【Telephone】
Pulllll・・・
Pulllll・・・
機械的なコール音が頭の中で鳴り響く。
コール音が途切れる度に、目的の人物が電話の向こうにいないのではないか、という不安に襲われた。
何度目かのコールで向こうの受話器が外れた音を聞いた瞬間、悟空の頭は真っ白になった―
ことの発端は、ブルマからの呼び出しだった。
巷で有名なスイーツショップで数量限定の大人気のホール型ケーキを母と二人で買ったからカプセルコーポレーションに来い、と電話で告げられ、ケーキという単語と、『NO』の返事を予測していないようなブルマの口ぶりに、腹を空かせた悟空はにべもなく飛びついた。
瞬間移動でカプセルコーポレーションに赴くと、瞬時の悟空の出現に別段驚いた様子も見せないブルマから、妻が次男を連れて既にこちらに向かっている、と教えられた。
自分の妻が夫に内緒でブルマからカプセルコーポレーション製の携帯電話を持たされていた事実を悟空が知ったのは、実にこの時だった。
『知らぬは亭主だけ』の状況下にあっても、基本的に楽天家の悟空はまるでメゲなかった。
そんな悟空も、行動的なブルマに孫家の電話番号を綴った紙片を手渡された時ばかりは戸惑った。
孫家には、今や一家に一台のペースで普及が進んでいるTV電話が、電気料金の高さを理由に設置されていない。
何とも古典的な電話が一台、リビングのどこかにあった筈なのだが、自宅の電話番号ですら覚えていない悟空には、無用の長物と言っても良いほど無関係な代物だった。
そんな物にこれから自らの手で電話をかけなければならず、しかもその相手が悟飯ともなれば、知らず悟空の体に緊張が走った。
ブルマ云く、孫家の中で悟飯だけが、ハイスクールからの帰宅途中だった為に知らされていないそうなのだ。
こうして、一家の主が自宅に電話を入れるのに、何故かほんのりと頬を染めながらソワソワしているという、何とも奇妙な光景が作りだされることとなった。
悟空の心臓はこれまで経験したことがないくらいに忙しく鼓動し、まるで心臓が肥大しきってしまったのではないかと疑われるほど大きく何度も打ち付けた。
きっと、自分の心臓はパンパンに膨れ上がっていることだろう。
こんなこと、どんなに危機的状況に追い詰められても、敵に負けそうになっても、一度もなかったのに。
と、自分の状態を分析する冷静さが、わずかだが心の片隅に残っていたのだ、この時はまだ。
『はい、孫です』
自分によく似た、だが、自分より幾分か落ち着いたトーンの声を耳にした途端、悟空の心臓はそれまでのドキドキが嘘のように停止した。
次いで、悟飯に説明すべき事柄が一瞬にして頭から吹き飛んでしまう。
何を話すべきだったのか、何を話せば良いのか、その答えを忘れたままどうにか搾り出した声は、不自然に掠れていた。
「・・・オラだ・・・」
受話器の向こうで、驚愕に悟飯の動きが止まった気配がした。
もしかしたら、変な風に上擦った声音に父親の不謹慎な想いを見破ったのかも知れない。
この電話を機に、長年溜め込んだ想いを知られてしまうかも、と思った刹那、カーッと体が燃えるように熱くなるのと同時にまたもや心臓が早鐘のような鼓動を始めた。
だが―
『お父さん・・・』
親しみを篭めた優しい悟飯の声に、悟空はハッと息を呑んだ。
電話を通した悟飯の声がこんなにも優しいものだとは、悟空は今まで知らなかった。
脳裏に甦る悟飯は、その面立ちも、眼差しも、口調も、物腰も、すべてが内面の穏やかさと優しさを表している。
電話では悟飯の表情は見えないが、きっと、今も優しい微笑みを浮かべているのだろう。
悟空は、電話を通して悟飯のその優しさに包まれているような気がした。
今この瞬間、悟飯の優しさを、悟飯の時間を、悟空が独り占めしている―
「今、ブルマんトコに居るんだ。何でも美味しいケーキをご馳走してくれるらしいぞぉ。チチと悟天もこっちに向かってる」
「どおりで、家に帰っても誰も居ないわけですね」
「・・・おめぇも来い」
―来て欲しい―
毎日、毎朝、毎晩顔を合わせているけれど、それでも逢いたい。
その願いが知らず悟空の声のトーンを低くしたのか、悟飯の空けた一瞬の間に、悟飯の躊躇いを見た。
悟空の声にただならぬ何かを感じ取ったのか、それとも悟飯が気になったのは、正義のヒーローの緊急出動の可能性か。
「はい、わかりました」
だが、悟飯との間は、決して不信感や不快感からではなかったようで、悟飯は静かに返答した。
再び二人の間に沈黙が降り、どちらも声を発することなく受話器を握り締めると、互いに相手の気配を探った。
それは、言葉にならない何かを唐突に伝えてしないたくなるような、優しい沈黙だった。
まるで、世界には悟空と悟飯のたった二人しか存在しないかのように、外界の雑音がすべてシャットダウンされる。
一本のラインで繋がっている、悟空と悟飯。
二人だけの時間。
二人だけの世界。
「待ってる・・・」
一言だけ告げて、悟空は静かに受話器を置いた。
途端に室内の喧騒が、悟空の耳に飛び込んでくる。
どうやらチチと悟天が、無事にカプセルコーポレーションに辿り着いたらしい。
悟飯の返事をブルマに聞かれ、『来るってよ』と素っ気なく答えると、悟空は何事もなかった風を装い、適当な椅子に腰を降ろす。
悟飯となら、あんなに短い電話のやり取りだけでもこんなに幸せな気分に浸れるなんてことを、誰にも知られたくはない。
「悟飯が来るのか」
向かい側に座るベジータが、悟空に確認するでもなく、独り言のように呟いた。
その穏やかな表情に、悟空の心の奥に不快なさざ波が立つ。
『おめぇに会いに来るんじゃねぇよ』
咽喉まで出かかった言葉。
だが、悟空は黙って呑み込んだ。
何も、こんな時にまでベジータとつまらないいさかいを起こして、せっかくの幸福感をぶち壊しにすることもない。
いつか―
いつの日か、今日の電話のように、悟飯を独り占めして、悟飯と時間と世界を共有できたなら―
(いつか、アイツとデートしてぇな・・・)
その『いつか』が訪れる日が遠からぬことを願って、悟空は静かに瞳を伏せた。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。