【筍】
早春とは名ばかりの、深い根雪の残るパオズ山。
夜にもなれば家屋の外では木々が凍り付き、その分け前を貰って朝になると軒下につららが礼儀正しく一列に並ぶ。
屋外の凍てつく寒さは家屋の隙間から室内にひっそりと忍び込み、家人の居ない部屋の片隅では吐く息さえも雪のように白い。
その寒さを凌ぐ為の文明の利器を頼った手段は様々だが、文明の利器に頼らない太古からの方法も存在した。
「悟飯、ちょっとこっち来い」
リビングのテレビの前のソファに胡座をかいて座り、悟空は近くにいる4歳の息子を手招きした。
父親に呼ばれた悟飯は一瞬寒さも忘れるほどの可愛い笑顔を綻ばせ、機敏とはほど遠い動作で父親へと歩み寄る。
公園の遊具を登る要領で『よいしょ、よいしょ』とソファをよじ登ると、胡座をかく父親の膝の中にすっぽりと収まった。
悟空の膝の上にちょこん、と座った悟飯は目の前のテレビを見るでもなく、悟空を見上げて嬉しそうに『あはっ』と笑う。
春の訪れを予感させる息子の笑顔に自然と零れた笑みを返すと、悟空は幼い息子の胴へと腕を回した。
「ひゃー、暖けぇな」
燃料のいらない天然のカイロに暖を貰い、悟空は歓声を上げる。
抱き心地の良いふわふわの体にもう片方の腕を回して悟飯の長い黒髪に鼻先を埋めると、ほのかな甘い香りが鼻腔をくすぐった。
自分の子供というのは何と気持ちが良いのだろう。
肌触りも体温も、膝にかかる体重でさえ、すべてが心地良さを覚えるほどに丁度良い。
まるでこの子の存在が、悟空一人だけの為に造られたかのように。
おまけにこの香り。
入浴前だと云うのに、シャンプーでもない、石鹸でもない、微かに香る甘い香り。
恐らくこの香りは、この子自身の体から発しているのだろう。
ムク。
(・・・ん・・・!?)
ムクムク。
(うわっ、わっ、ちょっ、ちょっ、何だ?)
ムクムクムク。
(な、な、な、何で!?)
うっとりと堪能していた腕に抱いた温もりに呼応するように、悟空の体が唐突な変化を始めた。
それは悟空にはまさに青天の霹靂で、何が自分の体を変化させたのか、自分の体だと云うのに悟空は状況の理解に苦しんだ。
傍に妻がいるわけでもない。
息子を抱きながらおかしな想像をしていたわけでもない。
ならばとTVに目を遣っても、悟空が見ていた番組は芸人がMCのバラエティーで、性的な刺激とは一切関係がない。
あれやこれやと原因を探す悟空を、悟飯が下から不思議そうな顔で下から覗き込んだ。
「お父さん?何か、下からニョキニョキと生えて来ましたよ?」
「えっ!?ニョ、ニョキニョキな・・・そ、そりゃ大変だな・・・はは・・・」
「何だろう?何が生えて来たのかな?」
「・・・た、筍じゃねぇのか!?・・・た、多分・・・」
「・・・!そっかぁ、筍かぁ・・・!・・・ねぇ、お父さん、その筍、僕のお尻に当たってるんですけど」
「へっ!?し、尻!?」
悟飯の指摘に視線を下げると、地面から顔を出し始めた筍のように、『自慢のムスコ』が悟飯の小さな尻を下から持ち上げていた。
そしてその『自慢のムスコ』は、悟空が悟飯の尻を意識した途端に更に巨大化してしまう。
(何でこうなっちまうんだよ~~~)
目に見えない心の汗を必死で拭う悟空には目もくれず、悟飯はどんな筍料理を母親にねだろうかと、呑気にメニューの考案をし始めた。
両足をブラブラさせながらウキウキと知っている筍料理の名を片端から上げ連ね、料理の名を上げる毎に短い指を丁寧に一本ずつ折り畳んでゆく。
その指がそろそろ尽きかけようかとした頃、悟飯は『あれ?』と小首を傾げた。
「筍が生えるのって、確か春ですよね。今は冬ですよ?」
「せ、世界にはな、珍しい筍があって、そいつは一年中生えてくるんだぞぉ」
「本当!?見てみたいな!」
「ざ、残念だったなぁ~。その筍は珍しいから、子供には見えねぇんだ、はは・・・」
「なぁんだー、そうだったんだ。・・・つまんないの・・・」
「悟飯も、大人になったら見られるぞ」
悟空の苦し紛れの出鱈目な説明を間に受けて、未来を夢見るように目を輝かせる悟飯。
どうか、大人になる頃には、悟飯が今日の出来事を忘れていますように。
悟空は藁にもすがる思いで神に祈った。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。