【ゆらゆら】


神々しいばかりに降り注ぐ幾筋もの陽光が水面で屈折し、それらが水中でゆらゆらと揺れている。
悟飯が見上げた海面では、海水に反射した陽の光が、まるで宝石のようにキラキラと辺り一面に煌めいていた。
この、幻想的なまで美しい光景は、水中でしか拝めない。
悟飯は率直に綺麗だと思った。
その悟飯の視界を横切る影がある。
そいつは潮の流れに逆らうことなく、淡い色彩の体を安心しきった様子で母なる海に預けて漂い続けている。
丸いそいつの体から垂れた、長いフリルのリボンのような触手が海水にゆらゆらと揺れるのを不思議そうに眺めたのが、悟飯の最後の記憶だった。
それから悟飯の身体は、海水に揺られながら、ゆっくりと海底に向かって沈んでいった。





「カカロット、悟飯はどこだ」

久方ぶりの海水浴を楽しむ人々の歓声を圧して、砂浜のベジータが海に向かって唐突に叫んだ。
途端に誰もが発していた声を飲み込んだのは、心なしかベジータの声が焦りを含んでいるように感じたからだ。
それまで面白くもなさそうにビーチパラソルの下でふて寝を決め込んでいた奴がいきなり何を言うか。
誰もが心の中でそう思ったが、それを口に出してベジータの不興を買う度胸のある者はひとりもいなかった。

「悟飯なら、どっかその辺を泳いでんじゃねぇのか?」

名指しで問われた当人はきょとんとした顔で、さして気にも留めていない体で答える。

「貴様、見ていなかったのか」

その、あまりにも物事を楽観した態度に、ベジータの黒い瞳と言葉に険が篭められた。

「んなこと言ったって、オラはチビ達の遊び相手になってたんだぜ。いちいち見てられっかよ」

「馬鹿か、貴様は!!子供から目を離す親がどこにいる!!」

詰るベジータに悟空が困り顔で弁解すると、すかさずベジータが怒声を張った。
これにはさすがにおおらかな性格の悟空も、いつものように聞き流すことはできなかった。
家族思いのクリリンや、子供達にとって幼稚園の先生のような存在のピッコロに指摘されるならともかく、ビーチに着いて以降も一向に自分の息子を構わないベジータに言われる筋合いはない。
当事者の悟空のみならず、この場に居合わせた大人の誰しもがそう思った。

「小っせぇガキじゃねぇんだからよ、悟飯なら少しくらい目を離したところで、どうってことはねぇよ」

ベジータと違って自分はちゃんと我が子の遊び相手になっていたのだという自負と、高校生の悟飯よりもやんちゃ盛りの弟の方こそ目が離せないではないか、との多少の苛立ちと反発心はあるものの、悟空は至ってのんきな姿勢を崩さなかった。

「なぁに?悟飯君がどうかしたの、ベジータ?」

と、そこへ、周囲からは行動が自分勝手だと白眼視されながらも、その実、家族を大切に思うベジータがいつ何が起こるかわからないと周囲に気を張っていたのを知らずとも、夫を信頼しているブルマがふたりの会話に割って入った。
するとベジータは、浜より遠方の大きめな島を指差して説明を始めた。

「あの島の近くから、悟飯の姿が見えなくなった」

「潜水してんじゃねぇの?ほら、あいつ潜水が得意だからさぁ・・・」

「それにしては時間が長い。最後に悟飯を見てから10分近くも経っているんだぞ」

こんな穏やかな海で事故や事件が起こり得るはずがないとあくまでも決めてかかる悟空の発言を、ベジータは真っ向から否定した。
その表情に、悟飯の身を案じる気配がうっすらと浮かんでいるのを感じ取ったブルマは、ベジータの言葉を後押しするように悟空に疑問をぶつける。

「ねぇ、サイヤ人ってそんなに長く潜れるものなの?」

「・・・たしかに、潜水にしちゃあ長ぇな」

ここまできて初めて、悟空の胸に一抹の不安が過ぎった。

ここは赤道から北に数百キロ離れた、世界有数のリゾート地。
有人の本島の他にも百を超える小さな島が方々に点在する、珊瑚礁の美しい海だ。
透明度の高い海の色は手前のエメラルドグリーンから始まり、水深によってターコイズブルー、セルリアンブルーへと様変わりしてゆく。
人々の心を癒す海の美しさは言わずもがなだが、人気の理由は星の砂が有名な砂浜にもあった。
ブルマはトランクスが生まれてすぐに、数ある島々のうちのひとつをプライベートビーチとして買い取った。
ブルマの希望としてはすべての島と周辺の海一帯を買い取りたかったのだが、本島がすでに観光地であった為に、観光業で生計を立てている本島の住人の生活が立ち行かなくなることと、周辺国家の漁獲量に影響を与えるのではないかとのブリーフ博士の進言により、本島に一番近い島をひとつ買い取るだけに留まった。
観光地ならではで本島には宿泊用のコテージが立ち並び、観光客向けの土産物屋や飲食店がひしめき合っているが、島民の気風は至って穏やかな上にのんびりとしているが故に治安もよく、年間を通してここを訪れる観光客は後を絶たない。
長期休暇ともなれば申請ひとつでカプセルコーポレーションの社員も使用可能なこの島に、そろそろ7月も終わりとなるこの日、ブルマは孫家とクリリン家を招待した。
見た目に比して精神年齢も若い悟空は到着するなり男児達の格好の餌食となり、クリリンは浮き輪をつけた娘の泳ぎの練習相手となり、トレーニングを邪魔された不機嫌さを隠しもせずに砂浜でふて寝を決め込むベジータを尻目に、奥様方は海中でのビーチバレーを楽しんだ。
泳ぎの得意な悟飯は子供達との遊びでは物足りず、ピッコロとどちらがさきに泳いですべての島を攻略できるかを競い、タッチの差で勝利を収めていた。
その後ピッコロは悟空を助けるべく砂浜近くまで戻り、悟飯はそのまま付近の探索を楽しむことにしたのである。
何でもベジータの話では、ピッコロと別れて暫く、沖にある大きめの島の影に隠れてから悟飯の姿が見えなくなり、それきり待てど暮らせど影も形も現れないなのだそうだった。

「俺も心配はいらないとは思うけどさ、ベジータの言う通り万が一ってことも考えられるから、ここは手分けして捜した方がいいじゃないか?」

「そうね、無事に悟飯君が見つかって何もないのが確認できたら、またみんなで遊べばいいんだものね。まだまだ時間はたっぷりあるんだし」

「いえ、ブルマさん達はそのまま遊びを続けてて下さい。悟飯の捜索は俺と悟空とピッコロで行きます。18号さん、そういうワケで、悪いけどマーロンをお願いします」

「わかった。何かあったら私も手伝うから、遠慮なく言いな」

良識的なクリリンの提案に本日の功労者が援護射撃を送れば、居合わせた面々に否やはない。
だが、せっかくのリゾート地を家族に満喫させてやりたいクリリンの希望と、どの道チチとブルマが空からの捜索に加われない事情を汲み取って、悟飯の捜索は3人だけで行うこととなった。
こうして臨時の捜索隊はそれぞれベジータが示した方角を目指して飛び立ったのだが、捜索範囲が限られているとはいえ、広大な大海原に人っ子ひとりを探すのは骨が折れる。
適度な高度を保ちつつベジータが示した島を中心に目を凝らして辺りを見渡しても、お目当ての悟飯の黒い頭は誰も発見できなかった。
いよいよベジータの主張が真実味を増してくると、3人の顔からは余裕の表情が消えてゆき、代わりに危機感という名の重しが心にのしかかる。

「クリリン、見つかったか!?」

「いや、駄目だ!全然見つからない!」

「ピッコロ、そっちはどうだ!?」

こうなると、さしもの悟空も楽天的な考えの維持が難しかった。
進捗報告を求める悟空の焦りが滲んだ声に応えようとしたその時、あるものを発見したピッコロは、沈着冷静な軍師らしからぬ驚嘆の声を上げた。

「うおっ!!」

「どうした、ピッコロ!?」

常ならぬピッコロの様子にただならない気配を感じたクリリンが、すかさず尋ねる。
だが、ピッコロは驚愕に瞠目したきり、慌てて舞空術で駆け寄るふたりに向き直ろうとはしなかった。

「・・・猛毒のクラゲだ・・・」

「クラゲ!?」

「何だって!?」

海に視線を固定したまま呻くように発したピッコロの言葉に、悟空もクリリンも衝撃を隠せなかった。
ふたりはブルマから、この辺りの海はクラゲがいなくて安全だとの説明を受けた上で招待されていたのだ。

「この辺にはクラゲがいないんじゃなかったのかよ!?」

「俺もブルマさんからそう聞いたけど。どうなってんだよ、一体!?」

「・・・そのはずだ。・・・そもそもこのクラゲは、南半球にしか生息していない種類なんだが・・・」

「そいつが、何だってこんなところに・・・?」

「どうなってんだよ、ピッコロ!?」

「・・・おそらくは地球温暖化のせいだろう。海水の温度が上昇したことで、潮の流れに乗って北上して来たんだ。・・・しかし、赤道から数百キロも離れたこの海域にまで侵入していたとは・・・」

動揺して回答を求めるふたりに説明するピッコロの声は強張っていた。
それがある事柄を示唆している可能性を読み取ったクリリンが、考えたくないも結論を導き出すに至る。

「・・・おい、ちょっと待てよ。もしかして悟飯はそいつに刺されたんじゃ・・・」

「・・・可能性はある」

博識のピッコロがクリリンの疑問を肯定したことで、南国のリゾート地が一瞬にして北極圏に転換したかのような冷気が周辺一帯を包み込んだ。
澄んだ空の青と海の深い碧の中に居ながらにして、3人は顔色を失っていた。
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