【School festival Ⅱ】


『本校は、ミスターサタンの名の下に集いし地域の方々に対し、学園祭に於いて広く門扉を開放致します。本日は本校の年に一度のイベントをお楽しみ下さい』


肝心な門扉のみならず校内の至る所に貼り出されているであろう能書きを横目で見遣ると、悟空は忌々し気に低く舌打ちをした。
近隣への好感度のアップと校名を広く知らしめるのが目的で『来る者拒まず』の精神で構えているのは理解できるが、生徒達を守る為にはもう少し危機感を持ち、来校者のチェックを関係者自らの手で行うべきではないのか。
少なくとも、変質者の侵入くらいは目を光らせて貰いたいものだ。
逃げようとする男の手首を掴む手に力を加えると男は悲鳴を上げ、腰を抜かしたようにその場にへたり込んだ。
外部と内部とを問わず側を通りかかった人々が何事かと足を止めて、数秒単位で周囲の人垣が膨れ上がってゆくのがわかる。
興味本位で集まる野次馬を慌てて駆け付けた教師の面々が追い払うのが見えたが、彼らの行動に感銘を受けるどころか、お前達のやるべきことはもっと他にあるだろうと、悟空の苛立ちは水かさを増した。
各家庭の大事な子息・子女を預かる教育現場の担当者として、まずは悟空が捕らえたこの男の処遇をどうするか迅速に決断を下し、同様の事態を回避する為の今後の改善案について協議と検討を重ねるべきだ。
ハイスクールのイメージを守る為に、この場に居合わせた生徒達に箝口令を敷いている場合ではないだろう。
守るべきはハイスクールに通う生徒達の身の安全の筈だ。
悟空に睨まれているのにも関わらず悟飯の肢体を下から舐めるように眺める男に対し、悟空は不快感を隠すような無駄な努力はしなかった。
この時悟空は、傍目から見てもわかるほど静かに怒っていた。





オレンジハイスクールの学園祭の日程を悟飯から聞いたのは、一ヶ月ほど前のことだった。
バリバリの進学校であるオレンジハイスクールは学業優先の為、イベントと呼ばれる代物は年に一度行われる学園祭のみだと云う。
夕食時の話題に学園祭の情報を両親に提供した悟飯は、両親に学園祭に来て欲しいのか来て欲しくないのか自身の希望は一言も述べず、躊躇うことなく要求を突き付けて寄越す甘え上手な弟の悟天との違いを思わずにはいられなかった。
悟空の記憶の中のアルバムを捲ってみても、そこには駄々を捏ねて親を困らせる悟飯の姿はない。
兄弟間で比べるのは良くないとわかっているが、大人に囲まれた環境で育った聞き分けの良い悟飯より、天真爛漫で好奇心旺盛な悟天の方が余程子供らしい。
だが、悟飯の希望はともかく、教育熱心なチチが絶好のチャンスのこの機会を逃す筈がなく、教育に関心のない悟空でさえもハイスクールに通う悟飯に幾つか気になる点があり、ふたり共瞬時に学園祭への参観を決めたのだった。
この時の悟空は、悟空の若々しさが同級生にネタにされるのは嫌だが、悟空が来ないと寂びさを感じてしまうかも知れない、との悟飯の複雑な心境を知らないままでいた。
父親への信頼と親離れをしたい自分との間で葛藤を続けていたからこそ、悟飯は両親に学園祭の情報を提供するのみにとどめたのだ。
その悟飯の情報に変化があったのは、つい2・3日前のことだった。
文房具の名前のような悟飯の友人が所属するボクシング部では、部活動のPRの為に学園祭で他校との練習試合を行うのが毎年の恒例行事なのだが、ただでさえ練習試合を行えるギリギリの部員数の上に、学園祭を数日後に控えた今頃になって不幸にも選手の一人が試合に出場不可能な怪我を負ってしまったそうだ。
そこで、かの英雄を一躍有名人にした天下一武道会で武道の心得があるのをバラしてしまった悟飯に助っ人の依頼が舞い込み、緊急措置で仮部員として選手登録を済ませ、学園祭での練習試合に出場する流れとなった。
本来、ボクシングの試合はプロともなれば上半身裸で行われる。
しかし、たかだか高校生の練習試合でそこまで本格的なスタイルで臨む高校は却って珍しく、オレンジハイスクールのボクシング部も例に漏れず、練習試合には部員全員がお揃いのTシャツを着用する決まりだと云う。
一日限りではあるが、仮部員として悟飯もこのTシャツを着る予定となっていた。
ところが、ようやく部活動として承認されるほど人数の少ないボクシング部は、部員数がマネージャーを頼むのに校則で決められた定員数に達しておらず、女の子不在の男所帯で普段から部室の整理やら備品の管理やらがかなりおざなりで、探し物がド下手な男共がひっくり返す勢いで部室中を探したが悟飯が借りる筈だった予備のTシャツは見つかず終いだった。
結局、学園祭当日の今朝、仕方なく悟飯は自前でTシャツを用意して登校した。
その悟飯より数時間遅れで自宅を出立した悟空が妻子を伴って瞬間移動でミスターサタンの家に赴き、そこから徒歩でオレンジハイスクールへとやって来た時にはすでに校内はアイドルのコンサート後のような賑わいを見せていた。
満腹にはほど遠いが生徒達の手作りのフードを一通り堪能し、ボクシング部の練習試合が行われる会場に辿り着くと、空いている席に適当に腰を下ろして観戦場所を確保した。
同じくボクシングの観戦に現れたビーデル見たさに人波が押し寄せていたせいか、空いている座席を発見できただけでも儲け物で、残念ながらチチと悟天と3人並んでの観戦は諦めざるを得ない状況だった。
この時、隣りの中年男がパイプ椅子を軋ませて座る悟空から顔を逸らすような仕草を見せたような気がしたが、細かいことを気にしないおおらかな性格の悟空は不審感すら抱かなかった。
練習試合が始まり、異様な熱気の中で数人の部員が試合をこなしていよいよ悟飯がリングに上がったタイミングで、怪我をした部員が痛む足を庇いながら見慣れないTシャツを片手に現れた。
声は聞こえずとも、悟飯に向かって話す唇が『見つかった』と動いているのが悟空の席からも見てとれた。
と、何を思ったのか悟飯は怪我をした部員からTシャツを受け取ると、衆人環視の中でそれまで着ていた自前のTシャツを脱ぎ始めた。
自宅では悟空に裸を見られるのを恥ずかしがって一緒の入浴を拒絶する悟飯が、公衆の面前で惜し気もなく白い素肌を晒したのだ、この時は驚いたの何の。
数秒間の動揺の後、はっと我に帰った悟空が会場内を見回すと、周囲の反応はきっちり4通りに分かれていた。
見慣れた同世代の同性の着替えシーンに無関心な生徒達と、気になる異性の半裸に頬を染める数人の少女と、ガリ勉を象徴するような白い体躯に悟飯の価値を下げようと嘲弄するビーデルのファンの男共と、男子高校生の生着替えに垂涎の表情を浮かべるスケベ面の何人かの大人と。
隣りに座る中年男がだらしなく目尻を下げて下品に口元を歪めているのに気付いた悟空が自分のことを棚に上げて横目で睨むと、男はわざとらしく咳払いをして顔を隠すように視線を逸らした。
悟飯のヤツ、何もこんな大勢の人の前で着替えなくたって良いだろうに、どうせ怪我で試合に出られない部員がいるのだから、そいつからTシャツを借りれば着替えの必要などなかったろうに。
そうしたら、こんな変態野郎共なんかにイヤらしい眼で見られることもなかったのに。
と、正規の部員は全員がお揃いのTシャツを着用する決まりになっているのだと前もって悟飯から説明されていたのも忘れ、悟空は不機嫌に腕を組んだ。
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