【嘘つき】
少しばかり耳障りな音を立てて、悟飯のパソコンが持ち主に外部からのアクセスを知らせた。
微塵の淀みもなくキーボードを叩き続ける細長い指を止めると、良く見知った弟の幼馴染の顔がディスプレイ一面に映し出される。
「悟飯さん、こんにちは」
「やあ、トランクス」
会う度に交わされる、何年も前からのお馴染みの挨拶。
だが、数ヶ月振りに見る彼は、両親譲りの美貌と涼しげな目元にわずかに憂鬱の色を浮かべている。
彼がこんな表情で自分の前に現れる時、おおかた理由は決まっている。
「悟飯さん、実は、悟飯さんのお耳にお入れしておきたいことがありまして・・・」
「悟天が何か?」
トランクスが自分の弟について言いづらそうに前置きをすることからして、またか、との考えが頭を過ぎった。
「その・・・悟飯さんは、今悟天が付き合っている彼女のことはご存知ですよね?」
「うん、知ってるよ。確か、一ヶ月前から付き合ってる、ハイスクール時代の同級生の子だよね?」
「そうです。・・・悟天のヤツ、今日その子に・・・」
兄弟仲の良い悟飯に報告するのは忍びないと云うように俯いたトランクスに代わり、悟飯が続く言葉を紡いだ。
「また、フラれたのかい?」
「はい。俺も慰めてはやったんですけど、あいつ、女の子にフラれるのは今回で10回目なので、落ち込んでるんじゃないかと思いまして。こんなこと、お忙しい悟飯さんにお願いするのは心苦しいんですけど・・・」
「OK。僕も悟天と話をしてみるよ。教えてくれてありがとうな、トランクス。助かったよ」
動揺することなく優しい結論を出した悟飯にトランクスは漸く安堵の笑顔を見せ、パソコンのTV電話では眼鏡の奥の悟飯の瞳が見えないのに残念そうな表情を残して通信は切れた。
よろしくお願いします、とのトランクスの最後の言葉に、弟をよろしくされるのも奇妙な気分だな、と思いつつも、良い友人を持てた弟が誇らしくも嬉しくもある。
「さて、と」
大きな伸びをしてパソコンとにらめっこをして固まった体をほぐすと、悟飯は夕食もそこそこに自分の部屋に閉じ篭った弟のもとへ向かった。
この日は再び向き合うのが不可能になった相棒の電源を落として。
弟の部屋の扉を何度かノックしたが中から返事はなく、悟飯は一方的な承諾を宣言して弟の部屋への侵入を果たした。
予想外に扉に鍵はかかっておらず、弟のこの行動は誰かの訪れを予測したものなのか期待したものなのかそれとも両方なのか、とにかく、やはり弟には誰かの慰めが必要だったらしい。
「悟天?」
名前を呼ぶと、人の形に盛り上がった布団がびくりと反応した。
「トランクスから聞いたよ。その・・・残念だったな」
「残念なんてもんじゃないよ。何だって俺ばっかりこんなにフラれるのさ!」
顔を見せてくれるとは期待していなかった悟天が勢いよく飛び起き、驚きについ声を上げてしまいそうになったが、悟飯は冷静沈着な自分の師匠と同じくおくびにも表情には出さない。
だが、弟の瞳に滲んだ悔し涙には、少しだけ同情している心の内を見せる。
「そんなに落ち込むほど、その子が好きだったんだね。でも、お前ならきっと良い子が見つかるよ。お前はまだ若いんだし、そんなに焦ることはないさ」
「ありがと。でも、そんなに好きだったワケじゃないんだ。可愛いからちょっと付き合いたいな、って思っただけで。それより、ここまでフラれ続ける自分が情けなくってさ」
「そんないい加減な気持ちで付き合ってたのかい?」
呆れた。
それではフラれても当然ではないか。
きっと、その子には、悟天のいい加減な気持ちが伝わってしまったに違いない。
悟飯の中で弟に同情する気持ちが、少しばかり失せてしまった。
「いい加減?そうかなぁ・・・」
一体自分の何が悪いのか、わけがわからず理不尽だとでも言いたげに口を尖らす弟に、この子にどうやって道徳観念を植えつけようかと頭を巡らせた悟飯は、ある疑問に突き当たった。
「まさか、今まで付き合った女の子はみんな、それほど好きでもないのに付き合ってたんじゃないだろうね」
「別にいいじゃん、好きじゃなくても。可愛いと思ってんだから、付き合う理由としては充分でしょう?」
「良くないよ!それじゃあ女の子に失礼だろう!それに、悟天がそんないい加減な気持ちだったって知ったら、女の子達はみんな傷付くよ!お前、だからフラれたんじゃないの?」
「痛いとこ突いてくるなぁ。でも、彼女達だって、俺が申し込んだらあっさりOKしてくれたんだよ。それで振るなんて、あんまりだ!」
「あんまりなのはお前の方だろ・・・。いいかい、女の子に告白したりとか付き合ったりとか、そういうことは本気で好きになった人にしかしたらいけないよ。でないと、女の子が可哀想だろ。女の子は大切にしないといけないんだぞ」
「兄ちゃんは、ビーデルさんのこと本気で好きだから結婚したの?」
「当たり前だろ。悟天には、本気で好きになった人は一人もいないのか?」
「いるよ」
兄の質問に対して間髪入れずに答えた悟天の口調はいつもの軽口を叩く時と同じで、悟飯は、危うくその言葉の意味を聞き落すところだった。
「いるよ、一人だけ。俺が本気で好きになった人」
甘えん坊の弟の顔をしていた悟天が先程とは打って変わって真面目な表情で告げるのを、悟飯は意外な面持ちで聞いていた。
いつまでも子供らしい無邪気さの消えない弟の心に、いつの間にそんな人が住みついていたのだろうか。
「その人に、もう告白はしたの?」
「まだしてない。その人を忘れる為にいろんな女の子と付き合ってみたけど、駄目だった。少しは俺にも同情してよ、兄ちゃん」
そんな事情があったとは。
弟のやるせない心情を思うと、悟飯の胸が少しだけ締め付けられた。
しかも、あの天真爛漫で自信家の悟天が告白もできずに思い詰めるとは、余程のことらしい。