【蜘蛛の巣-満月の夜に―前編】



「辛いか、悟飯?」

躰を気遣う声は、愛を囁くように甘く耳朶を揺らした。
だが、その優しい声音とは裏腹に、彼の仕打ちはこの上なく残酷だった。

「あ、はい…。正直なところ、ちょっとキツいです…」

応える声は、彼が傍に居ることへの安心感に震えている。

「これが終わったら、褒美をやろう。それまでは気を抜くなよ。何せ、今日のパーティーの主役はお前だからな」

慈しみに満ちた瞳で彼は、口許に穏やかな笑みを浮かべて。

そして―

「…っ!」

白いマントの下に隠された長い指で、とうの昔に失った尻尾の跡をなぞった。
途端に、びくりと強張る躯。

「どうした、悟飯?」

少し離れた場所から掛けられる、心配そうな父の声。

「なん、でも・・・ない、です」

言葉通りには受け取れない上擦った声に、父は怪訝そうに眉を潜めて。
でも、それ以上の詮索は避けて『そっか』とひと言呟いた。

父は知らない。
誰も知らない。

彼の手によって躯に埋め込まれた『物』を。
パーティーが終わるまで、取り除いては貰えない『物』を。

早く―

早くパーティーが終われば良いのに。

そうしたら、きっと、この責め苦から開放される。
パーティーが終わったらふたりきりで夜桜を見に行こうと約束した彼が、開放してくれる。
この責めに苦しむのも、それまでの辛抱。
パーティーが終わるまで我慢できれば、きっと、赦して貰える。
窓から仰ぎ見れば、空には白く輝く月。
願い球で、神の龍に闇空に栄える美姫を蘇らせて貰ったのは、何年前だったか。
その美姫の冴え渡る光が、きっと闇夜に咲く地上の花々を美しく照らしていることだろう。
今宵は、満月。
夜桜を観賞するには、もってこいの夜―









上空から桜並木の見事な公園を見つけると、ピッコロと悟飯は静かに地上へと降り立った。
人伝てに桜の有名な公園を悟飯が聞いていた為、パーティー会場であるカプセルコーポレーションからここまで、迷わずに来られていた。
真っ直ぐに伸びた桜並木をふたりで肩を並べて歩くと、両側から見守る桜がふたりを祝福するように美しい花を綻ばせている。
満開にはほど遠いが、5分ほどに咲いた花をつけた枝の数々と、開いた花びらの陰で始まったばかりの恋を予感させるように膨らんだ蕾たちは、月夜に観賞するに足る美しさを誇っていた。
その桜たちの景観美を、樹上から静かに降り注ぐ月の白い光がさらに際立たせる。
ピッコロが、まだ大魔王を語っていた時代に地球に襲来するサイヤ人の大猿化を恐れて砕いた月は、月が地球に与える影響力を鑑みて、10数年以上も前に神龍によって復活を遂げていた。
この月が満月のうちに夜桜を堪能できるのは今夜が最後であり、夜桜見物の経験のない悟飯が満月の下で夜桜を見てみたいと興味本位で何気なく口にした願いを、ピッコロが叶えてくれたのだった。
気候の温暖化に伴い今年は例年より開花が早く、悟飯とビーデルの大学の卒業式から一週間後にブルマが開いてくれた祝いのパーティー当日には、幾分か時期の早い桜の開花は5分咲きまでに進んでいた。
見頃にはまだ早いが、パーティーが終わったらふたりきりで花見に行こうとピッコロが耳打ちしてくれた時には胸がはち切れんばかりの喜びに震えた悟飯だったが、次いでピッコロより提案された交換条件に、悟飯の胸の震えは質を変えた。

『学者の卵とは云え、社会人になったからには遠慮はせんぞ。今回はいつもと違ったことをやろう』

言うが早いか頭に疑問符が飛び交う悟飯を無人の部屋に引っ張り込むと、ピッコロは愛撫を施して蕩けた悟飯の秘部に小型のローターを埋め込んだ。
それから間もなくして始まった祝いのパーティーに、主役の悟飯はピッコロが魔法で造り出した玩具に尻を犯されながら臨まなくてはならなくなった。
大きさに比して小型ローターの威力が大したものではなかったのは幸いだったが、これはおそらくピッコロによる最低限の配慮だったのだろう。
初めて玩具で弄ばれる悟飯の反応を楽しみながらも、苦しめるには至らない危ういギリギリの境界線をピッコロが守っているのに、悟飯は途中から気付いていた。

ギリギリ―

そう、反応する躯を悟飯が己の意思で抑え込める、まさにギリギリの境界線を終止保っていた。
おかげで周囲には気取られずに済んだのだが、境界線を越えまいと絶えず自身をコントロールしなければならない悟飯には、拷問にも等しい責めだった。
その為、箍が外れてはいけないからと、幾度となく振る舞われた酒は嗜む程度に済ませ、莫大なエネルギーを消費するサイヤ人の肉体には大量の食物が必要だと認識している父から何度も勧められた美味しそうな料理の数々も、皿に盛られた分に箸をつけるくらいにしか楽しめなかった。
幼少からの夢にあと一歩まで近付いた功を労う人々に笑顔で応える悟飯の心をずっと冷たい汗が伝っていて、食事を堪能するどころではなかったのだ。
そんなことでは体が保たないとしきりに悟飯の食欲を案じていた悟空が、悟飯の食欲不振の元凶について自分なりに解答を導き出したのか、別れ間際に真正面から見据えたピッコロに訴えた一言を、ふたりの横で悟飯は聞いていた。

『あまり無理はさせねぇでくれよ』

悟空の言葉に、よもや勘付かれたのではあるまいかと悟飯の体を緊張が走ったが、相対するピッコロの対応は涼しいものだった。

『確約できんがな』

そう言ってにやりと笑うピッコロから悟飯へと視線を移した悟空は、黙秘を決め込んだかのようにそれきり口を開かなかった。
そんな父の様子に、ピッコロが仕掛けた悪戯を知られたら父にどう思われるのかが気に掛かったが、その時の悟飯には考える余裕などなく、家族と友人等に手を振って別れると即座にパーティー会場を後にした。
脳を占める『早く』の単語に急かされるように夜空を飛翔し、目的地の公園に到着して暫くすると、悟飯はピッコロの先に立って美しい桜並木の間を足早に通り過ぎて行った。

「桜を見なくて良いのか?」

「もう見ました」

背後からの問い掛けに振り向きもせずに応える、いつになく切羽詰まった様子の悟飯に、確かに視界には入っただろうが、とピッコロは忍び笑いを漏らす。
今や可愛い弟子の望みを叶えるというピッコロの本来の目的は、皮肉にも自身の意向によって叶わぬ願いとなっていた。
今の悟飯には、月明かりに栄える桜を愛でて感傷に浸る時間的余裕も精神的な余裕もありはしなかったのだから。
宴を開こうにも満開にはまだ早い、底冷えの残る寒空の下とあって、夜更けの公園内には人影どころか猫の子の姿すら見当たらない。
それなのに、ない筈の人目を憚るように、桜並木の側に適当な茂みを見つけると悟飯はピッコロの手を引いてその裏側へと姿を隠し、ピッコロが『どうした』の言葉を言い終わらぬうちにその唇を奪った。
それは、言葉の代わりに唇で想いの丈をぶつけた刹那的な口付けだった。
ピッコロに捉えられるより素早く重ねた唇を離した悟飯は、長身のピッコロを引き寄せる為に紫の魔族服を掴んだ両手はそのままで、背伸びした踵を地面に降ろす。
下からピッコロをひしとみつめるその瞳が、悪戯からの開放を願って潤んでいた。

「随分と性急だな」

飼い主に寂しさを訴える子犬のような心細げな悟飯の瞳を正面から受け止めつつ、ピッコロは臆面もなく言い放つ。
この時、奪った者よりも、奪われた当人の方が優位な立場にあった。
優秀な軍師としてのピッコロの沈着冷静さは微塵も揺らいではおらず、反対に悟飯の聡明さは生理的欲求に負けて影を潜めている。
それまで我慢していた尿意が、目的地が近付くにつれて堪えきれなくなるように、悟飯の生理的欲求も限界を迎えていた。

「天界まで待てんのか?」

揶揄でも侮蔑でもなく、ピッコロは駄々っ子を宥める父親のような穏やかさで端正な口許に笑みを閃かせ、初めて自ら行動した悟飯に静かな声で問うた。
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