【School festival Ⅲ】


時刻はすでに夕刻を迎え、一般公開も終わったオレンジスターハイスクールでは、年に一度の校内イベントの成功とエンジョイを目論む熱意も冷めやらぬままに、後片付けとキャンプファイヤーの準備に追われる生徒たちでごった返していた。
調達した食材が早々に底をついたクラスでは他のクラスより一足早く後片付けに取り掛かり、一般公開終了間際まで客足の途絶えなかったクラスは急ピッチでそれまで開いていた模擬店の解体作業を進め、使用された資材の中でも可燃可能の物を手分けして抱え、グランドの中央に据えられたキャンプファイヤーを目指している。
長い人生の中でも、物を抱えてこんなに全力疾走する機会などそうそうないだろう、と誰しもが思うほど、後片付けの取り掛かりに出遅れた生徒たちは皆、必死に走っていた。
その様子を見守りながら大掛かりなキャンプファイヤーを取り囲む生徒たちの中に、悟飯はいた。
生徒会メンバーによる後夜祭の開始とキャンプファイヤー点火の告知のアナウンスに、悟飯は今のうちに用を済ませようと、友人たちに断りを入れて校舎裏の手洗い場へと向かった。
この手洗い場は校舎の影となっていて周囲が暗い上に、グラウンドからはここを使用するより校舎に戻ってすぐの手洗い場を名指した方が近いという立地条件により、普段から使用者は殆どいなかった。
未だに怒号と悲鳴が飛び交う玄関口を抜けるよりは、多少使い勝手は悪くても、気楽に用を済ませられる。
予想通り誰とも遭遇することなく用を済ませ、手洗い場に背を向けて歩き出した時、聞き慣れた空間を切り裂く音に驚いて悟飯は後方を振り返った。

「よう!」

「お父さん!」

一般公開も終わっていよいよ生徒たちだけの後夜祭が始まろうという刻限になり、なぜ今頃悟空が現れたか、悟飯は悟空の不可解な行動に目を丸くした。

「もうじきキャンプファイヤーってのがあるんだろ。どこだ?どこにあるんだ?」

ワクワクした様子で期待に黒い瞳を輝かせながら尋ねる悟空に、悟飯は『まさか』と頬を引き攣らせる。

「オラ、まだキャンプファイヤーっての食ったことねぇんだ。だこだ?どこにあるんだ?うめぇんか、それ?」

と旺盛な食欲を丸出しで、悟空は周囲をキョロキョロと探す。

「あれです。あの、グラウンドの真ん中にあるやつ。あれがキャンプファイヤーです」

悟飯が指で示した先を悟空が視線で辿ると、そこには材木を四角く井桁に組み、その中に学園祭や模擬店の告知ポスターやチラシ、余ったパンフレットなどの紙類と撤去された模擬店の資材が放り込まれた創造物が、生徒たちの関心と注目の的となっていた。

「あ、あれがキャンプファイヤーってんか?・・・キャンプファイヤーって、食い物じゃなかったんか?」

これから始まるエンターテイメントへの期待とすでに終わったイベントへの達成感に晴れ晴れとした笑顔を見せる生徒たちとは対照的に、悟空はがっかりした体でその場に座り込むと、物悲しげにため息をつく。

(やっぱり・・・)

決して頭は悪くないのに、思考の殆どが食べることに向かってしまう悟空に対してわずかな同情心も抱けず、悟飯は苦笑いを洩らした。
だが、そんなお笑いキャラを地でゆくような父親にまだ礼を述べていないのを思い出し、悟飯は悟空と向き合うとおもむろに切り出した。

「お父さん、さっきは危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」

「さっき・・・?・・・ああ、あれか・・・」

と思い出しただけで悟空の中に怒りが蘇ってくるのを感じて、悟飯は礼を述べるタイミングの悪さを自覚した。
後悔先に立たず。
すべてが終わってからの方が良かったと悟飯が気付いた時にはもう、後の祭りだった。
立ち上がった悟空に乱暴に二の腕を掴まれ、驚愕と恐怖に息つく間もなく悟飯は校舎の壁に背を打ち付けられた。
そこから体勢を整えようとしたが、すかさず左の耳元で悟空の大きな掌が壁を叩きつける音が鳴って悟飯は身が竦み、悟空と校舎の壁に挟まれたまま身動きが取れなくなった。

「おめぇ、何であの時抵抗しなかった。おめぇがちゃんと抵抗していれば、あんな騒ぎにはならなかったんだ」

静かに告げる悟空の声音の低さに、未だ悟空の怒りが収まっていないのを悟飯は察知した。
激昂していても声を荒らげない時ほど、悟空の怒りは深い。
加えて対峙した悟空の目が座っているのも、悟飯の恐怖心を煽る材料としては十分だった。

「抵抗しなかったんじゃありません。抵抗出来なかったんです」

だが、怯んでいても、悟空の言葉を否定できるだけの理由を悟飯も持っていた。

「どうしてだ」

疑問形ではなく責める口調の悟空の鋭い眼差しを、悟飯は毅然と受け止めて返した。

「だって僕あの時、あの人にカンチョウされてたんですよ」

「カンチョウ・・・?・・・って、悟天がよく悪戯でやる、あれか・・・?」

先刻までの凄みは何処へやら、ワケがわからんと顔に書いて悟空は首を捻った。

「そう、あのカンチョウです」

と、悟飯は両手の指を交差させて手を組み、人差し指だけを立てて悟空の目の前にかざす。

「それって、両手じゃなきゃあ出来ねぇだろ。あいつは片手だったじゃねぇか」

「ええ、片手でした。でもあの時、あの人の中指が下着ごと僕の中に入ってたんですよ。あれってカンチョウですよね?」

さも大ごとではないように話す悟飯とは反対に悟空は顔色を失い、ふたりを包む周囲の気温が一気に低下する。

「まあ、指の先まででしたけど」

悟空の呼吸と心臓が瞬時に凍り付いたのを知らない悟飯は、悟空が驚きのあまりに動きを止めたのだとばかり思い込み、気にも止めずに付け足した。
だが―

「あいつ・・・ッ!!んなことやってやがったんかッ!!」

悟飯からの告白に真相を知った悟空の怒りはこの日最高潮に達し、凄まじい怒りが金色のオーラを発しながら一気に噴出した。
校舎が足元の地面ごと揺れ、途端に至る所から悲鳴が上がったグランドは蜂の巣をつついたような喧騒に包まれる。

「あの男、一発ブン殴ってやるんだったッ!!!!!」

「死んじゃいますよ・・・」

悟飯は不気味な地鳴りを伴う悟空の怒りをささやかながらも宥めようと、弱々しく咎めた。
そんなことをしたら、例えや冗談などではなく悟空の怒りの鉄拳によってあの男の人生は本当に終わっていた。

「だから僕、動けなかったんですよ。あの人が何が目的であんなことをしたのか、何がしたいのかさっぱりわからないから、余計に怖くて」

あんな所に指を入れられたら、便意を促されてしまうだけではないか。
あれでは本物の浣腸以外に他ならない。
あんな時間にあんな場所で男子高校生の便意を促したいなんて、一体あの男は何を考えていたのだろうか。

「まさか・・・、おめぇ・・・何にも知らねぇんか・・・?」

尚も身の潔白を主張する悟飯の物言いに悟空は面喰らい、驚愕に強張った咽喉から発せられた声は途切れていた。
あまりの衝撃に悟空がそれまでの怒りを忘れた為、オレンジスターハイスクールを揺るがしていた地震が急速に収まってゆく。
グラウンドから聞こえる安堵のため息を耳で拾いながら、目の前の父親が自分の知らない何を知っているのかと、悟飯はキョトンと悟空を見つめ返した。

「?・・・何がですか?」

「・・・ったく・・・!勉強ばっかしてっからだ・・・!」

「・・・そんなこと言われても・・・だったら、お父さんにはわかるんですか?」

呆れ返って苛立ち紛れに吐き捨てた悟空の言葉の語尾に含まれた刺にむくれて、悟飯が反撃を試みる。
だが、悟空が言葉を詰まらせて何も言い返せないだろうとの悟飯の予想を裏切って、事態は思わぬ方向へ急展開を遂げた。

「ああ・・・。おめぇにも非があったってのも、わかってっぞ」

「僕に・・・!?」

自身には何も落ち度はなかったと信じる悟飯を、悟空は否定した。
悟空には、何も知らない純朴で大人しそうな男の子がある種の大人にとっては格好の餌食の対象となり得る可能性があるのだと、悟飯に教える義務があった。
そんな危険な大人から、悟飯が自身の力で我が身を守らなければならないことも。
それも、危険と遭遇してから対処するのではなく、危険を予測して回避する術を身に付けるべきだと。

「わっ!!」

悟空はいきなり左足で悟飯の軸足を払うと、バランスを崩して落ちる悟飯の体を腰に当てていた左腕で掬い、片膝をついた。
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