【解放者―act.1悟天の邂逅-】
プロローグ
背徳の鎖に縛られたままの兄。
愚かな俺の想い人。
兄を縛る鎖を手放す者は―
俺か。
父か。
act1. 悟天の邂逅
まるで黒い絵の具を溶かしたような闇の中に、夜を待ちわびた虫たちの喜びの声が星空に向かって鳴り響いていた。
暗がりであるにも関わらず、漆黒の羽が見つかるのを恐れるかのように彼らは草葉の陰に身を潜め、短い生涯を共に過ごす伴侶を求めて薄い両の羽を懸命にこすり合わせている。
その声を遮断する悟天の部屋の遮光カーテンの内側では、秋の虫たちと同じく発覚を恐れるべき狂気の饗宴が繰り広げられていた―
開いた鈴口にシリコン製の細い管を挿入すると、それまで喘いでいた声の調子が、明らかに快感とは別のものへと変貌していった。
痛いのかも知れない―
そう思うと、挿入を始めた悟天の手が躊躇して止まった。
強張った頬で恐る恐る兄の顔を下から伺うと、苦し気に眉根は寄せられているものの、その表情は先ほどとさして変わりはないように思えた。
痛いのなら、遠慮なくそう訴えるはずだ―
自身をそう納得させて、悟天は兄の尿道にカテーテルを挿入する行為を再開した。
そう、結局のところ上下関係が存在する親子の関係と違って、兄弟間には遠慮や配慮はいらないのだ。
親から愛されている自覚がある子供ほど親をがっかりさせたくないと望むものだが、横のつながりの兄弟間では、相手への期待も失望もないに等しい。
故に、親には見せられない弱点や汚点も、兄弟なら気兼ねなく晒け出せる。
ましてや悟飯は悟天よりも年長なのだ、痛いものを『痛い』と言うことに、何の憚りがあるだろうか。
だが、序盤の今だからこそ痛みがないだけなのかも知れない。
それを考えるとこの段階での安堵は時期尚早だと、悟天は己を戒めた。
これが膀胱に達するまで、まだまだ時間がかかる。
その間にほんの僅かであっても愛しい兄の躰の一部を傷つけるわけにはいかないと、悟天は神経を集中させて、慎重にことを進めた。
その集中力を勉学に生かせないものかと、行為が終わった後で兄に詰られる羽目になるだろうが、それもこれもすべてが終わってからのことだ、構うものか。
第一、情事の後に弟を詰る余裕が兄に残っているとは限らないではないか。
「くぅ・・・っ!うっ、うっ、くふっ・・・!」
注意深く中を探りながらゆっくりカテーテルを送り込むと、兄は快感とも苦痛ともとれる呻き声を咽喉の奥から絞り出した。
違和感、異物感、不快感。
今の兄を支配しているのは、どの感覚なのだろうか。
尿道責めは慣れれば快感になるそうだが、初めから快感を得られる者は滅多にいないと聞く。
兄が鳩尾を突き出すようにして背をしならせているのは快感によるものではなく、きっと、リスクの高い責めを初めて経験する恐怖に腰の辺りがゾクゾクしているからだろう。
だが、この恐怖こそが肝要なのだ。
一説によると、恐怖と快感は脳の同じ部位が感知するのだそうだ。
何をされるのかわからない状態の目隠しや拘束されて抵抗できない状況で、攻められる側がより深い快感を得られるのは、この為だ。
さらには、痛みを感じても脳内の同じ場所が作動するという。
となれば、SMプレイというのは非常に理に適ったプレイだということになる。
なるほど、世の中にSMプレイを愉しむカップルが後を絶たないわけだと、この記事を読んだ時に悟天は思った。
だが、SMプレイを愉しむカップルのうち、攻め手側の人間のすべてが攻めに向いているわけではないという。
それというのも、プレイによっては受け手側に負傷させないように攻め手側が細心の注意を払わねばならず、攻め手側は受け手側が何を望んでいるのか敏感に察知できる能力を備えていないとならないからだそうだった。
いわば、気配り上手な人間ほどSMプレイの攻め手に向いているのだそうだ。
その点で考えると、兄の攻め手役に悟天は最適だと言えた。
兄が何を望んでいるかすぐにわかる上に、兄にはいつでも悟天を拒絶できる権利があり、悟天も兄が本気で嫌がる行為を強要できないからだ。
兄を凌辱するだけの父と、父に蹂躙されるだけの兄の関係との決定的な相違点だった。
兄は、あまりにも支配されることに慣れ過ぎていた。
一方的に嬲られ、弄ばれることに慣れきっていた為、兄は抵抗もしなければ自ら快感を求めることもしなかった。
悟天との関係が落ち着くまでの、悟天が強引に兄を抱いていた時期は別として。
兄がすんなり悟天を受け入れてくれるようになってすぐに、父と兄のセックスがオーソドックスなものでしかなかったのを、悟天は悟った。
多少の体位の変動はあっただろうが、基本的に兄は仰向けに寝転がるか、四つん這いになるだけだったようだ。
兄が自由に動ける体位や兄が快感を求めやすい体位などは、試したことすらなかったそうだ。
物事に無頓着な父らしく、一切の冒険もない。
こんな状態でよくもまあ10年以上の長きに渡ってマンネリ化しなかったものだと、悟天は呆れるのを通り越して感心すらしていた。
そんな事情から己の中の快感を追うことも探ることもしなかった兄に、悟天は性の愉しみ方を教えた。
兄自らが快感を求めやすい体位を調べて実践し、どうして欲しいのか、どこがどう感じるのかを言葉で訴えさせ、交渉時には高い自由度を与えた。
もとより絶対的な経験値が違う為、悟天が兄をリードするには限界があった。
それに、リードの巧みさを父と比べられるのも癪に障る。
そこで悟天はある程度のイニシアチブを兄に与えることで、兄の開発と、父との比較対象外になることの双方に成功したのである。
この成功の裏には、変わったプレイを試して、行為の最中に兄の脳裏に父の姿がオーバーラップしないように工夫を凝らした悟天の努力があったのは言うまでもない。
そんな悟天の努力が功を奏し、兄が己の快感に抗わなくなってきた頃、悟天はある実験を行った。
台所からくすねてきた酒を、兄の尻に注ぎ込んだのだ。
直腸がアルコールを吸収する危険を知っていた為、量は咽喉で嚥下する際のひとくち程度と少量だったが、それでもあの時の兄の乱れっぷりは凄まじかった。
恥ずかしげもなく唾液を顎まで垂れ流し、そこらじゅうを透明の体液で汚し、尻が灼けつくようだと何度も訴えながら悟天の動きに合わせて自ら激しく腰を揺らしていた。
挿入した直後はアルコールが粘膜に沁みて激痛が走ったが、発熱を思わせるほど熱くなった兄の内部は、想像以上の快感を悟天にもたらした。
その内部はより深い快感を求めて絶えず収縮を繰り返し、ところどころで理性が飛んだ兄は、髪を振り乱しながら絶頂の瞬間を口走って何度も達した。
それからというもの、悟天とのセックスにおいて兄の理性の柵はそれまでの高度を維持しなくなった。
いちど許してしまえばあとは何とやら、である。
本能に身を任せた兄の痴態は、格別だった。
おそらくは父も、兄のこんな姿は知らないだろう。
遠慮のいらない兄弟という間柄で、悟天が目下だからこそ、兄が臆する必要はないからだ。
こうして兄が本能のままに快感を追い求めるようになると、悟天は少しずつ兄に恥辱と痛みを与え始めていった。
この行為がさらに兄の快感を引き出していったのは言うまでもないが、当初の思惑と違って、悟天は途中からこれらをやめられなくなってしまっていた。
何故ならば、嬲られれば嬲られるほど、兄の色香が艶を増したからだった。
苦痛や恥辱に唇を噛んで耐える兄からはえも言われぬ色香が漂い、この色香が、悟天の奥底に眠る獣を揺り起こした。
その獣が、もっと兄を辱めよと、先刻から悟天の耳元で囁きかけている。