【花盗人】
咄嗟に口から出た言葉のあやとはいえ、あの時はやむを得ない事情があったのをピッコロも承知している筈なのに。
「・・・ピッコロ、頭おかしいのか?」
「ああ、こいつが言うには、な」
「あ、あの・・・ピッコロさん、その・・・あ、あの時は・・・」
「ふん!」
「・・・・・・」
ミスターポポは、しどろもどろになりながら顔色を目まぐるしく変化させる悟飯と、当惑している悟飯には目もくれずにそっぽを向くピッコロとを交互に見比べ、さてどちらに味方したものかと表情には出さずに知恵を絞った。
「ポポ、神さま呼んでくる。神さま、先々代の神さまたちと対面中。おまえたち、神さま来るまでに痴話喧嘩やめておく」
「ちっ、痴話喧嘩!?」
「・・・!」
「ミスターポポ、これは痴話喧嘩なんかじゃなくって、僕が以前ピッコロさんのことを失礼な言い方をしたから・・・」
「いや、それには及ばん。デンデは今、近頃の異常気象による地球規模の食糧不足について先々代の神たちに相談しているのだろう。ことが重大なだけに、邪魔をするのは忍びない」
初めて聞かされたデンデが抱えている問題に、悟飯はハッと息を呑んだ。
デンデは天界で何不自由ない日々の生活を保証されている代わりに、地球と、地上に生息するすべての命に対して責任を負っているのだ。
悟飯とたいして年齢が変わらないのにも関わらず。
「オレたちは少し、下界を散歩してくる。何、心配はいらん。これ以上、ミスターポポが言う痴話喧嘩とやらをするつもりはないからな。行くぞ、悟飯」
「あ、は、はい、ピッコロさん」
展開の急変さに驚きが隠せない悟飯だったが、言うが早いかひらりと天空に舞い上がったピッコロの後に慌てて続くと、呆然とふたりを見守るミスターポポに手を振った。
「後でまた来ます!」
ひとり天界の庭に取り残されたミスターポポは、爽やかな笑顔を残して急速に見えなくなってゆく悟飯の後ろ姿と、その悟飯を振り向きもしない白いマントを見送りながら、『やれやれ』と心の中で肩を竦めたのだった。
「ここ・・・は・・・?」
「オレがひとりになりたい時に、たまに来る場所だ。あそこに大きな岩がひとつ見えるだろう。ここに来た時は、あの岩の上で瞑想をしている」
悟飯が連れて来られたのは、天界から百キロも離れていない山中だった。
数十キロ四方には文明の気配すらなく、太古からの自然がそのまま残されているような景色が眼前に広がっていた。
地上からここに辿り着く為には、獣道すら存在しない険しい道なき道を自ら切り開いて数日がかりで進まねばならず、上空からヘリコプターで降り立つには森の木々が邪魔をして、着陸地点などどこにも見当たらない。
鬱蒼とした森からは様々な種類の鳥の鳴き声や囀りが聞こえ、自然界のヒーリングミュージックにまじって、近くを流れる滝の音がかすかに響いていた。
さほど標高が高くないとはいえ、ここならピッコロが瞑想の場所に選ぶのも頷ける。
「・・・良いのですか?ここは、ピッコロさんの秘密の場所なのでしょう?」
敬愛する師について悟飯も知り得なかった新事実を教えて貰えるのは、内心では嬉しかった。
だが、同時にひとつの懸念材料が悟飯の脳裏に引っ掛かった。
ひとりになりたい時に来ると、ピッコロは言っていた。
ならば、ここにいる間は何びとにも邪魔をされたくない筈だ。
そんな場所を悟飯に教えてしまって、ほんとうに良かったのだろうか。
「お前に秘密にするようなことなど、オレには何もない。それより、ここならミスターポポに罪悪感など抱かずとも、思う存分お前の好きなサルビアの蜜を吸えるだろう」
ピッコロの秘密云々よりも後者のくだりに驚いて、悟飯はピッコロを振り仰いだ。
天界でピッコロが悟飯を咎めたのは、悟飯の行いを責めたのではなかったのかと。
「あのままオレが止めなければ、我に帰ったお前がミスターポポへの罪悪感で落ち込むのは、目に見えていたからな。だから止めた。・・・大きなお世話だったか?」
「そんなこと・・・!・・・ありがとうございます、ピッコロさん。・・・あの・・・、天下一武道会の時にピッコロさんのことを頭のおかしい人だなんて言って、すみませんでした」
「気にするな。あの時点でビーデルに事情を詳しく説明するわけにはいかなかったことくらい、オレにもわかっている。それに、多少なりともオレの頭がおかしいのは事実だからな」
「そんな、ピッコロさ、んっ・・・!」
悟飯は慌ててピッコロの言葉を訂正しようと口を開いたが、異議を唱える筈の唇をピッコロに塞がれて、長い舌で語尾を掬いあげられてしまった。
「無垢で素直なお前を見ていたら、急に苛めたくなったのだ。なるほど、お前に『頭がおかしい』と言われても文句は言えないと、オレも納得した」
「ちっ・・・、ちがっ・・・は、あっ・・・!」
「・・・違わんさ・・・。だが、おかしくなるのはオレだけではない。お前も道連れだ」
「くぅ・・・、んんっ!!」
「オレをこんなにした責任をとって貰うぞ」
悟飯の首筋に唇を寄せ、Tシャツの中に差し込んだ掌で白い肌をまさぐりながら、ピッコロは声高に宣言した。
無秩序に群生したサルビアの花の香りに包まれたふたりの身体がもつれ合って地に伏すまで、長い時間は必要としなかった。
息があがって薄く開いた唇の合間からピッコロの舌でサルビアの蜜を注ぎ込まれ、悟飯はそれを、ピッコロの唾液ごと飲み込んだ。
さきほど天界で吸った蜜よりも、なお甘い。
その甘さが痺れを伴って全身に広がってゆき、悟飯の舌を麻痺させてゆく。
やがてピッコロの深いキスに応えきれなくなった悟飯の口の端から一筋の蜜が零れ、ピッコロの長い舌がそれを丁寧に拭っていった。
「咽喉が乾いたら、気の済むまでサルビアの蜜を吸わせてやる。それまでは、このオレがお前の蜜をいただくとしよう」
まるで謳い文句のような台詞の後、ピッコロはサルビアの時よりも深く、深く悟飯の唇を吸った。
この唇で天界に咲く花の蜜を盗んだのを咎められた悟飯は、すぐさま己の罪を認めていた。
しかし、誰しもが皆、己の罪を正面から受け止められるほど強くはない。
だが、ピッコロは強かった。
ピッコロは、己が罪深い存在であるのを知っていた。
他人が大事に慈しんで育てた花を盗んだピッコロの罪は、悟飯のそれとは比べ物にならないほど重い。
その罪さえも、ピッコロの人生に織り込まれた筋書きだったのではないのだろうか。
あれほど恨んでいた運命も、悟飯と出逢う為のサクセスストーリーだったのではないだろうか。
愛を知る為に孤独を経験した。
愛を覚える為に憎しみを教えられた。
すべてが悟飯と出逢い、愛し合う為に用意されたシナリオならば、ピッコロの人生という名のドラマの筋書きも、なかなか悪くはない。
悟飯の身体に深々と楔を打ち込みながら、己の生と命に意義を与えてくれた者を見下ろし、ピッコロはふっと頬を緩めた。
その頬を、ふたりを包むサルビアの香りが、山間から吹く風に攫われ、森へと散ってゆく。
艶やかな悟飯の声を乗せた風には、早くも秋の気配が入り込んでいた。
実りの秋は、もうそこまで来ていた。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。