【まどろみ】



「何でこのオレが、風邪なんてものにかからなきゃならねぇんだ?」

顔にデカデカと『理不尽』の三文字を書き、憮然とターレスはぼやいた。

「ターレスは地球歴が長いから、きっと体質が地球人に似てきたんだよ」

見た目にもアツアツのお粥を銀色のトレイに乗せて運びながら、悟飯は同情の入り交じった笑顔で答える。

朝から動きが鈍く、何となく気怠そうにしていたターレスは、幾度もくしゃみを連発し、形の良い鼻をすすり、顔色に至っては、赤から青に、青から赤にと、体の変色の得意なカメレオンも驚くほどの変化を見せた。
端正な顔立ちの頬が薔薇色に染まっているのにも関わらず寒さを訴えるターレスに、さすがに心配になった悟飯は、病院での受診を勧めた。
が、宇宙最強の戦闘民族の呼び名も高いサイヤ人としてのプライドが許さないのか、頑としてターレスは首を縦に振らなかった。
仕方なく悟飯は近所のドラッグストアで市販の風邪薬を求め、空きっ腹で服薬させるわけにはいかないからと、食欲のないターレスの為に、痛めた咽喉でも食べやすいお粥をこしらえたのだった。
が、生まれて初めて病気などというものを患ったターレスは依然として納得がいかないらしく、先程の悟飯の言葉と銀色のトレイに非難がましい視線を送る。
その針のような視線から、『何を食わせる気だ』と無言で訴えるターレスの不愉快さを、悟飯は読み取っていた。

「ベジータ星には『風邪』なんて病気はなかった」

「風邪のウィルスは、地球の環境にだけ適しているのかも知れないね」

ウィルス?

そんな、目にも見えないものにオレは負けたのか、と、悔しさと情けなさにターレスは臍を噛む。

「さ、薬を飲む前に、少しでも胃に食物を入れてよ」

「・・・食欲がない」

「僕が食べさせてあげるから、ね?」

そんなもの食べたら、今や貴重種となった純血のサイヤ人のこのオレ様が、尚更地球のへんてこな病気に負けたみたいではないか。
それに、地球人が造った薬なんぞが、オレの体に効くとは限らない。

宥める悟飯の笑顔と、悟飯特製のお粥を交互に見比べるターレスの不信に満ちた瞳が、悟飯に語りかける。
だが、悟飯はターレスの不機嫌な問いには何も応えず、代わりにふぅふぅと己の息を吹きかけて冷ましたひとさじのお粥を、むんと横一文字に引き結んだターレスの口元に運んだ。
心なしか、楽しそうな表情を浮かべて。
こんな形でターレスに関われるのが嬉しいのか、悟飯のその優しい瞳に、降参の体でターレスは根負けした。

「美味しい?」

「・・・何だ、これは。お前、味付けを忘れただろう」

「そんなことないよ。ちゃんと味見したもの」

「その割には全然味がしないな」

「風邪のせいで、味がわからなくなっちゃってるんだよ」

またしても、地球特有の、このへんてこな病気が原因か!
せっかく悟飯が作ってくれた料理の味までわからなくなるなんて。

「もう、いい・・・」

ターレスが口の中をやけどしないように気遣って、悟飯が食べやすい温度に冷ましてくれたお粥だけれど。

「ターレス・・・」

食欲がないせいばかりではなくて、これ以上食べる気がしない。

「仕方ないなぁ。じゃあ、薬飲もう?」

あまりに素っ気ないターレスの態度に悟飯は少しだけ顔を曇らせて、それでも懲りずに優しく話しかける。

―そんなに優しくされたら、たまには病気になるのも良いものだ、などと思ってしまうではないか―

「いらん」

「そんなこと言わないで、ね?」

「いらんと言ったら、いらん!」

困らせるつもりなどないのに、ターレスの心はまるで駄々っ子のように歯止めが利かない。
これでは、拗ねているのが悟飯にバレバレだ。
自分の体が思うように動かない、ただそれだけで、どうしようもなく弱った心が我が儘になってしまう。

と、キュッ、と小さな瓶の蓋を開ける音が微かに響き、次いでじゃら、と瓶から何かがこぼれる音がターレスの耳に聞こえてきた。
目の前に嫌なものを差し出される予感にターレスはそっぽを向いたが、いつまで経っても『その時』はやって来なかった。
効能について疑惑たっぷりの不愉快な物体を視界に入れまいと目を瞠るターレスの頬に、小さな手が優しく触れる。
だが、その白い手は思いがけない力強さでターレスの顔をぐりん、と回し、正面へと向けさせた。
鍛えられているとはいえ、首への突然の負荷に顔をしかめたターレスの唇に突然重ねられた、水に濡れた悟飯の柔らかい唇。
いきなりの出来事にターレスがあんぐりと目を見開くと、間髪入れずに上下の唇の隙間から少しぬるめの水が注ぎ込まれる。
一体どうしたことだと思う間もなく、水と一緒に口内を転がる小さな塊に、悟飯の意図をターレスは理解した。

こんなこと、普段ならまずやってくれない。
怪我の功名ならぬ、病人の役得というヤツなのか。

恥じらいに耳まで真っ赤に顔を染めて目を逸らす悟飯に、ターレスの体の芯から愛おしさが込み上げてくる。
こんな時、いつもなら激情のままに悟飯の細い手首を捕まえて、そのままベッドに沈めてしまうのだが、生憎、今のターレスにはそんな元気はない。

心臓からじわじわと体中に染み渡る、甘く、ほんのり切なく、暖かいものにターレスが目を細めるその先で、またもや悟飯が一粒の錠剤と水を口に含んだ。
胸の奥から滲み出て、ターレスの全身を浸してゆくこの感情を、人は『幸福感』と呼ぶのだろう。

再び唇に押し当てられた思惑たっぷりの悟飯の唇を、抗うことなくターレスは受け入れた。
ここまでされたら、いつまでも拗ねているわけにもいかないだろう。
拗ねてつまらない意地を張り通して悟飯を悲しませるような男を、誰が『男らしい』などと思うものか。
口移しで悟飯から受け取ったものを、目に見えるものも目に見えないものもすべて、素直にターレスは飲み込んだ。

「悟飯・・・」

名前を呼ぶと、少しだけはにかんだ笑顔で応える悟飯。
それ以上言葉を話そうにも、痛めた咽喉に何かが引っ掛かって、情けないほど皺枯れたみっともない声しか出て来ない。

「おやすみ、ターレス」

静かな笑顔で静かに告げられた命令に、ターレスも静かに従った。
生まれて初めての発熱に弱ったターレスの体を、頻繁な日干しで微塵も湿気を感じられない清潔な布団が、すっぽりと優しく包み込む。
睡眠を取るための道具としか認識していなかったベッドに、消耗した体と心を癒し安心感を与える効果がある事実を、ターレスは初めて知ったのだった。

「ハスキーボイスのターレスも、カッコイイよ」

ターレスの闘争心を煽る一言を残して、悟飯は寝室を後にする。
悟飯が扉を閉める音を聞きながら、ターレスの意識は優しいまどろみの中へと墜ちていった。





END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
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