【嘘つき】


「同情はしてるけど・・・。思い切って告白してごらん、うまくいかないとは限らないじゃないか」

「ダメだよ、告白できない」

「どうして」

「だって、その人は、俺のことただの弟としてしか見てくれないから」

驚愕と混乱と衝撃と、一度にあらゆる感情がないまぜになり、悟飯はただただ弟の真摯の顔を凝視するしかなかった。
その視線の先で悟天がじっと兄の顔を見返し、兄が何の反応も示さないと知るとベッドから降り立ち、よくできた彫像のように立ち尽くす悟飯の横をすり抜けて廊下へと消えていった。
悟天の一連の動作がスローモーションのように映り、悟飯に与えられた衝撃の時間が実際より長いことを教えていた。
思考を停止した悟飯の目は一瞬だけ空をさまよい、弟の勉強机の上へと向けられた。
そこには家族の写真が数枚、様々な写真立てに納められて並んでいる。
その写真のすべてに自分が写っているのを、悟飯は頭の片隅で確認した。
この日、悟飯は、可愛い弟がいつの間にか、自分の知らないところで男に成長していたのを知った。










「ねぇ、今度の日曜日って何か予定ある?空いてる?本当!?やったぁ!だったらさ、俺とデートしようよ。ねぇ、いいでしょう?」

悟飯が生家に足を踏み入れると、リビングには弟の甘ったるい声が響いていた。
悟天がベタベタの甘い声で話す時、相手は決まって女の子で、例に洩れずまた新しい彼女ができたらしい。
悟飯は悟天のこの声を聞く度に、『今度はうまくいきそうだな』とか『相手はどんな子かな』などと、弟の恋の行く末が気になったものだ。
口には出さないが心中では弟の恋を応援しており、思春期の弟が可笑しくもあり、可愛くもあった。
だが、いつもなら呆れつつもつい笑顔が零れてしまう悟天の甘い声に、悟飯の眉間に瞬時に皺が寄った。
失恋した弟を慰めるつもりで倫理的な説教をしてしまったあの日から、まだ一ヶ月も経っていないのである。
懲りずにまた同じ過ちを繰り返すのかと、弟の軽率さを諌めたくなるのも当然だった。
悟天が甘い声を上げる度に胸に突き刺さるトゲを一つずつ丁寧に引き抜き、悟天の正面のソファに腰をおろすと遠慮なく非難の眼差しを送ってやる。
あっ、と短く声を上げ、また電話するね、と更に悟飯を不機嫌にする一言を残して悟天は携帯電話を折りたたんだ。

「今度の子、パレスちゃんって言うんだ。すっげぇ可愛いの。写真見せてあげるよ、来て」

悟飯の手と同じくごつごつと節くれだった手に拒絶もできず、弟に手を引かれるまま悟飯は黙って従った。
約一ヶ月振りの弟の部屋には、悟天の宣告どおり悟天と彼女の写真が勉強机の上の一番目立つ場所に飾られてある。
悟天の隣りに並んだクリーム色の髪の女の子は、どこでこんな可愛い子を見つけてきたのかと問い掛けたくなるような品の良い清楚そうな少女で、今回ばかりは悟天のセンスの良さを認めざるを得なかった。
以前から飾られていた家族の写真は彼女の影に隠れ、まるで悟天の中での悟飯と彼女の存在の大きさの違いを象徴しているかのようだった。
あの告白から一ヶ月も経っていないのに、人とはこんなに変われるものなのだろうか。
あれ以降何の変化もなく悟飯に接する悟天に、最近ではあれは夢だったのではないか、とすら思い始めていた。
夢でなくとも、冗談か揶揄われたのか。
いずれにせよ、悟飯には不愉快極まりなかった。

「本当に可愛いね。悟天には勿体ないくらいだよ」

ちくりと皮肉を言う。
直後には、自分はいつからこんなに性格が悪くなったのだろうかと内心で舌打ちをして。

「うん、すっげぇ可愛いよ。世間知らずのお嬢様で、純粋でスれてなくって」

こんなノロケ話を聞かされる為にここに連れて来られたのか。
そう思うと胃がムカムカしてくる。
悟天の告白を気にかけて、眠れずに過ごした日々さえ馬鹿らしく思えてしまうほどに。
あんな意味深な台詞を吐かれては気になるのが当然のことで、一体いつから弟が自分に対して恋愛感情を抱き始めたのだろうかとか、一度でもそんな素振りを見せていたのだろうかとか、気が付けば悟飯の脳の大半を悟天が占めていた。
そうこうするうちに、悟天の寝起きの声や、何の気無しに時折見せる悟天の男っぽい表情や仕草にどきりとさせられて。
悟天の中の“男”を垣間見る度に、動揺し、困惑する日々が続いていた。
それらをすべて否定する悟天の言動に、今度の悟天の恋を応援できそうもない自分を、否が応にも自覚させられる。

「・・・兄ちゃんに似ててさ」

悟天の無邪気な弟からの豹変に、約一ヶ月振りの緊迫した空気が二人の間に流れた。
やはり、あれは夢ではなかった。
そこに秘かな喜びを見出して、悟飯は二の句が告げない。

「ねぇ・・・。あれから、少しでも俺を気にしてくれた?」

新しい恋人との写真をパタンと伏せる悟天から目を逸らしたまま、悟飯は口を噤む。
もしかしたら悟天は、兄の返事など、待っていないのかも知れなかった。

「兄ちゃん、さっき、パレスちゃんに嫉妬したでしょう?」

なるべく顔に出さないように努めていた感情が一瞬だけ兄の表情に浮かんだのを、どうやら悟天は見逃していないようだった。

「・・・してない・・・!」

「嘘つき」

「・・・!・・・嘘つきはお前だろ。僕を好きだって言うなら彼女にはお嘘をついてることになるし、逆に今悟天が彼女に夢中なら、僕を好きだって言うのはお前の嘘だ」

「嘘じゃない。パレスちゃんの、兄ちゃんに似てる部分は好きだよ。俺が今まで付き合った女の子はみんな、どこか兄ちゃんに似てるとこがあるんだ」

「・・・僕を忘れる為に僕と似た子と付き合ってたのなら、矛盾してる。僕を忘れたいのなら僕とは正反対のタイプを選ぶべきだ」

「成程。正論だね。・・・ねぇ、兄ちゃん。さっき、パレスちゃんに嫉妬してたでしょう?」

「して・・・ない・・・」

尚も悟天から顔を背けようとする悟飯の前方に回り込み、悟天は兄の神妙な顔を覗き込んだ。
悲しげにまぶたを閉じるその表情は、悟天の言葉を否定しきれずにいる。

「嘘つき・・・」

甘い囁きと共に唇に降りてくる言葉に、悟飯は身を固くした。
この時悟飯は、ゆっくりと近付いてくる弟の唇から動けなくなった自分を知ったのだった。





END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
2/2ページ
スキ