番外編
名前変更
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困ったことになった。
ナイトレイブンカレッジでは希望する講師は教員宿舎に住むことが許されている。トレイン先生のようにご自宅から通う先生もいるが、自宅が遠い先生や忙しい先生は宿舎で寝泊まりしている。私はこちらの世界に身寄りがないので当然だが、クルーウェル先生もいちいち家に戻るのは面倒だという理由でもっぱら宿舎にいるのだ。ちなみに常勤の先生方は宿舎の部屋の他に研究室のような自室を持っていたりする。
さて、そんな教員宿舎の自室で私は頭を抱えていた。目の前の机には財布が置かれている。その中身は数枚のお札と小銭。
「お金がない……」
私の身分はナイトレイブンカレッジの非常勤講師。学園から給料は出ている。しかし、そのうちのいくらかは家賃と生活費として差っ引かれている。学園長め……。
さらには、自分の勉強のための書籍や文具、授業で使う教材などにお金がかかってしまう。残るのは子どもの小遣い程度のはした金のみ。
「遊ぶ金が欲しい」
口に出してみれば酷いセリフだ。
こちらに来てから半年が経った。その間、私の服と言えば学園長から支給されたスーツが3着と私服がないことを哀れんだクルーウェル先生が買ってくれた数着の服だけ。化粧品は購買でいくらか手に入るものの、プチプラなんてものは存在しないのでいくらも種類を集めることはできない。基礎化粧品に下地、ファンデーションにアイシャドウと口紅、チークが一種類ずつあるだけ。
贅沢な悩みなのは分かっている。でも、不足はないけど充足もしていないのだ。
「もう季節も変わるし新しい服欲しい。新色のシャドウも気になるし……うぅ……」
机に突っ伏す。化粧品に装飾品だけではない。授業や学業に関係のない本も欲しい。漫画読みたい。小説も良い。こっちにはあっちにはないタイプの魅力的な物が多すぎる。
どう足掻いてもお金が足りない。
「バイト、するか」
突っ伏したまま呟いた。お金がないなら稼げばよい。思い立ったが吉日。椅子から立ち上がって、外へ出る準備をする。
「一番単純に考えるとクルーウェル先生に何か紹介してもらうのが良いだろうけど……できれば勉強とは別のことをしたい」
ある程度ジャンルの違うことをしないといざというときに逃げ場が無くなってしまう。プロのアルバイターにとってこれは常識だ。
時給はそんなに多くなくてもいい。とはいえ労働に見合わないならそれもダメ。勉強も授業もあるから都合の利くところがいい。狙いどころは飲食か販売系。内職系も良いけど部屋に籠ったり座りっぱなしはしんどいかしら。
廊下を歩きながら考える。まずは情報収集。考えなしに動き回るとまた先生に怒られてしまう。幸いにも、こう言ったことに詳しそうな生徒を知っている。
「失礼。ラギー・ブッチはいる?」
授業が終わったばかりの講義室に顔を出して声を掛ける。
「少し聞きたいことがあるんだけど」
「何の用っスか?オレ、こう見えて結構忙しいんスけど」
「今日のランチをご馳走しよう」
「そーこなくっちゃ!」
「レオナ、彼を借りるよ」
「好きにしろ」
寮長に許可を取ってラギーを連れ出す。
食堂での食費は給料から事前に引かれている。つまり私はここでの飲み食いは自由。一食分多めに注文してもまあ……大丈夫だろう。
「で?聞きたいことって何っスか?」
ここぞとばかりにお高めの肉料理をオーダーして、ラギーは席に戻って来た。
「アルバイトをね、探そうと思って」
「アルバイト?アンタ先生でしょ。なんでバイトなんて?」
「遊ぶ金欲しさに」
「犯罪犯した人間の台詞っスよソレ」
胡乱な目で見てくるラギーに軽く事情を説明する。
まあ私は大人なので?欲しいものをあけすけにつらつら並べたり学園長に給料天引きされてるなんてことは言わなかったのだけど。私、大人なので!
「ははあ、なるほどね。んー、まあお昼奢ってもらっちゃったんで相談にはきっちり乗りますよ」
料理をつつきながらラギーはいくつか候補を上げていく。
「マンドラゴラ売るのは結構いい小遣い稼ぎになりますよ。ほら、学園の端っこのオンボロな建物。あそこにゴーストが住んでるんですけど、そいつらに売るんです。でもまあ、マンドラゴラっていつでも採れるわけじゃないんであくまで臨時収入っスね。無難なのは普通にサムさんの店じゃないスか?図書館もこないだバイトの募集かけてたけど、勉強と関係ないことしたいんスよね?」
「ふむ。とりあえず図書館は最後の手段って感じかな。サムさんのとこはアリ」
「時給と勤務時間は要相談って感じっスね。オレもたまにお手伝いさせてもらってますけど、結構いーカンジなんでおすすめ」
「いやあ、やっぱり君を頼ってよかった。バイトしてる生徒って結構いるけど、ほら……特殊なの多いじゃない?」
「マジカルホイールの修理とかね」
「そうそう。何が魔力なくてもできるかすら分かんなくてね」
その言葉にラギーもうんうんと頷く。
「オレは魔法使うのもったいないんで結構地道なバイトしてますから相談ならいつでも大歓迎。もちろんお代はいただきますけど、シシシ」
「しっかりしてるのは良いことです」
まだ食事を終えていないラギーにお礼を言って一足先に席を立つ。昼休みも半ばを越えている。購買も少しは落ち着いているだろう。
「ハァイ小鬼ちゃん。こんな時間に珍しい。どうしたんだい?」
「こんにちは、サムさん。今日は少しご相談が……」
「ん?なんでも言ってごらん。このサムがきっとプリンセスの願いを叶えよう」
狙い通り、購買は既に落ち着きを見せていた。まばらにいる生徒たちも棚の商品を眺めて雑談しているだけ。そんな彼らの邪魔にならないように気をつけながら続ける。
「あの、」
「あれ~ヤドカリ先生じゃァん」
「やど、はぁ?」
もはや聞きなれた、そしてできればあまり聞きたくない声に反応する。フロイド・リーチだ。
ここにいる「先生」は私だけ。そんな呼び名の前になにやらヘンテコな単語がくっついている。
「だって先生、すーぐ引っ越しすんじゃん?」
引っ越し?と首を傾げるとフロイドは続けた。
「イシダイ先生のとことかァ図書館とか。今日はコバンザメちゃんと一緒に食堂。お家ないのかなぁって」
んふふ~と笑うフロイドに呆れた顔で答える。
「それは引っ越しっていわないでしょうが。せいぜいお出かけとか……」
「え~でも先生が自分の部屋にいるとこオレ、ほとんど見たことないよ。家が気に入らないから新しいの探してんじゃないの?」
「違います」
「じゃ何してんの?」
それはもう彼らが住んでいたという海の底よりも深いため息を吐く。
「先生は今サムさんと大事なお話をしています。ので、ちょっと静かにしていたまえよ、フロイド・リーチくん」
ステイだステイ、とクルーウェル先生の真似をして言うと、フロイドがむぅと唇を引き結んだ。彼の機嫌がこうやってすぐに悪くなることはこの半年で理解した。それが本当に気まぐれであることも。
「はァ?何それつまんねーんだけど」
「それでサムさん、ご相談なんですけど」
「なぁオイ聞けって」
本来であれば先生に向かってなんて口を!と怒るところだが、彼に対しては少々危険すぎる。こうして相手にしないでいれば自分から手を出す子じゃないし、適当に飽きてどこかへ行くだろう。
「おや、先生それにフロイドも」
「ジェイドぉ!ヤドカリせんせーが無視すんだけど!」
くそうもう片割れが来やがった。
先日、魔法薬に関するハプニングで子どもになった二人の面倒を見てからというもの、やたらとこの双子に懐かれている。そのおかげで授業中に二人が問題を起こすことは少なくなったものの、休憩時間や放課後にはしばしば絡まれるようになってしまった。こういう言い方をすると二人には失礼だが、子どもは嫌いじゃないためついて回られることには悪い気はしない。
問題はこの二人の顔とテンションだ。自慢じゃないが、私は平々凡々な人生を生きてきた。平均以上に目立たずに。ゆえに、こうしたいわゆる陽キャは正直苦手なのだ。イケメンも怖い。助けてクルーウェル先生。
「おやおや、随分気に入られちゃったみたいだね」
「はは、嬉しいんですけどね、限度というものが……」
「そう言わずに、っと。悪いけど、ちょっと待ってくれるかい?それで、双子の可愛い小鬼ちゃん達は何をお求めかな?」
購買部にいるということはリーチ兄弟はお客さん。少しお待ちを、と断りを入れてサムさんは接客に戻ろうとした。しかし、それをジェイドが止める。
「いえ、買い物にきたのではないのです。先生に少しお話がありまして」
「私?」
おや、とサムさんが大げさなジェスチャーをする。
「それじゃあ話が終わったらまたおいで。サムはいつでもここにいるからね」
「あ、すみません。じゃああとで」
ひらひらと手を振ってバックヤードに戻るサムさんを見送ってから、双子に向き直る。
「で、話と言いますと?」
「ええ、貴女がアルバイト先を探しているという話を小耳に挟みまして」
「だから、いいとこ紹介してあげよってジェイドと話してたんだ~」
なるほど。おそらくラギーと話していたときに近くにでもいたのだろう。とはいえ、この二人も情報通。話を聞くことには意義がありそうだ。
「ありがとう。それで、どこか心当たりがあるって感じ?」
「はい、それはもちろん」
「すーっごいイイトコロ」
ニヤァとそっくりな笑顔を張り付けて、二人が私を挟んで立つ。
「じゃ、行こっか」
まるで借金取りに連行される人の気分で、周囲の目を受けながら歩かされた。
「いやいやいや、ここはちょっと……」
連れてこられたのはモストロ・ラウンジ。まあ若干予想はついていた。ついていましたけども。
「おや、早かったですね。もう少し時間がかかると思っていたのですが」
「アズール」
「どうも。先日はご来店ありがとうございました、先生」
店で待ち受けていたのはオクタヴィネル寮の寮長であり、このラウンジの支配人。座学が中心の私の授業では優等生のアズール・アーシェングロット。この時間は店は開けていないようで制服のままだ。
依然二人に挟まれたまま、誰もいないテーブル席に座る。
「三人とも授業は?」
「僕とジェイドは次は空いています」
「オレはサボり~」
「フロイドはすぐに次の授業の準備をするように」
「え~!!」
ぶつくさと文句を言いながらもフロイドは立ち上がった。アズールが目を丸くしてみていると、ジェイドが小さく笑った。
「賢いんですよ、フロイドは。ここで彼女に嫌われてしまえば計画が台無しになることを分かっているんです」
「なるほど。普段からこうだと良いのだけど」
ふらふらと緩慢な動作で店を出て行くフロイド。残されたのは隣に座ったままのジェイドと紙の束を持って正面に座りなおしたアズールと私。
「さて、アルバイトをお探しということで」
「あ、あーそうなんだけど……」
「ちょうどよかった。モストロ・ラウンジでは丁度長期契約のスタッフを探していたところなんです。先生なら大歓迎ですよ」
やはりそう来たか。
アズールは紙の束を差し出して説明を始める。業務は主にキッチンかバックヤードでの仕事。フリーシフトで融通も利かす。時給も多すぎず少なすぎず、成果に応じて昇給とボーナスがある。
「この雇用契約書、アズールが考えたの?」
「はい、ラウンジの営業については入学前から考えていましたから。それらに少し手を加えたまでですよ」
分かりやすく整理され、出るであろう質問を先回りして回避している。
先日の試験で何やら問題を起こしたことへの対応策として学園長から営業許可をもぎ取ったというこの店。開店直後だというのにここまで中身をきっちりと詰めて来るとは……流石というかなんというか。
アズールの悪徳商法に関しては職員会議が開かれたので、注意深く契約書に目を通す。無駄に良い視力も駆使して細かい文字や模様が書かれていないかも確認したあと、頷いた。
「これって記入後にコピーもらえます?」
「コピー……ああ、もちろんですとも」
ペンを取り出して署名欄にサインをする。サインはこちらに来てから死ぬほど練習した。不思議なことに、こちらの文字は読めるのに書けないのだ。おかげで最初の頃は黒板が使えず、口頭説明だけで授業を進める羽目になった。今は大分書けるようになったが、せめて自分の名前だけでもと練習しまくったサインには思い入れがある。
「では、これにて契約完了ということで。ああ、できれば明日から出勤してもらえると助かります。無理ならなるべく早く」
「大丈夫。明日から来るよ。制服貸与になってるけど、私服出来て大丈夫?」
「はい。更衣室は他のスタッフが使いますから別に部屋を用意します」
「ありがとう」
サイン済みの契約書に向かってジェイドがマジカルペンを振る。すると、一枚の紙が二枚に増えた。その片方と説明に用いられた資料をまとめて渡される。
「先生は随分と注意深いようですから。ふふ、ゆっくりご覧になってください」
「君らは自分たちがこの間しでかしてくれたでっかい事件を忘れてしまったみたいだね」
くすくすと面白そうに笑うジェイド。彼はいつも楽しそうで羨ましい。
「それじゃあ私はこれで。明日からよろしくお願いしますね」
「はい。楽しみにしていますよ」
帰りはすんなり帰してくれるようで、入り口のところで見送られた。
その足でサムさんの店に行き、相談事は解決したことを告げた。また何かあったらお気軽に、と言ってくれた彼にお礼を言って店を去る。
ノックを三回。お返事があるまで良い子でステイ。
「入れ」
「失礼します」
扉は静かに開けて静かに閉める。クルーウェル先生の部屋にお邪魔する際のお行儀。
当の本人は私の部屋に来るときはノックはおろか扉もバーン!と豪快に開け放つ訳だけども。大人ってそういうものよね……。
「昨日出された課題の提出に来ました」
「ああ、レポートをこちらに。ところで仔犬」
手渡したレポートに目を通しながら先生が言う。
「何か俺に報告することはないか」
この言い方は質問ではない。さっさと報告しろ、ということ。そして、今日の出来事と言えば一つだけだった。
「ええと、アルバイトのことですかね?」
「どこで」
「モストロ・ラウンジで。これ、念のために貰ってきてます」
雇用契約書と資料を渡す。先生はレポートを一度傍に置いてそれらに目を通した。
「妙な魔法式も入っていないな……こういうことは事前に相談しろ。何かあってからでは遅い」
「はい、先生」
書類一式を私に返し、先生は再びレポートを手に取った。
しばらく沈黙が続いてから、視線の端で赤い手袋がひらめく。呼ばれるがままに近づくと頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「この短期間でここまで調べたのは素晴らしい。well done.」
ぐしゃぐしゃになる髪の毛が少し気になるが褒められて悪い気はしない。顔がにやけるのを必死で我慢しながらありがとうございますと応えた。
「それで、何を突然アルバイトなんて言い出したんだ?」
「ええと、こう、プライベートなことに使いたいお金がありまして……」
「ああ、なるほどな。気が回らずすまなかった……週末の予定は?」
「今は特に。もしかしたらシフト入れるかもしれないですが」
「なら空けておけ。車を出してやる」
小首を傾げる。
「トレーニングを頑張っている仔犬にご褒美だ」
「ひっ!?」
ニッと笑う先生は海外の映画スターもびっくりなくらいにかっこよくて、思わず変な声が漏れた。それを見てクツクツと笑いながら手を振る。用事が終わったなら帰りなさい、の合図。
「し、失礼しました!!!」
「うるさいはしゃぐな」
扉だけは努めてゆっくり静かに閉める。
そのまま自分の部屋に向かって歩くも、足はどんどん速くなり最後はほとんど走っていた。
自室に到着し、扉を閉め施錠を確認して一息。
「かっっっこよすぎませんかねうちの先゛生゛!!!!」
叫んだ。
ナイトレイブンカレッジでは希望する講師は教員宿舎に住むことが許されている。トレイン先生のようにご自宅から通う先生もいるが、自宅が遠い先生や忙しい先生は宿舎で寝泊まりしている。私はこちらの世界に身寄りがないので当然だが、クルーウェル先生もいちいち家に戻るのは面倒だという理由でもっぱら宿舎にいるのだ。ちなみに常勤の先生方は宿舎の部屋の他に研究室のような自室を持っていたりする。
さて、そんな教員宿舎の自室で私は頭を抱えていた。目の前の机には財布が置かれている。その中身は数枚のお札と小銭。
「お金がない……」
私の身分はナイトレイブンカレッジの非常勤講師。学園から給料は出ている。しかし、そのうちのいくらかは家賃と生活費として差っ引かれている。学園長め……。
さらには、自分の勉強のための書籍や文具、授業で使う教材などにお金がかかってしまう。残るのは子どもの小遣い程度のはした金のみ。
「遊ぶ金が欲しい」
口に出してみれば酷いセリフだ。
こちらに来てから半年が経った。その間、私の服と言えば学園長から支給されたスーツが3着と私服がないことを哀れんだクルーウェル先生が買ってくれた数着の服だけ。化粧品は購買でいくらか手に入るものの、プチプラなんてものは存在しないのでいくらも種類を集めることはできない。基礎化粧品に下地、ファンデーションにアイシャドウと口紅、チークが一種類ずつあるだけ。
贅沢な悩みなのは分かっている。でも、不足はないけど充足もしていないのだ。
「もう季節も変わるし新しい服欲しい。新色のシャドウも気になるし……うぅ……」
机に突っ伏す。化粧品に装飾品だけではない。授業や学業に関係のない本も欲しい。漫画読みたい。小説も良い。こっちにはあっちにはないタイプの魅力的な物が多すぎる。
どう足掻いてもお金が足りない。
「バイト、するか」
突っ伏したまま呟いた。お金がないなら稼げばよい。思い立ったが吉日。椅子から立ち上がって、外へ出る準備をする。
「一番単純に考えるとクルーウェル先生に何か紹介してもらうのが良いだろうけど……できれば勉強とは別のことをしたい」
ある程度ジャンルの違うことをしないといざというときに逃げ場が無くなってしまう。プロのアルバイターにとってこれは常識だ。
時給はそんなに多くなくてもいい。とはいえ労働に見合わないならそれもダメ。勉強も授業もあるから都合の利くところがいい。狙いどころは飲食か販売系。内職系も良いけど部屋に籠ったり座りっぱなしはしんどいかしら。
廊下を歩きながら考える。まずは情報収集。考えなしに動き回るとまた先生に怒られてしまう。幸いにも、こう言ったことに詳しそうな生徒を知っている。
「失礼。ラギー・ブッチはいる?」
授業が終わったばかりの講義室に顔を出して声を掛ける。
「少し聞きたいことがあるんだけど」
「何の用っスか?オレ、こう見えて結構忙しいんスけど」
「今日のランチをご馳走しよう」
「そーこなくっちゃ!」
「レオナ、彼を借りるよ」
「好きにしろ」
寮長に許可を取ってラギーを連れ出す。
食堂での食費は給料から事前に引かれている。つまり私はここでの飲み食いは自由。一食分多めに注文してもまあ……大丈夫だろう。
「で?聞きたいことって何っスか?」
ここぞとばかりにお高めの肉料理をオーダーして、ラギーは席に戻って来た。
「アルバイトをね、探そうと思って」
「アルバイト?アンタ先生でしょ。なんでバイトなんて?」
「遊ぶ金欲しさに」
「犯罪犯した人間の台詞っスよソレ」
胡乱な目で見てくるラギーに軽く事情を説明する。
まあ私は大人なので?欲しいものをあけすけにつらつら並べたり学園長に給料天引きされてるなんてことは言わなかったのだけど。私、大人なので!
「ははあ、なるほどね。んー、まあお昼奢ってもらっちゃったんで相談にはきっちり乗りますよ」
料理をつつきながらラギーはいくつか候補を上げていく。
「マンドラゴラ売るのは結構いい小遣い稼ぎになりますよ。ほら、学園の端っこのオンボロな建物。あそこにゴーストが住んでるんですけど、そいつらに売るんです。でもまあ、マンドラゴラっていつでも採れるわけじゃないんであくまで臨時収入っスね。無難なのは普通にサムさんの店じゃないスか?図書館もこないだバイトの募集かけてたけど、勉強と関係ないことしたいんスよね?」
「ふむ。とりあえず図書館は最後の手段って感じかな。サムさんのとこはアリ」
「時給と勤務時間は要相談って感じっスね。オレもたまにお手伝いさせてもらってますけど、結構いーカンジなんでおすすめ」
「いやあ、やっぱり君を頼ってよかった。バイトしてる生徒って結構いるけど、ほら……特殊なの多いじゃない?」
「マジカルホイールの修理とかね」
「そうそう。何が魔力なくてもできるかすら分かんなくてね」
その言葉にラギーもうんうんと頷く。
「オレは魔法使うのもったいないんで結構地道なバイトしてますから相談ならいつでも大歓迎。もちろんお代はいただきますけど、シシシ」
「しっかりしてるのは良いことです」
まだ食事を終えていないラギーにお礼を言って一足先に席を立つ。昼休みも半ばを越えている。購買も少しは落ち着いているだろう。
「ハァイ小鬼ちゃん。こんな時間に珍しい。どうしたんだい?」
「こんにちは、サムさん。今日は少しご相談が……」
「ん?なんでも言ってごらん。このサムがきっとプリンセスの願いを叶えよう」
狙い通り、購買は既に落ち着きを見せていた。まばらにいる生徒たちも棚の商品を眺めて雑談しているだけ。そんな彼らの邪魔にならないように気をつけながら続ける。
「あの、」
「あれ~ヤドカリ先生じゃァん」
「やど、はぁ?」
もはや聞きなれた、そしてできればあまり聞きたくない声に反応する。フロイド・リーチだ。
ここにいる「先生」は私だけ。そんな呼び名の前になにやらヘンテコな単語がくっついている。
「だって先生、すーぐ引っ越しすんじゃん?」
引っ越し?と首を傾げるとフロイドは続けた。
「イシダイ先生のとことかァ図書館とか。今日はコバンザメちゃんと一緒に食堂。お家ないのかなぁって」
んふふ~と笑うフロイドに呆れた顔で答える。
「それは引っ越しっていわないでしょうが。せいぜいお出かけとか……」
「え~でも先生が自分の部屋にいるとこオレ、ほとんど見たことないよ。家が気に入らないから新しいの探してんじゃないの?」
「違います」
「じゃ何してんの?」
それはもう彼らが住んでいたという海の底よりも深いため息を吐く。
「先生は今サムさんと大事なお話をしています。ので、ちょっと静かにしていたまえよ、フロイド・リーチくん」
ステイだステイ、とクルーウェル先生の真似をして言うと、フロイドがむぅと唇を引き結んだ。彼の機嫌がこうやってすぐに悪くなることはこの半年で理解した。それが本当に気まぐれであることも。
「はァ?何それつまんねーんだけど」
「それでサムさん、ご相談なんですけど」
「なぁオイ聞けって」
本来であれば先生に向かってなんて口を!と怒るところだが、彼に対しては少々危険すぎる。こうして相手にしないでいれば自分から手を出す子じゃないし、適当に飽きてどこかへ行くだろう。
「おや、先生それにフロイドも」
「ジェイドぉ!ヤドカリせんせーが無視すんだけど!」
くそうもう片割れが来やがった。
先日、魔法薬に関するハプニングで子どもになった二人の面倒を見てからというもの、やたらとこの双子に懐かれている。そのおかげで授業中に二人が問題を起こすことは少なくなったものの、休憩時間や放課後にはしばしば絡まれるようになってしまった。こういう言い方をすると二人には失礼だが、子どもは嫌いじゃないためついて回られることには悪い気はしない。
問題はこの二人の顔とテンションだ。自慢じゃないが、私は平々凡々な人生を生きてきた。平均以上に目立たずに。ゆえに、こうしたいわゆる陽キャは正直苦手なのだ。イケメンも怖い。助けてクルーウェル先生。
「おやおや、随分気に入られちゃったみたいだね」
「はは、嬉しいんですけどね、限度というものが……」
「そう言わずに、っと。悪いけど、ちょっと待ってくれるかい?それで、双子の可愛い小鬼ちゃん達は何をお求めかな?」
購買部にいるということはリーチ兄弟はお客さん。少しお待ちを、と断りを入れてサムさんは接客に戻ろうとした。しかし、それをジェイドが止める。
「いえ、買い物にきたのではないのです。先生に少しお話がありまして」
「私?」
おや、とサムさんが大げさなジェスチャーをする。
「それじゃあ話が終わったらまたおいで。サムはいつでもここにいるからね」
「あ、すみません。じゃああとで」
ひらひらと手を振ってバックヤードに戻るサムさんを見送ってから、双子に向き直る。
「で、話と言いますと?」
「ええ、貴女がアルバイト先を探しているという話を小耳に挟みまして」
「だから、いいとこ紹介してあげよってジェイドと話してたんだ~」
なるほど。おそらくラギーと話していたときに近くにでもいたのだろう。とはいえ、この二人も情報通。話を聞くことには意義がありそうだ。
「ありがとう。それで、どこか心当たりがあるって感じ?」
「はい、それはもちろん」
「すーっごいイイトコロ」
ニヤァとそっくりな笑顔を張り付けて、二人が私を挟んで立つ。
「じゃ、行こっか」
まるで借金取りに連行される人の気分で、周囲の目を受けながら歩かされた。
「いやいやいや、ここはちょっと……」
連れてこられたのはモストロ・ラウンジ。まあ若干予想はついていた。ついていましたけども。
「おや、早かったですね。もう少し時間がかかると思っていたのですが」
「アズール」
「どうも。先日はご来店ありがとうございました、先生」
店で待ち受けていたのはオクタヴィネル寮の寮長であり、このラウンジの支配人。座学が中心の私の授業では優等生のアズール・アーシェングロット。この時間は店は開けていないようで制服のままだ。
依然二人に挟まれたまま、誰もいないテーブル席に座る。
「三人とも授業は?」
「僕とジェイドは次は空いています」
「オレはサボり~」
「フロイドはすぐに次の授業の準備をするように」
「え~!!」
ぶつくさと文句を言いながらもフロイドは立ち上がった。アズールが目を丸くしてみていると、ジェイドが小さく笑った。
「賢いんですよ、フロイドは。ここで彼女に嫌われてしまえば計画が台無しになることを分かっているんです」
「なるほど。普段からこうだと良いのだけど」
ふらふらと緩慢な動作で店を出て行くフロイド。残されたのは隣に座ったままのジェイドと紙の束を持って正面に座りなおしたアズールと私。
「さて、アルバイトをお探しということで」
「あ、あーそうなんだけど……」
「ちょうどよかった。モストロ・ラウンジでは丁度長期契約のスタッフを探していたところなんです。先生なら大歓迎ですよ」
やはりそう来たか。
アズールは紙の束を差し出して説明を始める。業務は主にキッチンかバックヤードでの仕事。フリーシフトで融通も利かす。時給も多すぎず少なすぎず、成果に応じて昇給とボーナスがある。
「この雇用契約書、アズールが考えたの?」
「はい、ラウンジの営業については入学前から考えていましたから。それらに少し手を加えたまでですよ」
分かりやすく整理され、出るであろう質問を先回りして回避している。
先日の試験で何やら問題を起こしたことへの対応策として学園長から営業許可をもぎ取ったというこの店。開店直後だというのにここまで中身をきっちりと詰めて来るとは……流石というかなんというか。
アズールの悪徳商法に関しては職員会議が開かれたので、注意深く契約書に目を通す。無駄に良い視力も駆使して細かい文字や模様が書かれていないかも確認したあと、頷いた。
「これって記入後にコピーもらえます?」
「コピー……ああ、もちろんですとも」
ペンを取り出して署名欄にサインをする。サインはこちらに来てから死ぬほど練習した。不思議なことに、こちらの文字は読めるのに書けないのだ。おかげで最初の頃は黒板が使えず、口頭説明だけで授業を進める羽目になった。今は大分書けるようになったが、せめて自分の名前だけでもと練習しまくったサインには思い入れがある。
「では、これにて契約完了ということで。ああ、できれば明日から出勤してもらえると助かります。無理ならなるべく早く」
「大丈夫。明日から来るよ。制服貸与になってるけど、私服出来て大丈夫?」
「はい。更衣室は他のスタッフが使いますから別に部屋を用意します」
「ありがとう」
サイン済みの契約書に向かってジェイドがマジカルペンを振る。すると、一枚の紙が二枚に増えた。その片方と説明に用いられた資料をまとめて渡される。
「先生は随分と注意深いようですから。ふふ、ゆっくりご覧になってください」
「君らは自分たちがこの間しでかしてくれたでっかい事件を忘れてしまったみたいだね」
くすくすと面白そうに笑うジェイド。彼はいつも楽しそうで羨ましい。
「それじゃあ私はこれで。明日からよろしくお願いしますね」
「はい。楽しみにしていますよ」
帰りはすんなり帰してくれるようで、入り口のところで見送られた。
その足でサムさんの店に行き、相談事は解決したことを告げた。また何かあったらお気軽に、と言ってくれた彼にお礼を言って店を去る。
ノックを三回。お返事があるまで良い子でステイ。
「入れ」
「失礼します」
扉は静かに開けて静かに閉める。クルーウェル先生の部屋にお邪魔する際のお行儀。
当の本人は私の部屋に来るときはノックはおろか扉もバーン!と豪快に開け放つ訳だけども。大人ってそういうものよね……。
「昨日出された課題の提出に来ました」
「ああ、レポートをこちらに。ところで仔犬」
手渡したレポートに目を通しながら先生が言う。
「何か俺に報告することはないか」
この言い方は質問ではない。さっさと報告しろ、ということ。そして、今日の出来事と言えば一つだけだった。
「ええと、アルバイトのことですかね?」
「どこで」
「モストロ・ラウンジで。これ、念のために貰ってきてます」
雇用契約書と資料を渡す。先生はレポートを一度傍に置いてそれらに目を通した。
「妙な魔法式も入っていないな……こういうことは事前に相談しろ。何かあってからでは遅い」
「はい、先生」
書類一式を私に返し、先生は再びレポートを手に取った。
しばらく沈黙が続いてから、視線の端で赤い手袋がひらめく。呼ばれるがままに近づくと頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「この短期間でここまで調べたのは素晴らしい。well done.」
ぐしゃぐしゃになる髪の毛が少し気になるが褒められて悪い気はしない。顔がにやけるのを必死で我慢しながらありがとうございますと応えた。
「それで、何を突然アルバイトなんて言い出したんだ?」
「ええと、こう、プライベートなことに使いたいお金がありまして……」
「ああ、なるほどな。気が回らずすまなかった……週末の予定は?」
「今は特に。もしかしたらシフト入れるかもしれないですが」
「なら空けておけ。車を出してやる」
小首を傾げる。
「トレーニングを頑張っている仔犬にご褒美だ」
「ひっ!?」
ニッと笑う先生は海外の映画スターもびっくりなくらいにかっこよくて、思わず変な声が漏れた。それを見てクツクツと笑いながら手を振る。用事が終わったなら帰りなさい、の合図。
「し、失礼しました!!!」
「うるさいはしゃぐな」
扉だけは努めてゆっくり静かに閉める。
そのまま自分の部屋に向かって歩くも、足はどんどん速くなり最後はほとんど走っていた。
自室に到着し、扉を閉め施錠を確認して一息。
「かっっっこよすぎませんかねうちの先゛生゛!!!!」
叫んだ。