番外編
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ドタドタと廊下を走る足音がする。
重厚な扉を隔てていても聞こえるほどの大騒ぎもこの学園では日常的な出来事だ。
「子犬、手元から目を離すな」
「はい、クルーウェル先生」
言われた通り、手元から目を離さずに薬品を混ぜる。
今作っている魔法薬は色が変わったらすぐに火を止めなければならない。少しでも遅れたら失敗。それゆえ、日常茶飯なハプニングごときに気を取られてはいけないのだ。
こぽぽ、とビーカーの中身が音を立てる。そろそろだろうか。
バン!
「ぅわ、え、あ゛」
突然開いた扉。
びくりと肩が跳ね、思わず何事かと入り口に目を向けてしまった。その瞬間、ビーカーの中身がサッと色を変える。急いで火を止めようにも焦りが手元を狂わせた。
鮮やかな青からみるみる濁っていく液体に、ぽきりと心が折れる。
「bad girl. まあ惜しかったがな」
「またお時間いただけますか……」
「いいだろう」
がっくしと肩を落としてもう一度扉の方に視線をやる。今度は驚きではなく憎悪と怒りをほんのりと込めた眼差しで。
「随分と賑やかだね、カリム・アルアジーム」
軽く息を切らしながら入り口に立っている少年を、怒っているのだぞ、と示すためにフルネームで呼ぶ。するとカリムは困った顔で口を開いた。
「錬金術の自習中に魔法薬を零してしまってフロイドとジェイドが大変なことになってしまったんだ!」
背後で深いため息が聞こえる。
柔らかな毛皮が擦れる音がして、クルーウェル先生が立ち上がった。
「魔法薬の取り扱いには気を付けるようにと何度言ったら覚えるんだこの駄犬ども!」
内心でざまーみろ、と舌を出して、靴音を立てながら実験室に向かう先生の後に続いた。
道中のカリムの話では、カリムとジェイドが放課後、錬金術の自習をしているところにフロイドが乱入してきて机の上にあった薬品を零し、驚いたカリムが作っていた薬品のビーカーを倒してそれを双子が被ってしまったという。
「そんなピタゴラスイッチなことってある?」
「ぴた……?なんだ?」
「次の授業で時間があったらやってあげる」
元の世界で見た、ビー玉を転がすだけの単純かつ複雑な映像を思い出して呟く。魔法を一切用いず、位置エネルギーと運動エネルギーのみで思った通りにビー玉を操作できれば、生徒たちはきっと驚くだろう。
必要なものを頭の中でメモしているうちに実験室についた。
「なんです、この声?」
「小動物の鳴き声か……?アルアジーム、一体何の薬を作っていたんだ」
「それがだな、」
答えを待つ前にがちゃりと扉を開ける。
「ああッ、やっと来てくれましたか!待っていましたよ!まったく、なんだってこの僕が……ちょっと、フロイド!そっちへ行ってはいけません!ジェイド!?何を食べているんですか!ペッなさい、ペッ!!」
散乱した薬品と器具。
悲惨なまでに荒れた部屋の中でわたわたと騒ぐアズール・アーシェングロット。
そして、その周りを動き回る青い小さな毛玉が二匹。
「先生、」
「少し口を閉じておりこうさんにしていろ、子犬」
きゅ、と唇を閉じる。顔を見なくとも、ひどく疲弊していることが分かった。この一瞬で先生をこんなに……さすがアズール。
的外れな感心を覚えながら、うごうごばたばたと動き回る小さきものを眺める。
どうみても子どもだ。いくつくらいだろう。頭の中で人間の発達に関する項目を思い出そうとしてすぐに諦める。
青い髪に一房色の濃い毛束。カリムやアズールの言葉からもこの二つのもちもちした生き物は双子で間違いないだろう。
「まあ随分小さくなっちゃって……」
「かわいいな!」
「ここから見てる分にはね」
何事か、時折ため息交じりに言葉を交わすクルーウェル先生とアズールを遠目に見ながらも、ちびちゃんたちに視線を奪われる。
ふと、片方がじぃとこちらを見つめてきた。大きな目がぱちくりと瞬きする。
「子犬、それを逃がすな」
「え、はい、先生!」
短い脚でよちよちと一生懸命に向かってくる子どもをしゃがみ込んで待ち受ける。長い時間をかけて足元に到達したそれはにこぉっと効果音でも付きそうな笑顔を向けてきた。
「ん゛ん゛ッ」
「どうしたんだ先生!?」
あまりの可愛さに思わず出てしまった悶絶の声に、隣にいたカリムが大声を出す。その声に驚いたのか足元では泣き声が上がった。
「わあぁ、ごめん、ごめんね~怖かったね~」
急いで抱き上げて猫なで声を出した。思ったよりも重たくてすこしびっくりする。
次第に泣き声を収め、ひくひくとしゃくりあげるだけになった幼子を観察する。髪の分け目と釣り目がちな目元からしてこっちはジェイドだろう。
「ジェイドはえらいね~泣かないね~」
ゆらゆらと体を揺らしながら無理やりに笑う。小さい子どもの扱い方など私は知らない。だって幼児は専門外。
先生に助けを求めようとしても、まだアズールとの話は終わっていないようだ。
どうしたものかと視線を彷徨わせる私の足にひたりと何かが触った。
「フロイド……?」
「ねえ!」
「どうしたの?」
「おぇもだっこ!」
両手をいっぱいに伸ばしてだっこを強請る子どもに今度こそ卒倒するかと思った。
なんだこの天使は。
とはいえ、私の腕にはすでにジェイドがいる。いくら小さいとはいえ、二人を一度に抱き上げることは出来なそうだ。どうしたことかと考えているうちにフロイドの機嫌が急降下していく。
「なんでぇぇ!!だっこぉぉおお!!」
スラックスの裾を握りしめたまま仰向けになって喚く。ああ、スーパーで見かけるやつだぁ……
思考を放棄して呆然とフロイドを見下ろす私にクルーウェル先生が声を掛けた。
「仔犬」
「、はいッ」
「俺は今からこの駄仔犬どもを元に戻す薬を作る。お前には、」
「はい!お手伝いですね」
「この生きの良い仔犬どもの面倒を任せた」
「はいぃぃ??」
そうと決まればチビどもを連れてさっさと出て行くように。そう言われてカリムと双子ともども実験室から追い出された。未だ床に転がって泣きわめいているフロイドと腕に抱かれほっぺたをぐにぐに引っ張ってくるジェイド。そしてそれらを前にどうすれば良いか分からず困り果てるカリムと私。
「とりあえず、カリムはもう戻りなさい。明日の授業の課題終わってないでしょう?」
放課後ジェイドと自習をしていたというなら、まだやることが山ほど残っているだろう。気を使っている素振りを見せて寮へと促す。しかし、カリムはひかない。
「ああ、でも大丈夫だぞ!オレも手伝おう」
「これ以上子どもが増えるのは困る。大人しく寮に戻って」
本音が出た。
その語気が強かったのだろう。カリムはまだ少し渋る様子を見せたが、諦めて寮へ続く鏡舎へと向かっていった。
「さて、と」
足元のフロイドに気を付けながらしゃがみ込む。片膝を立ててジェイドをそこに座らせると空いた片手をフロイドに差し出した。
「はい、おいで」
その言葉に今までのは何だったのかと思う程ぴたっと泣き止んだフロイドがぎゅうと抱き付いてきた。
「だっこ!」
「はいはい。ジェイドもしっかりつかまっててね」
よっこいせ、と色気も可愛げもない掛け声をかけて立ち上がる。両腕に口が利けるほどの大きさの幼児を抱え、立ち上がるのがこんなにしんどいとは思わなかった。
しかし、舐めてもらっては困る。自慢ではないが、学生時代の趣味はアルバイト。重たい荷物を運ぶことなんて朝飯前だ!
「ねえねえ!ごはァん!」
「ふろぃど、うるしゃいれすよ」
「おぇおなかしゅいたぁ!」
「わぁかった!わかったからじっとしてて!」
腕の中で喚いて暴れる稚魚どもは小麦粉の袋よりもパックジュースのコンテナよりも重くて運びづらい。なんとか自分の部屋にたどり着いて、施錠を確認してから小魚を放流する。
「ここなら走って良し!」
「わぁぁぁあい!!!」
瞬間目的もなく走り出すフロイドと対照的にジェイドは私の傍から離れない。昔から大人しい子だったんだなあとしみじみ思いながらジェイドを連れてソファに移動した。未だ走り回っているフロイドを横目にスマホを弄る。
「サムさん、申し訳ないんですけど、小さい子どもでも食べられる何か簡単な食べ物あったら宅配お願いしたいです」
「おやおや小鬼ちゃん。いつの間に子どもなんて産んだの?」
「違いますって。ちょっとハプニングで……」
「OKOK!それじゃ何か適当にお届けするよ!」
「お願いしまぁす」
通話を切ってふぅと息を吐く。いつの間にか静かだと思いきや、隣に座らせたジェイドと反対側に肘をついてフロイドが見上げている。どうやら走り回るのに飽きたらしい。大人しくしていれば本当に天使。
「座るかね、おチビちゃん?」
冗談めかしていうと、大きく首を縦に振る。小さな体を持ち上げてソファの上に座らせた。
「ごはんすぐ持ってきてくれるって」
「ごはんなにぃ?」
「何だろうね」
「きのこ?」
「きのこかあ……どうだろう」
「おぇきのこきらァい」
ぅいーと顔を歪めるフロイドにジェイドがムッと唇を結ぶ。
「きのこ、おいしいですよ!」
「きゃいなもんはきらァい!」
人の膝の上に身を乗り出して牙をむくフロイドにジェイドの瞳がうるぅと潤む。あ、泣くかなと耳を傷める覚悟をしたが、それに反してジェイドはだまってぼたぼたと涙を零すだけだった。こっちの方が心が痛む。
「フロイド。そんなにキツくいったら悲しいよ」
「だってきらいだもん」
「でもジェイドは好きなんだって。フロイドが嫌いなのは分かったからもうちょっと優しく言って」
「うー……じぇいどォなかないで」
フロイドが短い腕を伸ばしてジェイドの頭を撫でようとする。が、どうにも届かず指先でちょいちょいと髪を触るだけだった。
それでもジェイドには伝わったらしく、ぐしぐしと両手で目元をこすると伸ばされたフロイドの指をきゅ、と握った。控えめに言って天使。
愛おしさを誰とも共有できずに悶絶していると、扉を叩く音がした。
「ハァイ、小鬼ちゃん」
「サムさん。ありがとうございます。無理言ってすみません」
「いいのいいの。おやァ?随分と可愛い小魚ちゃんが二匹」
どうやら事情はどこからか聞いていたらしい。部屋を覗き込むと面白そうにそう言って笑った。
「可愛いですよ。上がっていきます?」
「いーや、陽が沈んだあとにレディのお部屋に上がるなんてとんでもナイ!ご注文の品はきっちり届けたし、これで失礼させてもらうよ」
バチン☆とウインクを一つ飛ばして帰っていくサムさんを見送って扉を閉める。
クルーウェル先生は意外なことに、結構気にせずに突然部屋に来るものだからああいったことを言われるのは新鮮だった。
「なるほどジェントルマンとはサムさんのような人をいうのか」
「じぇんとぅま?」
「ま?」
「君達も大きくなったら女の子を大事にできる素敵なジェントルマンになるんだぞ」
ソファの前のローテーブルに食べ物を並べながらそういうと、双子は顔を見合わせてきょとんとしていた。
食事を終えたあと、二人を風呂に入れた。今は幼子とは言え、元は思春期の男子高校生。どうしたものかと悩んだがバタバタと走り回っていたことやそもそも薬品を被っていたことを思い出してバスタイムを決行した。
お湯とは言え水に浸かると思うところがあるのだろう。さっきまでは大人しくしていたジェイドまでがフロイドと一緒になってバシャバシャと暴れるのだから手が付けられない。結局水浸しになったことで諦めがついて、タオルをしっかりと巻き付けてから一緒に風呂に入った。
風呂かラ上がれば全裸で走り出すフロイドに服を着せ、その間に湯冷めしかけていたジェイドの髪を乾かす。世の中のお母さんという存在すべてに敬意を抱いた。
「ジェイド、フロイド。ねんねするよ!」
「ねんね!!」
「はぁい」
ベッドをぼふぼふ叩くとまだ覚束ない足取りで近寄ってくる。
一人ずつベッドの上に抱き上げて布団に潜り込ませた。二人並べて寝かせる。
走り回って疲れたのだろう。すぐにぷぅぷぅと寝息を立て始めたフロイドの向こうで、ジェイドが小さく声を上げる。
「ねえ、」
「ん?どうしたの?」
フロイドを起こさないように小さな声で返事をした。
「おとなりがいい……」
「おとなり?」
コクンと小さく頷く。何が言いたいのかと少し考えて、思い至った。
上体を起こして手招きする。
「フロイドを踏まないようにね」
ジェイドが布団から出て、のそのそと足元を移動する。そーっと慎重に動いて、フロイドの反対側、私の隣にたどり着いた。
「はい、これでいい?」
「ん」
少し持ち上げた布団の中に頭から潜りくるりと回って出てくる。まるで猫か何かのようだと思わず笑ってしまった。
「おやすみ、ジェイド」
「おやしゅみなさ、ぃ」
ジェイドも限界だったのだろう。すぐに大きな目がとろりと閉じられる。すぅすぅと静かな寝息を聞きながら、私も目を閉じた。
「昨日はご苦労だったな。大変だっただろう。褒めてやる」
「クルーウェル先生……!」
ぽふぽふと頭を撫でられて目の前が滲む。大変だったのだ。
朝、クルーウェル先生が部屋を訪ねてきてまだ眠っている双子を連れていった。どうやら難しい薬ではなかったようで二人はすでに寮に戻っているそうだ。
「さて、午後には授業があったはずだが……準備はできているのか、仔犬?」
「う゛……今からやります」
昨日は双子の世話に追われて授業の準備どころではなかった。しかし、授業は午後から。しかも基礎教養の授業なので大仰な準備は必要ない。
軽く予習をして、ああ、トーク用に何か話題がないか図書館で調べよう。そう思って廊下に出た瞬間、背後から声を掛けられた。
「あれぇ、どこ行くのせんせ?」
「昨日はお世話になりました」
振り返ると、見慣れた双子の姿。クルーウェル先生の薬が効いたのだとホッとする。
「図書館に。二人は?体調に異常はない?」
「ぜんぜん元気。むしろなんかちょーすっきりしてる」
そりゃああれだけ走り回って眠ればすっきりもするだろう。
「ところで、先生。昨日のお礼をしたいのですが、放課後お時間はありますか?」
モストロ・ラウンジにご招待しようかと。
そういうジェイドに首を振る。
「お礼なんていいよ。クルーウェル先生のお手伝いみたいなものだったし。」
何より君達みたいな問題児の天使みたいな姿を見れたわけだし。
最後の言葉は飲み込んで笑うと、双子の口端がニィと持ち上がった。
「そうつれないことをおっしゃらずに」
「そーそー。一緒にお風呂まで入った仲じゃん?」
「え……?」
彼らを風呂に入れたこと、クルーウェル先生が話したのだろうか。意外に鼻が利く人だから分かっていたとしてもおかしくはないけれど……。
「実はね、せんせ。オレ達ぜぇんぶ覚えてんの」
「ええ。貴女に大変お世話になった記憶は残っていまして。ですから是非お礼を。」
「いや、そんなお気になさらず……」
クルーウェル先生の部屋まで数メートル。走れば捕まらずに逃げ込めるかもしれない。
じり、と後ずさる。
「だってさ、せんせーが言ったんじゃん?オンナノコを大事にできるジェントルマンに~って」
「お礼はしっかりとさせていただかないと。ジェントルマン失格ですよね?」
「だ、大丈夫だって言ってるじゃないか!!」
もうタイミングなんて見計らっていられない。頭一つも二つも大きな男子生徒に凶悪な笑顔を向けられながら圧を掛けられて大人しくしていられるほど大人ではなかった。
普段は可愛げも無くて履いていても何も嬉しくないスニーカーに感謝しながら脱兎のごとく逃げ出す。
あと数センチで先生の部屋に飛び込めた。
そう、飛び込めたはずなのだ。
学校きっての問題児さえいなければ。いや、そもそも二人がいなければ逃げ出す必要などなくて……。
結局、放課後モストロ・ラウンジへ行く約束を取り付けられ、奥のテーブルで双子に囲まれるという居心地の悪いイベントに巻き込まれたことは言うまでもない。
重厚な扉を隔てていても聞こえるほどの大騒ぎもこの学園では日常的な出来事だ。
「子犬、手元から目を離すな」
「はい、クルーウェル先生」
言われた通り、手元から目を離さずに薬品を混ぜる。
今作っている魔法薬は色が変わったらすぐに火を止めなければならない。少しでも遅れたら失敗。それゆえ、日常茶飯なハプニングごときに気を取られてはいけないのだ。
こぽぽ、とビーカーの中身が音を立てる。そろそろだろうか。
バン!
「ぅわ、え、あ゛」
突然開いた扉。
びくりと肩が跳ね、思わず何事かと入り口に目を向けてしまった。その瞬間、ビーカーの中身がサッと色を変える。急いで火を止めようにも焦りが手元を狂わせた。
鮮やかな青からみるみる濁っていく液体に、ぽきりと心が折れる。
「bad girl. まあ惜しかったがな」
「またお時間いただけますか……」
「いいだろう」
がっくしと肩を落としてもう一度扉の方に視線をやる。今度は驚きではなく憎悪と怒りをほんのりと込めた眼差しで。
「随分と賑やかだね、カリム・アルアジーム」
軽く息を切らしながら入り口に立っている少年を、怒っているのだぞ、と示すためにフルネームで呼ぶ。するとカリムは困った顔で口を開いた。
「錬金術の自習中に魔法薬を零してしまってフロイドとジェイドが大変なことになってしまったんだ!」
背後で深いため息が聞こえる。
柔らかな毛皮が擦れる音がして、クルーウェル先生が立ち上がった。
「魔法薬の取り扱いには気を付けるようにと何度言ったら覚えるんだこの駄犬ども!」
内心でざまーみろ、と舌を出して、靴音を立てながら実験室に向かう先生の後に続いた。
道中のカリムの話では、カリムとジェイドが放課後、錬金術の自習をしているところにフロイドが乱入してきて机の上にあった薬品を零し、驚いたカリムが作っていた薬品のビーカーを倒してそれを双子が被ってしまったという。
「そんなピタゴラスイッチなことってある?」
「ぴた……?なんだ?」
「次の授業で時間があったらやってあげる」
元の世界で見た、ビー玉を転がすだけの単純かつ複雑な映像を思い出して呟く。魔法を一切用いず、位置エネルギーと運動エネルギーのみで思った通りにビー玉を操作できれば、生徒たちはきっと驚くだろう。
必要なものを頭の中でメモしているうちに実験室についた。
「なんです、この声?」
「小動物の鳴き声か……?アルアジーム、一体何の薬を作っていたんだ」
「それがだな、」
答えを待つ前にがちゃりと扉を開ける。
「ああッ、やっと来てくれましたか!待っていましたよ!まったく、なんだってこの僕が……ちょっと、フロイド!そっちへ行ってはいけません!ジェイド!?何を食べているんですか!ペッなさい、ペッ!!」
散乱した薬品と器具。
悲惨なまでに荒れた部屋の中でわたわたと騒ぐアズール・アーシェングロット。
そして、その周りを動き回る青い小さな毛玉が二匹。
「先生、」
「少し口を閉じておりこうさんにしていろ、子犬」
きゅ、と唇を閉じる。顔を見なくとも、ひどく疲弊していることが分かった。この一瞬で先生をこんなに……さすがアズール。
的外れな感心を覚えながら、うごうごばたばたと動き回る小さきものを眺める。
どうみても子どもだ。いくつくらいだろう。頭の中で人間の発達に関する項目を思い出そうとしてすぐに諦める。
青い髪に一房色の濃い毛束。カリムやアズールの言葉からもこの二つのもちもちした生き物は双子で間違いないだろう。
「まあ随分小さくなっちゃって……」
「かわいいな!」
「ここから見てる分にはね」
何事か、時折ため息交じりに言葉を交わすクルーウェル先生とアズールを遠目に見ながらも、ちびちゃんたちに視線を奪われる。
ふと、片方がじぃとこちらを見つめてきた。大きな目がぱちくりと瞬きする。
「子犬、それを逃がすな」
「え、はい、先生!」
短い脚でよちよちと一生懸命に向かってくる子どもをしゃがみ込んで待ち受ける。長い時間をかけて足元に到達したそれはにこぉっと効果音でも付きそうな笑顔を向けてきた。
「ん゛ん゛ッ」
「どうしたんだ先生!?」
あまりの可愛さに思わず出てしまった悶絶の声に、隣にいたカリムが大声を出す。その声に驚いたのか足元では泣き声が上がった。
「わあぁ、ごめん、ごめんね~怖かったね~」
急いで抱き上げて猫なで声を出した。思ったよりも重たくてすこしびっくりする。
次第に泣き声を収め、ひくひくとしゃくりあげるだけになった幼子を観察する。髪の分け目と釣り目がちな目元からしてこっちはジェイドだろう。
「ジェイドはえらいね~泣かないね~」
ゆらゆらと体を揺らしながら無理やりに笑う。小さい子どもの扱い方など私は知らない。だって幼児は専門外。
先生に助けを求めようとしても、まだアズールとの話は終わっていないようだ。
どうしたものかと視線を彷徨わせる私の足にひたりと何かが触った。
「フロイド……?」
「ねえ!」
「どうしたの?」
「おぇもだっこ!」
両手をいっぱいに伸ばしてだっこを強請る子どもに今度こそ卒倒するかと思った。
なんだこの天使は。
とはいえ、私の腕にはすでにジェイドがいる。いくら小さいとはいえ、二人を一度に抱き上げることは出来なそうだ。どうしたことかと考えているうちにフロイドの機嫌が急降下していく。
「なんでぇぇ!!だっこぉぉおお!!」
スラックスの裾を握りしめたまま仰向けになって喚く。ああ、スーパーで見かけるやつだぁ……
思考を放棄して呆然とフロイドを見下ろす私にクルーウェル先生が声を掛けた。
「仔犬」
「、はいッ」
「俺は今からこの駄仔犬どもを元に戻す薬を作る。お前には、」
「はい!お手伝いですね」
「この生きの良い仔犬どもの面倒を任せた」
「はいぃぃ??」
そうと決まればチビどもを連れてさっさと出て行くように。そう言われてカリムと双子ともども実験室から追い出された。未だ床に転がって泣きわめいているフロイドと腕に抱かれほっぺたをぐにぐに引っ張ってくるジェイド。そしてそれらを前にどうすれば良いか分からず困り果てるカリムと私。
「とりあえず、カリムはもう戻りなさい。明日の授業の課題終わってないでしょう?」
放課後ジェイドと自習をしていたというなら、まだやることが山ほど残っているだろう。気を使っている素振りを見せて寮へと促す。しかし、カリムはひかない。
「ああ、でも大丈夫だぞ!オレも手伝おう」
「これ以上子どもが増えるのは困る。大人しく寮に戻って」
本音が出た。
その語気が強かったのだろう。カリムはまだ少し渋る様子を見せたが、諦めて寮へ続く鏡舎へと向かっていった。
「さて、と」
足元のフロイドに気を付けながらしゃがみ込む。片膝を立ててジェイドをそこに座らせると空いた片手をフロイドに差し出した。
「はい、おいで」
その言葉に今までのは何だったのかと思う程ぴたっと泣き止んだフロイドがぎゅうと抱き付いてきた。
「だっこ!」
「はいはい。ジェイドもしっかりつかまっててね」
よっこいせ、と色気も可愛げもない掛け声をかけて立ち上がる。両腕に口が利けるほどの大きさの幼児を抱え、立ち上がるのがこんなにしんどいとは思わなかった。
しかし、舐めてもらっては困る。自慢ではないが、学生時代の趣味はアルバイト。重たい荷物を運ぶことなんて朝飯前だ!
「ねえねえ!ごはァん!」
「ふろぃど、うるしゃいれすよ」
「おぇおなかしゅいたぁ!」
「わぁかった!わかったからじっとしてて!」
腕の中で喚いて暴れる稚魚どもは小麦粉の袋よりもパックジュースのコンテナよりも重くて運びづらい。なんとか自分の部屋にたどり着いて、施錠を確認してから小魚を放流する。
「ここなら走って良し!」
「わぁぁぁあい!!!」
瞬間目的もなく走り出すフロイドと対照的にジェイドは私の傍から離れない。昔から大人しい子だったんだなあとしみじみ思いながらジェイドを連れてソファに移動した。未だ走り回っているフロイドを横目にスマホを弄る。
「サムさん、申し訳ないんですけど、小さい子どもでも食べられる何か簡単な食べ物あったら宅配お願いしたいです」
「おやおや小鬼ちゃん。いつの間に子どもなんて産んだの?」
「違いますって。ちょっとハプニングで……」
「OKOK!それじゃ何か適当にお届けするよ!」
「お願いしまぁす」
通話を切ってふぅと息を吐く。いつの間にか静かだと思いきや、隣に座らせたジェイドと反対側に肘をついてフロイドが見上げている。どうやら走り回るのに飽きたらしい。大人しくしていれば本当に天使。
「座るかね、おチビちゃん?」
冗談めかしていうと、大きく首を縦に振る。小さな体を持ち上げてソファの上に座らせた。
「ごはんすぐ持ってきてくれるって」
「ごはんなにぃ?」
「何だろうね」
「きのこ?」
「きのこかあ……どうだろう」
「おぇきのこきらァい」
ぅいーと顔を歪めるフロイドにジェイドがムッと唇を結ぶ。
「きのこ、おいしいですよ!」
「きゃいなもんはきらァい!」
人の膝の上に身を乗り出して牙をむくフロイドにジェイドの瞳がうるぅと潤む。あ、泣くかなと耳を傷める覚悟をしたが、それに反してジェイドはだまってぼたぼたと涙を零すだけだった。こっちの方が心が痛む。
「フロイド。そんなにキツくいったら悲しいよ」
「だってきらいだもん」
「でもジェイドは好きなんだって。フロイドが嫌いなのは分かったからもうちょっと優しく言って」
「うー……じぇいどォなかないで」
フロイドが短い腕を伸ばしてジェイドの頭を撫でようとする。が、どうにも届かず指先でちょいちょいと髪を触るだけだった。
それでもジェイドには伝わったらしく、ぐしぐしと両手で目元をこすると伸ばされたフロイドの指をきゅ、と握った。控えめに言って天使。
愛おしさを誰とも共有できずに悶絶していると、扉を叩く音がした。
「ハァイ、小鬼ちゃん」
「サムさん。ありがとうございます。無理言ってすみません」
「いいのいいの。おやァ?随分と可愛い小魚ちゃんが二匹」
どうやら事情はどこからか聞いていたらしい。部屋を覗き込むと面白そうにそう言って笑った。
「可愛いですよ。上がっていきます?」
「いーや、陽が沈んだあとにレディのお部屋に上がるなんてとんでもナイ!ご注文の品はきっちり届けたし、これで失礼させてもらうよ」
バチン☆とウインクを一つ飛ばして帰っていくサムさんを見送って扉を閉める。
クルーウェル先生は意外なことに、結構気にせずに突然部屋に来るものだからああいったことを言われるのは新鮮だった。
「なるほどジェントルマンとはサムさんのような人をいうのか」
「じぇんとぅま?」
「ま?」
「君達も大きくなったら女の子を大事にできる素敵なジェントルマンになるんだぞ」
ソファの前のローテーブルに食べ物を並べながらそういうと、双子は顔を見合わせてきょとんとしていた。
食事を終えたあと、二人を風呂に入れた。今は幼子とは言え、元は思春期の男子高校生。どうしたものかと悩んだがバタバタと走り回っていたことやそもそも薬品を被っていたことを思い出してバスタイムを決行した。
お湯とは言え水に浸かると思うところがあるのだろう。さっきまでは大人しくしていたジェイドまでがフロイドと一緒になってバシャバシャと暴れるのだから手が付けられない。結局水浸しになったことで諦めがついて、タオルをしっかりと巻き付けてから一緒に風呂に入った。
風呂かラ上がれば全裸で走り出すフロイドに服を着せ、その間に湯冷めしかけていたジェイドの髪を乾かす。世の中のお母さんという存在すべてに敬意を抱いた。
「ジェイド、フロイド。ねんねするよ!」
「ねんね!!」
「はぁい」
ベッドをぼふぼふ叩くとまだ覚束ない足取りで近寄ってくる。
一人ずつベッドの上に抱き上げて布団に潜り込ませた。二人並べて寝かせる。
走り回って疲れたのだろう。すぐにぷぅぷぅと寝息を立て始めたフロイドの向こうで、ジェイドが小さく声を上げる。
「ねえ、」
「ん?どうしたの?」
フロイドを起こさないように小さな声で返事をした。
「おとなりがいい……」
「おとなり?」
コクンと小さく頷く。何が言いたいのかと少し考えて、思い至った。
上体を起こして手招きする。
「フロイドを踏まないようにね」
ジェイドが布団から出て、のそのそと足元を移動する。そーっと慎重に動いて、フロイドの反対側、私の隣にたどり着いた。
「はい、これでいい?」
「ん」
少し持ち上げた布団の中に頭から潜りくるりと回って出てくる。まるで猫か何かのようだと思わず笑ってしまった。
「おやすみ、ジェイド」
「おやしゅみなさ、ぃ」
ジェイドも限界だったのだろう。すぐに大きな目がとろりと閉じられる。すぅすぅと静かな寝息を聞きながら、私も目を閉じた。
「昨日はご苦労だったな。大変だっただろう。褒めてやる」
「クルーウェル先生……!」
ぽふぽふと頭を撫でられて目の前が滲む。大変だったのだ。
朝、クルーウェル先生が部屋を訪ねてきてまだ眠っている双子を連れていった。どうやら難しい薬ではなかったようで二人はすでに寮に戻っているそうだ。
「さて、午後には授業があったはずだが……準備はできているのか、仔犬?」
「う゛……今からやります」
昨日は双子の世話に追われて授業の準備どころではなかった。しかし、授業は午後から。しかも基礎教養の授業なので大仰な準備は必要ない。
軽く予習をして、ああ、トーク用に何か話題がないか図書館で調べよう。そう思って廊下に出た瞬間、背後から声を掛けられた。
「あれぇ、どこ行くのせんせ?」
「昨日はお世話になりました」
振り返ると、見慣れた双子の姿。クルーウェル先生の薬が効いたのだとホッとする。
「図書館に。二人は?体調に異常はない?」
「ぜんぜん元気。むしろなんかちょーすっきりしてる」
そりゃああれだけ走り回って眠ればすっきりもするだろう。
「ところで、先生。昨日のお礼をしたいのですが、放課後お時間はありますか?」
モストロ・ラウンジにご招待しようかと。
そういうジェイドに首を振る。
「お礼なんていいよ。クルーウェル先生のお手伝いみたいなものだったし。」
何より君達みたいな問題児の天使みたいな姿を見れたわけだし。
最後の言葉は飲み込んで笑うと、双子の口端がニィと持ち上がった。
「そうつれないことをおっしゃらずに」
「そーそー。一緒にお風呂まで入った仲じゃん?」
「え……?」
彼らを風呂に入れたこと、クルーウェル先生が話したのだろうか。意外に鼻が利く人だから分かっていたとしてもおかしくはないけれど……。
「実はね、せんせ。オレ達ぜぇんぶ覚えてんの」
「ええ。貴女に大変お世話になった記憶は残っていまして。ですから是非お礼を。」
「いや、そんなお気になさらず……」
クルーウェル先生の部屋まで数メートル。走れば捕まらずに逃げ込めるかもしれない。
じり、と後ずさる。
「だってさ、せんせーが言ったんじゃん?オンナノコを大事にできるジェントルマンに~って」
「お礼はしっかりとさせていただかないと。ジェントルマン失格ですよね?」
「だ、大丈夫だって言ってるじゃないか!!」
もうタイミングなんて見計らっていられない。頭一つも二つも大きな男子生徒に凶悪な笑顔を向けられながら圧を掛けられて大人しくしていられるほど大人ではなかった。
普段は可愛げも無くて履いていても何も嬉しくないスニーカーに感謝しながら脱兎のごとく逃げ出す。
あと数センチで先生の部屋に飛び込めた。
そう、飛び込めたはずなのだ。
学校きっての問題児さえいなければ。いや、そもそも二人がいなければ逃げ出す必要などなくて……。
結局、放課後モストロ・ラウンジへ行く約束を取り付けられ、奥のテーブルで双子に囲まれるという居心地の悪いイベントに巻き込まれたことは言うまでもない。
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