【あいつの憂鬱】



「何の冗談だ、それは?」

ハイスクールから帰宅した悟飯を一目見るなり、ターレスは面白そうにニヤリと哄った。

「こ・・・これは、その・・・」

詳しく説明すれば長くなる言い訳に返答に窮した悟飯は、どうしてターレスにバレたのだろうかと、驚愕と困惑に白い頬を引き攣らせた。
季節は秋真っ只中、朝夕の肌寒さを凌ぐ為に薄い上着が必要なシーズン。

例に漏れずこの日の悟飯も薄手の上着を羽織っており、上着の上からでは体の変化はわかり難い。
故に、ハイスクールから帰宅した直後にターレスに見破られるなどとは夢にも思っていなかった。

「あ・・・あの・・・、こ、これには深い理由があって・・・。・・・つまり、その・・・、ビ、ビーデルさんが・・・」

悟飯としては夕食中にゆっくりとターレスに話すつもりでいたのだが、そんな悠長なことも言っていられない状況に、言葉を覚えたての子供のようにしどろもどろな説明を始めた。
説明を初めてすぐに、やはりこの話は夕食時でなくて良かった、と思い直すこととなる。
何故なら悟飯の帰宅をにやけ面で出迎えたターレスが、悟飯のガールフレンドの名を聞いた瞬間、目尻をピクリと吊り上げたからだった。



春に都心部にある有名なハイスクールに入学した悟飯は、ターレスのマンションに身を寄せていた。
ここからなら、孫家からの半分の時間でハイスクールに通学が出来る。
その利便性と、加えて悟飯の遠縁の叔父にあたるとチチに名乗ったターレスが、悟飯のハイスクールの学費、入学金、通学費用、その他諸々の費用をすべて負担するという孫家にとっては有り難い申し出に、嬉々としてチチが乗っかった。
恐らくは、当のターレスが、巷でメディアを賑わせている超売れっ子の有名一流モデルであったのも、チチの心証を良くした一因であったよう。
当然父親の猛反対はあったが、これは母親の『働かねぇ悟空さに反対する資格はねぇだ!!』の一喝で解消された。 
こうしてめでたく春からターレスとの共同生活を開始した悟飯だが、悟飯のハイスクールでの新たな交友関係を、どうやらターレスは快く思っていないらしかった。
生まれて初めて経験する集団生活と、初めて出来た同年輩の人間の友人に、悟飯のハイスクール生活は驚愕と興奮の連続だった。
悟飯はそれを、仕事から疲れて帰宅したターレスを捕まえては、白い頬を紅潮させて延々と語って聞かせた。
ターレスは、絶えず湧き上がる泉のようにとめどもない悟飯の話に面白くもなさそうに耳を傾けるのが常だったが、ある時、悟飯があまりにも楽しそうに話すものだから、夕食もそこそこに席を立ち、そのまま自室に篭ってしまったことがあった。
もともと何人かの仲間達に囲まれていたターレスが新たな環境で大勢の仕事関係の人間に囲まれても悟飯はまるきり気にも止めないが、どうやらターレスの方はそうもいかないらしかった。
それまではターレスも把握していた悟飯の人間関係が、悟飯の世界が広がったことでターレスに把握が出来なくなった。
そこにターレスが不安を抱いたとしても、何ら不思議はない。
新たなライバルの出現を危惧しているらしいターレスの度々の発言に、真新しい世界の物珍しさに浮かれてターレスの気持ちを考えていなかった迂闊さに、悟飯は気付いた。
それからというもの、悟飯のハイスクールの話題は徐々に減少しつつあるが、それでも二人のガールフレンドの名が出る度、ターレスは不快な反応を示した。
中でもとりわけ気の強いビーデルとは馬が合わないのか相性が悪いのか、悟飯がハイスクールに入学して一ヶ月ほどが経過したある休日に数人の友人を引き連れてビーデルがマンションに押しかけて来た時など、ターレスはビーデルと口論しかかった経歴がある。
そのビーデルの名を聞いて、ターレスが快く思う筈がない。
体よくビーデル一行を追い返したあの日に、ムスっとしたターレスに一日中口を聞いて貰えなかったのを思い出すと、ビーデルが絡んだこの件の説明など、夕食時に相応しい内容ではなかった。

「こ、今度の週末に、学園祭があるでしょう?オレンジハイスクールの学園祭では、毎年の恒例行事で、女装コンテストをやるんだった。・・・ターレスは知ってた?」

「・・・いや、初耳だな」

「その女装コンテストの優勝賞品ってのが結構豪華らしくて、毎年どのクラスも優勝狙いでオーバーヒートするんだって。僕のクラスも凄い気合いが入っててさ・・・」

「そこで、神龍に頼んでお前を女にして貰って、優勝賞品を掻っ攫おうって魂胆なわけか。それにあおのビーデルとかって女が絡んでるんだな?」

「そ・・・その通りなんだけど・・・その・・・どうして 僕が女の子になったって、すぐにわかったの?」

「上着を着ていたところで、体つきが変わったことくらい人目でわかる。一体、何年の付き合いだと思ってるんだ?」

「う“・・・ターレス、その・・・このままじゃ、マズイよね・・・。他のクラスの生徒にバレたりしたら・・・」

「そうだな。とりあえず学園祭が終わるまでは、胸にサラシでも巻いておくしか、方法はないだろうな」

「・・・体育の着替えとか・・・」

「胸にサラシを巻いてるんだ、肋骨にヒビが入ったとでも言い訳して、見学でもしていれば良いだろう」

「・・・!・・・そっか、そうだね」

「・・・お前、どうするつもりだったんだ?」

「どうする、って・・・何が・・・?」

「体育の授業を受けるつもりだったとして、着替えはどうするつもりだったんだ!?」

「えっと・・・仕方ないから、なるべくみんなに見られないように工夫するしかないかな、って・・・」

「女子更衣室で?」

「まさか!いくら体が女の子になったからって、女の子と一緒に着替えするわけにはいかないだろ。男子更衣室に決まってるじゃない、か・・・」

「・・・ほう・・・男子更衣室で、ねぇ・・・」

「・・・ターレス、僕、何か悪いこと言った・・・?」

悟飯の話の途中から妙な黒いオーラを発していたターレスの背後に小さなブラックホールが出現して、悟飯は危うくこのブラックホールに引きずり込まれそうになった。
今の自分の発言に何か可笑しな箇所があっただろうかと咄嗟に頭の中で反芻してみるが、理論的にも道徳的にも至極まっとうな発言をしたと思う。
また何か、ターレスの癪に障るようなことでも言ったのだろうか。
ターレスの背後のブラックホールの出現の理由がわからない悟飯に、尚もターレスは焦れている様子だった。
そのブラックホールは1秒ごとに巨大化し、対峙する悟飯はおろか、マンション内の家具までも引きずり込もうとしているかのように悟飯には感じられた。
シューズボックスの上の悟飯のハイスクール入学の写真を納めた写真立てが、微かにカタカタと音を立てて、ブラックホールに引きずり込まれまいと懸命に悟飯に助けを求めている。
助けてやりたいのは山々だが、この場に存在しない誰かの救助を必要としているのは、悟飯自身だった。
何とかこの状況を打破したい悟飯だが、壁に寄りかかったまま腕組みをしたターレスを前に、蛇に睨まれた蛙よろしく身動きが取れない。
ともすればこのまま朝を迎えそうな膠着した空気を先に破ったのは、ターレスだった。

「来い」

頭ごなしに怒鳴るでもなくキツイ口調で命令するでもなく、半ば何かを諦めたような声で、『た』の形で口を開けたまま硬直した悟飯の細い手首を掴むと、ターレスは低く促した。
このままでは埒があかない、とでも思ったのだろうか。
ターレスと恋人関係になって以来、ターレスに刃向かうことも反抗することもなくなった悟飯は、ターレスに手首を引かれるまま大人しく後に従う。
もともとの従順な性格も手伝っていたが、こんなところで反抗して殊更ターレスの不興を買うよりも、この後の展開への不安を飲み込んだ方が、悟飯には賢い選択だった。
1/6ページ
スキ