてですか!?」と叫ぶ。
周りの賢者たちが、次々に口を開く。
「貴様達の特殊能力」
「我々が知らないと思っていたか?」
「長い議論の上、その能力は危険分子と判断した」
「変えられぬ事実だ」
エコーが掛かっているように、室内に響き渡る。
脉媛は頭を抱えて、フルフルと何かを否定するかのように首を横に振る。
その様子を輛冰は横目で見て、叫んだ。
「確かに我々には、普通ではありえない特殊能力があります!!ですが、それが何だというのですか!?寧ろそれを虚退治に役立てることが出来れば・・・」
「その能力で反逆を起こす可能性が少しでもある限り、危険分子となる」
「なッ・・・!」
澪尓は納得いかないという様に、輛冰に続いて叫ぶ。
「俺達に限ってそれはありません!!俺達は尸魂界に忠誠を誓っているんです!!」
「口では何とでもいえる」
「だが、いつ気が変わって謀反を起こすかわからん」
何を言ってももう駄目だ。
頭の中ではわかっていたのかもしれない。
でも、諦めることが出来ない。
何のために今まで頑張ってきたのだというのだ。
「我々はまだ何もしていないじゃないですか!!それを危険分子だなんて・・・」
「二番隊には『蛆虫の巣』というものがある」
「『蛆虫の巣』・・・?」
不意に言われた言葉に、三人は首を傾げる。
賢者の一人が淡々と述べる。
「何をしていなくても、危険分子と判断された者が行く場所だ」
「ま、まさかそこに行け、と・・・?」
輛冰が言葉を震わせながらそう訊くが、賢者たちは何も答えない。
すると一人の裁判官が何かを合図する。
それと同時に数名の黒装束を着た者たちが室内に入ってきた。
「っ!?」
「な、何すんのよ!?」
「離せ!!」
室内に入ってきた黒装束の者たちは、入ってくるなり輛冰達を捕えに掛かった。
必死に抵抗した三人だったが、こういうことになれているのか、黒装束の者たちは三人の抵抗をものともせず、いとも簡単にとらえてしまう。
そのまま四十六室を出ようとしていることに気づき、輛冰達は更に抵抗を強くする。
「待ってくださ・・・ッ!待ってくれ!!俺達は何もしない!!この能力を使うこともない!!」
「虚との対話能力」
「人の読心術」
「そして転生能力」
「こんな便利な能力を使わない奴が、何処に居ると言うのだ」
その言葉を最後に、四十六室の扉は閉められた。
蛆虫の巣。
本当にここは蛆虫の巣だと、入った瞬間に納得させられた。
いきなり呼ばれたかと思ったら、理不尽な理由でここに連れてこられ、一ヶ月が経つ。
ストレスからなのか、もとからそんな凶暴なのか知らないが、暴れまわっている者。
そんな者など興味ないというように、だらだらと過ごしている者もいる。
――蛆虫。
自分達は蛆虫(こいつら)の同類ではない。
そう自分に言い聞かせながら、輛冰達は日々を過ごしていた。
「輛冰・・・死神に戻りたいよ・・・」
「そうだな・・・」
「外の空気を吸いたい・・・」
「そうだな・・・」
「静かなところに行きたい・・・」
「そうだな・・・」
「・・・」
脉媛の言葉を聞いているのか聞いていないのか、輛冰はただ相槌を打つだけだった。
ここに来てからずっとこんな状態だった。
俺一人冷静なのか?と聞かれたら、それは違う。
もう諦めたのだ。
本当は脉媛が言うとおり、死神に戻りたい。
外に出たい。
あの楽しかった日々に戻りたい。
好きでこんな能力を身につけているわけではないのに、ここに放り込まれた。
これは運命なのだろうか?
輛冰と脉媛。
二人に出会えたのは不幸中の奇跡だと思っていた。
でも、これは運命だったのか?
輛冰と脉媛という、自分と同じ境遇の人に出会って、仲良くなって、皆で奈落の底に突き落とされる。
この不幸の中で幸せを持たせ、再び地獄に突き落とすという、拷問のようなこの人生は、自分が特殊能力を持つということから全て、運命だった?
それなら、自分は何のために生まれてきたのだろうか?
.
「大丈夫ッスか?」
顔を上げると、そこには胡散臭い笑みを浮かべた男が自分の顔を覗き込んでいた。
「浦原・・・さん」
「大丈夫ッスか?澪尓サン。輛冰サンも脉媛サンも」
二番隊第三席――浦原喜助。
この『蛆虫の巣』の管理者。
唯一の『人』。
俺達『蛆虫』を管理する『人』。
「これが、大丈夫に見えますか・・・?」
「スイマセン。皆さんをどうにか楽にしてあげたいんスけど・・・」
謝る浦原に、澪尓はどこか遠くを見ているような、虚ろな眼をしたまま微笑する。
「十分ですよ。浦原さんがいれば」
「それは嬉しいッスね」
浦原はそう言うと、後で暴れている『蛆虫』を抑えに行ってしまう。
「・・・」
浦原の背中をジッと見つめた後、澪尓はゆっくりと俯く。
どうしてこんなところにいるのか。
皆に何も言うことさも許されなかった。
せめて、別れくらいは・・・
そう考えていると、不意に足音がこちらに近づいて来て、自分達の前で止まった。
(浦原さんか・・・?)
そう思って顔を上げると、そこには見たこともない女が自分達を見下ろしていた。
「あんた、誰よ・・・?」
脉媛がそう問うと、女は静かにこちらを見据えたまま口を開く。
「・・・氷渮」
「ヒ、イカ・・・?」
女はそう名乗ると、ゆっくりと頷く。
「あなた達に、話があるの・・・」
「・・・?」
三人が不思議そうな顔をしていると、女はゆっくりと口を開いた。
――蛆虫の巣(ここ)から出ない?
.
ザアァァァ―――・・・
「・・・」
あれから、どれだけの月日がたったというのだろうか。
少なくとも、自分達の知っている霊圧はほとんど感じることができなかった。
あれから百年以上経っていることは明白だった。
澪尓は雨の中、あの時のことを思い出す。
『蛆虫の巣(ここ)から、出る、だと・・・?』
『ええ、そうよ』
輛冰が訊き返すと、女――氷渮はハッキリと頷く。
女の目的が、わからない。
『しかし、そんなこと可能なのか・・・?』
澪尓がそう問うと、氷渮は澪尓の方を振り向いて口を開く。
『ええ、可能よ。あなた達の能力――いや、輛冰の能力(ちから)があればね』
『何だと・・・!?』
氷渮の言葉に、輛冰が驚いて目を見開く。
氷渮はさらに続けた。
『それにあなた達二人の能力も使えるわ。私もね、貴方達と同じような力を持っているの』
『まさか、あんたもあたし達と同じような理由で・・・?』
脉媛の問いに、氷渮は一拍置いてから、「まぁ、そんなかんじね」と静かに答えた。
俺達が黙っていると、氷渮は再び口を開く。
『悪い話じゃないと思うけど?』
『・・・』
それでも考え込む俺達に、氷渮は更に続ける。
『あなた達、悔しくないの?何もしてないのに蛆虫の巣(こんなところ)に放り込まれて・・・。しかも一生出してくれないかもしれないのよ。それを私達の能力を使えば出れるというのに・・・。それに、死神達に恨みはないの?』
『恨み・・・?』
そう呟くと、頭の中に氷渮の声が響く。
――信じていたのに・・・
(っ・・・!)
――死神を、信じていたのに・・・
それは、次第に自分の声に変わっていく。
――信じていたのに・・・裏切られた。
(っ!!)
――結局、死神も、他の同期生と変わらない。
――この能力を恐れ、妬み、裏切っていく・・・
――裏切られた・・・死神に・・・
――見捨てた・・・自分達を・・・
――許さない・・・
――許さない・・・!
――許さない!
――殺してやる・・・
――無残な姿で・・・哀れな生物として・・・
――殺してやる・・・!
――己に受けた苦しみを、味わうがいい・・・!!
(・・・殺す)
――死神を・・・殺す・・・
輛冰達三人は、ユラリと立ち上がる。
『氷渮・・・いいだろう』
『本当に?じゃあ逝きましょうか』
輛冰達は、他の蛆虫の見えない場所に移動する。
『良いか・・・俺達はもうこの時点で心を捨てる。死神を殺すために、それだけの為に転生するのだ』
『ええ・・・』
『わかっている』
『・・・』
輛冰は三人が頷いたのを確認すると、ゆっくりと目を伏せた。
――そこからの記憶はない。
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