【初夏の草原にて】
【初夏の草原にて】
色とりどりの鮮やかな春の花々の甘い香りの代わりに、そよ吹く風が草木の濃い緑の香りを届ける草原に、悟飯は父と二人で来ていた。
甘えん坊の悟天も口やかましい母も、ここにはいない。
久々の、二人だけの時間だった。
二人だけになれたからと云って、会話もなければとくに何をするわけでもない。
ただ、どちらともなくその辺の草っ原に組んだ腕を枕に寝込んで、ぼうっと空を流れる白い雲を飽きもせずに眺めている。
端から見れば何が楽しいのか分からないが、二人には充分過ぎるほど穏やかで優しい時間だった。
とくに一日中勉強づくめの悟飯には、格別なリラックスタイムだった。
ついつい必要以上に頑張ってしまう悟飯に、悟空が何も言わずに休息を与えてくれたことを、悟飯は理解していた。
悟空が『休め』と言ったなら、休んで良いものだと悟飯は安心する。
何をするにしてもどんな状況でも、安心して悟空に従える。
悟空は父親として、悟飯が生まれた時から悟飯の傍にいて、悟飯の何もかもを知ってくれていた。
その悟空の言葉に安心出来なかったのは、ただ一度きりだけだった―
物心ついた幼い頃から、子供は両親に従うものだと、それが当たり前なのだと悟飯は思っていた。
だが、勉強に関しては母に従っていたからだけでなく、悟飯自身も好きだった。
自分の知らない知識を吸収できるのは面白かったし、問題を解いた後の爽快感も堪らなかった。
だから、勉強づくめの日々も、大して苦痛には感じていなかった。
だが、いつの頃からだったか、子供の悟飯に大人並の戦闘を望む悟空に、微かな不安を抱き始めた時期があった。
もしかしたら自分の力が他人を傷つけてしまうかも知れないことに、恐怖を感じ始めていた。
父親の悟空が嫌う殺生を、息子の自分がしてしまうかも知れないのが、嫌だった。
あの時、地球と人類の未来が子供の悟飯の肩に重くのしかかり、プレッシャーと不安と、自分の望まぬ状況に悟飯の心は押し潰されそうだった。
父がこれまで耐え抜いていた重みを、あの時の悟飯は初めて知ったのだった。
重くて逃れられない責任と、果たさなければならない義務とを、悟空はたった一人で背負ってきた。
成長して体格だけは父親と同じになっても、悟飯
が一人きりでは背負えなかったもの―
「な~んか、また難しいことでも考えてんのか?」
不意に真横からかけられた問い詰めるでもない穏やかな声に、悟飯の思考は宙に舞った。
「あの…いえ…き、今日の夕飯は何かなぁ、と思って…はは…」
「ん~?今日はオラの好物をご馳走してくれるって、チチが言ってたぞぉ?」
「そ、そうですか…それは良かった、はは…」
それが悟飯の言い逃れに過ぎないのだと、悟空は知っていた。
―知られていた。
だが、悟空からの問い掛けは、それきりなかった。
悟飯が言い淀んだ真意を問い質す父でないことを、悟飯も知っている。
と、頭の下に組んだ悟空の腕の片方が伸び、悟空の手の甲が優しく悟飯の頬に触れた。
『オラが傍に居てやるから、何も心配するな』
と、その手が語っていた。
悟飯が安心したように瞼を閉じて頬を擦り寄せると、今度は手の代わりに暖かい唇が寄せられる。
悟飯は、まだ自分には父を越えられないのだと思った。
まだ、自分一人きりでは、父と同じことは出来ないと。
でも、一人では無理でも―
一人きりでは淋しいから―
この人と二人でなら、きっと―
もうすぐ訪れる夏の気配を運ぶそよ風が、悟飯の思いを肯定するように優しく二人を包んでいた。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。
色とりどりの鮮やかな春の花々の甘い香りの代わりに、そよ吹く風が草木の濃い緑の香りを届ける草原に、悟飯は父と二人で来ていた。
甘えん坊の悟天も口やかましい母も、ここにはいない。
久々の、二人だけの時間だった。
二人だけになれたからと云って、会話もなければとくに何をするわけでもない。
ただ、どちらともなくその辺の草っ原に組んだ腕を枕に寝込んで、ぼうっと空を流れる白い雲を飽きもせずに眺めている。
端から見れば何が楽しいのか分からないが、二人には充分過ぎるほど穏やかで優しい時間だった。
とくに一日中勉強づくめの悟飯には、格別なリラックスタイムだった。
ついつい必要以上に頑張ってしまう悟飯に、悟空が何も言わずに休息を与えてくれたことを、悟飯は理解していた。
悟空が『休め』と言ったなら、休んで良いものだと悟飯は安心する。
何をするにしてもどんな状況でも、安心して悟空に従える。
悟空は父親として、悟飯が生まれた時から悟飯の傍にいて、悟飯の何もかもを知ってくれていた。
その悟空の言葉に安心出来なかったのは、ただ一度きりだけだった―
物心ついた幼い頃から、子供は両親に従うものだと、それが当たり前なのだと悟飯は思っていた。
だが、勉強に関しては母に従っていたからだけでなく、悟飯自身も好きだった。
自分の知らない知識を吸収できるのは面白かったし、問題を解いた後の爽快感も堪らなかった。
だから、勉強づくめの日々も、大して苦痛には感じていなかった。
だが、いつの頃からだったか、子供の悟飯に大人並の戦闘を望む悟空に、微かな不安を抱き始めた時期があった。
もしかしたら自分の力が他人を傷つけてしまうかも知れないことに、恐怖を感じ始めていた。
父親の悟空が嫌う殺生を、息子の自分がしてしまうかも知れないのが、嫌だった。
あの時、地球と人類の未来が子供の悟飯の肩に重くのしかかり、プレッシャーと不安と、自分の望まぬ状況に悟飯の心は押し潰されそうだった。
父がこれまで耐え抜いていた重みを、あの時の悟飯は初めて知ったのだった。
重くて逃れられない責任と、果たさなければならない義務とを、悟空はたった一人で背負ってきた。
成長して体格だけは父親と同じになっても、悟飯
が一人きりでは背負えなかったもの―
「な~んか、また難しいことでも考えてんのか?」
不意に真横からかけられた問い詰めるでもない穏やかな声に、悟飯の思考は宙に舞った。
「あの…いえ…き、今日の夕飯は何かなぁ、と思って…はは…」
「ん~?今日はオラの好物をご馳走してくれるって、チチが言ってたぞぉ?」
「そ、そうですか…それは良かった、はは…」
それが悟飯の言い逃れに過ぎないのだと、悟空は知っていた。
―知られていた。
だが、悟空からの問い掛けは、それきりなかった。
悟飯が言い淀んだ真意を問い質す父でないことを、悟飯も知っている。
と、頭の下に組んだ悟空の腕の片方が伸び、悟空の手の甲が優しく悟飯の頬に触れた。
『オラが傍に居てやるから、何も心配するな』
と、その手が語っていた。
悟飯が安心したように瞼を閉じて頬を擦り寄せると、今度は手の代わりに暖かい唇が寄せられる。
悟飯は、まだ自分には父を越えられないのだと思った。
まだ、自分一人きりでは、父と同じことは出来ないと。
でも、一人では無理でも―
一人きりでは淋しいから―
この人と二人でなら、きっと―
もうすぐ訪れる夏の気配を運ぶそよ風が、悟飯の思いを肯定するように優しく二人を包んでいた。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。