Transmigration of the Cold Rain 時に消える蒼い涙






現世、浦原商店。


「ぅッ・・・」


一護はゆっくりと目を開けると、辺りを見回す。


(ここは・・・何処だ?)


そう思いながら、視線を下に向けていくと綺麗な橙色が見えてゆっくりと起き上った。


「井上・・・」


どうやら自分を看病しながら寝てしまったらしい。

座ったまま、その長髪を揺らして寝息を立てていた。


(ここは、浦原商店か・・・)


そう思った矢先に、障子が音もなく開いた。


「漸く起きたか、黒崎」

「石田・・・」


呆れたように自分を見つめる石田に、一護は呆然と呟く。

そんな一護の様子に、石田はため息を吐く。


「何だその腑抜けた顔は。倒れた君をここまで運んだのは茶渡君で、それを治療したのは井上さんだ。ちゃんとお礼を言え」

「・・・お前、何もしてねぇじゃねか」

「僕は夜一さん達に報告してたんだ!大体なんで僕がお前のこと助けなきゃいけないんだ!!」

「はいはい・・・」


怒鳴り出す石田に、一護はため息を吐きながら視線を外した。




「俺・・・どれくらい眠ってたんだ?」

「一日だ。結構酷い傷だったからな。井上さんの能力(ちから)でも、流石に直には目覚めなかったんだ」

「そうか・・・」


一護は何かを思案するように黙ると、俯いた。

そんな一護の様子に、石田が気付いて首を傾げる。


「どうした?」

「いや・・・ちょっとな・・・」


『貴様に・・・あの死神を助け出すことはできん』


先程から、頭をよぎる言葉。

一護は拳を強く握りしめた。


「起きたようじゃな、一護」

「夜一さん・・・」


一護は我に返ったようにハッと顔を上げる。

障子を後ろ手で閉めた夜一は石田の隣に胡坐を掻いて座る。


「気分はどうじゃ?」

「井上のおかげで、そこまで悪くねえよ。ただ・・・」

「ただ?どうした?」


夜一は聞き返すが、一護は黙ったまま口を開こうとしない。

そんな一護の様子に夜一はため息を吐いた。


「何があったかは知らんが、少し休め。まだ万全に戦える状態じゃなかろう」

「・・・」

「?」


いつもなら「ふざけんな!俺はもう戦える!」とでも言いそうな一護が、今は何も言ってこないことに、不思議に思った夜一は一護の顔を覗き込む。




「どうした?」

「・・・」


しかし、一護は視線を逸らすだけで何も言わない。

そんな一護に腹を立てた一護は、加減なしに一護の頭を殴った。


「痛ぇッ!!」

「そんな情けない顔をしてるお主が悪い。何があったのじゃ、一護。言え」

「命令・・・」


命令のように言う夜一に、石田は若干引き気味で呟く。

一護は渋るような表情で口を開いた。


「俺は・・・あいつらに勝てない」

「なッ・・・!?」

「・・・どういうことじゃ?」


一護の言葉に、石田は眼を見開いて驚愕し、夜一は表情を険しくして問い質す。


「・・・あいつらの力は半端じゃねえんだよ。卍解した月牙天衝で、傷一つ付かなかった・・・」

「それはお主の力が引き出せておらなかったのではないか?」

「いや・・・俺は全力で打った・・・。なのに・・・」


いつも以上に弱気になっている一護に、石田と夜一は眉を顰める。


「お主がそこまで弱気になるとはのう。確かに相手はそこまで強い相手なのかもしれん。じゃが、その程度のことでそこまで弱気になるとは見損なったぞ」

「・・・」


夜一は強い口調でそう言うと、静かに怒ったように立ち上がる。


「確かに、今のお主じゃ勝てんだろうな」


呆れたように言うと、部屋を出た夜一は大きな音を立てて障子を閉めた。




「・・・」


何も言わない一護に、石田はため息を吐く。


「・・・一体何があったんだ、黒崎」


しかし、一護は何も言わない。

もう一度深いため息を吐いた石田は、何も言わずに静かに部屋を出ていった。


静まり返る部屋に、織姫の寝息のみが聞こえる。

しかし、一護にはその音すらも耳に聞こえていなかった。


(冬獅郎・・・)


夢で泣いていたあいつ。

もう少しで手が届きそうになったのに。

自分には助けられないと、まるで死刑宣告のように頭に響いた絶望の言葉。

まるで手が届きそうで永遠に届かない位置に居るような、そんな気がした。

いつもなら、夜一の言うとおり誰が何と言おうと「助け出す」と自分の魂に誓う。

でも、今はどうしてもそれが出来ない。

それが恐怖なのか。

それとも絶望を感じてしまったからなのか。

諦めてしまったからなのか。

助け出したいのに。

涙を流させたくないのに。

体が言うことを聞かない。

今すぐにでも助けにいきたいのに。

足が、手が、動かない。


(冬獅郎・・・!)


お前は今、苦しんでるのに。

俺は――一体、何をやってるんだよ。




.



ズキッ――!


「うっ・・・!」


急に生じた痛みに、一護は肩を押さえる。

思い出すのは、自分の刃が全く歯が立たなかったこと。
輛冰の刃が、自分をいとも簡単に貫いたこと。

一護は辛そうに顔を歪めて、眼を瞑る。


(くそッ・・・!!)


自分の弱さを痛感する。

輛冰の強さが恐怖を感じるほどよくわかる。

今まで戦ったことのない、圧倒的な差を見せられる敵。

一護は、拳を強く握りしめた。







「夜一さん・・・」

「まったく・・・一護があれほどまでの腑抜けだったとはの」


石田が声をかけると、呆れたように肩をすくめてため息を吐く夜一に、石田は軽く頷いた。


「全くです。僕も、正直あそこまで弱気になっている黒崎は始めてみましたよ」

「仕様がない奴じゃ、あいつは」


夜一はそう言いながら、ある一つの部屋の前まで歩き、立ち止った。

そして遠慮しないでスパンッと障子を開ける。


「どうじゃテッサイ。喜助はまだ目覚めんか?」

「はい、一向に目を覚ましませぬ」

「そうか」


頷いた夜一は、浦原の眠る布団の隣にドカッと胡坐を掻いた。




「どうして浦原さんだけがこんなことに?」

「喜助だけではない。尸魂界の隊長達も同じ状況じゃ。きっと何か共通点があるのじゃ」


石田の問いに答えた夜一は、考えるように顎に手を添える。


「喜助と、護廷十三隊の隊長達との共通点か・・・」

「もしかして、昔と今、隊長になったことのある者では?」


石田が思いついたように言うが、夜一は首を横に振る。


「それなら儂も昔二番隊隊長だった。じゃが儂が無事な理由が浮かばない」

「そうですよね・・・」


しかしそうなると浦原と現隊長隊の共通点が全くない。
2人が思案している中、夜一と石田が入ってきた障子が静かに開いた。


「夜一さん・・・」

「ん?織姫か。どうしたのじゃ?」


いつも明るい彼女が、暗い表情でいることに不思議に思い、夜一は首を傾げる。
同様に石田も怪訝そうな表情をしていた。

織姫はゆっくりと口を開いた。


「黒崎君・・・大丈夫かな・・・?」

「・・・?」


織姫は、自分が起きてから今に至るまでを説明しだした。



.






静かな空間。

まるで、自分以外に誰も居ないような。

そんな室内で織姫は眼を覚ました。


「ん・・・」


まだ完全に起きていないまま、織姫はゆっくりと目を開ける。

自分の足が見える。しかも正座のまま。

一護を診ていてそのまま眠ってしまったのだろう。

そのことに気付いた織姫は慌てて顔を上げた。


「あ・・・」


織姫が見たのは、辛そうに顔を歪めて、拳を強く握りしめている一護の姿だった。

一護は今の織姫の呟きで、織姫が起きたことに気付いたのか、ゆっくりと顔をこちらに向けた。


「よぉ。起きたか、井上」

「うん・・・」


織姫は呆然としながら頷く。

そんな織姫の様子がおかしいことに気付いた一護は、織姫の顔を覗き込んで首を傾げた。


「どうした?井上」

「う、ううん!なんでもないよ!」


そう言って立ち上がろうとするが、眠ったまま長時間正座をしていた所為で、足が痺れてこけてしまった。


「お、おい。大丈夫かよ?」

「へ、平気!平気!気にしないで!」


痺れる足に「うぅ~!」と呻きながら、ゆっくりと部屋から出ていこうと床を這って行く。

すると、不意に後ろから声がなった。


「ありがとうな、井上」

「え・・・?」




織姫が振り返ると、そこには軽く微笑む一護の姿があった。


「治療、してくれたんだろ?」

「そんなこと当たり前だもん!お礼なんて・・・!」

「本当、助かった」


真っ直ぐな一護の言葉に、織姫は顔を赤くしながら「う、うん!」と頷いた。


「じゃ、じゃあ、あたし夜一さん達のところに行くね!」

「ああ」


織姫は、足が痺れるのを無理やり我慢して立ちあがってサクサクと部屋を後にする。

しかし、一瞬見えた一護の表情に足を止めて振り返った。


(黒崎君・・・?)


今まで見た一護の表情とはどれも違う。

まるで、何かをしようとしてるのにそれが出来なくて苦しんでいるように見えた。

しかし、まるで締め出されたかのように障子は閉じてしまう。
自分で閉めたというのに、自分には関わるなと一護に言われたようで・・・


「・・・ッ――」


どうしてこんなに皆が苦しまなきゃいけないのか。

日番谷も。

一護も。

その他の死神達も。

虚に町を破壊された現世の人々も。

どうしてこんなにも関係のない人を傷つけるのか。

織姫は、泣きそうに表情を歪めて、夜一達のもとに向かったのだった。




.








「黒崎君、とても辛そうだった・・・」

「・・・」


織姫の話を聞いた夜一達は、何も言わず、何も言えずに少しだけ俯いた。

その場に沈黙が流れる。

それを破ったのは織姫だった。


「やっぱり、辛いんだよね黒崎君・・・」

「井上さん・・・」


織姫は一護と同じくらい辛い表情をしながら微笑む。

石田はそんな彼女の表情を見て、眉を顰めて呟いた。


「早く、冬獅郎君を助けに行きたいはずなのに・・・。どうして行かないのかな」

「・・・」


その理由を知っている石田、夜一は言うべきが迷って、何も言えなくなる。

そんな二人の様子に気付いた井上は、不思議そうに首を傾げる。


「・・・二人とも、どうしたの?」

「いや・・・その・・・」


石田が言葉に詰まらせていると、夜一がため息を吐いて口を開いた。


「井上、お主はあまり一護の傍に居てやるな」

「ど、どうして・・・?」


織姫は、夜一の言葉に驚き、その言葉の意味に困惑して言葉を震わせる。

石田も夜一が何を言いたいのかわからず、困惑している。


「何で・・・?夜一さん。なんでそんなこと言うの?」

「お主には、ちとキツいと思うての」


そういう夜一の表情には、「関わるな」と強く出ていた。




「あたしだけ・・・?」

「そうじゃ」


戸惑いながら問う織姫に、夜一は強く頷いた。

織姫はそんな夜一に、ショックを受けたような表情をした織姫は、直に泣きそうな表情をして「そう、ですか・・・」と呟く。

夜一は険しい表情をしたまま、織姫を見つめる。


「黒崎君・・・早く元気になるといいな・・・ッ!」

「井上さん・・・ッ!」


織姫はそれだけ言うと、飛び出す様に部屋から出ていく。

石田はそれを追いかけようと立ち上がるが、一度夜一を振り返って一瞥してから、飛び出していった。


「やれやれじゃの・・・」


夜一はため息を吐くと、ジッとこちらを見つめているテッサイを振り返った。


「儂は間違っておるかの?テッサイ」

「正しいか誤っているかは私にはわかりませんが、おそらく私でも同じことをしたでしょうな」

「そうか・・・」


淡々と述べるテッサイに、夜一は微笑を浮かべる。

罪悪感を感じないわけがない。

自分でも驚くほど心を痛めて織姫に言い放ったのだ。

それでも、織姫に「一護に関わるな」と強く言ったのは、彼女を傷つけさせないため。

彼女は、人が苦しめば同じ分だけ苦しむ優しい娘。

そんな彼女が思いを寄せている一護の苦しむ姿を見せ続けたら、ショックでそれこそ一護よりも彼女のほうがいつ倒れるかわからない。

だからこそ、夜一は強く彼女に言い放ったのだ。


「すまぬ・・・井上・・・」


夜一は、静かに呟いた。



.







ザアァァァ―――・・・

雨に打たれ続けて、普通なら体調を崩すと思われるが、全くそんな気配はない。


「・・・」


日番谷はそっと眼を伏せると、しばらく立ちつくす。

眼を伏せたまま、まるで自分から雨に打たれるように顔を上げる。

傍から見れば、泣いているようにも見える。


「・・・!」


ギリッと日番谷は下唇を噛みしめる。

負の感情がいろいろ交わって拳に力が入る。

しばらくそうしていると、ふと遠い場所に気配を感じた。


(誰だ・・・?)


日番谷は、首を傾げながら振り返る。

しかし、そこには誰も居ない。


「・・・?」


眉を顰めてジッとその方向を見つめる。

すると突然、ノイズのような人影が見えた。


(な、何だ・・・!?)


日番谷は戸惑い、眼を見開く。

しかし、そのノイズは一瞬で消え去った。

しばらく見つめていたが、もう何も起こらなかった。


(何だ、今のは・・・?)


日番谷は眉根を寄せて怪訝そうにするが、不思議と敵意は感じなかった。

それどころか――




(誰だ・・・?)


自分の信頼する仲間のような感じがした。

日番谷はその人物が誰か、その感覚を思い出す様に胸に手を当てるが、思い出すことが出来ない。

あの一瞬では、あの人物が誰かわからない。

日番谷はため息を吐いた。

何故仲間の気配がしたのか。

そしてそれは何故消えたのか。

わからない。

記憶がおかしくなっているのではない。

これは、まるで――


(死神としての、能力が欠けてきている・・・?)


日番谷はハッと思い立ったように顔を上げて、震える手を持ち上げる。

ジッと掌を見つめる日番谷の眼は、次第に見開かれていく。


「こ、これは・・・!」


顔が次第に引きつっているのに気付いていた。
しかし、気付いたことの衝撃が大きすぎて、冷静になることが出来ない。

日番谷は膝から崩れ落ちるように、地面に両手をついた。

ザアァァァ―――・・・

背中に冷たい雨が降り注ぐ。

それは、先程まで温かく感じていたのに、今ではとても冷たく感じる。

絶望とこの冷たい雨の所為で体が震える。


「はぁっ・・・!はぁっ・・・!」


振るえる両手で体を包み込むように押さえる。

そうでもしないと、心身ともに崩れてしまような気がした。




絶望が、ここまで人を追い詰めるとは思わなかった。

甘く考えすぎていたのかもしれない。

万が一にも、仲間が助けに来れないような場所にいるとして、それでも自力で抜け出す方法があると思っていた。

でも――・・・


(霊力が、全く戻っていない・・・!?)


ここに来てから、ずいぶん時間がだった。

霊子で出来ている尸魂界に居れば、何もしなくても霊力は次第に元に戻っていく。

この場所も、ある程度は霊子が含まれていると思っていたが、この世界には全く霊子が無いらしい。

起きてから一度、感じた自分の霊圧から全く霊圧が上がっていないのがその証拠だった。

霊力、斬魄刀のない自分など、ただの無力な魂魄にしか過ぎない。

そんな現実に絶望したのだ。


(ど、どうすれば・・・!)


らしくないと思う。

ここまで取り乱すなど。

体がここまで震えるなど、情けなさすぎる。

隊長である自分がこんな状態でどうする。

それでも、体が言うことを聞かない。


「っ・・・――!」


――震えが止まらない。




.









「・・・」


水の壁に隠れるように立っていた輛冰は、ジッと日番谷の様子を見つめていた。

水の空間から出たからといって、この世界から逃げることはできない。
だからこそ、日番谷を外に出しても構わないと思った。

しかし、それは彼に絶望しか与えられなかった。

関係ない。

彼がどうなろうと、自分には関係ないと、昔の自分ならそう思っただろう。

復讐に身を染めた自分なら。

でも、今はどうだ。

彼が苦しみ、震える姿を見てとても心が痛い。

なんだこの感情は。


(わけがわからない。苛立ちが募る・・・)


初めての感情に戸惑う輛冰。

無意識のうちに、拳を強く握りしめていた。






ザアァァァ―――・・・


(静かだ・・・)


澪尓は厚い雲で覆われた空を仰いで、悲しそうに目を細める。

昔はこんなに雨を冷たく感じたことがあっただろうか。

何時、何が変わってしまったのだろうか。

今更こんなことを思うのもどうかと思うが、この空間に居るたび、そんな思いが過ぎってしまう。

死神を捨てた時から、人間としての感情など捨てたつもりだった。
元々、自分の虚との対話能力の所為で普通の魂魄と扱っては貰えなかったが。




(くだらない・・・)


澪尓はため息を吐くと、視界の隅に見える輛冰に視線を移す。

何かに苛立っているようにも見えるが、その反面、辛い表情をしているようにも見える。

輛冰とは随分長い間共に戦ってきた。
だから、いくら彼が無表情であろうとも、その心を読みとることなど容易いことだ。

しかし、最近の彼の態度には若干おかしな部分がある。

彼らしくない、そんな様子。

何が彼を変えたかなど、一目瞭然だ。

――日番谷冬獅郎。

あの死神をここに連れてきてから、輛冰の様子はおかしくなった。
だからと言って、今更あの死神を殺すなどという愚かな行動には出ない。

自分の行動は、全て輛冰が支配している。

勝手な真似は許されない。

澪尓はゆっくりと、遠い場所から輛冰を見つめる脉媛に目を向けた。


(何もなければいいんだがな・・・)


輛冰を見つめる脉媛の眼は、悲しく虚ろがかっている。
逆に日番谷を見つめる眼は、怒りと殺意で満ち溢れていた。

澪尓はため息を吐くと、脉媛に歩み寄った。

こちらに歩み寄ってくる足音に気付いた脉媛はハッと顔を上げてこちらを見つめる。


「澪尓・・・」

「わかっているな?俺が言いたいことが」


澪尓がそう言うと、顔をしかめながら「わかってるわよ・・・」と小さな声で呟く。

澪尓は「わかっているならいい」と一言言うと、直にその場を立ち去る。

背中で相変わらずの殺気を放っている脉媛に、澪尓は呆れてため息を吐いた。


(あれはわかってはいないな・・・)


女というのは面倒くさい、と思いながらチラリと視界に入った氷渮に目を向けた。




「・・・」


氷渮は無表情で水の壁に寄りかかり、腕を組みながら日番谷、輛冰、そして脉媛の様子を見つめていた。

氷渮と仲間になってからも、彼女についてわからないことが多すぎる。

死神を捨てた自分達にとって氷渮が一番『死神を捨てた』と言えるのだろうが、それにしても表情がなさすぎる。

まるで、心までも死んでしまっているかのように。

そう考えていると、こちらに気付いた氷渮が振り返った。


「・・・何か用?」

「・・・」


冷たく感じるその無表情で、氷渮は澪尓に聞く。

澪尓は険しい表情で氷渮をジッと見つめた後、「いや、何でもない・・・」と答えて氷渮に背を向けた。


「・・・」


その氷のように動かなくなった表情で、氷渮はその背中を見つめた後、静かに首を戻した。


(これだから、女は嫌なんだ・・・)


澪尓は一人、誰にも気付かれないようため息を吐いた。








「――・・・」


もう何時間経ったのだろうか。

そんな気分だ。

実際は数分しか経っていないのだろうが、この世界では一分が一時間に感じてしまう。

こんな調子で、これから先大丈夫だろうか。

他人事のように思う。

そこまで追い詰められているなど、日番谷は気付くことが出来なかった。





「そろそろ戻れ、死神」


後ろから足音も立てずにやってきた輛冰は、蹲っている日番谷の背に声をかける。

しかし、日番谷は何の反応も見せない。

輛冰はため息を吐くと、左腕を掴んで無理やり立たせる。


「戻るぞ」

「・・・」


俯いたまま、歩き出そうともしない日番谷にため息を吐くと、日番谷の目の前に掌を翳す。


「ッ・・・」


睡魔に襲われた日番谷は、ゆっくりと目を閉じて輛冰に体を預ける形になる。


(こうでもしないと、な・・・)


輛冰は、理由もわからぬまま心を痛めて、日番谷を両腕で抱きかかえる。
そのまま水の空間へと歩みを進める。


「輛冰!」

「・・・?」


後ろから呼び止められ、顔だけ振り返ると脉媛が悲しそうな表情をして自分を見つめていた。

輛冰は無表情で「どうした?」と聞く。


「いや・・・その・・・!」


口篭らせる脉媛に、輛冰は鋭い眼でジッと一瞥してから「用がないなら行くぞ」と歩みを進める。

脉媛はハッとして輛冰に手を伸ばしかける。


「あ!待って、輛冰!!」

「・・・」


今度は振り返ることのない輛冰の背中に、ポツポツと言葉を発していく脉媛。


「もう・・・いいんじゃない?」

「・・・何がだ?」

「もう力で世界をぶっ壊しちゃえばいいじゃん!!こんな面倒なこと、いつまでも続けて何の意味があるの!?」




「今の護廷十三隊は一人の隊長も居なくなることは惜しい。そして今は仮とはいえ隊長たちは使い物にならない状態。その隊長達が目覚めたとしても、一隊は機能しないも同然」

「でも・・・、私達を理不尽に苦しめてきた死神と一緒にいるなんて、もう耐えられないよ!!」


そう何百年ぶりに出した大声に、自分でも驚きながら輛冰に訴える。

しかし、輛冰は何も言わずに再び歩き出してしまう。


「輛・・・!」

「貴様は先程から何を言っている」

「え・・・?」


そのあまりにも冷たい声調に、脉媛は思わず追いかけようとした足を止める。

振り返った輛冰の眼は、今まで見たことがないほど冷たい眼をしていた。


「――っ!!」

「この計画は皆の合意を得て決めたものだ。今更口出しをするなど許しはしないぞ」


そう突き放す様に言って、輛冰は足音も立てずに脉媛から離れていく。

脉媛は、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。

雨が、冷たい。

頬に、温かいものが伝わる。

でもそれは、直に冷めていって地面に雨と共に吸い込まれていく。


「うッ・・・!ッ・・・うぅ・・・!」


嗚咽を繰り返して脉媛は両手で両目を押さえる。
それでも、眼から溢れ出てくるものは止まることを知らない。

脉媛の脳裏に、過去の映像が蘇る。




.








『私たちは何もしてません!!』


暗い一室に響く、自分の声。


『何をしたかという問題ではない。これから危険となりうる可能性を持っているかどうかだ』


それを突き放す様に、並べられていく言葉。


『それは理不尽すぎます!!我々は貴方達死神に、忠誠を誓ってここまでやってきたんです!!』


隣に居る輛冰の声が鼓膜を振るわせる。


『お願いします!!俺たちは死神になりたいんです!!』


輛冰とは反対の隣に居る澪尓の声が、見上げる先の顔の見えない者に訴える。

しかし、帰ってきたのはたったの一言。


『連れていけ』


その言葉と同時に、数人の黒装束を纏った人が自分達を囲み、両腕を捕えて無理やり引っ張る。


『待って・・・ッ!!そんなの酷すぎます!!私たちは・・・!!』


必死に言葉を紡ぐ自分。しかし、そんな声など聞こえていないかのように、自分達を見下ろす眼。

殺してやりたいと思った。

何をしてでも、その眼を抉り取って、地に這いつくばったあいつらを見下ろしてやりたいと思った。

自分達を連れていこうとする、この死神も。

全てが憎らしい。


『話を聞いて!!私たちは――』


バタン

大きな音を立てて、扉が閉まる。

そのあとに訪れたのは――静寂。



.







ザアァァァ―――・・・


我に返って聞こえてきたのは、この世界に振り続ける大好きな雨の音。

でも、今では大好きなその音でさえ辛く、苦しい。

眼を閉じれば、いつでも蒼い髪と広い背中が見えた。

何百年前からずっとずっと愛し続けてきた、その人の背中。

でも今は、何にも出てこない。

あるのは暗闇。

その中に、あの人はいない。


『輛冰・・・?』


何処に居るの?

いつもこの世界(なか)には貴方がいたのに。

何処へ行ってしまったの?

すると、不意に一筋の光が見える。
その中には、探し求めた愛しい背中。


『輛冰!』


脉媛は嬉しそうに駆け寄ろうとするが、いくら走っても距離が縮むことはない。
寧ろだんだん離れていっているような・・・


『輛冰!?待ってよ!!置いて行かないで!!』

『・・・』


脉媛の声がその世界に響く。

輛冰は足を止め、ゆっくりと振り返った。


『輛・・・!――ッ!?』


振り返った輛冰の眼は、先程と同じ冷たい眼をしていた。


『輛――』

『来るな。貴様はもう、仲間ではない』

『――!!』


脉媛の眼は見開かれ、その瞳は悲しげに揺れる。

輛冰はゆっくりと脉媛に背を向けた。

脉媛は慌てて立ち上がる。





『ま、待って!!待ってよ、輛冰!!』


追いかけても、手を伸ばしても、声を張り上げても、その背中に届くことはない。

遠くなる。

あんなに近くに居たのに。

あんなにずっと一緒に居たのに。

離れていく。


『いや・・・!嫌よ、輛冰・・・!!』


光の隙間に、輛冰が入っていく。

それと同時に、その世界から徐々に光が無くなっていく。

隙間が閉じていく。


『あたしも入れて!!輛冰!!』


輛冰は振り向くことはない。

光の隙間が閉じる寸前、輛冰の傍に更に光り輝くものが見えた。


(誰・・・!?)


輛冰の隣にいるのは、誰?

一瞬見えたのは――銀髪?







「ハッ――!?」


脉媛は我に返って顔を上げた。

しばらく呆然としていたもの、悲しそうに眼を細めて右手を額にあててため息を吐く。


(もう、こんな能力要らない・・・)


心の中に入るなんて、気持ちが悪い。

もう、誰の心にも入りたくない。

自分の心にも。

どうすればこの苦しみから逃れることが出来るのだろうか?

どうすれば・・・





(そう言えば、輛冰と一緒に居た時は・・・こんな能力持ってても、なんとも思わなかったな・・・)


輛冰がまた近くに来てくれれば、この苦しみから逃れることが出来るのだろうか?

でも、どうすれば・・・


(銀髪・・・)


今、輛冰の近くにいる銀髪は――

輛冰の腕の中で気を失っていた少年の髪は――

――あの、死神か・・・


(そうよ、簡単なことじゃない・・・)


全てを壊して、全てを無にしてしまえばいい。

輛冰と自分以外、何もいらない。

世界が無くなったって構わない。

尸魂界も、現世も、断界も――

――全て無くなってしまえばいい。


(死神は・・・いつも私の幸せを奪って行く・・・)


あの時は未来を。

今度は希望を。

許さない。


(絶対に、許さない・・・!)


これは、復讐だ。

四人で立てた計画など、今はもうどうでもいい。

全て自分の手で滅ぼしてやる。

全て自分の手で無にしてやる。

誰が何と言おうと、壊してやる。

人の魂なんて、いらない。




.




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イイネ!