【木蓮】


人類を恐怖のどん底に陥れた二体の人造人間が何者かの手によって倒され、肉親や知人はおろか自身の命すら危うい、生きるか死ぬかの瀬戸際から開放された人々のよって急速に復興する街の一角で、辺りに漂う甘い香りにふとトランクスは先を急ぐ足を止めた。
花の香りを辿ってトランクスが顔を上げると、そこには穏やかで暖かい風に乗ってふくよかな甘い香りを届け春を告げる花が、香りで包み込むようにトランクスを上から見下ろしていた。
ひっそりと誰かを慕うようにほのかに色付く淡い色彩の花に、生涯二度と逢うことの叶わぬ少年の姿が重なる。
尊敬する師が空に向って咲く夏の象徴の大輪の向日葵ならば、あの少年は香り高くも決して人の目を奪うキツイ色彩で自己を主張しないこの木蓮のようだと、それぞれの花を抱く二人の姿を心に思い描いた。
一人は器の大きさと懐の深さが伺える深い、深い眼差しの青年。
もう一人は人が足を踏み入れることを許さぬ秘境の湖の湖面のように澄んだ瞳をした少年。
偽りと欺きを許さぬ強い心と、偽りと欺きを知らない清らかな心と。
過去の世界で少年と逢ってトランクスは、自分の師匠が両親や周囲の人間からの愛情を一身に受け、慈悲深く正義感の強い男に育ったのだと知った。
俺も一緒に連れて行って下さいとあの逞しい腕に縋り付いたのが少年のトランクスなら、青年のトランクスは俺が傍にいますよと、少年の肩をそっと抱いてあげたいと思った。



あれから一年。



成長途中にある彼は自分が知っている頃より背が伸びただろう。
彼の父の手によって切り揃えられた髪も、以前のように伸ばしているのだろうか。
緊急時には驚くほど強い結束力を見せる人間の心も、平和に馴れれば呆気なく退廃する。
平和の世界には平和の世界なりの苦労があるのではあるまいか。
そして何よりの気掛かり、愛する父を失った心の傷は、少しでも癒えただろうか。
だが、どんなに少年を気にかけようとも、師匠の姿を想い出そうとも、今は二人の姿はここにはなく、記憶の中を辿る以外に二人に逢える術はない。
甘い想い出を吸い込むように木蓮の香りを二つの肺いっぱいに取り入れるトランクスの肩に、彼との別れを惜しんででもいるのか、木蓮の花のひとひらがそっと舞い降りた。



―今はもう、記憶を辿る以外に二人に逢える術はない―





END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
1/2ページ
スキ