【ドライブに行こう】
穏やかな陽光を反射して宝石のような光を放つ海に沿って続く道を、一台のエアカーが道路交通法など存在しないかのようなスピードで滑走して行く。
所々道路にまで覆い被さるほど木々の緑が生い茂ってはいるものの、未だ海水浴には早いシーズンだけあって、他に走行している車は皆無に等しかった。
もっとも、他に走行車があったところでエアカーのハンドルを握るベジータは意にも介さないのだろうが。
平坦な海沿いの道路とは云え、山の斜面を削って敷設された為にいきなり眼前に急カーブが現れるのも稀ではない。
ましてや他人のペースに合わせる概念のないベジータが運転手とあっては、後部座席の中央に座る悟飯には景色を眺めて二家族合同のドライブを満喫する余裕など微塵もなかった。
家族サービスの為にエアカーの運転免許証を取得したものの、ベジータが運転する車への同乗を不安視したブルマに頼み込まれ、運動能力と防御力の高いサイヤ人一行がベジータの運転技術の技量を計るのに乗り合わせる羽目となった今回のドライブ。
助手席にはベジータの息子のトランクスが座り、ベジータの命令で悟飯を真ん中にした孫家の男性陣一同が後部座席を占めた。
スリル満点のドライブなのに二人の子供は初めてのドライブに狭い室内ではしゃぎ、サイヤ人の中でも比較的慎重派の悟飯は眼前に急カーブが現れる度に肝を冷やし、何事にも無頓着な悟空は『ひゃ~、おっかねぇな』と言いながらも自分が置かれた状況を楽しんでいるようだった。
父親の運転する車に幼馴染みが同乗したことでついついテンションの上がったトランクスが運転席と助手席の間に身を乗り出し、堪り兼ねたベジータが一喝する。
「座れ、トランクス‼お前が邪魔でルームミラーから後方の確認が出来ないではないか!」
その声にトランクは一旦は大人しくなるものの、数分も経たないうちに、今度は運転席とは逆側の狭い隙間から助手席の後ろに座る悟天へと振り返り、何やら二人でこそこそと遊び始める。
やれやれ、これでは二人を後部座席に並べて座らせた方が良かったな、と悟飯は、帰り道には二人の父親にこの提案を試みようと考えた。
それにしても、運転こそ粗っぽいが、安全の為にルームミラーで後続車の有無を気にするなど、常にマイペースのベジータにしては殊勝な心掛けだと感心するのも束の間、急カーブで車体が大きく右に傾き、バランスを崩すまいと悟飯はシートに右手をついた。
「わっ、うわっ!」
悟飯自身も揺れる車体の中で周りの家族を気遣って何とか体勢を整えようと必死だが、甘えて兄を頼る可愛い悟天だけは何としても守ってやらねばと、左手で抱えるように庇ってやる。
と、体を支える悟飯の右手にさりげなく別の手が重ねられた。
おそらく悟空もバランスを取ろうとシートに手をつき、たまたまそこに悟飯の右手があっただけなのだろう。
息子の右手の上にうっかり手をついてしまったことに悟空はすぐに気付き、手をどかしてくれる・・・と思っていたが、悟飯とさほど大きさの変わらない分厚くてゴツゴツとした手は、悟飯が右手を抜こうとした瞬間に思いがけない強さで握り締めてきた。
あっ、と悟飯が驚いて声を上げる間もなく、今度は悟飯の膝と触れ合ってお互いの体温を伝え合っていた悟空の左足が、悟飯の右足に絡むように交差してくる。
悟空の行動の意味が飲み込めず訝しがった悟飯が父親の横顔を捉えると、悟飯の視線に気付いた悟空は悟飯へと振り返り、いつものように二カッと笑った後、ウィンクまでして寄越した。
―お父さん・・・?・・・どうしてこんなことを―?
悟空の真意が掴めないながらも行動の理由を探した悟飯は、そういえばと、つい先日の出来事を思い出した。
夕食を終えて自室に向かおうと、椅子から立ち上がった悟空の横を通りかかった時、いきなり悟空に腰を掴まれて、床から踵が離れるほどの勢いでグイ、と引き寄せられたのだ。
何事かと驚く悟飯に代わって現場を目撃した弟の悟天が、『あー!お父さんがお兄ちゃんを抱っこしようとしてるー!』と悟空の行動に抗議の声を上げてくれたおかげで、直後にはすんなりと解放して貰えたのだが。
生き返った当時は家族のお尻をぽんと触わる程度だった悟空のスキンシップが、何故か悟飯に対してだけはエスカレートしているように悟飯には思えてならない。
甘えん坊の悟天の姿に幼い頃の悟飯が重なるのか、悟飯が幼少のみぎりのスキンシップを悟空は求めているようだった。
どうやら、悟空の記憶の中の悟飯は子供の時のままで成長を止めているらしい。
きっと今も、ベジータの荒っぽい運転を怖がっているであろう悟飯を安心させる為に悟飯の手を握っているのだ。
悟飯が闘いを覚える前、悟飯が何かに怯えている時には、悟空はよくこうして悟飯の手を握ってくれていた。
「どうした、悟飯?何かあったのか?」
横を向いたまま硬直した悟飯に気付いたのか、ベジータが怪訝そうな声を投げる。
「あー!!おじさんが悟飯さんの手を握ってる!やらしー!!」
何かを発見した時、子供というのはどうして『あー!!』と声を上げるのだろうか。
先日の悟天と同じトランクスの反応に、悟飯は苦笑を漏らした。
しかも親子で手を握るのを“いやらしい”と捉えるとは、一体トランクスはどういう環境で育ったのだろうか。
「!!・・・カカロット、貴様、俺が運転している間に悟飯に何をしていやがる!!悟飯から手を離せ!!」
「そうだ、そうだ!!おじさん、悟飯さんから手を離してよ!」
「ベジータさん、トランクス、お父さんは僕が怖がってると思って手を握ってるんです」
別に深い意味はないのにと、悟空の立場を慮った悟飯がいきり立つベジータとそれに便乗するトランクスに説明する。
この説明で、子供を甘やかすのが嫌いなベジータとその子供が納得するのかは別として。
「お父さん、変だよ・・・。お兄ちゃんはもう、僕みたいな子供じゃないのに・・・」
大好きな兄を父に取られると思った悟天まで口を尖らせて拗ねれば、悟空は悟飯から手を離さざるを得なかった。
ついでに絡まるように交差された足までもとの位置に収まり、悟飯はこのドライブで初めてほっと胸を撫で下ろす。
「ごめんよ、悟天。お父さんは兄ちゃんが子供の頃に死んじゃったせいで、兄ちゃんがもう子供じゃなくなったってことが、まだよくわかってないんだ」
「お父さん、お兄ちゃんはもう高校生なんだよ。子供じゃないんだよ」
兄に慰められて気を良くした悟天が、父親を説得にかかった。
父を諌める悟天のその声には、今後もこれ以上兄に絡んで欲しくない心情が窺われる。
これだけ周りから非難されても、悟空は悪びれた様子も見せずに『わかってるって』とおどけたように笑う。
―わかってるから、やってんだろ―
悟空の心の声を聞き取れない悟飯は、先日の抱っこ未遂事件もあり、悟空の言葉に疑心を抱いて仕方がない。
何せ物事を深く考えずに一般常識も疎いこの男、天然もよいところなのだからして。
「本当にわかってるのかなぁ・・・」
悟飯は後部座席のシートに深く身を沈めると、独り言のように呟いた。
いつまでも悟飯の成長を受け止められずに子供扱いする父親に不平を鳴らして。
「・・・わかってねぇのは、おめぇの方だ・・・」
悟飯から手を放してそのまま腕組みをした悟空が何かを言った気がして、悟飯は悟空の横顔を伺った。
だが悟空はそっぽを向くように車外の景色を眺め始め、横に座る悟飯にその表情は読み取れない。
さきほどの、ようやく悟飯の耳に届いたかどうかの微かな悟空の声も、僅かに開いたパワーウィンドウから入ってくる風に散っていった。
「うん?あそこに見えるのは駐車場だな?・・・よし、カカロット!あの駐車場で車を停めるから、帰りは貴様が運転しろ!」
二人の様子をルームミラーから見守っていたベジータが前方に駐車場を発見し、望郷の同胞へと問答無用の命令を下した。
「ええっ!?オラがか!?・・・オラ何年も運転してねぇから、自信ねぇぞ!」
「フン、それでもう悟飯の手は握れまい。帰りは悟飯の手の代わりに、ハンドルを握ってるんだな」
「そうだ!それがいいよ!パパ、ナイスアイディアだね!」
悟飯への不埒な行いを咎めるベジータの提案に嬉々としてトランクスは賛同し、悟天は無言で頷いて賛成の意を示す。
最後に運転したのは果たして何年前だったかと記憶を遡る悟空も、四面楚歌のこの状況ではさすがに否やはなかった。
「そりゃねぇよ・・・」
変なところで自信過剰の悟空も今回ばかりは分が悪いと感じたのか、頭を掻きながら困惑顔で笑った。
「ねぇねぇ。おじさん、本当に車の運転なんて出来るの?」
助手席を降りて後部座席の中央へと移動したトランクスが、助手席と運転席の間に割って入るように立ち上がり、運転席に乗り込んでルームミラーを調整する悟空に尋ねる。
帰り道は悟飯の提案が聞き入れられ、子供二人は後部座席に並んで座ることとなり、二人のお目付け役として、トランクスを挟んで悟天とは反対の席に腕と足を組んだベジータが腰を下ろした。
悟飯は自ら悟天とトランクスのお目付け役を買って出たのだが、そうすると必然的にベジータが助手席に座らなければならなくなり、こちらは憎きライバルの隣りなど言語道断とベジータが断固として拒絶した。
「ああ。随分と久し振りだから、事故くらい起こしちまうかもなぁ・・・」
いつもの呑気な口調で、悟空は脅迫まがいの軽口を叩く。
更に覚悟はいいか、と冗談を続けようとして、悟空はあることに気付いて声を失った。
今、後部座席の真ん中で立ち上がったトランクスが、ルームミラーの殆どを占領して映っている。
ということは、ルームミラーから後部座席の真ん中がよく見えるわけだ。
駐車場で運転手を交代するまではベジータが運転していて・・・。
後部座席の中央には悟飯が座っていて・・・。
そもそも、悟飯が座る場所を指定したのは当のベジータで・・・。
そのベジータが、トランクスを叱っていた。
『座れ、トランクス‼お前が邪魔でルームミラーから後方の確認が出来ないではないか!』
新緑が濃く観光に適しているとはいえ、海水浴には早いシーズン、他に走行している車は皆無に等しかった。
後続車も例外ではなく、これまでその姿は影も形も見えなかった。
もしかして、ベジータがルームミラーで確認していたのは、後続車の有無ではなく・・・?
はっとして振り返った悟空の視線に気付くと、『やっと気付いたか、馬鹿め』と声ではなく表情に表してベジータはニヤリと笑った。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。