【腕枕】
と、どうやら明日にでも医療機関を受診した方が良さそうだと、汚れた尻をウォシュレットで洗浄しようとした時だった。
体内で悟空が力強く脈打った感覚を、唐突に悟飯の尻が思い出した。
病気などではない。
便などでもない。
これは、悟空が悟飯に満足してくれた証だったのだ。
(これ、お父さんの・・・!)
ようやく状況が理解できた刹那、悟飯の体は燃えるように熱くなった。
内心では嬉しくない筈がない。
だが、『恋』という単語に抱いていた甘く切ないイメージとはほど遠い性の生々しさに、咄嗟に口もとを両手で覆った悟飯の体は小刻みに震え出した。
いつか友人と映画館で観た恋人同士のラブシーンと違い、互いの恥ずかしい部分も曝け出さなければならない現実の行為に、悟飯はまだ慣れていない。
悟空の為の苦痛ならばいくらでも耐えられるが、このように快楽を得た証が残るのも、昨夜のように快楽に乱れる己の姿を見られるのも、とてもではないが耐えられたものではなかった。
それを承知しているからこそ、雪の夜から此の方、悟空はただの一度も悟飯に後始末をさせるような真似はしなかったのだ。
それが、悟飯が痛みに慣れてきた矢先に『いざ解禁』とばかりにとんでもないことをしてくださる。
いや、同じ男として悟空の行動も理解できないわけではないが、今回のように悟空が男であるのを見せつけられる度に悟飯は戸惑い、抵抗感を覚えてしまう。
なぜならば、そこには悟飯も知らなかった父の姿があるからだった。
尊敬する父親であり心優しき恋人の悟空は、セクシュアル面を隠すことなく誇示する男でもあった。
それに悟飯が慣れる日が、いずれやってくるのだろうか。
今回のような、行為後のリアルな現実にも。
取り敢えずは悟空に責任の一端を担って貰おうと、悟飯は大きく深呼吸をすると、扉の外で悟飯を待つ悟空を呼んだ。
「あの・・・お父さん」
「ん・・・?どうした、悟飯?」
「お願いがあります・・・。僕のタンスから、パンツを持って来て貰えませんか・・・?」
「なんだ、やけに焦ってると思ったら下痢してたんか、おめぇ」
勇気を振り絞った悟飯の頼みに対するあまりにデリカシーのない悟空のいらえに、いったい誰のせいでこんな思いをしているのかと、悟飯は咄嗟に怒鳴りつけてやりたい気持ちに駆られてしまった。
だが、当初は悟飯も悪い病気ではないかと思い違いをしていたくらいなのだから、悟空が勘違いしてしまうのも無理はないのだろう。
「違いますよ!・・・お父さん、心当たりがあるでしょう・・・?」
「・・・なんだ、そういうことだったんか。悪ぃ、悪ぃ。今まではおめぇがあんまり痛がるから我慢してたんだけどよ、今日は我慢できなかったんだ」
そうなのだ。
初めての時は声も出せなかったほどの脳天を貫く激痛は、今では呻き声を洩らせるていどにまで和らいでいる。
悟飯のその変化に、悟空が気づいていない筈がない。
となると、さきほどの『いざ解禁』の印象は、あながち間違っていないのかも知れない。
改めて問い質しはしないが、悟空が述べた『我慢できなかった』は『敢えて我慢しなかった』が正解だろう。
「ちょっと待ってろ。今、持って来てやる」
そう言い置いて立ち去る悟空の気配が完全に遠去かるのを待って、悟飯は詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
何やら悟空の思惑通りにことが進んでいるように思うのは、気のせいだろうか。
少しずつ。
隣り合ったふたつの色が混ざり合うように、悟空の色が悟飯を侵食してくる。
そうして悟空のジョーカーが増える度に、悟飯は悟空に抗う術を失ってゆく。
あの瞳にみつめられると、動けなくなる。
あの声で囁かれると、逆らえなくなる。
あの手で触れられると、何もかもどうでもよくなってしまう。
これは『惚れた弱み』とかいうやつなのだろうか。
(参ったなぁ・・・。僕って、こんなにお父さんに弱かったんだ・・・)
それも、仕方のないことか。
そして、悟空が生み出す快感に体は歓喜に酔い、心は恐怖に竦んでしまうのも。
いつか、理性が本能に負けてしまいそうで、恐くて仕方がない。
いつか、自分が自分ではなくなってしまいそうで。
もしそうなったら、悟空はどうするのだろうか。
「悟飯、持って来てやったぞ」
「あ・・・ありがとうございます」
などとついつい考え込んでしまうのも、積もった想いを悟空に告げてからというもの、ふたりの関係の展開が早すぎて悟飯の心が置き去りにされがちだからだろう。
ひとつひとつ小さなステップを踏みながら時間をかけてゆっくり進みたい悟飯と、過去の経験から既に性と恋愛が合致している悟空とで、大きな開きがある。
それが20歳という年齢の違いからくるものなのだと理解しているが、それでも時々、悟飯の思考が悟空の行動に追いつかなくなるのだ。
悟飯がトイレの扉を薄く開くと、狭い隙間から悟空の腕がにゅっと伸びてきて、悟飯の目の前に落ち着いた色合いの下着をかざした。
それを受け取ろうとして中を覗き込む悟空と目が合い、悟飯は大した効果も期待できないのにパジャマの上衣を引っ張って股間を隠すのに奮闘した。
心なしか悟空の目尻が垂れ下がっているように見えるのが気になりつつも、頬を赤らめた悟飯が上目遣いで下着を掴もうとすると、寸でのところで悟空はひょいと躱してしまう。
このタイミングで悪戯を仕掛けるなんて、らしくない。
どうしたことかと悟飯が驚いて目を丸くすると、そんな悟飯の様子にお構いなしに、悟空はとんでもないことを言い出した。
「なあ、悟飯・・・。部屋に戻ったらさ、もう一回いいかなぁ・・・?」
この状況下でそれを言うか。
悟飯は呆気にとられ、扉の細い隙間から覗く悟空の顔を思わず凝視してしまった。
あの、だらしなくにやけた顔には見覚えがある。
それも、ついさきほど目撃したばかりだ。
『悟飯、もう一回』と悟空は寝言を言っていた。
どんな夢を見ているのかと思えば、そんな内容の夢だったとは。
夢の中でまで悟空に犯されていたのかと思うと、叫び出してしまいたいくらいだった。
その夢に触発されたから、こんなことを言い出したのか。
それとも、初めての後始末に惑う悟飯に、収まった筈の食指が再び動かされたからか。
どちらにせよ、悟飯の答えは決まっていた。
「無理ですよ。さっきも言いましたけど、腰痛が酷いんです」
「ちぇー・・・。なんだよ、パンツまで持って来てやったのに・・・」
と不服そうに唇を尖らせた悟空の拗ねた様子に、悟飯はほとほと困り果ててしまった。
そもそもすべての原因が自分にあるのだと、悟空は理解していないのだろうか。
それに、これ以上駄々を捏ねられても、どうにもならない。
だが悟空は、悟飯が新たな説得を試みる前にあっさりと引き下がった。
「でも、腰が痛いんじゃしょうがねぇな。おめぇ、しんどそうだったもんな」
いつもの父親の顔に戻ってそう言い残すと、悟空は今度こそ悟飯に下着を手渡して静かに扉を閉めた。
悟空が普段の調子を取り戻したことに、悟飯は心の底から安堵した。
そうだった。
なにも言わなくても悟飯が父の考えを読み取れていたように、悟空も息子のよき理解者であったのだ。
いつだって悟空は、悟飯の味方をしてくれた。
そんな悟空は、悟飯と親子以上の関係になったからと云って、悟飯の気持ちを蔑ろにして無理をゴリ押しするようなタイプの男ではないのだ。
結構な割合で、悟飯にも想定外の無茶はしてくださるが。
「気持ち悪かったか?」
洗面所で手を洗うついでに下着の汚れも落としている悟飯に、悟空が背後から同情を滲ませる声で尋ねた。
「まあ・・・あまり気持ちいいものではありませんでしたね」
悟空が気を遣ってくれていると百も承知の上で、悟飯は即答した。
漏らしてしまったのかと焦るほどのぬるりとしたあの感触は、精神的にも生理的にも決して心地よいものなどではなかったのを思い出すと、申し訳なくも率直な感想を誤魔化すことはできなかった。
よしんば今の台詞で悟空が気を悪くしてしまったとしても、それは仕方がない。