【藤棚の下で】


「・・・悟飯さんが生涯をかけて俺を想ってくれるなら、俺は悟飯さんに永遠を誓います」

静かに告げるトランクスの声の中に、悟飯は大きな海流のようなうねりを感じて瞳を伏せた。
トランクスの若さに溢れた真っ直ぐな瞳が、悟飯には眩しくて、羨ましくもある。

「・・・永遠なんて存在しないよ、トランクス。・・・だからこそ人は皆、その言葉に憧れる・・・。わかっているだろう?」

人が寝静まった深夜に音もなく降り積もる雪のような静けさと冷たさを悟飯に感じたのか、雷を伴う雨雲が広がる空色の瞳で、トランクスは雪のように白い悟飯の頬を見つめたまま立ち尽くした。
彼を奈落の底に引きずり込もうとその足元に絶望の深淵が口を開けようと、トランクスの美貌はわずかも損なわれない。

「未来とか永遠とか不確かなものに縋るより、一緒にいられる今を大事にしないか、トランクス。今が楽しくなかったら、それこそ本当に未来がなくなってしまうかも知れない」

悟飯のこの考えは、多分にかつて父親が遺した言葉が影響しているのだろう。
未来を憂いても過去を嘆いても、今は楽しめない。
今が楽しくなければ未来は輝きを失い、過去は色褪せる。
あの時の父の言葉の意味を今なら理解できる、と悟飯は思った。
だから、トランクス失ってしまうかも知れない未来を恐れるより、トランクスが傍にいてくれる今を大切にしたかった。
例えトランクスを失うことになっても、どんな別れ方をしようとも、決してトランクスを恨みはしない。
トランクスからの溢れんばかりの想いを受け取った感謝の気持ちが、遥かに大きいから。
その決意が、より一層悟飯を、トランクスへの想いを強くしてくれていた。

「トランクスの見合いくらいで僕の気持ちは揺るがない。それをトランクスにわかって貰いたかった。だから、僕のことばかりじゃなく、ブルマさんの立場も考えてあげて欲しい。結果はどうあれ、僕は変わらないから。未来や永遠を誓って根拠のない安心感を抱くより、トランクスと楽しく過ごせる今を繋げていきたいんだ」

ようやく悟飯の真意を理解したトランクスが、安堵と、悟飯を信じる力が足りなかった己を恥じて深いため息を吐いた。
トランクスは、最強を目指して努力を怠らないプライドの高い父を誰よりも誇りに思っている。
その父の次に尊敬していたのが、父と同じく努力の人、悟飯だった。
悟飯に憧れて憧れて、『憧れ』が『恋』に姿を変えてからは死に物狂いで追いかけて、ひたすら一途に悟飯だけを想い続けた。
その間、何びともトランクスの心に入り込む余地などなく、僅かな隙間も存在しないほどトランクスの心は悟飯でいっぱいだった。
親友に会うという名目でちょくちょく悟飯に逢いに孫家を訪ね、その都度悟飯はトランクスを暖かく迎えてくれた。
逢えばしばしば、ひょんな拍子に遠くから互いに見詰め合った。
磨かれた宝石のような黒い瞳に見詰められる度に、トランクスの想いは強く、深く、大きくなっていった。
その大きさにトランクスの心がはち切れる寸前に、玉砕覚悟で長年の想いを打ち明けた。
それから数年、もはやトランクスの心には悟飯しか存在せず、悟飯が消えてしまえばダメージは『心にぽっかりと穴が開く』なんて生易しいものでは済まされないだろうと思われた。
もしかしたら、心そのものがなくなってしまうかも知れない。
だからこそ悟飯を失うのを恐れ、失うのを恐れるあまりに悟飯の心を見失う。
若いトランクスは悟飯を想うだけで精一杯で、すべてを受け入れる覚悟の悟飯の想いの深さが、悟飯のひたむきな心が見えていなかった。
この先どんなことが起ころうともトランクスを想い続けるだろうと告げる悟飯に、トランクスは何事も恐れない悟飯の真の強さを見た気がした。

「・・・悟飯さんの言うことはわかりました。でも、やっぱり俺、見合いはしません」

どこかふっきれた様子で言い切ったトランクスに、眼鏡の奥の悟飯の瞳が透き通った悲しみに揺れる。
説得を試みたものの想いが届かない虚しさに俯いた悟飯の視線の先を、トランクスは追おうとはしなかった。

「ああ、そんなに心配しないで。断る理由はちゃんと考えてありますから。こうです」

心の中の靄が晴れたのか清々しいトランクスの口調に、悟飯は驚きを隠せず反射的にトランクスを見上げる。
トランクスは遠い昔に降参した悟飯になぞなぞの答えを教えた悪戯っ子の顔でニコリと笑うと、ひと呼吸置いて一気に謎解きの種明かしをして見せた。

―お写真でお嬢様のお姿を拝見し、あまりのお美しさに実際にお会いすると仕事が手につきそうにありません。社長として会社の経営を学ばねばならない若輩の身、ここで女性にうつつを抜かすわけには参りませんので、今しばらくお時間を戴けないでしょうか―

「どうです?これなら今すぐ見合いをしなくても済むでしょう?」

悪戯っ子の表情を濃くしたトランクスがウィンクして寄越すのを、悟飯はポカンと見上げてしまう。
芝居がかったトランクスの言葉に、どこからか『やっぱりロケだ』と囁き合う声が聞こえてくる。
そちらの方角に気を取られる悟飯に追い打ちをかけるように、トランクスは悟飯とは違った見解を説いた。

「世の中、YESとNOだけで成り立っているわけではありませんよ。意に沿わないなら引き伸ばす、という手もあるんです」

勝ち誇ったように告げるトランクスに子供の頃のトランクスの姿が重なり、悟飯は驚きに見張った眼を細めて過去を懐かしんだ。
なるほど、この言い訳なら相手も否やはあるまいと納得した悟飯の耳に、かつての先輩と師匠の声が蘇る。

『バカ‼何やってるんだよ‼逃げるぞ、悟飯‼』

『逃げろ、悟飯』

敵と遭遇した時、『勝つ』か『負けるか』だけでなく『逃げる』のもひとつの戦法だと教わった悟飯だったが、ピッコロが悟飯のために命を落としてからは敵に立ち向かうことだけを考え、いつしか『逃げる』という方法は選択肢から消えていた。
だからこそ『YES』と『NO』以外の方法が悟飯には見つけられなかったのだった。
それが、戦闘経験の少なさ故に考え方に柔軟性のあるトランクスは、悟飯とは違う答えを見出した。
だがまさか、世の理を諭すつもりでその相手に世渡りを教えられるとは・・・。
逞しい青年に育った弟の幼馴染を頼もしそうに見つめ返すと、悟飯は口もとを緩めてくすりと笑う。

「それでうまく引き伸ばせたとしても、いずれお見合いしなきゃならなくなるだろう?」

どうするつもりなのか、の悟飯の問いを引き継いで、トランクスが答える。

「それまでに彼女には、俺なんかよりもっと良い男が現れますよ」

これは謙遜なのか、それとも本気で『俺なんか』と思っているのだろうかと、悟飯は不思議そうな眼差しをトランクスに送った。

「トランクスより良い男なんて、いないよ。この世のどこにも存在しない。少なくとも、僕にはね」

きっぱりと言い切った悟飯の口調には、自論を譲れない思いが滲んでいる。
真っ直ぐに育った弟の親友を自慢に思うのは、悟飯も弟と同じだった。

「・・・ねぇ、悟飯さん。どうなるかわからない未来より今を大切にしようと悟飯さんは言ったけど、ひとつだけ約束させて」

祈りに似たトランクスの声に、この期に及んで彼は何を望むのだろうかと、悟飯の瞳が切な気に揺れる。
これ以上、トランクスにすべてを捧げ切れない自分に何を与えてくれるつもりなのだろうか、と。
もうすでにトランクスからは、言葉も眼差しも、抱擁も温もりも、優しさもいたわりも、思い出も時間も、申し分ないほどに貰っていた、それなのに。
溢れんばかりの想いを受け取った、それだけで十分過ぎるほどだったのに。

「一年後、ここで、もう一度悟飯さんに告白したい」

言葉では伝えられないトランクスの秘かな決意を感じ取り、悟飯は胸の苦しさを自覚した。
おそらくトランクスは、一年毎に悟飯に告白を繰り返すつもりなのだろう。
そうやって一年、また一年と、悟飯との時を繋げてゆくつもりなのだろう。
それがいつしか、『生涯』に名を変えるまで。

「・・・いいよ。それまでに僕も、返事を用意しておくから」

悟飯の返事を必要としないトランクスの告白を待つ悟飯と、告白するまでもなく悟飯の返事を知っているトランクスと、見詰め合うふたりの眼差しの中の見えない糸が確かに強く太くなるのをふたりは感じていた。
その時、藤の花の蜜の香りに誘われたミツバチが羽音を立ててふたりの間を飛び交い、ふたりは慌ててその場を離れる。

「一年後はともかく、今日のデートを大事にしましょう!もう昼時を過ぎたことだし、そろそろランチにしませんか?」

ミツバチから守るように悟飯の手を引いて歩き出したトランクスの後に続き、悟飯はふと藤棚を振り返った。
お馴染みの待ち合わせ場所で一年後も逢おうと言ったトランクス。
だから、一年後にトランクスに返す言葉をここに残して行こう。

『愛しているよ、トランクス』

「そうだね、僕もお腹空いちゃった。今日はどこに連れて行ってくれるの?」

「この前、悟天と見つけた良いお店があるんです。今日はそこに行きましょう」

残念そうにトランクスの背中に縋る周囲の視線をものともせず、トランクスはただひとり、悟飯の姿だけを空色の瞳に捉えている。
藤棚の下から抜け出た藤の花の精と見まごう青年は、ひとりの人間に心を奪われた、恋するただの男だった。
トランクスに集まる視線のように、カプセルコーポレーションのビルを囲む様々な商業施設。
その商業地帯の裏手、カプセルコーポレーションのビルから閑静な住宅街を抜けてすぐの角にある広大な公園が、人々の憩いの場になっている。
この公園の隅に存在する、世界で有数の規模を誇る藤棚の下は、悟飯とトランクスのお決まりの待ち合わせ場所だった。
この藤棚の下で、ふたりの関係はスタートした。
そして、この藤棚の下でふたりは絆を深めてゆく。
この藤棚の下は、悟飯とトランクスのお馴染みの場所で、悟飯とトランクスのお気に入りの場所。





END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
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