【君に捧げる花束と僕の為の白いマント】
地球上のどこかにあると云う神の住む神聖な場所、天界。
一握りの許された者しか足を踏み入れられず、大半の人間には存在すらも知らされていない神の城。
だがこの城に住まう主は地球上の生物ではなく、他の惑星から連れて来られた少年だった。
この、もと異星人であった現在の地球の神である少年デンデは、良く知った気が天界に近付いて来るのを感知して城から外へ躍り出た。
恐らく同じようにこの気を感じたのであろう、もと地球の神と合体した異星人のピッコロは既に瞑想を止め、デンデより一足早く天界の縁へと歩を進めている。
神の教育係としての威厳を保つその頬を、春の暖かい風がもう直にこちらへ辿り着く気と同じくらいの優しさで撫でた。
「ピッコロさん、こんにちは!」
二人が感じていた気は、確かな形となって二人の前に姿を現した。
天界を訪れたのは地球の神であるデンデの親友であり、神の教育係であるピッコロの闘いの弟子である悟飯だった。
悟飯は長かった髪を短く刈り揃え、薄めのカッターシャツに黒いベスト、ベージュのスラックスという春らしさを思わせるラフなスタイルで、ピッコロを見つけると笑顔で挨拶を交わし、危なげなく天界へと舞い降りる。
数週間振りに訪れた弟子を出迎えに近付いたピッコロの眼が、その手に握られた色とりどりの珍しい花々を捉えた。
幼い頃から学者を目指し、自然や動物を愛する悟飯は珍しい花を見つけると手折り、花束にする癖があった。
手折ると云っても自然界に影響が出ない程度に、である。
今回も花束にするくらいなのだ、恐らくここへ来る途中でこの花が群生している場所でもみつけたのだろう。
以前にも同じような花束を、その花々が群生して咲いている花畑に案内した折にプレゼントされたことがあるピッコロだけが知っている、悟飯のあどけない癖。
「悟飯、それは!?」
当然自分に渡されるのはわかりきってはいたが、どこでこの花を見つけたのか、との思いで問い掛けた。
すると悟飯は、手にした春の花にも負けぬ可愛らしい笑顔を綻ばせる。
「ああ、これですか?こんにちは、デンデ。はい、どうぞ」
悟飯は可愛らしい笑顔のままデンデへと向き直り、ピッコロの目の前でピッコロに渡される筈だった花束を惜し気もなくデンデへとプレゼントしてしまう。
「わあ、ありがとうございます、悟飯さん。とっても綺麗ですね。どこでこれを?」
「うん、ここへ来る途中に偶然花畑を見つけてね、頑張り屋さんのデンデにプレゼントしようと思って持って来たんだ。デンデの部屋にでも飾ってよ」
その言葉と気遣いにデンデは大喜び。
久々に見る晴れやかなその笑顔に悟飯は、やはり花束の受け取り人をこの子に選んで良かったと一人ほくそ笑んだ。
この、ナメック星で出逢った年下の親友は神となった今でも誰に対しても腰が低く、出逢った当初の好印象は少しも損なわれることがない。
穏やかで温和な性質のナメック星人と云えども遊びたい盛りに地球へ連れて来られたのだろうに、神としての姿勢を一度たりとも崩さない精神力は賞賛に値する。
花束を作り始めた当初は別の贈り人を思い浮かべたものだが、自分が集めた花々で少しでも彼をいたわってあげたかった。
デンデはミスターポポを伴って喜び勇んで神殿の奥へ消え、あとにはピッコロと悟飯の二人が取り残された。
「悟飯、行くぞ」
いつまでもデンデの後ろ姿を見送っていた悟飯は、その低い声で師匠へと振り返る。
「はい、ピッコロさん。今日は古代の生物の生態について教えていただけるんでしたよね」
学者を志して日々勉強に勤しむ悟飯は、時々こうしてもと神の知識を持つピッコロに地球についての教えを乞いに来ていた。
その瞳が、口をへの字に曲げたままの師の冷たい横顔を捉えて固まった。
(あ、れ?ピッコロさん、何だか機嫌が悪、い?)
師の機嫌の悪い表情など何年振りだろう、それは幼い頃の記憶を手繰らなければならないほど悟飯にとっては珍しいものだった。
元々愛想の良い方ではないけれど、他の人間ならいざ知らず、弟子の悟飯に対してあからさまに不機嫌な顔など向けたことはないピッコロだった。
それが、何故。
先に立って歩くピッコロの背を追うように後に続き、ピッコロの自室の椅子に収まってからも悟飯の頭の中は疑問符で占領されていた。
数週間前に二人きりの甘い時間を過ごした時にはピッコロは終始ご機嫌で、時折大魔王だった過去があったとは信じられないほど穏やかな笑みを浮かべていた。
別れ間際も包み込むような眼差しで見送られ、夕暮れ迫る空の色と同じくらいの暖かい心持ちで悟飯は帰路についたのだった。
いくら思い出してもピッコロが不機嫌な理由が判らない。
次々と古代生物の名を挙げて悟飯に説明するピッコロの声を遠く聞きながら、悟飯は心当たりを必死に探す。
多少、授業が上の空になっていたのかも知れない。
更に不機嫌さを増したピッコロに“集中できないなら止めるぞ”と冷たく言い放たれ、悟飯は慌てて視線をノートに移すと再びペンを動かし始めた。
次々とピッコロの口から流麗に零れる言葉をノートに書き留めながら、先程からこちらに一瞥もくれないピッコロを何度もチラチラと盗み見る。
いつにない悟飯のその落ち着きのなさに、ピッコロの眉間の皺はますます深くなってゆくばかり。
泣きたくなるような情けない時間が過ぎ、そろそろ授業も終わり、と云う頃になって悟飯はあることを思い出し、そうだ、と自分の鞄に手を伸ばした。
「ピッコロさんに見せようと思って持って来たんですよ」
「何だ」
「これです!今日、家に届いたんです」
鞄の中から取り出したそれを、カサコソと枯れ葉を踏むような音を立てて悟飯がピッコロの前で広げて見せると、長い呪縛からようやく解き放たれたかのように数時間振りにピッコロは弟子へと顔を向けた。
「じゃーん!ハイスクールの入学許可証です。僕、来月からハイスクールに通えることになりました」
悟飯の宣告どおり、広げられた紙片には確かに
『入学許可証 孫 悟飯殿 貴殿の入学を許可する オレンジハイスクール』
と太い字で書かれてある。
その字の周りを洒落た模様が飾り、配慮へのこだわりが何とも印象的だった。
悟飯はこの許可証を得る為に、数週間というもの神の神殿に足を運べなかったのだ。
努力の甲斐あって母の期待に応えられたのがよほど嬉しかったのだろう、ピッコロの不機嫌さを吹き飛ばす勢いの笑顔を浮かべている。
だが、ピッコロはこれにも動じなかった。
「これを受け取ってすぐにこちらへ向かったんです。途中で花畑を見つけて、自分へのご褒美のつもりで摘んでたんですけど、やっぱり誰かにプレゼントしたくなって」
嬉々として告げる悟飯に、そうか、と短く答えるピッコロの周囲の気圧は更に低くなってゆく。
ピッコロにすれば、その大事な花束を何故デンデに、との疑問が拭えない。
「最初はピッコロさんに、って思ったんですけど、ピッコロさん、人前で花束なんて受け取るのは恥ずかしいでしょう?」
その言葉に、ピッコロは自分の心の中にかかった黒い霧がたちまち晴れてゆくのを感じた。
そうなのだ。
この賢い弟子は、纏わり付かれるのが嫌いな自分の為に、いつも適度な距離を置いてくれるのだ。
二人きりならばピッコロの首根っこにかじりついて甘えることはあっても、師の高いプライドを守るため人前では決して必要以上には近寄らない。
悟飯の取ってくれる距離と間合いはいつもピッコロにとっては心地良く、聡い悟飯は日頃の言動に於いてもピッコロの機嫌を損ねたことは一度もない。
今日の花束がデンデの手に渡ったのは、つまり、そういうことだった。
そこには親友を気遣う悟飯の優しさも篭められていただろうが。
(オレとしたことが・・・)
悟飯の真意を計り損ねて勝手にむくれるなどと、いつもの沈着冷静さはどこへやら、何と大人げなかったことか。
「うわー、寒い!」
二人が宮殿の外に出ると既に陽は傾き、日中とは打って変わった肌を刺すような冷気に悟飯は首を竦めた。
「失敗したぁ。ここまで寒くなるとは思ってなかったから、上着持って来なかったなぁ・・・」
と、この時間には不似合いの薄手のカッターシャツの腕を服の上から擦りながら、天界の縁までピッコロと連れ立って歩いて行く。
寒さに強いピッコロには気温の変化は感知できても、それが地球人にとって寒いと感じるレベルのものかどうかまではわからない。
だが、弟子が寒がっているのをそのまま見捨ててもおけないだろう。
「悟飯、これを」
そう言うとピッコロは自分と同じマントを魔法で造り出し、背後から悟飯の肩へと掛けた。
「春とは云え、陽が落ちると急激に気温が下がる。寒いのなら上着の代わりに羽織って行くと良い」
幼い頃から悟飯は心細い時、体だけでなく、心までもこの白いマントに包まれてきた。
悟飯にとって、このマントは特別な思い入れがある。
そのマントを寄越したピッコロの胸の内を、悟飯は正確に理解した。
そして、地の底に沈むほど最悪だったピッコロの機嫌が直ったことも。
ピッコロはマントで悟飯の体をすっぽり覆うと、愛しさと謝罪を篭めてマントごと一瞬だけ悟飯を抱き締めた。
予想外の出来事に驚いて目を見開くのも束の間、次の瞬間には離れていくピッコロの腕に悟飯の胸が、きゅん、と音を立てて鳴る。
「そうだ」
ピッコロが離れてしまわぬうちに背後のピッコロへと振り返り、ピッコロの端正な顔立ちへと悟飯は優しく唇を寄せた。
「ありがとう、ピッコロさん。僕、もう行きます」
口早に告げて、逃げるように白いマントを翻して天界から降り立って行く悟飯の頬が赤く染まっているのを、見送るピッコロの眼は見逃さなかった。
あっという間に闇に溶けて消えてゆく白いマントに、もと大魔王は、自分が地球を統べる神より貴重なプレゼントを貰ったことを知った。
そのピッコロが、よし、次は唇に、などと欲を出したかどうかまでは聡い悟飯ですら知る由もない。
ピッコロは彫りの深い端正な顔に数週間振りの穏やかな笑顔を浮かべると、夕闇を一人、軽い足取りで宮殿へと戻って行った。
その頬を撫でる冷気を孕んだ風ですら心地良く感じながら。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。