【神様の誇り】
地上からは確認の不可能な上空に存在する、地球を治める神の住まう城。
一般人の立ち入りを許さぬその城では、地上を徘徊する不気味な怪物を意識してか、名のある格闘家達のささくれ立った神経がピリピリと辺りを包んでいた。
無駄口を叩く余裕も気力もなく誰もが押し黙った張り詰める緊張感の中で、二人の子供のうち、どちらが先に言い出したのか―
『勉強しなきゃ』
その言葉を皮切りに、非日常の中に佇む数人の大人達を尻目に、二人の子供は日常の課題を黙々とこなし始める。
一人は、まるで暗号のような記号と数字の織り交ざった難解の数式をスラスラと解き、地球人とは掛け離れた容姿のもう一人は、古代の象形文字でも見たこともないような不可解な文字列を相手に、これまた短時間で次々と問題を解いてゆく。
互いのおでこを突き合わせるかのように向かい合い、一心不乱で紙の上に鉛筆を走らせる子供達の様子を傍で見守るクリリンが、ふとある疑問を口にした。
「なぁ、悟飯とデンデ、どっちの方が頭が良いんだ?」
いきなりの突拍子もない質問に悟飯とデンデは点になった目で互いに見つめ合い、次の瞬間にはテレビでこれ以上もないギャグを聞いた茶の間の視聴者のように爆笑した。
「クリリンさん、突然何を言い出すのかと思えば・・・」
「そうですよ、ヤダなぁ・・・」
目尻の涙を拭き吹き答える二人の声は込み上げる笑いにトーンとイントネーションが外れ、いつまでも腹を抱える子供達に、クリリンはこれみよがしに大きく腕を組んだ。
「何だよ、お前ら。オレは爆笑ネタを披露した覚えはないぞ。ただ単に、『どっちの方が頭が良いのか』って聞いただけだろ。
女性には『箸が転がっても可笑しい時期』というものがあるらしいが、果たして男の子供にもそんな時期があるのだろうか、と内心で呆れながらも声高に抗議すると、二人の笑い声がピタリと止んだ。
途端に、『そんなのは決まってる、自分ではなく、相手の方だ』と口を揃えて二人同時に真顔でまくし立てるものだから、クリリンは組んだ腕を解いて、『やれやれ』と大袈裟に肩を竦めた。
奇妙なところで仲の良い二人の子供の様子が、可愛らしい外見も手伝って微笑ましくないと言えば嘘になる。
少し離れた場所から事の成り行きを傍観していたミスターポポと顔を見合わせると、先程の二人に負けじとばかりに、クリリンは高らかに笑い出した。
世の中の酸いも甘いも噛み分けた大人なら軽く受け流したであろう、『ちょっと聞いてみただけ』の質問を全身で受け止める二人の子供らしさが、クリリンには可笑しくて堪らない。
「分かったから、分かったから。悪かったよ、可笑しなこと聞いて」
二人の言動を制した手をクリリンが腰に宛てると、どちらともなく二人共黙り込む。
そうして、ほぼ同じタイミングで互いに相手の手元を覗き込み、心の中で相手と自分とを比べるのだった。
悟飯にすれば、異星の勉強は地球のそれとは比較にならないほど難しいと思っていたし、何より、優秀な竜族として地球に迎えられたデンデの特殊な能力には何度も助けられていたのだから、勉強以外でもデンデは素晴らしい素質の持ち主であると認識していた。
加えて、デンデは地球の神として更に多くを学ばねばならない身である。
神は地球に一人しかいない。
悟飯が目指す、地球上に何人も存在している学者とは、格が違うのだ。
故に、デンデと自分とでは比較対照にならないと思う。
それに、まだ大人の庇護を必要とする年齢でありながらたった一人、単身で地球にやって来た勇気は、賞賛されてしかるべきではないか。
一方のデンデはというと、温和なナメック星人の気質からか、根本的に競争心とは縁遠かった。
デンデの生まれ故郷の星に棲息するナメック星人はすべて、最長老と呼ばれる巨体のナメック星人の卵から生まれた。
幾つもの小さな村に分かれて生活を営んでいても、ナメック星人全員が兄弟である。
大人のナメック星人が子供のナメック星人を育て、兄が弟に知識を授け、他の村人と争うことなく皆で助け合い、生存している。
ナメック星での穏やかな生活の中では他者との競争意識は必要ない上に、デンデは闘争心とも戦闘力とも無縁な竜族だった。
その性質上、デンデには悟飯と張り合おうなどという気はさらさらしない。
それに・・・と、少しばかり深刻そうな表情で俯く悟飯の横顔をチラリと盗み見て、デンデは過去に思いを馳せた。
凶悪な敵に仲間達が次々と殺され、デンデ自身の生命も危うくなった時、そこから救い出してくれたのが悟飯だった。
あの時の悟飯は、まるで一陣の風のようにどこからか現れ、自らの命を危険に晒してまで見ず知らずのデンデを助けてくれた。
何が起こったのか咄嗟に理解できず、風前の灯だった筈の自分の命が助かったのが信じられず、助けてくれたのが戦闘タイプのナメック星人ではなく他の惑星から訪れた冒険者だったと知って更に驚いた。
残虐なフリーザ一味の横暴に対してただ逃げ惑うしかなかったデンデと違い、少年と呼ぶにはまだ早い、デンデとさほど歳の違わない年齢でありながら果敢に立ち向かって行った悟飯。
命を賭して敵と戦える勇気、例え戦闘力の敵わない相手でも決して暴虐を許さない正義感、我が身を盾にしてでも弱者を守る優しさ。
まだ幼い身でありながらそれらすべてを身に付けていた悟飯を、あの当時のデンデがどうして尊敬せずにいられただろうか。
その悟飯より自分が秀でているなどと、どうしてもデンデには思えない。
「おいおい、二人共、そんな深刻そうな顔すんなよ。『ちょっと聞いてみただけ』だって言っただろ」
自分が持ち込んだ問題集に視線を落としたきり一言もない悟飯とデンデに、クリリンが困惑気味に口を開いた。
その声に二人の子供が顔を上げた時、精神と時の部屋の前で固まっていた大人達が発した『セル』という単語が風に乗って四人の耳に届き、人好きのするクリリンの表情が一変した。
いつもは傍で楽しく過ごせる兄貴肌のクリリンの、唇を固く引き結んだ難しい横顔。
普段は滅多に見られないクリリンの険しい眼差しを上目遣いで見遣りながら、悟飯が問題集の新しいページをめくる。
その瞬間―
「痛っ!」
真新しい問題集の薄い紙切れで、手元のおろそかになった指を、悟飯が切ってしまった。
クリリンが心配そうに声をかけ、すかさずデンデが悟飯へと向き直る。
「大丈夫ですよ、悟飯さん。僕が治してあげますよ」
そう言うとデンデは、線状に切れ目が入った傷口から血が噴き出す悟飯の指へ両手をかざし、手の平に神経を集中させた。
八つの眼が見守る中で悟飯の指の傷はみるみる塞がり、流れ出る血は乾いてこびりついてゆく。
傷が完全に治癒すると、『ありがとう』と悟飯は屈託のない笑顔を見せた。
デンデが大好きな、悟飯の明るい笑顔。
だが、その悟飯は、無謀と知りながらまたしても絶望的な戦いへと身を投じていかなければならない。
それを思うと、デンデの心がチクリと痛んだ。
戦闘力の低いデンデでは、悟飯を守ることも、悟飯と共に戦うことも出来ない。
同じナメック星人でも、地球の神と一つになり、飛躍的なパワーアップを遂げた戦士タイプのピッコロなら、悟飯を守れるものを。
もしかしたらそのピッコロも、たった一つの地球を守る為ではなく、ただ一人の弟子を守る為に戦うのかも知れないが・・・。
だけど―
「悟飯さん。悟飯さんが怪我をしたら、すぐに僕のところに来て下さいね。・・・いつでも僕が、悟飯さんを治してあげますから・・・」
デンデの真摯な言葉が悟飯の心に届いたのか、悟飯は静かな笑みを浮かべてコクリと頷いた。
精神と時の部屋の前で立ち竦み、絶望的な状況の中で何とか希望を見出そうと足掻く大人達は、誰一人として二人の子供のやり取りに気付かない。
悟飯を取り巻く大人達。
悟飯と共に戦える、悟飯の仲間。
地球の平和と、悟飯を守れる力を持つ、数人の勇者。
だけど―
例え何人も悟飯の仲間が居たとしても。
悟飯を守る戦士が悟飯の傍に居たとしても。
デンデでは悟飯を守ることは出来ないけれども。
悟飯と共に戦うことも出来ないけれども。
戦いで傷ついた悟飯を癒してあがられる能力を持つ者は、地球上では竜族のデンデたった一人だけ―
その事実を、デンデは少しだけ誇りに思った。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。