【雪】



『・・・続きまして、東地区の天気予報です。ただいま東地区には西から雪雲が近付いており、これから明日の朝にかけて、パオズ山を中心に降雪が予想されます。積雪量はおよそ15㎝程度、東地区では今シーズン最後の積雪となるでしょう・・・』





予報通りに降り出した雪を、悟飯はベッドの近くの窓からぼんやりと眺めていた。
いつから降り出したのかわからない雪は、時間を追うごとに少しずつ大振りなものに変わってゆく。
バスルームから戻って来る悟空を布団の中で待つべきか、パジャマを脱いでおくべきか、迷った悟飯が自身の心を落ち着ける為にそっとカーテンを押し開けると、すでに雪は音もなく降り始めていた。
雪が降りしきる庭を眺めやると、雪にまつわる想い出が庭のあちこちに転がっている。
今年新たに塗り替えられた想い出たちは、今夜その色を変える。
今ならまだ、引き返せる。
理屈ではわかっていたが、悟飯の心はそれを望んでいなかった。
親子でいられる最後の一線を越えてしまえば後戻りできなくなると知りながら、ふたりの関係の変革を求める悟空に、悟飯は黙って首肯した。
悟飯の成長を待ち続けた悟空が、恋愛のいろはを知らない悟飯に最後の最後まで時間的猶予を与えてくれたのを、悟飯は知っている。
心を通わせ合ってからは行動に多少の強引さを見せた悟空が、ひとつ屋根の下に住んでいて心のままに振る舞えば力尽くで無茶を押し通すのも可能であったのに、悟飯の意思を無視して恣意的に悟飯の個我の尊厳を無下に傷付けなかったのも。
その悟空に応えるべく、いずれ汚れてゆく雪のように、清らかな白さを失う覚悟を決めた悟飯が黒い瞳に映し出した雪は、凛然とした純潔を象徴する白さで世界を覆い尽くそうと勢いを増している。
予報を裏切らず、この雪が積もるのは間違いなさそうだった。
明日の朝には、今シーズン最後の銀世界が拝める筈だ。
だが、世界を輝く白さで埋め尽くすいつもの雪景色は、悟空と同じ夜を共有した明日の朝にはきっと、これまでと違って見えることだろう。

「おっ、暖けぇな」

ノックもせずに扉を開けた悟空の感嘆の声に、悟飯の思考は霧散した。
おそらく両の二の腕を抱きながら廊下を急ぎ足で戻ったのだろう、悟空は室内温度の快適さに掴んだ己の腕を離すとホッと安堵のため息を吐いた。
花も綻び始めたこの時期の寒の戻りは、凍てつく冬の寒さを忘れかけた人々にはことさらに寒さが身に染みる。
それが風呂上りともなれば尚のこと。
いつもと寸分も違わない悟空の笑顔に悟飯の頬が緩むのを合図に、悟空は部屋の外の凍てつく冷気を遮断して静かに扉を閉めると、しっかりとした足取りで悟空を待つ悟飯に向かって歩き出した。
鼻歌を歌い出しそうな上機嫌の様子で悟空が窓辺に佇む悟飯へと一歩を踏み出す毎に、悟飯の時間的猶予は刻一刻と奪われてゆく。
とうに覚悟を決めた筈なのに、未知の体験への怯えと恥じらいが悟飯の心臓に極度の負荷を与えていた。

「やっぱ、降ってきたな」

曇るガラス窓から白くけぶる外へと視線を投じて、悟空は当然の結果のような口ぶりで話す。
これまた当たり前のように、悟飯の躰に己の体をぴったりと寄せて。
湿った空気を纏った悟空から漂う石鹸の香りに悟飯がふっと緊張を解くと、その唇に悟空の唇がそっと触れた。
まるで壊れ物を扱うような思いがけない優しい接吻に驚き、離れる悟空の唇を追うように悟飯が瞳を開けると、自分を見詰める真摯な悟空の瞳とぶつかった。
表面に愛しさと切なさが浮かんだ黒い瞳の奥に湛えられた静かな情熱を垣間見た悟飯は、なぜ今までこの眼差しに気付かなかったのかと、寄せられる好意に疎い己を恥じて呪った。
これまでの悟飯は悟空が起こすアクションを自分の都合の良いように解釈して捉え、悟空の期待を裏切るような希薄なリアクションばかりを繰り返してきた。
ライバルの存在を示唆する悟空の言葉に、呆れ果ててまるで取り合わないこともあった。
こんなしっかりとした手応えのない恋など、とっくに捨ててしまうこともできただろうに、悟空はそれをしなかった。
今まで、悟空が生き返ってからずっと自分が悟空の行動に振り回されているのだとばかり思っていたのに、その実、悟飯こそが悟空の心を乱していたのかも知れない。
時として不慣れな恋愛への頓着のなさが、悟空を傷付けたことがあったかも知れない。
悟空の心を思うに至った悟飯が雪とともに地面に消え入りたい心持ちで悟空の肩へと額を埋めると、悟空はそれを承諾の意と受け取ったのか、悟飯の躰を抱いたままもつれるようにして後ろのベッドへと倒れ込んだ。
再び柔らかい接吻が唇に降り、燃えるようないつもの接吻とは違う穏やかさが、悟飯には意外に思えた。
あれほど情熱的に悟飯を求めていたのにと、常らしくない慎重な悟空に驚きを隠せない。

「途中で嫌になったら、いつでも言え。・・・すぐ止めっから・・」

真正面から静かに告げられ、なぜ今日に限って悟空がここまで穏やかなのか、その解答を得た気がした。
未だ悟飯には抱かれるということがどういうものなのかピンとこないが、これから悟飯の身に何が起こるのかを知る悟空が、未体験のゾーンへと足を踏み入れる悟飯を慮ってくれているのだと。
とたえ容易には止め得ない欲求を悟空が言葉通りに押し止めるのが可能であったとしても、悟飯には退く意思がなかった。
すべてを任せるのだから好きにして構わないのにと思わないでもなかったが、悟飯に我慢をさせているかも知れない不安を悟空に抱かせたまま交渉に臨むより、いつでも悟飯が否やを唱えられる状況を用意してくれた悟空を安心させようと、悟飯は無言で小さく頷いた。
その刹那、未知の領域への恐れに心細さを宿した悟飯の瞳の中の悟空が揺れ、悟飯は悟空を誘うように瞼を閉じた。
三たびの接吻も、穏やかにスタートした。
悟空は悟飯の唇を優しく割ると悟飯の意思を確認するように静かに舌を絡め、そのやんわりとした接吻に、これまでの思考を停止させるほどの激しい接吻にたじろいでいた悟飯が、この時初めて悟空に応えた。
ぬるぬると唾液を絡ませながら口内を這う悟空の舌に、悟飯はときおり呼吸を止めてぴくりぴくりと躰を震わせる。
密着させた体よりも熱い吐息が接吻の合間に互いの唇から洩れ、零れた熱はさらに接吻の深さを誘った。
接吻の間、悪戯な悟空の舌が悟飯の口内を気ままに散策し、悟飯は何度も放浪する悟空の舌を追った。
再び互いの舌が絡み合ってはまた離れ、別れてはまた出逢う。
口内で発生する幾つもの電流が脳を掠めていったが悟飯にはまだ考える余裕があり、発電された電気に疼く頭の片隅で悟飯は、悟空がいつもこんなキスをしてくれたら良いのに、と思った。
あんな、呼吸もできないほど悟飯の脳髄をぐちゃぐちゃに掻き回すような激しいキスではなく、遊びに興じる悟空を愉しめる今のようなキスの方が、ずっと良い。
やがて、繰り返される鬼ごっこに悟飯が夢中になる頃、悟空の手がひっそりとパジャマの裾から忍び込み、悟空の手が生み出す新たな電流に悟飯は周辺の筋肉を強張らせた。
覚えたてのこの感覚が、悟飯にはまだ怖い。
難しい数式も難なくすらすら解けるほどの学問的考察を得意とする優秀な悟飯の脳が、この時だけは考えることを止めてしまう。
なのに悟空は、悟空に触れられるたびにこの感覚に戸惑う悟飯を知りながら、白い皮膚の下にある生物学的構造を確かめるように指の腹でさまざまな場所をなぞった。
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