【背徳の鎖を手繰り寄せし者の名は-後編-】

この日初めて悟空が耳にした悟飯の本音は長い間悟飯の中に溜め込まれたものであり、その事実が尚更深く悟空の心臓をえぐった。
眼鏡を外した悟飯の瞳からは大粒の涙が溢れ出し、両手で顔を覆っても後から後から流れる涙はカーペットへと吸い込まれてゆく。
その涙が悟空に、息子への謝罪を促していた。

「なぁ、悟飯・・・。オラ、自分勝手だったか?」

「違・・・います・・・」


地球を守る為に常に最強で在らんとする父を悟飯は尊敬こそすれ、自分勝手だなどと思ったことは一度もない。

「悪ぃな、悟飯。オラ、おめぇの気持ち、ちゃんと考えてなかったみてぇだな。そんで頭に血が昇って、おめぇに酷ぇことしちまった」

待たせるのが当たり前だった悟空には、待ち続ける者の辛さなどおおよその見当もつかない。
それが悟飯に、父に棄てられたと勘違いさせる状況を造り出してしまった。
その状態から立ち直る為に弟に縋り付いた悟飯を、今の今まで『浮気者』となじって責めていたのだ。
きっかけを与えたのは自分だったのに。
はは、情けねぇなや、と力なく笑う悟空の頭を、悟飯は慰めるように抱く。

「いいんです、お父さん、何でもするって言ったのは僕ですから。僕の方こそ、あの当時は冷静さを欠いて、自分を見失っていました」

互いの思い違いが解消されると、それまで悟空を支配していた怒りに代わって、胸に悟飯への愛しさが込み上げてきた。
今は、とにかく悟飯を抱きたい。

「なぁ、続き、していいか?」

「はい」

そんなこと、聞かれるまでもない。

「オラ久し振りだから、加減できねぇでもっと酷ぇことしちまうかも知んねぇぞ?」

「構いませんよ、お父さん」






そうして夜の色が薄らぎ始め、ようやく悟飯が解放された時には既に声は枯れ果て、精の一滴も残っていなかった。
朝、携帯の目覚ましで起きられたのは奇跡としか言いようがない。
目が覚めた時には書斎の仮眠用のソファにパジャマを着せられた状態で横になっており、二人分のあらゆる体液でドロドロに汚れた体もすべて元通りになっていた。
だが、起き上がった体は重く怠く、歩く度に関節がギシギシと悲鳴を上げ、まるで泥沼の中を歩いているようだと思う。
擦り切れた秘部と、激しく何度も突き上げられた腸壁が痛んだが、ヒリヒリとした痛みを感じるのは別れ間際に悟空に噛まれた舌も、だった。

「今度こそ待っててくれ、悟飯。オラは必ず帰って来る。だから、オラが帰るまでに悟天とは終わっておけ。わかったな、悟飯ッ!!」

父の言葉に返事も出来ずにそのまま意識を失い、携帯の目覚まし音で意識を回復した時には父の姿はなく、スチール製のデスクの上には僅かな白濁液を残したコーヒーカップが寂しそうに置かれていた。
悟飯が起きて一番最初にとった行動は、このコーヒーカップを素手で砕くことだった。
同じ物を二度と使う気になれない悟飯の心理は当然のものだったが、事情がわからぬカップは愛する主人からの不当な仕打ちを呪い、その欠片の幾つかが悟飯の手を傷付けた。





悟飯が孫家のダイニングに現れると、テーブルの上には既に料理が並び始めていたが、悟飯のあまりの顔色の悪さに皆の視線は料理ではなく悟飯へと集中した。
夫の体調を気遣って欠勤を勧めるビーデルに、研究所内の発表があるからどうしても休めないと断る悟飯の手に不器用に巻かれた包帯を発見し、処置しなおすからと悟天が自室に誘った。

「昨夜、お父さんが帰って来たの?」

一度も弟と目を合わせようとしない兄に不安を抱きながらも、確信に満ちた質問と同時に悟天は手際良く悟飯の傷の手当てを続ける。
その慣れた手つきが、兄の口から吐き出された信じられない言葉に耳を疑い、止まった。

「悟天、僕を殴れ」

「何・・・言ってるの、兄ちゃん・・・?」



―――父さんが帰って来たからって、俺と別れるって・・・?―――



「結果的に、僕はお前を利用した・・・!」

「そんな風に思わないでよ!嫌がる兄ちゃんを無理矢理抱いたのは俺なんだから!・・・それより、兄ちゃん、喋り方が変だよ。父さんに殴られて口の中でも切ったの?」

父からの暴力の可能性に焦る悟天が、泣き崩れる悟飯の肩を掴んで顎に手をかけ半ば強引に口を開かせると、口内に切り傷は見当たらなかったが、舌には噛まれた跡があり、赤く内出血を起こして腫れていた。
それは咀嚼する際に誤って噛んだ程度のものだったが、横一列に並ぶ歯型からして、当分は食事にも不便するだろう。
冷静になって考えてみれば、普段は怒鳴り声一つ張り上げたことのない父が兄に手を挙げるなど、有り得なかった。
それにしても、と、あの父が兄を手放したなどと一瞬でも思った自分の愚かさを呪わずにはいられない。
兄の舌の傷を見た瞬間、痛々しいほどの兄のこの状態こそが、父から自分に宛てた挑戦状なのだと悟った。
父は何が何でも、悟天に兄には触れさせない気でいるのだ。
その後の情事へと続く濃厚な口付けさえ許さない徹底ぶりに、怯むどころか怒りさえ込み上げてくる。
もう何年も父は兄を独占し、兄の躯をいいように弄んできたのだ、いい加減そそろそろ兄を解放しても良いではないか。
それなのに何いつまでも兄にこだわり、他の者が触れることさえ許さない。
自分は違う。
自分は兄に触れられるだけで良いのだ。
独占したいなどと、独占出来るなどと、端から思っていない。
父が兄を抱くなら、自分も抱く。
父の思惑を知ったからと云って、はい、そうですか、と引き下がるには、悟天はあまりに兄の躯にのめり込み過ぎていた。
まるで中毒患者にでもなったかのように、知れば知るほど、抱けば抱くほど、求めずにはいられない。
あの果実のとろけるような癖になる甘さを、誰よりも父は知ってる筈だ。
男の意地と意地がぶつかり合う日が、いずれやってくる。
あの時、前方から近付いてくる気に気付き、兄に逢わせたくない一心で咄嗟に川辺へと降り立ち、父の気に気付かせないように兄を行為に没頭させたのは悟天だった。
兄弟で絡み合う姿を、父はどんな思いで見守っていたのか。
父の心境を想像すると、同情するどころかいい気味だと思う。
あの時の父と同じ痛みを、悟天はもう何年も耐えてきた。
その結果が兄のこの状態なのは想定外だったが。
悟飯が我が身を犠牲にして弟を庇ったのは、悟天の目には明白だった。
そうでなければ、今頃、ボロボロになっているのは悟天の筈。

「俺は大丈夫だから。俺が兄ちゃんのこと好きって気付いた時にはもう、兄ちゃんは他の人のものだったんだもん。兄ちゃんのこと独り占めしたいなんて言って困らせたりしないから」



―兄ちゃんの躯が回復するまでは我が儘は言わないでおいてあげる。だから、今日だけは  
 安心して仕事に行っておいで―


泣き崩れる兄を慰める悟天の腕が、悟飯の躯に鎖のように絡み付いた。




―背徳の鎖に縛られたままの哀れな俺の想い人。
 やっとこちらへ引き寄せたと思うのも束の間、より強い力で他方へと奪われる。
 兄を縛る鎖を手繰り寄せし者は―





俺か。





父か。





END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
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