【散歩】












「ここ・・・?」

ターレスに連れて来られたのは、孫家からさほど離れていない山野だった。
鬱蒼とした森と森の切れ目に小高い丘が存在し、澄んだ小川が流れている。
本日は晴天なれども未だそよ吹く風は頬を切るように冷たく、降り積もった雪は太陽の陽射しを浴びても溶け切らずに、雪のない場所を選んで歩くのも困難なほど残っている。
だが、ターレスに言われるままに足元を覗き込めば―

「あっ!雪割草!」

その名の通り雪と雪の間を割って、白い可憐な花が、小さな花びらを見せていた。
それも一つではなく、よ~く目を凝らして見れば、そこかしこに咲いている。
しかも、小川の側には、こんなに長い間パオズ山に住んでいたのに何故今まで気付かなかったのか、と思うほど列を成していた。
いや、気付けば雪割草だけではない。
雪を薙ぎ払ってみれば、その下には蕗のとうやツクシもある。
遠くには、新芽の生えた木の枝も見えるではないか。
いつもと変わらないと思っていたパオズ山の冬景色が、水面下で変わっていた。
新しい生命の息吹と自然界の力強さに感動して絶句した悟飯に、ターレスが後ろから声をかけた。

「俺は地球の植物には詳しくないが、こういう花が咲くのは、春が近いからなんだろうな?」

「・・・そうだよ、ターレス・・・」

「お前は、早く春が来ないかと言っていた」

『早く春が来ないかなぁ』

「うん」

言った。
確かに言っていた。
だが、それは―

「春になれば、ハイヤードラゴンに逢えるから」

「ハイヤードラゴン?」

って、あの下等生物か。
悟飯が幼少の頃から悟飯に付き纏っている、忌々しい奴。
ああ、悟飯に付き纏っている忌々しい奴は他にもいたな。
緑色のナメクジ・・・じゃない、ナメック星人とか。

「ハイヤードラゴンは、まだ冬眠してるのかな」

なんだ、悟飯が春を待ち望んでいたのはこういう景色を見たいからではなく、あの下等生物に逢いたかったからなのか。
・・・ということは、悟飯にとってこの俺は、下等生物にも劣るというわけか、クソッ!

「何故だ」

「へっ?」

「戦闘民族サイヤ人の血を引くお前が、何故あんな下等生物を気にする?」

「ハイヤードラゴンは下等生物なんかじゃないよ!・・・それに、サイヤ人って、そんなに偉い民族なの?」

「何!?」

「ベジータさんもターレスも、『我々は誇り高い民族だ』って言うけど、そのサイヤ人だって、フリーザ一族のいいなりになってたじゃないか。サイヤ人だから偉いなんて考え方、僕は嫌いだな」

「・・・そうか、お前は、あの裏切り者のカカロットのガキだったな」

やはり、カカロットの育て方が悪かったのだ。
だからあのような下等生物とも、平気で馴れ合うのだ。
もういい。
もう、このガキに用はない。
今度こそおさらばしてやる、そう心に決めて立ち去ろうとしたターレスの上空を、不意に黒い影が過ぎった。

「ハイヤードラゴン!」

悟飯の嬉々とした声に振り向くと、ターレスが下等生物と蔑むハイヤードラゴンが、ちょうど悟飯の目の前に降り立つところだった。
幼年期からの親友との久々の再会に、周囲の雪も溶かすほどの笑顔を零す悟飯。
その屈託のない笑顔に、ターレスの胸はチリチリと焼け焦げる。
悟空に短くカットされた髪をくしゃくしゃにされても、顔中をヨダレまみれにされても、悟飯はハイヤードラゴンをまるきり怒りはしない。
ターレスに対しては厳重にガードされた悟飯の心も、ハイヤードラゴンには簡単に開放する。
その違いは何なのか考えあぐねた時、唐突にターレスは、自分が下等生物に対して嫉妬心を抱いているのに気付いた。
己が蔑む生物に悟飯が心を開くのが許せないのか、悟飯が無防備に打ち解ける相手だからこそ蔑みたいのか、どちらとも掴めないが。

「ターレス、僕は地球で育ったから、地球人としての考え方しか出来ないよ」

笑い声の合間の悟飯の真摯な呟きが、ターレスの胸を刺し貫いた。
悟飯がターレスを受け入れられない理由は、そこにあった。
決して過去にターレスが悪人だったからとか、隙あらば悟飯を我が物に狙っているからとか、そんなことではない。
半分が地球人の悟飯はサイヤ人よりもナイーブな内面を持ち、メンタル的なものを重要視しているらしかった。
それをターレスが理解できるかどうかによって、道は大きく別れるだろう。
と、じゃれ付くハイヤードラゴンに押されて後ろに下がった悟飯が、雪に隠れた石に足を引っかけて小川に落ちかかった。
ハイヤードラゴンが首を伸ばして悟飯の服を捉えようとするが、寸でのところで間に合わず、悟飯は目を瞠って背中からのダイビングを決め込んだ。

「うわわわわわわっ」

「悟飯!」

悟飯の足が地面を離れた瞬間、ターレスの腕が悟飯を捉え、悟飯はターレスの腕の中に巻き込まれる形で着地した。

「大丈夫か?」

と聞いた本人の方が青ざめ、悟飯を片腕に抱いたまま、突然の出来事に緊張を解けずにいる。

「悟飯ッ!!そいつから離れろっ!!」

突然、頭上から降ってきた怒声とほぼ同時に二人の目の前を拳が掠め、悟飯とターレスが瞬時に互い違いの方向へ飛びすさった後の地面に、大きな穴が穿たれた。

「チッ・・・!」

「お父さん・・・」

「ターレス、貴様っ!!オラの悟飯に何しやがったっ!!」

「・・・見ての通り、川に落ちそうになったのを助けてやったんだが・・・。カカロット、貴様とうとう視力まで悪くなりやがったのか?」

「何だとっ!?」

「お父さん、ターレスは僕を助けてくれたんです。暴力は止めて下さい」

「悟飯ッ、コイツに騙されるなッ!!」

おいおい、尾行して来てその言い草はないだろう。
しかも、あのタイミングで飛び出して来たからには、事の一部始終を目撃していた筈だ。
何処をどうやったら、俺が悟飯を襲っているように見えるんだ?
それとも、これから襲うところに見えたのか。
それも良かったな、ふむ。

「お父さん、ターレスはそんなに悪い人じゃないよ」

悟飯の意外な発言に、悟空の動きがぴたりと止まった。
言われた当のターレスでさえ、驚きを隠せないでいる。

「貴様ぁ!!悟飯をたぶらかしやがってぇぇ!!」

だから、どうしてそうなる!?
悟飯がターレスを庇ったのが尚も悟空の怒りを煽ったのか、悟空のパンチがターレスの顔面を目掛けて放たれた。
悟空の拳が頬を捉えようとするスレスレのところで繰り出された拳を難無くかわすと、ターレスはそのまま宙に浮き上がる。

「約束の15分だ。俺はもう帰る」

「逃がすかッ!!」

「お父さん、待って!」

怒りをあらわに尚もターレスを追い掛けようと飛び上がりかけた悟空を、悟飯は後ろから抱き竦めて引き止めた。
そんな二人の様子を上から見下ろすターレスの顔に一瞬だけ不快な表情が過ぎったが、悟飯に向って『またな』と唇で象って残すと、ターレスは冬の風と共に姿を消した。
後に残された悟空は暫くの間、冷めやらぬ怒りに両の拳を握り込んで立ち竦み、そんな父の姿を後ろから見守る悟飯は、これから何かが変わるかも知れない予感に、期待に小さな胸を膨らませた。
川に落ちそうになった悟飯を、咄嗟に腕を伸ばして助けたターレス。
悟飯を捉えたその瞳は、悟飯のピンチに駆け付ける父親や師匠のものと同じだった。
ターレスのあの眼差しが、悟飯の瞼の奥に焼きついて離れない。
いつまでもいつまでも、焼きついて離れないのだった。














それからというもの、サイヤ人の戦闘服を脱ぎ、地球の最新ファションに身を包んだターレスが小川のほとりをブラブラと散歩する姿を、悟飯は何度か目撃することになるのである。
ターレスがサイヤ人としてのプライドやこだわりを捨てられるのは当分先の話だろうと思われたが、それでも悟飯は嬉しかった。
ターレスと散歩した翌朝、悟飯の部屋の窓にそっと置かれていた一輪の雪割草。
今ではあの日の思い出に、分厚い図鑑の間に挟まっている。
あれ以来、勉強の息抜きに小川の付近を散歩するのが、悟飯の日課になっている。



END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
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