【腕枕】

だが、今回はいつもに増して腰痛が酷く、ここまで酷いのは初めてだった。
やはり、昨夜の行為がハードなのは、内容だけではなかったのだ。
やれやれ、これでは目的地に辿り着くまでそうとう時間がかかりそうだ、と悟飯は憂鬱な嘆息を漏らした。
すると、悟飯の小さな悲鳴と嘆息を聞きつけたのか、夢の世界に落ちたはずの悟空の掌が悟飯の手首を捉え、悟飯は驚いてわずかに体を揺らした。
悟飯が振り返ると、ベッドに半身を起こした寝ぼけ眼の悟空と目が合った。
半分だけ開いた瞼の奥には、安穏と心配の思いが交互に揺れている。

「大丈夫か?」

「だ・・・大丈夫です。これくらい、どうってことないですよ。・・・それより、また起こしちゃいましたね」

そう、命からがらで乗り越えてきた数々の激戦に比べれば、これしきの痛みなど屁でもない。
そう自分に言い聞かせてみたものの、悟飯のやせ我慢は表情の変化にまでは及ばなかった。
堪える痛みに顔を顰めた悟飯に、悟空の瞳の色はみるみる心配の一色で染まっていった。

「そんなに傷が痛むんか・・・?」

「・・・傷も、ですけど、腰痛が酷くって・・・。正直なところ、動くのもキツいんですよ」

「腰痛!?・・・ヘンだなぁ・・・?おめぇは寝転がってただけで、腰なんか使ってなかったのによぉ?」

「・・・お父さんは、腰とか痛くならないんですか?」

「ああ、オラはどこも何ともねぇ!ピンピンしてっぞ!」

こんな時、世の中は不条理で不公平だと思う。
あんなに激しく腰を揺らしていた悟空は微塵のダメージも負わず、いつだって行為の後に苦しむのは悟飯なのだ。
いつも、行為の直後には息を切らした悟空の方が苦しそうに見えるのに、時が経つと何もしていない筈の悟飯の方が体力を削られてヘトヘトになっている。
これは、悟空が日頃から農作業の合間に鍛錬を積んでいるからとか、悟飯が勉学を優先して武道の修行を怠っているからとか、そんな単純なことが原因ではないと思う。
受け入れる側が、そもそもの自然の摂理に逆らっていることに要因があるのではないだろうか。
そう理屈では納得していても、情事の後のふたりの落差に、悟飯は未だに釈然としないものを抱えているのだった。
悟飯のその複雑な心境を知ってか知らずか、悟空は事後もメインデニッシュの後のデザート感覚で『二回目』をほのめかす傾向にあった。
あくまでも冗談として受け止めているが、よしんば数々の台詞が本気であったのならば、それこそ『冗談ではない』と言いたいところだ
受け入れる側の苦痛を知らない悟空には、情事の後に悟飯が感じている強い倦怠感など想像もつかないのだろう。
その、体を動かすのも億劫になるほどの事後の気怠さを知らずとも、動きの鈍い悟飯に、さすがに今回ばかりは度を越したと自覚したのか、悟空は悟飯に手を貸すべくベッドの端へと起き上がった。

「この通りオラは元気だからよ、おめぇをトイレまで連れて行ってやる。ほら、オラの背中に乗れ」

「おんぶ、ですか!?」

「ああ。誰も見てねぇし、遠慮すんなって」

「・・・あの・・・遠慮とかではなくって、その・・・傷口が左右から引っ張られそうだな・・・って・・・」

そうなのだ。
予想外の悟空の申し出は有り難かったし嬉しかったのだが、悟空に背負われている己の姿を想像すると、余計に傷口が広がってしまうのではないか、との懸念が脳裏に引っ掛かってしまったのだ。
悟空の言う通り人目を気にする必要もなく、切羽詰まった状況なのだから、傷口の心配さえなければ素直に悟空の好意に甘えたいところだったのだが。

「そっか・・・。それじゃあ、しょうがねぇな。・・・だったら、こうだ」

「わっ!!」

悟空の言葉と同時に自身の体が中に浮き、突然のことに悟飯は思わず、家人が就寝中の深夜であるのにも関わらず驚きの声を上げた。
悟空のような武道家でなくても、そこそこ筋力のある成人男性ならば悟飯程度の体重なら抱え上げるくらいわけもない。
ましてや、常人とは比べものにならない力を持つサイヤ人なら尚のこと。
わかっていても、戦闘直後でもない場面で己が横抱きにされるなんて思ってもみなかっただけに、悟飯の驚愕は大きかった。
今さらではあるが、悟空の突拍子もない行動は本気で悟飯の心臓に悪い。
しかも悟飯が、こんな、まるで女性のような扱いを受けるなどとは。

「非常事態なんだから、文句は言いっこなしだぜ。っと、それより急がねぇとな。悪ぃけど、ドアノブ開けてくれ」

とうの昔に親の庇護下から外れた息子に対して『過保護な父親』の側面を見せた悟空にどこかこそばゆさを感じながら、悟飯がドアノブを回して少しだけ手前に引くと、悟空は塞がった両手に代わって左足でそっと扉を押し開いた。
春と呼ぶにはまだ早いパオズ山の夜の冷気と頼もしい悟空の胸に体を預けた悟飯は、同じ男なのに、悟空の腕に抱かれることに些かの抵抗も反発も感じない自分をおかしく思うのだった。










「ほらよ」

「ありがとうございます」

悟飯を目的地まで軽々と運んだ悟空は、到着と同時にフローリングの床へと悟飯を降ろした。
状況的にスリッパを履くわけにもいかず、冷え切ったフローリングの素材が素足に冷たく感じたが、致し方ないことだった。
それに、悟飯に大きな着地音を立てさせないように腰を折ってくれたのがこの男なりの気遣いだったと思うと、文句などつけられる筈もない。
おおらかな性格ゆえに物事に無頓着ではあるが、多くの武道家のように他者を顧みないほど無神経な男ではないのだ。
ところが、細かいことを気にしない大雑把な悟空が珍しく心を砕いてくれた時に限って、悟飯には生活音に気を配る精神的な余裕がなかった。
それというのも、着地と同時に下着の中でぬるりとした感触があったからだ。
尻の間から生暖かいものが流れ出し、高校生にもなって漏らしたのかと青褪めた悟飯は、腰の痛みも忘れて大慌てでトイレに駆け込むと、悟空の気配りを無にするほどの派手な音を立てて扉を閉めた。
悟飯のあまりの慌てぶりにさしもの悟空も驚きを隠せず、そこまで用を我慢させていたのかと苦笑いを浮かべ、己の後ろめたさを誤魔化すように頭を掻いた。
もっと早く連れて来てあげれば良かったと後悔しきりの悟空だったが、そんな父の心境に、悟飯は構っていられなかった。
悟飯が急いで下着を下ろすと、そこにはゲルを水っぽくしたような白い便がべったりと付着していたのだ。
さらには異様な事態に言葉を失った悟飯に追い打ちをかけるように、便座に腰掛けた尻からも同じものが便器に向かって滴り落ち、悟飯は扉の向こうの悟空の存在も忘れるほどのパニックに陥った。

(何これっ!?病気!?)

この時、悟飯の脳裏を過ぎったのは、悟天がまだ赤ん坊の頃に読んだ育児書だった。
そこには赤ん坊が罹りやすい様々な病気が症例と共に紹介されており、その中のひとつ、便が白っぽくなるウィルス性胃腸炎の項目がありありと脳内に蘇っていた。
だが、件の病気は症状として発熱と嘔吐を伴うはずで、めまぐるしく回転する悟飯の脳は、即座にウィルス性胃腸炎の可能性を否定した。
固形物が一切混じっていない粘液状の便であることから、考えられる病気は食あたりか腸疾患か、医療機関での受診が必要かと、明らかに不健康な便に、様々な分野の知識を持つ悟飯の脳はフルスピードで症状に該当する病気の検討に急いだ。
消化器官に問題があるのは間違いないが、食事が原因なら他の家族にも同様の症状が現れてもいい筈だ。
だが、悟空は『どこも何ともない』と言っていた。
悟天とチチが眠る寝室も静かで、異変が生じた気配は感じられない。

(・・・ってことは、食中毒とかじゃないってことだよね?・・・やだなぁ、僕だけヘンな病気に罹っちゃったのかなぁ・・・?)
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