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金革(きんかく)
「鬼殺の剣は、文字どおり鬼を殺す。じゃが同時に、理から外れた『人』を正しき道に戻すための刃にもなる」
そう語る老人――桑島慈悟郎は、自室の刀掛けに鎮座する刀袋を取り上げた。うやうやしく中を開けば白鞘が顔をのぞかせる。これは、彼が現役の鬼殺隊士だった頃に使用していたものだ。鬼との闘いで右脚を失い鳴柱を引退するまでの期間、ともに戦い抜いた愛刀。めっきり出番をなくしていた相棒は、慈悟郎の手入れによって当時の美しさを保っていた。
慈悟郎が振り返れば、弟子が正座をしてこちらを見上げている。気弱そうに眉尻を下げるこの子は名を我妻善逸といった。数か月前、出会い頭に才を見込んで慈悟郎自らが拾った孤児だった。
「鬼は人を喰う。罪なき人が被害に合わぬよう、鬼を討たねばならん。それは教えたな?」
「ヒッ……、う、うん。鬼は人を喰うんだよね。いや怖すぎるけど、うん」
「そうじゃ。しかし、鬼の正体もまた『人』。理を外れた哀れな人間なんじゃよ」
善逸と正対するように畳に座った慈悟郎は、これまで伝えていなかった事実を弟子に共有した。慈悟郎は善逸を刀を握れるよう鍛え、異形と戦う使命を課した。泣いても喚いても嫌がっても、全力をもって連れ戻し鍛え上げた。精神的な面はさておいて、技を授ける頃合いなのだ。そのためにこれは伝えておかねばならない。
善逸は慈悟郎の言葉を理解できなかったのか、二度、三度を瞬きをした。しばらくの静寂のあと、鼓膜が破れんばかりの奇声が発せられた。
「イヤアアアア!!うそでしょ、うそでしょ!!人間が鬼になるの!?そんで人を食べるの!?そんな奴と戦えっていうの無理無理無理無理!!鬼と戦うって聞いただけでも無理だと思ったのにそんなの恐ろしくて即死んでしまうよイヤアアアア!!!!!!」
「静かにせんかバカモンが!!」
「ギャンッ!!」
大音量の泣き言は一発のゲンコツで静かになる。えぐえぐと鼻をすする顔はもう見慣れたもので、慈悟郎は気を取り直して話を続ける。
「善逸。お前には今日、ひとつの技を授ける。初代鳴柱が当時難攻不落だった上弦の鬼を打ち倒したといわれる、由緒正しい技じゃ」
「ううう、申し訳ないけどさ、そんなスゴイ技きっと俺なんかじゃ覚えられないよ」
「まあ聞け。この技はお前だからこそ出来ると、わしは思っておる」
「……へ?」
「稽古場で説明しよう。ほら、準備するんじゃ」
* * *
慈悟郎の手には杖の代わりに愛刀があった。義足で不自由な体を他の四肢で庇いながら、壱ノ型の構えをとる。
――見取り稽古だ。脚への負担がかかるため、このような機会はめったに設けられない。それでも慈悟郎は、どうしても見せたかった。善逸にこの技を。
姿勢は前傾に。息は深く吸って浅く吐く。愛刀の柄頭から垂れる二本の細い紐が風に揺られるのを見つめながら、頭の先から脚の爪先までの血流を認識し、前に出した左脚へと意識を集中させる。
二本の紐が地面と垂直になった……瞬間。
「壱ノ型 霹靂一閃」
それは空を切り裂く雷光のごとく。まさに電光石火の速さであった。
慈悟郎の目の前にあったカカシは一刀両断されており、断面には乱れひとつなかった。
義足である彼にもう現役時代の速さは出せない。それでも善逸の目には、まるで慈悟郎が瞬間移動したかのように見えた。
「じ……爺ちゃんすっごいよ!!かっこいい!!」
慈悟郎は尊敬のまなざしを向ける弟子にぽっと顔を赤らめつつも、やはり当時のようにはいかず、ぐらつく身体を立て直そうとする。その様子に気づいた善逸が慌ててかけ寄ってその身を支えた。
「じ、爺ちゃん、ごめん。もしかして俺のために無理した?」
「無理なんぞしとらんわ。必要だから見せたんじゃ」
善逸の肩を借りて木陰に腰を下ろすと、一息ついて慈悟郎は善逸の瞳を見た。怯えと不安の中に光る、彼がもつ強い意志を見つめて。静かに、大切に言葉を紡ぐ。
「見たか。霹靂一閃を」
「うん。……すごかった」
「斬られた者さえ気づかぬほどに、速く鋭い一太刀じゃ。善逸、この技で人を守れ。鬼となった『人』をあるべき道に戻してやれ」
善逸は唇を噛み締めた。泣き出さないだけマシであったが「俺には無理だよ」の顔だ。
慈悟郎は知っている。善逸は誰よりも自分のことを信じられない子だった。けれど、誰よりも芯の通った子であることを、慈悟郎はよく分かっている。
「善逸。お前は人の言葉を信じることができるな。何があっても揺らがず、信じぬくことができる。それは立派な強さなんじゃ。誰しもが当たり前に出来ることではない」
太刀筋は刀を握る者の精神力と直結するもの。迷いがあれば太刀筋も鈍る。目にも留まらぬ速さと切れ味で鬼の頸を落とす一閃には芯が、『信』こそが重要なのだ。
慈悟郎は善逸の肩に手をかけて、慎重に言葉を選ぶ。
「己を信じられぬと言うなら、わしの言葉を信じろ。鬼の行く手に立ちはだかって、人の命を守る盾となり、鬼を人の道に戻す刃になるんじゃ。奪うためではなく人を生かすための剣士に、お前ならなれる。必ずできる」
涙でぐらりと揺れた少年の瞳はあまりにも幼い。さりとてその幼さに似つかわしくない強さを秘めている。己と出会う前にどれだけの苦しみや悲しみが、この子を痛めつけたか分からない。
けれど、それでも、これほどまでに真っすぐな子だ。人と真摯に向き合えるこの子には、いやこの子だからこそ、救える命があるはずなのだ。
慈悟郎は善逸の言葉を待った。
「お、おれには……」
しばらくして善逸が、震えた声を絞り出した。
「俺には、無理だと思うよ。弱いし、すぐ泣くし、すぐ逃げるし。爺ちゃんみたいに強くてかっこいい剣士になれるわけないし、誰かを守るとか、生かすとか、そんな立派なことできないと思う」
「でも……」まっすぐと師匠を見つめる瞳から、大粒の涙がこぼれた。とても澄んだ瞳だった。
「俺を信じてくれる爺ちゃんを、俺は信じたいよ」
「――うむ。お前はわしが見込んだ奴じゃ。わしを信じろ」
十分すぎる回答に、慈悟郎は歯を見せて破顔した。善逸は慈悟郎に抱き着き、肩に顔を寄せてわんわんと泣いた。
裏切られ、見捨てられてばかりの人生で、生まれて初めて与えられた他人からの期待。善逸にとって慈悟郎の言葉がどれだけ幸福で、嬉しくて、大切なものであったか。きっと彼以外誰もわからないだろう。
その日。
善逸は、『霹靂一閃』を習得した。
「鬼殺の剣は、文字どおり鬼を殺す。じゃが同時に、理から外れた『人』を正しき道に戻すための刃にもなる」
そう語る老人――桑島慈悟郎は、自室の刀掛けに鎮座する刀袋を取り上げた。うやうやしく中を開けば白鞘が顔をのぞかせる。これは、彼が現役の鬼殺隊士だった頃に使用していたものだ。鬼との闘いで右脚を失い鳴柱を引退するまでの期間、ともに戦い抜いた愛刀。めっきり出番をなくしていた相棒は、慈悟郎の手入れによって当時の美しさを保っていた。
慈悟郎が振り返れば、弟子が正座をしてこちらを見上げている。気弱そうに眉尻を下げるこの子は名を我妻善逸といった。数か月前、出会い頭に才を見込んで慈悟郎自らが拾った孤児だった。
「鬼は人を喰う。罪なき人が被害に合わぬよう、鬼を討たねばならん。それは教えたな?」
「ヒッ……、う、うん。鬼は人を喰うんだよね。いや怖すぎるけど、うん」
「そうじゃ。しかし、鬼の正体もまた『人』。理を外れた哀れな人間なんじゃよ」
善逸と正対するように畳に座った慈悟郎は、これまで伝えていなかった事実を弟子に共有した。慈悟郎は善逸を刀を握れるよう鍛え、異形と戦う使命を課した。泣いても喚いても嫌がっても、全力をもって連れ戻し鍛え上げた。精神的な面はさておいて、技を授ける頃合いなのだ。そのためにこれは伝えておかねばならない。
善逸は慈悟郎の言葉を理解できなかったのか、二度、三度を瞬きをした。しばらくの静寂のあと、鼓膜が破れんばかりの奇声が発せられた。
「イヤアアアア!!うそでしょ、うそでしょ!!人間が鬼になるの!?そんで人を食べるの!?そんな奴と戦えっていうの無理無理無理無理!!鬼と戦うって聞いただけでも無理だと思ったのにそんなの恐ろしくて即死んでしまうよイヤアアアア!!!!!!」
「静かにせんかバカモンが!!」
「ギャンッ!!」
大音量の泣き言は一発のゲンコツで静かになる。えぐえぐと鼻をすする顔はもう見慣れたもので、慈悟郎は気を取り直して話を続ける。
「善逸。お前には今日、ひとつの技を授ける。初代鳴柱が当時難攻不落だった上弦の鬼を打ち倒したといわれる、由緒正しい技じゃ」
「ううう、申し訳ないけどさ、そんなスゴイ技きっと俺なんかじゃ覚えられないよ」
「まあ聞け。この技はお前だからこそ出来ると、わしは思っておる」
「……へ?」
「稽古場で説明しよう。ほら、準備するんじゃ」
* * *
慈悟郎の手には杖の代わりに愛刀があった。義足で不自由な体を他の四肢で庇いながら、壱ノ型の構えをとる。
――見取り稽古だ。脚への負担がかかるため、このような機会はめったに設けられない。それでも慈悟郎は、どうしても見せたかった。善逸にこの技を。
姿勢は前傾に。息は深く吸って浅く吐く。愛刀の柄頭から垂れる二本の細い紐が風に揺られるのを見つめながら、頭の先から脚の爪先までの血流を認識し、前に出した左脚へと意識を集中させる。
二本の紐が地面と垂直になった……瞬間。
「壱ノ型 霹靂一閃」
それは空を切り裂く雷光のごとく。まさに電光石火の速さであった。
慈悟郎の目の前にあったカカシは一刀両断されており、断面には乱れひとつなかった。
義足である彼にもう現役時代の速さは出せない。それでも善逸の目には、まるで慈悟郎が瞬間移動したかのように見えた。
「じ……爺ちゃんすっごいよ!!かっこいい!!」
慈悟郎は尊敬のまなざしを向ける弟子にぽっと顔を赤らめつつも、やはり当時のようにはいかず、ぐらつく身体を立て直そうとする。その様子に気づいた善逸が慌ててかけ寄ってその身を支えた。
「じ、爺ちゃん、ごめん。もしかして俺のために無理した?」
「無理なんぞしとらんわ。必要だから見せたんじゃ」
善逸の肩を借りて木陰に腰を下ろすと、一息ついて慈悟郎は善逸の瞳を見た。怯えと不安の中に光る、彼がもつ強い意志を見つめて。静かに、大切に言葉を紡ぐ。
「見たか。霹靂一閃を」
「うん。……すごかった」
「斬られた者さえ気づかぬほどに、速く鋭い一太刀じゃ。善逸、この技で人を守れ。鬼となった『人』をあるべき道に戻してやれ」
善逸は唇を噛み締めた。泣き出さないだけマシであったが「俺には無理だよ」の顔だ。
慈悟郎は知っている。善逸は誰よりも自分のことを信じられない子だった。けれど、誰よりも芯の通った子であることを、慈悟郎はよく分かっている。
「善逸。お前は人の言葉を信じることができるな。何があっても揺らがず、信じぬくことができる。それは立派な強さなんじゃ。誰しもが当たり前に出来ることではない」
太刀筋は刀を握る者の精神力と直結するもの。迷いがあれば太刀筋も鈍る。目にも留まらぬ速さと切れ味で鬼の頸を落とす一閃には芯が、『信』こそが重要なのだ。
慈悟郎は善逸の肩に手をかけて、慎重に言葉を選ぶ。
「己を信じられぬと言うなら、わしの言葉を信じろ。鬼の行く手に立ちはだかって、人の命を守る盾となり、鬼を人の道に戻す刃になるんじゃ。奪うためではなく人を生かすための剣士に、お前ならなれる。必ずできる」
涙でぐらりと揺れた少年の瞳はあまりにも幼い。さりとてその幼さに似つかわしくない強さを秘めている。己と出会う前にどれだけの苦しみや悲しみが、この子を痛めつけたか分からない。
けれど、それでも、これほどまでに真っすぐな子だ。人と真摯に向き合えるこの子には、いやこの子だからこそ、救える命があるはずなのだ。
慈悟郎は善逸の言葉を待った。
「お、おれには……」
しばらくして善逸が、震えた声を絞り出した。
「俺には、無理だと思うよ。弱いし、すぐ泣くし、すぐ逃げるし。爺ちゃんみたいに強くてかっこいい剣士になれるわけないし、誰かを守るとか、生かすとか、そんな立派なことできないと思う」
「でも……」まっすぐと師匠を見つめる瞳から、大粒の涙がこぼれた。とても澄んだ瞳だった。
「俺を信じてくれる爺ちゃんを、俺は信じたいよ」
「――うむ。お前はわしが見込んだ奴じゃ。わしを信じろ」
十分すぎる回答に、慈悟郎は歯を見せて破顔した。善逸は慈悟郎に抱き着き、肩に顔を寄せてわんわんと泣いた。
裏切られ、見捨てられてばかりの人生で、生まれて初めて与えられた他人からの期待。善逸にとって慈悟郎の言葉がどれだけ幸福で、嬉しくて、大切なものであったか。きっと彼以外誰もわからないだろう。
その日。
善逸は、『霹靂一閃』を習得した。
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