tearless BABY
名前変更
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「葵ちゃん、お疲れ様」
「加代子さん!お疲れ様です」
「そのコート、良いわね」
店長の奥さんに褒められ、買ったばかりのコートを広げて見せる。
「えへへ、今日ここ来る前に買っちゃいました!」
「素敵素敵」
しばらくは日払いで、という約束でもらっていたお給料を実は2週間分結構貯めていたもので、安物だけど暖かくて可愛いコートを買うことができたのだ。
「あの、加代子さん、実はもう一つお願いがありまして……」
「なぁに?」
「その、携帯をですね、契約したいんです。店長にも後でお話するつもりなんですけど、ちょっとだけお給料前借りさせてほしいのと、契約をですね……その、」
厚かましいお願いをもしょもしょ言っていると、加代子さんは背中をばん!と叩いて笑った。
「なぁによ、そんなこと!良いわよ。あの人にも私から言っておくから。明日の朝にでも一緒にお店行きましょう」
「ありがとうございます!!」
正直、店長も加代子さんもどうしてここまで良くしてくれるのか全く分からない。それでも、今の私にとってこの二人が大いなる助けであることには違いないのだ。甘えられるうちは甘えておこう。
……その代わり一生懸命働こう。
「でも良かったわ、葵ちゃんにも携帯でお喋りする友達ができて」
「あ、はい。おかげさまで」
「あの二人、面倒見いいでしょう?」
あの二人、とはドラケンくんと三ツ谷くんのことだろう。
「ですね。喧嘩とかバイクとか悪いことばっかりしてるみたいですけど」
「そうなのよ!葵ちゃんも見かけたら叱ってやってね。あの子たち女の子には弱いから」
「はぁい」
くすくすと笑い合いながらバックヤードを出た。
次の日、約束通り加代子さんと朝から携帯ショップに行って、型落ちの安い携帯を手に入れることができた。生まれて初めて触るガラケーに四苦八苦する私を、加代子さんはニコニコしながら見守ってくれる。
バイトまで一緒に勉強しましょうって言ってくれたのだけど、そのすぐ後に店長から加代子さんに呼び出しがかかってしまい、一度解散することになった。
「どっかカフェかマックにでも入って練習しようかな……あ、テトリス入ってる」
ポチポチと重たいボタンを押しながら歩いていると、ふと見慣れた特攻服を見つけた。
「東卍だ」
名前も顔も知らない人だけど、特攻服には確かに東京卍會の刺繍。
何人かで連れ立って歩いているものだから目立つ。
「集会かな、まだ昼前だけど……」
もし集会だったらドラケンくんや三ツ谷くんもいるはずだ。折角、携帯を手に入れたんだから連絡先を交換してもらおう。
そう思って、彼らの後を追いかけた。
そして追いかけたことをすぐに後悔することになる。
たどり着いたのはガラクタだらけの空き地。
東卍の集会だと思っていたが、どうやら違うようであの黒い特攻服以外の人がいっぱいいた。
「あ、武道さん」
一応見知った顔もあるが、声をかける雰囲気じゃない。神妙な顔で隣に立つ傷だらけの男の子と話している。
物陰に息をひそめてあたりを見回した。怖そうな人がいっぱい。……なんであの人めっちゃご飯食べてんだろう。
怖い人、怖い人、変な髪形の人、怖い人……
遠目から見れるだけの人を観察していると、バチリと視線が合ってしまった。
「やば、」
山積みになった廃車に座る二人組。その片方がこちらをじっと見ている。
おさげだ。真ん中だけ金髪のおさげ……女の人かと思ったけど男の人だ。おさげだけど。
頭の中で変な髪形の人に分類して、視線を逸らそうとする。しかし、向こうがあまりにもじっと見て来るので怖くて逸らせない。
ふと、その視線にデジャヴを感じた。
「蘭ちゃん……?」
目を細めて髪型補正をかける。あ、無理。あまりにも髪型が印象的すぎて補正できない。こう、指で隠して……。
試行錯誤しながら、男の人を見ていると動きが大きくなってしまっていたのだろう。武道くんに気づかれてしまった。
「ちょっとちょっと葵さん!?」
「バレましたか」
「バレるよ!何してんのこんなとこで!?」
走って近寄ってきた武道さんを折って、さっきまで彼と話していた男の子も寄ってくる。
「この人、こないだの集会んときにタケミっちの胸倉掴んだ女じゃん」
左目に張るタイプの眼帯をした男の子は無遠慮に私を見下ろす。
「東卍の人見かけたからみんないるかな~と思ってついてきてしまった次第です」
「もぉぉぉぉ!」
がしがしと頭を掻きむしる武道さんの肩を眼帯くんが叩く。
「おい、タケミっち……見られてんぞ」
「へ?見られてるって?」
「あそこ。灰谷兄弟だ」
どくん、と心臓が脈打つ。
武道くんがハッとして、私に視線を戻した。
「葵さん、早まらないで」
「やっぱり、蘭ちゃんだ」
「あ?何あんた、灰谷兄弟と知り合い?」
分かってる。今の蘭ちゃんは私のことなんて知らない。
だから彼の質問には首を横に振った。
その様子にホッとしたのか武道くんは眼帯くんに視線を戻す。
「千冬、ごめん。ちょっと葵さんを安全なとこまで送ってくる」
「おーそうしろ。女がいたら邪魔になるからな」
「行こう、葵さん」
そう言って歩き出す武道さんの後に黙って従った。背中にちくちくと視線を感じながら。
「今日、何かあるの?」
「うん……血のハロウィンっていう抗争」
「物騒」
「だよね」
大通りまで送ると言ってもらい、二人並んで歩く。
「大事な抗争?」
「大事だよ。未来を変えるために」
武道さんが言うには、この抗争で場地さんというマイキー君の幼馴染が殺され、その殺した犯人をマイキー君が殺してしまうらしい。それを防がないと、未来は変わらないんだそうだ。
「武道さん、ここでいいよ」
「え、でも」
「大事なんでしょう。だったら戻らないと。すぐそこ曲がったら大通りだから大丈夫。走る」
「……気を付けて帰ってね!」
「はぁい」
踵を返して走る武道さんを見送って、私も大通りまで走ろうと振り返った。
「あ」
「こんにちは」
「こん、にちは」
目の前に男の人が立っていた。
ツートンカラーの三つ編み。ポケットに手を突っ込んで私を見下ろすのは、この世界の蘭ちゃん。
「どこ行くの?」
「か、えるの」
「ふーん。家どこ?」
その質問にふるふると首を振る。
蘭ちゃんは一度懐に入れた相手には優しいけど、そうじゃない人には残忍すぎる。女だろうと子どもだろうとそれは変わらない。
刺激しないようにしないと。
「迷子?」
「ち、がう、けど」
歯切れの悪い私に蘭ちゃんの目が細められる。
「一人で帰れるから。大丈夫、です」
「……名前は?」
あ、引き下がらないんだ。
半ば想像通りの反応に、恐怖とほんのちょっとの嬉しさが浮かぶ。
「飯塚 葵」
「葵ちゃんね」
俺はね、蘭ちゃんでいーぞ。
忘れもしないその言葉にあやうく目の前が潤みそうになった。
ぐ、と堪えて唇を引き結ぶと何を勘違いしたのか蘭ちゃんがニコニコしながら頭を撫でてくる。
「泣くなー」
「泣いてないです」
「そっかぁ」
何が何だか分からないけど、どうやら蘭ちゃんは今ご機嫌らしい。身の危険はひとまずなさそうなので、緊張をほどいた。
「んで、お前あそこで何してた?」
「えっと、人間観察?」
「東卍の女?」
「違います。お友達はいるけど」
「誰?」
「えっと、」
蘭ちゃんは私の頭に手を置いたまま、あれこれと質問責めにしてきた。なんだかその手が、いつでも頭蓋骨握りつぶすぞっていう圧に感じて、一つ一つ正直に答える。
そうしているうちにふと疑問が浮かんできた。
「あの、蘭ちゃんは何してたの?」
「んー?」
私から質問が返ってくるとは思っていなかったのか不思議そうな顔をする蘭ちゃん。
でもすぐに口の端をあげて答えてくれた。
「東卍と芭流覇羅の喧嘩、見に来てたんだよ」
「面白いから?」
「んーん。面白いかどうかはどっちが勝つかで変わるな」
「……蘭ちゃんはどっちが勝ってほしいの?」
今度は私が質問攻めにする番。
「そうだなぁ」
「私は、抗争をやめてほしい」
もし武道さんが未来を変えちゃったら、未来の私は蘭ちゃんとは会えないのかもしれない。
お店の元締めが代わって、一生キャバクラで働き続けるのかも。でも、そうしたら武道さんの大事な人たちは死ななくて済む。
私はもうここで生きていく覚悟を決めたから、未来は武道さんにあげようと思う。
「蘭ちゃん、助けて」
うるせーって殴られるかもしれないと歯を食いしばった。
けど、いつまでたっても拳は来ない。
「助けたら、何してくれんの?」
「何、って」
「いーぜ、蘭ちゃんは優しいからな。葵を助けてやる」
だから何してくれる?
にやにやと楽しそうに笑う蘭ちゃんに焦る。前よりも状況が悪い。だって私、今何も持ってない。
「ご飯、つくる」
「あ?」
混乱に混乱を極めて勝手に飛び出たのはそんな素っ頓狂な答え。
蘭ちゃんも目をぱちくりさせちゃってる。
「……馬鹿か?」
「すみません……」
「ま、いーや。今夜は肉なー」
ぽんぽん、と頭を叩いて蘭ちゃんはあの空き地の方へ歩き出す。と、すぐに立ち止まって戻って来た。
「ソレ、寄越せ」
「へ?」
それ、と言って指差したのはポケットに入った携帯。
言われるがままに手渡すと、慣れた仕草で何やら操作してぽいと返された。
「んじゃ、後でなー」
渡された携帯の画面には、登録完了の文字。アドレス帳には一行だけ【蘭ちゃん♡】と表示されていた。
「いらっしゃいませー」
「葵さん!!!」
「あ、武道さん」
バタバタとコンビニに駆けこんできたのは武道さん。
「葵さん!あんた何かしました!?」
「何かって?」
「灰谷蘭!!!」
ああ、と声を上げる。
どうやら蘭ちゃんは本当に『助けて』くれたらしい。
「あの人、急に割って入ってきて東卍も芭流覇羅も関係なく暴れまわったもんだから抗争も何もなくなっちゃって……!」
「とりあえずちょっと落ち着いて……新商品のスポーツドリンクいかがですか?」
「んもう!!このちゃっかりさん!!」
ひとまず、武道さんの言うところの最悪の未来は回避できたらしい。死ぬはずだった場地さんは無事、東卍に戻ってきて、殺すはずだった人も無事。これから色々と後処理は必要だけど、誰も死なずに済んだみたい。
まあ、代わりに蘭ちゃんの暴走による負傷者は多数出てしまったようだが。
「でも、これで武道さんは未来に帰れる?」
「あ、うん……って、あ」
「じゃあね、もし蘭ちゃんに会ったら伝えて」
葵は元気にやってるよ、って。
「あと、肩代わりしてもらった借金についてはどうしようもないのでごめんなさいって」
「それオレ大丈夫?殺されない?」
「……大丈夫」
「大丈夫じゃないやつだよねえ!?」
こうして、武道くんの戦いは終わった。めでたしめでたし。
「おかえりー」
「いや、なんでさ」
おかしいと思った。おかしいと思ったよ。
だって電気ついてたもん。鍵回してもがちゃんって言わなかったもん。
「これ、弟の竜胆」
「どーも」
「メシは?」
狭いリビング兼寝室で、我が物顔でベッドに寝転がりテレビを見る蘭ちゃんと、床に座って多分冷蔵庫にあったお茶を出して勝手に飲んでいる竜胆くん。
見慣れないはずなのに、なんだか懐かしい気がする光景に、私はこめかみのあたりが痛むのを感じた。
「あの、ちょっとスーパー行ってきても良いですか?」
「加代子さん!お疲れ様です」
「そのコート、良いわね」
店長の奥さんに褒められ、買ったばかりのコートを広げて見せる。
「えへへ、今日ここ来る前に買っちゃいました!」
「素敵素敵」
しばらくは日払いで、という約束でもらっていたお給料を実は2週間分結構貯めていたもので、安物だけど暖かくて可愛いコートを買うことができたのだ。
「あの、加代子さん、実はもう一つお願いがありまして……」
「なぁに?」
「その、携帯をですね、契約したいんです。店長にも後でお話するつもりなんですけど、ちょっとだけお給料前借りさせてほしいのと、契約をですね……その、」
厚かましいお願いをもしょもしょ言っていると、加代子さんは背中をばん!と叩いて笑った。
「なぁによ、そんなこと!良いわよ。あの人にも私から言っておくから。明日の朝にでも一緒にお店行きましょう」
「ありがとうございます!!」
正直、店長も加代子さんもどうしてここまで良くしてくれるのか全く分からない。それでも、今の私にとってこの二人が大いなる助けであることには違いないのだ。甘えられるうちは甘えておこう。
……その代わり一生懸命働こう。
「でも良かったわ、葵ちゃんにも携帯でお喋りする友達ができて」
「あ、はい。おかげさまで」
「あの二人、面倒見いいでしょう?」
あの二人、とはドラケンくんと三ツ谷くんのことだろう。
「ですね。喧嘩とかバイクとか悪いことばっかりしてるみたいですけど」
「そうなのよ!葵ちゃんも見かけたら叱ってやってね。あの子たち女の子には弱いから」
「はぁい」
くすくすと笑い合いながらバックヤードを出た。
次の日、約束通り加代子さんと朝から携帯ショップに行って、型落ちの安い携帯を手に入れることができた。生まれて初めて触るガラケーに四苦八苦する私を、加代子さんはニコニコしながら見守ってくれる。
バイトまで一緒に勉強しましょうって言ってくれたのだけど、そのすぐ後に店長から加代子さんに呼び出しがかかってしまい、一度解散することになった。
「どっかカフェかマックにでも入って練習しようかな……あ、テトリス入ってる」
ポチポチと重たいボタンを押しながら歩いていると、ふと見慣れた特攻服を見つけた。
「東卍だ」
名前も顔も知らない人だけど、特攻服には確かに東京卍會の刺繍。
何人かで連れ立って歩いているものだから目立つ。
「集会かな、まだ昼前だけど……」
もし集会だったらドラケンくんや三ツ谷くんもいるはずだ。折角、携帯を手に入れたんだから連絡先を交換してもらおう。
そう思って、彼らの後を追いかけた。
そして追いかけたことをすぐに後悔することになる。
たどり着いたのはガラクタだらけの空き地。
東卍の集会だと思っていたが、どうやら違うようであの黒い特攻服以外の人がいっぱいいた。
「あ、武道さん」
一応見知った顔もあるが、声をかける雰囲気じゃない。神妙な顔で隣に立つ傷だらけの男の子と話している。
物陰に息をひそめてあたりを見回した。怖そうな人がいっぱい。……なんであの人めっちゃご飯食べてんだろう。
怖い人、怖い人、変な髪形の人、怖い人……
遠目から見れるだけの人を観察していると、バチリと視線が合ってしまった。
「やば、」
山積みになった廃車に座る二人組。その片方がこちらをじっと見ている。
おさげだ。真ん中だけ金髪のおさげ……女の人かと思ったけど男の人だ。おさげだけど。
頭の中で変な髪形の人に分類して、視線を逸らそうとする。しかし、向こうがあまりにもじっと見て来るので怖くて逸らせない。
ふと、その視線にデジャヴを感じた。
「蘭ちゃん……?」
目を細めて髪型補正をかける。あ、無理。あまりにも髪型が印象的すぎて補正できない。こう、指で隠して……。
試行錯誤しながら、男の人を見ていると動きが大きくなってしまっていたのだろう。武道くんに気づかれてしまった。
「ちょっとちょっと葵さん!?」
「バレましたか」
「バレるよ!何してんのこんなとこで!?」
走って近寄ってきた武道さんを折って、さっきまで彼と話していた男の子も寄ってくる。
「この人、こないだの集会んときにタケミっちの胸倉掴んだ女じゃん」
左目に張るタイプの眼帯をした男の子は無遠慮に私を見下ろす。
「東卍の人見かけたからみんないるかな~と思ってついてきてしまった次第です」
「もぉぉぉぉ!」
がしがしと頭を掻きむしる武道さんの肩を眼帯くんが叩く。
「おい、タケミっち……見られてんぞ」
「へ?見られてるって?」
「あそこ。灰谷兄弟だ」
どくん、と心臓が脈打つ。
武道くんがハッとして、私に視線を戻した。
「葵さん、早まらないで」
「やっぱり、蘭ちゃんだ」
「あ?何あんた、灰谷兄弟と知り合い?」
分かってる。今の蘭ちゃんは私のことなんて知らない。
だから彼の質問には首を横に振った。
その様子にホッとしたのか武道くんは眼帯くんに視線を戻す。
「千冬、ごめん。ちょっと葵さんを安全なとこまで送ってくる」
「おーそうしろ。女がいたら邪魔になるからな」
「行こう、葵さん」
そう言って歩き出す武道さんの後に黙って従った。背中にちくちくと視線を感じながら。
「今日、何かあるの?」
「うん……血のハロウィンっていう抗争」
「物騒」
「だよね」
大通りまで送ると言ってもらい、二人並んで歩く。
「大事な抗争?」
「大事だよ。未来を変えるために」
武道さんが言うには、この抗争で場地さんというマイキー君の幼馴染が殺され、その殺した犯人をマイキー君が殺してしまうらしい。それを防がないと、未来は変わらないんだそうだ。
「武道さん、ここでいいよ」
「え、でも」
「大事なんでしょう。だったら戻らないと。すぐそこ曲がったら大通りだから大丈夫。走る」
「……気を付けて帰ってね!」
「はぁい」
踵を返して走る武道さんを見送って、私も大通りまで走ろうと振り返った。
「あ」
「こんにちは」
「こん、にちは」
目の前に男の人が立っていた。
ツートンカラーの三つ編み。ポケットに手を突っ込んで私を見下ろすのは、この世界の蘭ちゃん。
「どこ行くの?」
「か、えるの」
「ふーん。家どこ?」
その質問にふるふると首を振る。
蘭ちゃんは一度懐に入れた相手には優しいけど、そうじゃない人には残忍すぎる。女だろうと子どもだろうとそれは変わらない。
刺激しないようにしないと。
「迷子?」
「ち、がう、けど」
歯切れの悪い私に蘭ちゃんの目が細められる。
「一人で帰れるから。大丈夫、です」
「……名前は?」
あ、引き下がらないんだ。
半ば想像通りの反応に、恐怖とほんのちょっとの嬉しさが浮かぶ。
「飯塚 葵」
「葵ちゃんね」
俺はね、蘭ちゃんでいーぞ。
忘れもしないその言葉にあやうく目の前が潤みそうになった。
ぐ、と堪えて唇を引き結ぶと何を勘違いしたのか蘭ちゃんがニコニコしながら頭を撫でてくる。
「泣くなー」
「泣いてないです」
「そっかぁ」
何が何だか分からないけど、どうやら蘭ちゃんは今ご機嫌らしい。身の危険はひとまずなさそうなので、緊張をほどいた。
「んで、お前あそこで何してた?」
「えっと、人間観察?」
「東卍の女?」
「違います。お友達はいるけど」
「誰?」
「えっと、」
蘭ちゃんは私の頭に手を置いたまま、あれこれと質問責めにしてきた。なんだかその手が、いつでも頭蓋骨握りつぶすぞっていう圧に感じて、一つ一つ正直に答える。
そうしているうちにふと疑問が浮かんできた。
「あの、蘭ちゃんは何してたの?」
「んー?」
私から質問が返ってくるとは思っていなかったのか不思議そうな顔をする蘭ちゃん。
でもすぐに口の端をあげて答えてくれた。
「東卍と芭流覇羅の喧嘩、見に来てたんだよ」
「面白いから?」
「んーん。面白いかどうかはどっちが勝つかで変わるな」
「……蘭ちゃんはどっちが勝ってほしいの?」
今度は私が質問攻めにする番。
「そうだなぁ」
「私は、抗争をやめてほしい」
もし武道さんが未来を変えちゃったら、未来の私は蘭ちゃんとは会えないのかもしれない。
お店の元締めが代わって、一生キャバクラで働き続けるのかも。でも、そうしたら武道さんの大事な人たちは死ななくて済む。
私はもうここで生きていく覚悟を決めたから、未来は武道さんにあげようと思う。
「蘭ちゃん、助けて」
うるせーって殴られるかもしれないと歯を食いしばった。
けど、いつまでたっても拳は来ない。
「助けたら、何してくれんの?」
「何、って」
「いーぜ、蘭ちゃんは優しいからな。葵を助けてやる」
だから何してくれる?
にやにやと楽しそうに笑う蘭ちゃんに焦る。前よりも状況が悪い。だって私、今何も持ってない。
「ご飯、つくる」
「あ?」
混乱に混乱を極めて勝手に飛び出たのはそんな素っ頓狂な答え。
蘭ちゃんも目をぱちくりさせちゃってる。
「……馬鹿か?」
「すみません……」
「ま、いーや。今夜は肉なー」
ぽんぽん、と頭を叩いて蘭ちゃんはあの空き地の方へ歩き出す。と、すぐに立ち止まって戻って来た。
「ソレ、寄越せ」
「へ?」
それ、と言って指差したのはポケットに入った携帯。
言われるがままに手渡すと、慣れた仕草で何やら操作してぽいと返された。
「んじゃ、後でなー」
渡された携帯の画面には、登録完了の文字。アドレス帳には一行だけ【蘭ちゃん♡】と表示されていた。
「いらっしゃいませー」
「葵さん!!!」
「あ、武道さん」
バタバタとコンビニに駆けこんできたのは武道さん。
「葵さん!あんた何かしました!?」
「何かって?」
「灰谷蘭!!!」
ああ、と声を上げる。
どうやら蘭ちゃんは本当に『助けて』くれたらしい。
「あの人、急に割って入ってきて東卍も芭流覇羅も関係なく暴れまわったもんだから抗争も何もなくなっちゃって……!」
「とりあえずちょっと落ち着いて……新商品のスポーツドリンクいかがですか?」
「んもう!!このちゃっかりさん!!」
ひとまず、武道さんの言うところの最悪の未来は回避できたらしい。死ぬはずだった場地さんは無事、東卍に戻ってきて、殺すはずだった人も無事。これから色々と後処理は必要だけど、誰も死なずに済んだみたい。
まあ、代わりに蘭ちゃんの暴走による負傷者は多数出てしまったようだが。
「でも、これで武道さんは未来に帰れる?」
「あ、うん……って、あ」
「じゃあね、もし蘭ちゃんに会ったら伝えて」
葵は元気にやってるよ、って。
「あと、肩代わりしてもらった借金についてはどうしようもないのでごめんなさいって」
「それオレ大丈夫?殺されない?」
「……大丈夫」
「大丈夫じゃないやつだよねえ!?」
こうして、武道くんの戦いは終わった。めでたしめでたし。
「おかえりー」
「いや、なんでさ」
おかしいと思った。おかしいと思ったよ。
だって電気ついてたもん。鍵回してもがちゃんって言わなかったもん。
「これ、弟の竜胆」
「どーも」
「メシは?」
狭いリビング兼寝室で、我が物顔でベッドに寝転がりテレビを見る蘭ちゃんと、床に座って多分冷蔵庫にあったお茶を出して勝手に飲んでいる竜胆くん。
見慣れないはずなのに、なんだか懐かしい気がする光景に、私はこめかみのあたりが痛むのを感じた。
「あの、ちょっとスーパー行ってきても良いですか?」