【木蓮】



「いつもご自分で繕い物をなさるんですか?」

孫家の自室でほつれたTシャツを繕う悟飯に、藤色の髪の青年が尋ねた。
セルゲームの数日前、父から修行は終わりだと告げられ自宅に戻った悟飯は、以前から裾がほつれてタンスにしまわれたままになっていたTシャツに、繕う為の良い機会だと手を伸ばした。
孫親子が修行を終えた精神と時の部屋では今はベジータが一人で修業中であり、一緒に中に入ることも適わず待ち呆けを喰らったトランクスはどうせならと、悟飯の誘いを受けて初めて孫家へと足を踏み入れていた。
シンプルだが整えられた孫家の室内には住人の暖かさが溢れ、一目でトランクスはこの家を気に入った。
ここで、この家で、自分の師匠は育ったのだ。

「はい、自分で出来る限りはなるべく自分でやるようにしています」

お母さんに負担をかけたくないので、とやや俯き加減で裁縫に集中するフリをしながら、悟飯は答えた。
その視線は時折、珍しそうに室内を見渡したり、窓から外の風景を眺める藤色の髪の青年の整った顔立ちに流れる。
そううしてしばし、なんて綺麗な人なんだろう、とうっとりと見惚れてしまう。
未来から来たというこの青年に初めて出逢ったのは、悟飯が6歳の時だった。
父が苦戦した敵を一刀両断で倒した当時はまだ少年だったトランクスに、悟飯は格好良いヒーローを見るような憧れの気持ちを抱いた。
恋愛感情を知らない子供の悟飯には憧れは憧れでしかなく、それがはっきりと“初恋”に名を変えたのはそれから3年も経った後だった。
トランクスが告げた恐怖の未来が現実のものとなった頃、再びトランクスは悟飯の前に現れた。
昔の面影はそのままに更に逞しく成長したトランクスと行動を共にするうち、悟飯の胸は次第に高まっていった。
母親似の彫りの深い整った顔立ちも、父親似の意志の強そうな瞳も、風にサラサラとなびく藤色の髪も、すべてが悟飯には眩しかった。
だが、悟飯がこの青年を綺麗だと思うのは何も容姿に限ったことではない。
強さをひけらかすでもなく力を誇示することもなく、目上の者にはすべて、いや、目下の自分にすらも敬語を使う礼儀正しさ慎み深さ、初対面の人間にも柔らかく接する人当たりの良さも、彼の綺麗な輪郭をかたどる要素の一つになっているのは間違いなかった。
何より正義を貫かんとするその眼差しからは、精神的な姿勢の正しさが窺われた。
この青年を育てたという未来の自分とはどんな人物だったのだろう。
未来の自分があってこその青年なのだろうか、それとも元々の彼の資質なのだろうか。

「痛っ!」

心ここにあらずの状態で繕い物をしていたせいだろうか、トランクスの前で失態を犯したくない悟飯を嘲笑うように、鋭い針が意地悪く悟飯の白い指を刺した。

「大丈夫ですか?」

針が刺さった後から血が丸い玉を造ってゆく悟飯の指を心配して、すぐさまトランクスが駆け寄って来る。

「血が出てますね、チチさんから絆創膏を貰って来ましょう」

そう言って自分の部屋から出て行くトランクスの背に、悟飯は嫌悪のため息を吐いた。

(いつもならこんなことないのに。本当は裁縫が苦手なんじゃないかと思われていたらどうしよう)

格好良い彼の前では、格好悪い自分なんか見せたくないのに。

「お待たせしました、悟飯さん」

やがて絆創膏を片手ににこやかに戻って来たトランクスに頬を朱に染め、繕い物をしていた時とは違う理由で悟飯は俯いた。

「片手では不自由でしょう。俺が絆創膏を貼りますね」

そう言ってペリペリと封を剥がす動作でさえ、悟飯の瞳には洗練されたものに映って仕方がない。

「ありがとうございます、トランクスさん」

トランクスの好意を素直に受ける悟飯の前にひざまづくと、トランクスは手際良く白い指に絆創膏を巻き付けてゆく。
肌色の粘着質が歓んで指に絡まっていくように見えたのは、トランクスの欲目だっただろうか。
触れる指先から、二人がこらから先、共に在れない切なさが伝わってしまいそうだった。
不意に顔を上げたトランクスと悟飯の視線が絡み合うと、互いの瞳の中に己の存在を確かめるように二人は見つめ合った。
澄んだ翡翠の瞳に吸い寄せられるようにトランクスの手が上がり、悟飯の白い頬を優しく撫でる。
そのまま瞳を軽く閉じて顔を近付けようとして、トランクスは思い留まった。

「いや、やめておきましょう」

そう言うと立ち上がり、悟飯に背を向け、窓際へと歩いて行ってしまう。

「あなたには未来があるから」

景色を眺めるでもなくそう呟く背中に、悟飯は自分の想いが決して独りよがりではないことを知った。
だが、彼が求めている『悟飯』とは、現在と過去と、どちらの悟飯であろうか。

(貴方が好きなのが、どちらの『悟飯』でも構いません。どうか『悟飯』を忘れないで)

もうじきセルゲームが始まる。
未曾有の恐怖に立ち向かえるのはどの戦士なのか。
無事に地球の未来を守れた暁には、この青年は元にいた未来へと旅立ってしまう。
未来の自分に託された願いを叶える為に。

(どうかご無事で、貴方のいた世界で、貴方の願いを叶えて下さい。僕は、小さい貴方がいるこの世界で、貴方の願いを叶えてみせます)

別れはもうすぐそこまで迫っていた。
想いが通じ合ったところで、地球に未来はあっても二人が共に存在する未来はない、それでも。

今の二人に出来るのは、想い出を綺麗なままで残しておくだけだとしても、それでも。

(それでも僕は、貴方に逢えて良かった)

先程トランクスが落とし損ねた口付けの代わりに、悟飯は自分の血の滲む絆創膏に唇を寄せた。





END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
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