【僕の憂鬱-前編-】
「ごめんなさい、お父さん・・・。恐竜の赤ちゃんを助けた後、ばったりハイヤードラゴンに会って、それで僕・・・」
悟空の迫力に圧倒されたのと、大好きな父に隠し事をする後ろめたさに、悟飯は歯切れも悪く言い淀んだ。
ハイヤードラゴンに会ったのも事実だった。
ただし、ハイヤードラゴンとは、ターレスのマンションの上空で別れたのだが・・・。
『自然の景観美』を売りにしているターレスのマンションの裏手は山や森で覆われている。
それこそ、本当にハイヤードラゴンと遊んでいても不思議はないくらいの。
この言い訳で、納得してくれないだろうか。
「なんだ、そうだったのか。オラ、てっきり、おめぇがまたターレスんとこに行ってんのかと思って、心配したぞ」
と悟空は、悟飯がハイヤードラゴンと行方をくらませて帰宅した後と同じ台詞を吐いた。
だが、その声音は、愛する息子と日常生活を過ごす父親のものではなく、強敵と遭遇したサイヤ人のものであった。
「おめぇがハイヤードラゴンと遊んでたって言う方角には、確かターレスのマンションがあったよなぁ・・・」
と更に腹から響くドスの効いた声で悟空に凄まれ、悟飯は背中が凍る思いをした。
悟空が暗に、『今回だけは黙っててやるが、次はそうはいかないぞ』と、悟飯を諌めているのだと、悟飯にはわかっていた。
『ここ』に、長居は無用だ。
さっさとやるべきことを済ませてしまおう。
「あのカレー鍋、カビが生えちゃったんだよ。あんなの、僕、もう使いたくないよ」
「好きにしろ。俺は、お前のやることに文句は言わん」
ターレスの皮肉に突っ掛かると、貴重な時間がどんどん奪われてしまう。
気にしないフリをして受け流し、先に進みたい悟飯に、ターレスはあっさりと同意した。
ありがたいけれど、ターレスがもう少し悟飯に協力的ならば、ここまで手こずらなくても済むものを。
「ターレス、僕が来るまでにもう少し片付けておいてくれない?せめて最低限のことくらいしておいてくれると、助かるんだけど」
「俺はお前の為に家事をとっておいてやってるんだ。なのに、どうして俺が片付けなければならない?」
なんて勝手な言い草!
そもそもこのマンションはターレスのものであり、ターレスはここで生活を営んでいるのであり、故に、自分のことくらい、ターレスが自分でやるべきではないのか。
しかも、ターレスにはたっぷりと時間がある筈。
「あのね、僕は塾の行き帰りの忙しい時間を割いてここに来てるの!時間なら、ターレスの方がいっぱいある筈じゃないか」
「それは済まなかった。だが、生憎とこの俺も暇を持て余してるワケではない。特に最近は仕事が忙しくてな」
「えっ!?仕事!?ターレス、仕事してるの!?」
初耳だった。
そんなこと、悟飯は聞かされていない。
どうも仕事とサイヤ人というものはイメージが結び難いが、汗だくになって働く姿も、他人にペコペコと頭を下げる様子も、相手がターレスとなると尚更想像が難しい。
一体、どんな仕事をしているのやら。
「仕事・・・って、何・・・をしてる、の?」
「ファッション雑誌のモデルだ。どうも、地球人というのは生真面目な性質らしいな。俺が載った雑誌は、律儀に全部郵送してくる」
「雑誌・・・って、そんなの一冊もなかったじゃないか」
「この前、お前が全部捨てたんだろうが」
「あ・・・」
迂闊だった。
ターレスが地球の雑誌に興味を持つなど珍しいと思いつつも、興味の対象を知って更に不愉快な気分を増長させたくなくて、裏返しになっている雑誌は表紙も見ずに処分した。
よもや、その中にターレスが載っている雑誌が存在するなどとは、露ほども思わずに・・・。
「ターレス、表紙になってたりなんか、したの・・・?」
「ああ」
呆れるでもなく責めるでもなく、ターレスは淡々と悟飯の質問に答える。
ターレスにとって重要なのは働いて収入を得ることで、ターレスが言う通り、自分が載っている雑誌になど興味はないのかも知れなかった。
「いつから働いているの?」
「半年前からだ。街をブラブラしてたら、たまたまスカウトされた。俺も、いつまでも仲間に喰わせて貰ってるわけにはいかないからな」
「ターレス、その・・・ごめんなさい!僕、知らなかったから・・・」
急にしおらしくなった悟飯を、ターレスはしげしげと眺めた。
いつもは活気に満ちた少年のあどけない瞳が、申し訳なさに心細く揺れている。
「お前が謝る必要はない。俺はいらない物だと言っただろうが」
いつもは悟飯を揶揄うターレスだが、悟飯が本気で自身の失敗を感じた時だけは口調が柔らかくなるのが常だった。
大人びているといっても悟飯はまだ子供で、時として子供らしい失敗を犯す場合もあるが、その失敗をターレスが詰ったことは一度もない。
悟飯が素直に反省の言葉を口にすると、意地悪な性格を発揮することなくターレスはあっさりと許してきた。
それが悟飯だからこそ許されているものなのか、子供故に叱られずに済んでいるのか、悟飯には判別がつかない。
相手が子供だからといって遠慮するようなターレスではない。
それが、と思うと、父親の反対の件と併せて、悟飯は度々憂鬱な気分になるのだった。
「仕事をすれば雑誌は増える。お前が気にすることはない。それより、時間がないと言っていたな。ならば、先に風呂掃除を頼む。俺はその間に、食器を流しに運んでおこう」
「・・・うん、わかった」
いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
しかも、いつもなら悟飯の行動を見守るか、斜め後ろから揶揄うターレスが、悟飯を気遣ってか珍しく手伝ってくれると言う。
そもそも他人の上に君臨し続けることに慣れたターレスが、人を気遣うこと自体が稀である。
配慮や遠慮、思慮といった類の単語と縁のないターレスだが、何故か悟飯の精神状態だけは正確に把握する。
悟飯はそこに、多少の居心地の良さを見出しているのかも知れなかった。
意地悪かと思えば優しい。
優しいかと思えば意地悪。
そして、重要なこと、肝心なことは何も教えてくれない。
いつも、仲間と相談するか、自分一人で勝手に決めてしまう。
マンションを購入した時も、今回の仕事の一件も。
いつだって悟飯は蚊帳の外で、まるで、ターレスにとって悟飯は取るに足らない存在なのだと、暗黙のうちに言い渡されているかのようだった。
ターレスの中に居心地の良さを見出だした分だけ、悟飯を一人の人間ではなく、一人の子供として扱うターレスに、悟飯は言いようのない反発心を感じて仕方がない。
何故、そんな些細なことに、あのピッコロ大魔王ですら地球を守る戦士に変えた悟飯が反発心を抱いてしまうのか、理由は悟飯自身にも計りかねているが・・・。
仕事の件を半年も悟飯に打ち明けなかったターレスに未だ納得のいかない心境のまま、悟飯はターレスに頼まれたとおりバスタブをごしごしと擦りあげる。
一週間も水を張られたままになっていたバスタブのヌルつきに、ブツブツと文句を言いながら。
ターレスへの反発心はともかく、悟飯がターレスのもとを訪れる理由には、心当たりがあった。
殺伐とした環境で育ったサイヤ人は、悟飯の知る限りでは皆人間らしい感情が備わっていなかった。
ベジータも、ターレスも、ターレスの仲間達も。
サイヤ人に忠誠心があったとしても、それは戦闘力に屈服した結果であり、地球人の考える尊敬の念を含んだものではない。
ましてや他者を尊重し、思い遣る精神など、どこにも見当たらなかった。
それが、宇宙を放浪する生活から一変して地球に安住の地を得て以来、ターレスを除いたサイヤ人の内面に人間らしい感情が徐々に芽生え始めていた。
あのプライドの高いベジータでさえ、妻を娶り、子を授かり、家庭を持ってからは穏やかに変わりつつある。
ターレスだって、変われる筈だ。
荒れた大地に種を蒔き、水をやり続けるだけの虚しい作業に等しいかも知れないが、悟飯を得ることで、ターレスにも何らかの変化が見られるかも知れない。
悟飯はそこに期待していた。
だがそれは、悟飯の思いあがりだったのだろうか。
考え事に耽りながらバスタブの洗剤を水で洗い流す悟飯は、カチャカチャと陶器がぶつかある音を立てて食器を流しに運ぶターレスが、足をキッチンからバスルームに向けているのにもまるきり気付いていなかった。
「ひゃあっ!!冷たい!!」
攻撃目標をバスタブから床に切り換えて、一週間分のヌルつきを溜め込んだ排水口に手を伸ばしかけた時、突然頭上から冷水を浴びせかけられ、悟飯は飛び上がるほど驚いた。