【耳掃除】
「お兄ちゃん、お耳のお掃除して」
ハイスクールから帰ると、弟の悟天が、耳かきを片手にパタパタと駆け寄って来た。
そういえば、と僕は思う。
お父さんが生き返ってからは何かと慌ただしく、暫く悟天の耳掃除なんてしてあげてなかったなぁ。
それまでは、家事全般を一人でこなす忙しいお母さんの代わりに、たまに僕がやってあげていたんだけど。
「いいよ。久し振りにお兄ちゃんがやってあげるから、膝の上においで」
リビングのソファに座って膝をぽんと叩くと、悟天は嬉しそうに僕の膝の上に乗ってくる。
ソファに横たわって体をこじんまりとさせていると、この子はまだこんなに小さかったんだな、と思う。
「ん、くすぐったぁい」
僕が耳掃除を始めると、いつも悟天はくすぐたがって小さく肩を竦める。
そんなところも、可愛いんだよね。
そうやって耳掃除を続けると、悟天はその日一日の出来事を話し出す。
川ですっごく大きい魚を捕ったんだよ、とか、お昼は何を食べたんだよ、とか、お父さんと何をしたんだよ、とか。
悟天の話に相槌を打ちながらようやっと耳掃除が終わる頃、お父さんがひょっこりとリビングに顔を出した。
「お、悟天、兄ちゃんに耳掃除やって貰ってんのか?」
僕達を見つけて、ニコニコ顔で近付いて来る。
「そっか、悟飯、おめぇこういうことも出来るようになったんか。なぁ、オラにも頼むよ」
ああ、そうか、お父さんは僕が他の人の耳掃除をしてあげられるようになったなんて、知らないんだ。
そう思った瞬間、尖った針が刺さったみたいに、胸がチクリと痛んだ。
「いいですよ。僕がお父さんになんて、初めてですね」
僕の言葉を待って、お父さんは僕の膝の上に乗る。
さすがに子供の悟天と違って、重い。
あれ、悟天と耳の形が違う!?
そうか、いくら顔が似ていても、こういうところは違うのか。
「お父さん、いつから耳掃除をしてませんでしたか?」
「んー?最後にチチにして貰ったのはセルゲームの前だぞ?」
「えっ!?7年前!?」
「だな。でも、オラは7年間死んでたから、耳掃除とか必要なかったんじゃねぇのか?」
「そういうもんですかね・・・」
ちょっと呆れつつも、お父さんの言うとおりかも知れないと思った。
確かに、7年も放置していたわりには綺麗な方かも。
あまり時間をかけずに耳掃除が終わり、僕は最後の仕上げにお父さんの耳に息を吹きかけた。
「ふーーっ」
「・・・っ!!」
と、途端にお父さんの体がビクンと強張った。
あれ?
今、僕、何にも痛いこと、してないよねぇ?
「悟飯・・・」
いつもより低い声で、お父さんがゆらりと起き上がる。
何か、恐い。
どうして?
ぼくはお父さんに頼まれたとおり耳掃除をしただけで、何にも悪いことしてないのに。
「今度はオラが悟飯の耳掃除をしてやるよ。・・・久々になぁ・・・」
ないない、久々も何も、お父さんに耳掃除なんて、して貰ったことない!
「いえ、いいです、自分で出来ますから」
僕は両手をブンブンと振った。
心なしか涙目になりながら。
「遠慮すんなって。ホラ、こっち来いよ」
グイと腕を引っ張られる。
お父さんの性格は、良くいえばおおらか、悪くいえば大雑把、つまり雑!
「やめて下さい!!僕の鼓膜に穴が開いちゃうっ!!」
悟天でもいい、ああ誰か、僕を助けて!!
「なぁ、大丈夫だろ?いくら何でもオラだってそこまで不器用じゃねぇぞ」
手つきはぎこちないながらも、お父さんは何とか僕の耳掃除をしてくれていた。
お父さんにはきっと、初の挑戦だったに違いない。
ありがたいけど、僕の背筋はさっきからずっと、いつ大惨事になるかわからない恐怖にゾクゾクしている。
いえ、もう、遊園地のジェットコースターよりスリルありますから、これ。
っていうか、いつ我が身が犠牲になるかわからないスリルなんて、安全を保証されたジェットコースターよりイヤだっ。
なんてビクビクしていたら、ようやく終わったのか、お父さんが手を止めた。
そして僕の耳に・・・。
「ふーっ」
「・・・っ!!」
と、耳に息を吹きかけられて、僕の体はさっきのお父さんみたいに強張った。
そうか・・・痛かったわけじゃなかったんですね、お父さん。
強いて言えば、くすぐったい・・・?
「ぱくっ」
「ぎゃああっっ!!・・・おっ、お父さんっ!!どうして僕の耳を噛むんですかっ!?」
いきなり何なんですか、もうっっ。
「いや、なんか、うまそうだったからよぉ・・・」
「僕の耳は食べ物じゃありませんっっ!!!」
何て人だっ、そこまで食欲旺盛だったとは・・・!
せっかくお父さんの父親らしさを堪能していたところなのに、このオチは何ですかっ!?
僕の耳が餃子にでも見えたんですかっ!?
「悟飯ちゃん、悟空さと一緒になって何騒いでるだ。悟天ちゃんに呼ばれたから洗濯物放り出して来てみりゃあ、二人とも騒々しいだよ!」
スカートに悟天を張り付かせたまま、お母さんが腕組みをして現れた。
お母さんの顔は明らかに怒っているけど、今の僕には救いの神。
「お母さん!お父さんがお腹を空かせてますよ!さっき、僕の耳をおいしそうだって食べようとしたんです!」
「ったく、しょうがねぇな、悟空さは。そんなに腹減ってんなら、オラに言えばすぐにメシにしたんだべ。何も悟飯ちゃんの耳を食べることはねぇだよ」
お母さんは思いっ切り呆れた風を装っているけど、最終的にお父さんに優しいことを僕は知っている。
お腹を空かせたお父さんの為に急いで食事の準備をしようと、お母さんがキッチンに向かう。
好きな人の為に、いつも一生懸命なお母さん。
今日くらいは、そんなお母さんを手伝ってあげてもいいかも知れない。
「お母さん、僕も手伝います。悟天もおいで」
僕は悟天の手を引いて、お母さんの後に続いた。
一人リビングに取り残された悟空は、ソファに体を沈めると、ふぅ、と長く息を吐いた。
最近の悟飯はひどく過敏で、まともにスキンシップを許してくれない。
当たり前のようだが尻に触れればすぐさまはたかれ、肩を抱いただけでも過剰に反応し、キスをねだればおでこにチュッと悟天と同じ扱い。
思春期真っ最中の高校生男子の扱いは、何事にも無頓着な悟空には難しいらしい。
それが、思いがけず触れ合える絶好の機会が巡ってきた。
巡ってきたものの、悟飯を意識しているせいか、悟飯に息を吹きかけられて思わず反応してしまった。
同じ反応でも、どうやら悟飯はくすぐったかったようなのだが、それが可愛くて、つい耳にかじり付いた。
あの時の言い訳を、やはり悟飯は違う意味に捉えていた。
『いや、なんか、うまそうだったからよぉ・・・』
「悟飯が、なんて言ったら、怒られるんだろうな、やっぱ」
キッチンから見え隠れする自分より幾らか線の細い背中に悟空は、参ったな、と苦い笑みを漏らした。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。