空を翔る鳥の想い
瀞霊廷。十番隊執務室。
十番隊隊長・日番谷冬獅郎は、ソファで寝ている自隊の副官・松本乱菊に目もくれず、自身の机に山のように積み重なっている書類を、次々と減らしていた。その眉間の皺は、いつもの三倍深くなっていた。
(たく…なんで俺のところにだけこんなに仕事が多いんだよ!!)
そう。他隊は一日の平均の書類数が、十番隊の3分の一ほどなのだ。何故日番谷の所にだけ多いかというと、なんでも「十番隊は仕事捌きが速いから、手伝ってもらおう」という他隊の考えが一致しているためである。
更に日番谷の幼馴染・雛森桃は療養中のため、五番隊。
浮竹はしょっちゅう病に寝込んでいるため、十三番隊。
隣は東仙が裏切って隊長不在のため、九番隊。
そして反対隣の隊長・副隊長は仕事をしないため、その分が十番隊にまわってくる、十一番隊。
とまぁ、計四隊分の書類が十番隊にまわってくる。五番隊・十三番隊・九番隊は日番谷が進んで取り込んでいることだが、十一番隊は斑目が「日番谷隊長!!お願いします!!」と土下座までして頼み込んでくるので、仕方なく…
更には副隊長の乱菊がサボった分含めて、他隊の三倍にもなってしまった。平均。
日番谷はそこまで考えると、はぁ、とため息をつき、筆を置いた。
「松本!!起きろ!!」
ソファでそれはそれは気持ち良さそうに眠っている副官の顔を見て、苛立ちが増し、怒鳴りつける。それでも乱菊は起きない。「蹴りでも食らわしてやろうか」と本気で思った日番谷だった。
隊主机の方からくる黒い、暑いオーラに気付きもせず、おまけに「もう飲めましぇん…」とまで寝言で言っている乱菊を無表情で見つめた日番谷は、机の上に置いてある文鎮を手にし、ソファの方へ投げる。ゴンッと『いかにも当たりました』という音が聞こえてきたあと、声にならない悲鳴を上げて、乱菊がガバッと起きる。
「たいちょう!!ひどいですよ!!文鎮は!!(涙)」
涙目になっている乱菊の額には、くっきりと『文鎮の角が当たりました』という証拠が残っていた。
「うるせぇ!!勤務時間だってのに、起きねぇお前が悪ぃんだろうが!!」
「だからって文鎮はないでしょう!!跡が残っちゃったらどうするんですか!!」
「角が当たって、血も出てないお前なら跡ぐらい消えるだろ!!」
「うッ!!」
乱菊はそう唸ると、ソファにドタッと倒れ伏した。
それを数秒見た日番谷は、倒れ伏している乱菊に、またもや文鎮を投げようと構える。
その気配を感じ取って、乱菊は再びガバッと起きる。
「ちょっと!!やめてくださいって!!」
「倒れ伏したように見せかけて、また寝ようとしている奴には丁度いいだろ」
「わかりました!!やりますって!!」
そう言うと、瞬歩を使って自身の机に戻り、「たいちょうのいじわる~(泣)」とブツブツ言いながら仕事をやり始める。
その様子を殺気を送ってしばらく見た後、日番谷も仕事を再開しようと筆を手に取ろうとしたが、
(―――?)
不意に何か嫌な予感がして、筆を持とうとしていた手を止める。もうやる気がなくなったのか、鼻の下に筆を銜えている乱菊が、日番谷の様子にいち早く気づく。
「隊長?どうしました?」
日番谷は「…なんでもない」とだけ答えて席を立つ。そして、執務室にある窓を開けて、視線をその窓から見える潤林安へ移した。
いつもと変わらないその姿は、その日に限って何か起こるような予感がした。
ドォォオオオン!!!
「「―――!!」」
突然、どこかが爆発したような音が、瀞霊廷中に響き渡る。
“緊急特例。緊急特例。白道門から原因不明の爆発が発生しました。近くにいる隊士は現場の確認を。隊長、副隊長各位は隊士の収集をしてください。繰り返します…”
警報と共に、隊士たちが動く気配がする。それは突然起きた、旅禍の仕業なのか虚の仕業なのかわからない、原因不明の爆発だった。窓から爆発する様を見た日番谷でさえ、何故爆発したのか分からないでいた。爆発した白道門は跡形もなく吹き飛んでいて、近くにいる兕丹坊は、呆然と見ている始末だった。
「隊長!」
いつの間に後ろに居たのか、仕事をサボっていた乱菊が声をかける。
「松本、隊士の収集を頼む!」
「はい!」
そう言うと、命令どおり隊士の収集をするため、乱菊は執務室から出て行った。
日番谷は窓に背を向けたまま、自分も乱菊の跡を追おうと氷輪丸に手をかけようとした。
暗転。
日番谷は自分に何が起こったのかもわからず、気を失った。
***
白道門周辺。
「なんだよ…これ…!」
そう唖然と呟いたのは、死神代行・黒崎一護。彼は皆の顔を見に、久しぶりに尸魂界に来たら、この有様だった。
「おぉ、一護でねぇか!」
「兕丹坊!どういうことだよ、これは?」
近くに居た兕丹坊が一護に気づき声をかける。一護は声をかけてきた兕丹坊を振り向きもせず、ただ目を見開いて現場を見ながら訊いた。
「さぁ、俺にもわからねぇど。いきなり門が吹き飛んじまった」
「いきなり、な…―――っ!?」
一護は視界に突然入ってきた者を見ると同時に、その人物のほうへ瞬歩で向かう。
「なにしてんだてめぇ!!」
「一護!?」
兕丹坊が驚いて声をかけるが、一護は聞こえてなかったらしく、返事をすることもなくその人物の行く手を遮った。
「てめぇ!なにしてやがる!!冬獅郎をどこに連れて行くつもりだ!!」
そう。目の前にいる人物は、気を失った日番谷を横抱きにして、殺気石で出来ている瀞霊門の壁から通り抜けてきたのだ。
その人物は、一護とたいして身長は変わらないが、顔つきは大人びていて、現世でいう二十代前半あたりの青年だった。青年の一護を見る表情はまるで感情が無い、人形のようだ。
一護が黙ってその青年をジッと見ていると、青年は急に眉間に皴を寄せて、一護を睨む。
「邪魔だ」
そう青年が言うと、一護の体は後方へ思い切り飛ばされた。一護は自分の体に何が起こったのかわからず、そのまま流魂街の民家に衝突した。
「―――…っ!」
一護が自分の上に乗っかっている瓦礫をどけて青年のほうを見ると、青年の顔は怒りに満ち溢れていた。
「冬獅郎をどこに連れて行くか、だと?連れて行ったのはお前たちのほうだろ!冬獅郎は僕の家族だ。僕のたった一人の家族なんだよ!もう死神じゃない。お前たちの仲間でもない。これ以上冬獅郎に関わるな!!」
「なっ…!!」
そう言うと、青年は日番谷を抱えたまま瞬歩に似た速さで姿を消した。
***
流魂街一地区・潤林安の外れ。
一護を振り切った青年は、抱えていた日番谷をあらかじめ用意していた布団にそっと寝かせ、自分はその隣に座る。日番谷の顔を覗くと、気持ち良さそうに眠っていた。青年は安堵してホッと息を吐いたが、急に表情を暗くさせ俯く。
「ごめん、冬獅郎…こんな方法でしか、僕らは会えないと思って…」
青年は顔を上げて、少し躊躇ったあと、左手で日番谷の頬を擦る。
大事に、優しく、愛しそうに、日番谷の頬をしばらく撫でていた。
「ん…」
少し擽ったそうにして、日番谷が身をよじる。それに青年はハッとして手を放す。だが、青年の使った術が切れたのか、日番谷が目を開ける。青年は先ほどの表情はどこへいったのか、目がうるうると潤み始めた。日番谷と再開できるうれしさで。
「…?」
日番谷は眠気を覚ますように、瞬きを繰り返す。その様子を見た青年は、バッと日番谷の顔を覗くように身を乗り出す。日番谷はそれに驚いて、眠気など吹っ飛び、目を見開いた。
「冬獅郎!!」
「ぇ…?」
突然現れた見知らぬ青年と、自分の名を呼ばれたことから、日番谷は無意識に呟く。
そんな日番谷にお構いなしに、青年は日番谷の両手を自身の両手で包みこみ、顔を一気に近づける。
「久しぶり!!元気だった!?僕ずっと冬獅郎に会いたかったんだ!!」
「…おい!ちょっと待て!!何のことか知らないが、まずお前は誰なんだ?」
一方的に喋る青年の勢いに、日番谷は少し引きながらも先ほどから気になっていたことを問う。日番谷のその言葉を聞いた青年は、先ほどの勢いはなんだったのかと思うほど、おとなしくなった。
日番谷はその急激な変化に驚き、体を起こして青年の肩に手を置く。
「おい?どうした?」
「…ごめん。冬獅郎の前から姿を消して五十年、僕は冬獅郎のことを一日も忘れたことは無かった。でも、冬獅郎にとってはいきなり消えた僕のことなんて、覚えているはずが無いよね…」
そう言う青年は、ひどく辛そうで悲しそうなため、日番谷はこの青年のことを覚えていないことに罪悪感がうまれる。
「すまない…」
「―――っ!!別に冬獅郎のせいじゃない!!それに、今こうして会えたことが、僕すっごくうれしいんだ!!それに、冬獅郎も僕のこと、すぐに思い出すよ!!」
完全にこの青年のことを忘れている自分に、どっからその自信は来るのだろう?と日番谷は思った。
「どういうことだ?」
そう訊くと青年は、テストで百点をとって親に自慢する子供のような顔をした。
「へへっ!絶対冬獅郎は僕のこと忘れていると思って、どうすれば思い出すか考えてたんだ!そしたら、あったんだよ。僕と冬獅郎を繋ぐ絆が」
「絆…?」
「そう!今から言うこと、しっかりと思い出してね!」
そう言うと、青年は上を向いて想像しながら語りだした。
あるところに、街の子供にいじめられている男の子が居ました。その男の子には身寄りが無く、街々を転々と歩いていました。でも、その男の子は体力的に限界で、今にも死にそうでした。
そこへ、自分より少し年上の男の子が、その男の子をいじめていた子供たちを追い払って、その男の子を助けてくれました。助けてくれた彼は、眩しすぎるほど綺麗な銀色の髪を靡かせ、その男の子を自宅へと連れ帰り、ご飯も風呂も寝床も与えてくれました。そのおかげでその男の子は無事助かり、元気になりました。
しばらくして、彼がその男の子に名前をつけたいと言ってきました。その男の子は、助けてくれた彼の言うことを絶対に拒否するはずがなく、「付けて!」と逆にお願いしました。しかし彼は、人に名前を付けることは初めてで、その男の子のために二週間ほど考え続けていました。
そしてある日、なんとなく男の子が「僕は鳥になって空を飛びたい!」と言ったことから、彼は何かを思いついたように、その男の子に向かって言いました。
そこで止めて青年は日番谷を見る。日番谷は青年のことを思い出したのか、目を大きく見開き、驚きで表情が固まっている。そして、唇が小さく動き始めた。
「空を飛びたいんだろ?名前はだいたい『そうあってほしい』という親の想いから付けるものだと聞いた。だからお前の名前は…」
日番谷はそこで切り、呆然と呟くように言う。
「天飛(アマト)…!」
日番谷がそう言った瞬間に、青年―――天飛は日番谷に抱きついた。日番谷も天飛を離さないように、自分の元から再び居なくならないように、強く抱き返した。
「よかった…!これでも思い出してくれなかったら、どうしようかと思ってた…!」
「バカヤロ…!俺がお前を、忘れるわけがねぇだろ…!たとえ先程のように忘れかけてしまったとしても、俺はお前を必ず思い出す…!!」
日番谷はそう、自分に誓った。雨の日に居なくなってしまった、自分より小さな少年の背中と、今自分が回している背中が重なる。
日番谷は思った。
―――本当に、天飛だ…!!
二人はしばらく抱き合っていた。会えなかった空白の時間を埋めるように…
しばらくして、天飛から名残惜しそうに日番谷から体を放す。そして、涙ぐみながらニコッと笑う。
「冬獅郎…僕たちこれからずっと一緒だよね?」
日番谷はその言葉にハッとなる。そして一泊置いて言う。
「…それは、できない」
日番谷のその言葉を聞いた途端、天飛は絶望したかのような表情になり、ガシッと日番谷の両肩を掴む。
「っ!?」
「なんで!?やっと戻ってきたのに!!やっと冬獅郎と会えたのに!!どうして一緒に居ちゃいけないの!!冬獅郎は僕のこと嫌いになった!?突然姿を消した僕のことずっと怒ってるの!?」
「違う!!お前のことは弟のように好きだし、一緒に居たいとも思ってる!!だが、俺は死神で護廷十三隊の隊長だ!!休みの日には必ず会いに来るから!!だから…「嫌だ!!!」
日番谷の言葉を遮り、再び日番谷を抱きしめる。先ほどより強く。自分のものであるかのように。
「僕、冬獅郎に会えなくてずっとずっと寂しかったんだ!!勝手に離れて言ったのは僕のほうだってことは分かってる!!でも、冬獅郎とずっと一緒に居たかったから!!弱い僕なんて絶対冬獅郎に捨てられると思ったから!!だから、流魂街を一周してやっと潤林安に戻ってきたら、やっぱり冬獅郎は居なかった!!僕のことなんて、もう嫌いなんでしょ!?だから一緒に居たくないんでしょ!?」
「天飛…」
日番谷は天飛の叫びを聞いて、顔を悲しみに歪めた。
天飛が居なくなった日から、一ヶ月ほど彼を探し回った。関わりたくなかった他の人に聞いたりもして。しかし、彼は見つからなかった。
自分より年下で、初めて懐いてくれた彼。自分の中で、雛森、婆ちゃんと同じくらい大切だった。だから、嫌われたかと思った。自分のところにはもう居たくないのだと、そう思った。
だから忘れることにした。自分が思っていたほど、自分に人は寄り付かないと確信したから。でも、彼が今でも自分のことを思っていてくれたことが、とてもうれしかった。しかし…
「お前のことは好きだと言っただろ。でも、駄目なんだ。隊長になってしまった限り、俺が護廷を離れることは出来ない。今日も瀞霊廷の門が破壊された。そのことで隊主会が開かれているかもしれない。悪いがもう行かねぇと…」
そう言って、強く抱きしめている天飛の腕から抜け出し、瀞霊廷に向かうため立とうとする。だが、急に目眩がして倒れそうになる。
「冬獅郎!!?」
それを慌てて天飛が支える。日番谷は自分の体に何が起こったのかわからず、キョトンとしている。
「ほら!そんな体でいっても、皆の足手まといになるだけだよ!」
そう言いながら、日番谷の体を布団に寝かす。
「僕、薬とか無いか探してくるから、冬獅郎は寝ててよ?」
そう言うと、天飛は一護から逃げたときのような速さで、その家から出て行った。
日番谷は天飛が居なくなると同時に睡魔に襲われ、そのまま眠ってしまった。
日番谷を置いてきた小屋から100m程離れた場所。天飛は其処にたたずんでいた。その表情は日番谷の前では見せたことのない、険しい表情だった。
「…やっぱりまだ、冬獅郎は死神のことを気にしている。もう死神とは関わらせたくないのに…。死神の…しかも隊長なんてなってたら、冬獅郎がいつ死んじゃうかわからない。これからは僕が冬獅郎を護らなくちゃ…」
そう呟くと、瀞霊廷の方へ向かった。
***
「いっ…てぇ…!」
一護は瓦礫の中から身を起こす。途中、鋭く尖っている瓦礫が体のあちこちにあたり、傷をつくっていく。やっとの思いで瓦礫の中から出てきた一護は、軽く伸びをする。
「たくっ!なんなんだ、あいつは?冬獅郎の家族だとか何とか言ってたけど、冬獅郎から聞いたときには、婆ちゃんと雛森の二人だけって言っていたような…?」
そう言いながら、体のあちこちについている細かい瓦礫を払う。ある程度払ったところで、凛とした表情になる。
「とにかく、このことを皆に報告しないと…」
そして一護は、瞬歩で瀞霊廷へ向かった。