【幸せな片想い】
「どうだ、悟天?やっぱ、熱があんのか?」
「ん~?僕、子供だからわかんないや」
悟天がわからなくて当たり前。
これは、発熱なんかじゃないんだから。
「どれ」
がっかりしたように肩を落として僕から離れた悟天に代わり、今度はお父さんが僕の額に自分の額を押し当ててくる。
ちっ、近い、近い、近い、近い、近いっっ!!
これじゃあ、余計に火を噴きそうだよ・・・!
「どう、お父さん?」
「ああ、オラにもわかんねぇ」
額を突き合わせてる間は僕の眼をじっと見ていたお父さんが、離れる間際に一瞬だけ僕の唇に視線を落として言った。
しまった、口の周りが汚れてたのかな。
「おめぇ、どのくれぇここに居たんだ?」
「い、1時間くらいかな・・・?」
「陽が出てて暖かかったからってよ、上着も着ねぇでこんな時間にこんな所にずっと座ってっからだ。風邪でもひいたんじゃねぇのか?」
「そ、そうかも知れませんね・・・」
断固としてそんな理由からではないけれど、事情を説明できない以上は否定するわけにいかない。
「どれ、悟飯もこんなんだし、陽も暮れてきたことだし、そろそろ帰ろっか」
僕から離れて立ち上がったお父さんの号令に従って、僕たちも立ち上がった。
僕が上着を取り上げると、中の木の実が地面にコロンと転がった。
まだ少し残っていたけど、仕方がないね。
バイバイ、今年の木の実たち。
また来年。
木の実がなくなった後も上着には小さな枝や葉っぱ、木の実の殻が内側に絡んでいて、これらを払う為に僕は上着をパタパタと振った。
けど、大まかなものは振り払えても、細かなものは簡単には落とせなかった。
上着、汚れちゃったな。
お母さんに洗濯して貰わないと。
すると、突然僕の体がふわりと暖かいものに包まれた。
えっ!?
「上着、汚れちまったんだろ?オラのは畑の行き帰りに上に羽織ってただけだから、汚くねぇ。帰りはそれ着てろよ」
「あ・・・ありがとうございます」
・・・驚いた。
仕方がないから多少汚れていてもこの上着を着て帰ろう、と思っていた僕に、お父さんが自分の上着を肩から掛けてくれた。
お父さんは呆然と立ち尽くす僕の目の前を悠然と横切ると真っ直ぐトラクターに向かい、軽々と飛び乗ってエンジンを掛ける。
「乗れ」
お父さんの短い命令に我に帰った僕は、慌ててお父さんの上着に袖を通すと、悟天の手を引いてトラクターへ向かった。
お父さんの上着からはお陽様の匂いと土の匂い、お父さんの匂いがして、僕の心臓を苦しくさせる。
何だか、お父さんの腕の中にいるみたいで・・・。
何度も見ていたトラクターは、いざ乗ろうとすると、意外に車高が高かった。
慣れてるお父さんと違って、あんなに身軽に飛び乗れそうにない。
僕が掴まれそうな所を見繕って手を掛けると、お父さんが僕の右手を掴んだ。
ステップを踏んで、お父さんが右手を引っ張ってくれるのに合わせて弾みをつけると、思っていたよりもスムーズに乗れる。
「ありがとうございます」
「ああ」
僕が笑顔で手助けして貰ったお礼を言うと、お父さんもニコリと笑って応えてくれた。
なのにお父さんは、僕が助手席に腰を落ち着けても、掴んだ右手を離してくれない。
仕方なしに僕は、動かせない右手はそのままにして脇に上着を置き、僕の膝に座る予定の悟天へと左手を伸ばそうとした。
お父さんの顔なんてまともに見られないから、視線はお父さんから逸らしたままで。
その時―
右手に暖かくて柔らかいものが触れたのを感じて、僕はそれが何だろうかと僕の右手を振り返った。
―そこには、僕の右手に唇を押し当てた、獲物を狙うような眼をしたお父さんがいた―
夕食の後、悟天との約束の時間までの短い時間を利用して、僕は自室の机に向かっていた。
正確には、机の上のレターセットに。
ロッカーの中に入っていた手紙の中で、今日は一通だけ記名入りのものがあった。
さすがに記名入りの手紙に無視を決め込むわけにもいかないから返事を書かなきゃならないんだけど、女の子の好意を無下に断るのは、いつまで経っても気が引ける。
だから、今までは貰った手紙の返事には、必ずこう書いていた。
『気持ちは嬉しいけど、今の僕は君に応えられません。ごめんなさい』
なるべく女の子を傷付けないように柔らかく断ってきたつもりだったけど、こうして女の子たちと同じ立場になった今にして思えば、あれは却って残酷だった。
駄目なら駄目とはっきり断った方が、言われた当の本人はすっきりするんじゃないだろうか。
だから今日は、白紙の便箋にこう書いた。
『ごめんなさい。僕には好きな人がいます。僕の片思いだけど、この気持ちを大切にしたいから、君には応えられません』
〝好きな人〝まで書いたとき、一旦筆が止まって、気が付いたらいつの間にか僕はノートにお父さんの似顔絵を書いていた。
いつも僕が悟天にするように、僕の手に口付けたお父さん。
僕が悟天に対して抱いているのと同じ気持ちを、今だに僕に対して抱いてくれているのがわかった。
僕の体が大きくなっても、お父さんにとって僕は幼児と変わらないことも。
だから、お父さんに手の甲にキスをされても前みたいに動揺はしなかったけど、さすがにあの眼は恐かった。
まるで、自分が肉食獣と遭遇した小動物にでもなったような気分になった。
でも、あの眼は前にも何度か見たことがあるような気がする。
ーああ、そうだー
思い出した。
精神と時の部屋だ。
ふたりきりで精神と時の部屋で修行していた間、お父さんは時々あの眼をしていた。
あの当時のお父さんはスーパーサイヤ人を超えるのを目標にして気が張り詰めていたから、相当なプレッシャーを感じていたんだと思う。
セルを倒せなければ、地球を守れないから。
あの時と同じ眼を今日のお父さんがしていたということは、僕が顔を赤くなんかしちゃったものだから、お父さんはかなり僕の体を心配してたんだろうな。
また、お父さんに心配をかけさせちゃった。
でも、もしもー
もしも、お父さんが僕を心配してくれる気持ちの中に、ほんの少しだけでも親子以上のものがあったなら・・・。
なんて、淡い望みを抱いてしまうのは、僕の心が暴走を始めた証拠なのかな。
気付き始めたばかりなのに、お父さんが傍に居てくれるだけでこんなに幸せなのに、僕の心にはブレーキが必要なのかな。
・・・そうかも知れない。
だって、お父さんが僕をどう思っているのか、答えはわかり切っているのに、やっぱりどうしても気になってしまうもの。
お父さんには絶対に訊けないのに、一度でいいから訊いてみたい気もする。
なんて、自虐もいいところだと思う。
でも、似顔絵のお父さんになら、訊いてもいいかな?
僕はお父さんの似顔絵の下に、お父さんに出来ない質問を外国語で書いた。
その訳を書き終わったタイミングで、悟天が僕を呼びに来た。
今日はゴールデンタイムの番組でグレートサイヤマンの特集が放送されるから、一緒に観ようと以前から悟天と約束していたのだ。
「今行くから、ちょっと待ってて」
悟天に返事をして椅子から立ち上がると、僕は思い直して鉛筆で書いた外国語の訳の部分だけを消した。
でも、僕の想いと同じで、消しゴムを使っても鉛筆の後がノートに残っている。
『お父さんは僕が好きですか?』と―
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。