1章
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明るくなっていく東の空を見つめながら、一音一音声に出す。
毎日の日課である発声は小さいころから高校生の今まで、体調が悪い時以外は必ず行っている。
「………」
ピアノの上のコンコーネを閉じて、ふぅと息を吐き、背伸びをする。
姿見を見て服装を確認すると、咲季はカバンを手に取り部屋を出た。
マンションの入り口を抜けると、車が待っている。最近少しだけ寒くなってきたので、つい先日から運転手が送迎をすると言いだしたのだ。
確かに今までも日差しのきつい夏や寒さの厳しい冬には送迎をしてもらっていた。
今年ももうそんな季節になってきたのか。そう思いながら運転手に挨拶をし、車に乗り込んで、カバンの中からレッスン中の歌曲の楽譜を取り出す。
これまでは徒歩通学だったが、最近は車で送迎してもらっている。
少しの時間でも楽譜を読みたい、ということを理由にしているが、単純に外が寒くなってきたからというのが大きな理由だ。
今日はいい天気、見事な秋晴れである。
有閑倶楽部にいるようになって、普段よりも登校時間が遅くなった。
とはいっても今までは誰も生徒がいない時間に登校していた咲季だったが、ここ最近は授業開始時間ぎりぎりだったり、もう授業が始まっている時間だったりに登校している。
家で楽譜を読んだり、音楽を聞いたりしているとつい時間を忘れてしまうのだ。
最初のころは罪悪感もあったが数日でそれもなくなって、今日も同じようにぼんやりと楽譜を見たり外の見慣れた景色を見たりして学校までの登校時間を過ごしていた。
「お嬢様、着きました。」
「ありがとう。」
車が止まって運転手が降り、後部座席のドアに向かう。がちゃりとドアが開いたのを見て楽譜を片づけ、カバンを手に車を降りた。
ふと視線を横にすると、赤いスポーツカーが見えた。
オープンカーになっていて、運転しているのはサングラスをかけた美女だ。
その横で朝日にきらめく金髪を風になびかせているのは紛れもなく美童である。
車を降りたった美童を黄色い声が囲む。金髪と同じように光る笑顔で女の子の相手をしていく美童はさすがだ。
「それでは、」
「っと、じゃあまた帰りは連絡します。」
「はい、いってらっしゃいませ。」
運転手が小さく会釈して車に乗り込んだ。咲季はそれに返事をして、去っていく車を少し見送り、中庭をぷらぷらと歩く。
ゆっくりゆっくり歩を進めていると、車が止まる音がした。
ひときわ輝くその車を、男子生徒たちがそわそわと取り囲む。
あれには巻き込まれたくないな、と思っていると、そわそわしていた人の塊が一層ぞわぞわと動き出す。
「白鹿さぁぁぁん!」
白鹿?そう思い立ち止まって見てみると、車のドアが開き凛とした表情で野梨子が顔を出す。
…が、蠢く男子生徒たちを見た瞬間に表情が固まり、勢いよくドアを閉めた。
ああっ!とある男子が叫ぶと、皆が口々に何かを言いだした。
恐ろしすぎる。あんな中に囲まれて歩くなんて絶対に無理だ。
そう思っていると、先ほどとは反対の方から野梨子が出てきた。
真っ青な顔をしている幼馴染が心配になって、咲季は野梨子の方に駆け寄る。
「汚らわしいですわ!」
うおお!と追いかけてくる男子生徒に、半ば叫びながらそう言うと、指先までピシッとそろえた独特のフォームで野梨子なりの全速力。
咲季の姿を見つけて、助けて、と言わんばかりの表情で駆けてくる野梨子を受けとめた。
「あ!あれは高天原委員長だ!!」
「うおおおおお!」
「白鹿さん!」
「高天原さん!!!」
これで一件落着、そう思った3秒前の自分を呪いたい。むしろ火に油を注いでしまうことになった咲季は、ひっと小さく悲鳴を上げる。
野梨子も一気に先ほどまでの恐怖がこみあげてきたのか、真っ青な顔をして固まった。
二人で抱き合いながら目を合わせる。
これはまずい。
「は、走るよ野梨子!」
「もう嫌ですわ!!」
二人で芝生の上を全力疾走する。お互い運動ができるほうではないため、そうは言ってもそこまで早くないのだが。
逃げ惑う二人の少女を追いかける黒い塊。考えただけでも恐ろしい。
せっかくの朝も台無しだ。
必死で走っていると遠くの方から聞こえてきたサイレンの音。
朝からこんな有様では、やはりけが人も出てしまうのだろう。咲季はそう考えながら、縺れ層になる足を必死で動かす。
芝生のおかげか、人の塊は動きにくそうにしているようだった。このまま校舎まで走り抜ければどうにかるかもしれない。
少しだけ余裕を持って、咲季は救急車が止まったほうに目をやった。
「ん…?!」
よく見ると、救急車には菊のマーク。見慣れたそのマークの下には「菊正宗総合病院」と書かれていた。
清四郎の家も朝からこんなところに駆り出されて大変だなぁと思いつつ、清四郎が近くにいないか考える。
野梨子は息を切らしながらあっちなら大丈夫、というような言葉を言っていたが、息切れしすぎて何を言っているのかわからない。
二人でそちらの方向に走るにつれて、後ろの集団もどこに向かっているのかわかったようだ。
「あ、あれは会長の…!」
「ぬおお…まずい…菊正宗会長に見つかったら…!」
後ろの集団はこのまま向かえば清四郎に怒られるだろうという話を繰り広げながらも必死でくらいついてくる。
この執着は称賛に値するだろう。
とりあえず目の前に停まっている救急車のほうに走る。
しかし様子が変だった。救急車はエンジンを切り、そのまま動きがなくなっていた。
普通ならこのまま救急隊員が出てきてけが人や病人を運ぼうとするのではないだろうか?
しばらく待っても止まったままの救急車を見て、咲季は一つの可能性を思いつく。
もしかして、清四郎は今日、救急車に乗って登校してきたのではないか。
そう思うと途端に笑いが込み上げてきた。
いくら病院の息子だからって、救急車とか!なんて言ったら絶対に清四郎は怒るだろう。
もう少しで救急車のそばに行ける、というところで救急車のドアが開く。
すでにスタンバイした異様な空気を醸し出す男子生徒たちが一斉に声を上げた。
「会長!!!」
「菊正宗会長!!!!おはようございます!」
車を降りた清四郎の顔が小さく引きつったのが遠くからでもわかった。
清四郎に助けを求めるということは、あの男の中に飛び込んでいくということだ。
咲季はちらりと野梨子を見る。
野梨子の顔がさっと青ざめ、大きく目を見開いて口を開いた。
「わ、私は先に行きますわっ!!!!」
「ちょっ…野梨子!!」
言うが早いか、野梨子はそう叫ぶと先ほどの異様なフォームで走りだし、校舎に入っていった。
普段の運動音痴はどこへやら、圧倒的なスピードで瞬く間に校舎の中に入っていった。
一人きりになり、咲季ははっとして目の前の清四郎たちを見る。
相変わらず絡んでいく男子生徒たちを避けつつ、清四郎が車から降りているのが見えた。
そこではた、と目が合う。しかし清四郎が見えたのは一瞬で、またもや男たちの集団によって隠れてしまった。
咲季は今がチャンスと思い、清四郎の方へ歩き出した。
「咲季?」
こちらに近づいてくる咲季の姿が見えたのか、清四郎が名前を呼ぶ。
咲季は足早に清四郎のいる救急車の方に向かうが、さっき立ち止まっていたせいで後ろから追いかけてくる男子生徒たちに追いつかれてしまった。
「ちょ、清四郎…助けて……うわっ!」
「委員長!」
後ろから声をかけられ、一気に男子たちに囲まれる。
野梨子を追いかけていた男たちまで含まれているようで、さっきよりも人数が増えているようだった。
ぞぞぞっと背筋に悪寒が走る。
一人の男子生徒が咲季の方に駆け寄ると、それを合図に一斉にほかの男たちも駆け寄ってきて、咲季は後ずさった。
自分よりもずっと背の高い男たちに取り囲まれると、途端に自分がどこにいるのかわからなくなる。
よくわからない恐怖に咲季は声を大きくして抵抗した。
「離して…!」
「委員長!これ、受け取ってください!」
「…迷惑!なんだけど……!」
がしっと腕をつかまれ、開いていた手に何やら手紙のようなものをあてがわれる。
咲季は必死に抵抗しながら少しでも救急車の方へ行こうと足を進める。
そのたびに周りの男子たちが蠢くように一緒に動く様を想像しただけでも恐怖が一段と大きくなった。
どん、と鈍い音を立てて、咲季は救急車の側面に背中をぶつける。
行き止まりだと頭が認識すると、一気に冷や汗が出た。
どうしよう、どうしよう。
今の自分の状況も把握できず、ひやりと背中にしみる救急車の感覚で頭がいっぱいになった。
徐々に近寄ってくる男子たちに、咲季は小さく悲鳴を上げた。
「ひっ…!」
「うわぁあ!」
腕をつかんでいた手が勢いよくはがされ、その衝撃に咲季は声を上げた。
それと同時に男子生徒の驚く声がして、咲季はそちらの方を見る。
しかし、視界は一面紺色で、何が起こったのかよくわからなかった。
眩しい朝の光も入ってこない。
影を落とすその張本人を見上げて、咲季は「あ…」と声を漏らす。
恐る恐る上を見ると、そこには見慣れた幼馴染の頭があった。
咲季はまだ少し恐怖が抜けきっておらず、しばらく呆然としていたが、清四郎の威圧感のある声に背筋が自然と伸びた。
「さっさと教室に入ったらどうですか?」
「か、会長…」
清四郎に気圧されたまわりの男子がゆっくり後退る靴音が聞こえる。
ツルの一声、ってこのことか。
咲季はそう思いながら広くなった幼馴染の背中を見て安堵の表情を見せた。
男子たちは少し戸惑ったものの、すみませんでした、と一言謝ってその場を離れていく。
その姿を見届けた清四郎がため息をついてこちらに向きなおった。
呆れ顔の清四郎に、咲季はまだ頭の中が整理できておらず、呆然として清四郎の顔を見つめた。
そしてようやく口を開く。
「あ…清四郎………おはよ…」
「何がおはよ、ですか。気を付けてくださいよ」
咲季の口から出た朝の挨拶に、清四郎は呆れた表情を向けた。
咲季はばつが悪そうに視線を逸らす。
何が「おはよう」だ。こんなひと騒動でお礼ぐらい言わなければいけないのに。
しかしそう思っているとふっと笑った声が聞こえたので、咲季はまた視線を戻し、少しだけ頭を下げた。
「ありがとうございます…」
「いいですよ」
仕方ない、と言うように少し笑って私を見る。
そのバカにしたような笑いは普段と変わりないのに、さっきの清四郎の背中を思い出すとドキドキした。
助けてくれた、そう思うと顔が少しにやついてしまいそうになったので、慌てて視線を逸らして表情に注意を向ける。
すると清四郎は校舎にかかる大きな時計を見て続けた。
「行きましょうか。」
「う、うん。…ってもうこんな時間!?」
咲季も一緒に見てみれば、時間はすでに始業2分後。慌てて携帯を見るとお馴染みのメンバーからのメールが入っていた。
慣れたとはいえ、時間が過ぎていると思うと焦りが出てきてしまう。
咲季は咄嗟に清四郎の手をつかんで走り出した。
「そんなに急がなくても…っ咲季!」
「急ごう!」
咲季は夢中で清四郎の手を掴んで走る。少し困惑したような声で名前を呼ぶが、咲季の耳に入っていないのか、手をぎゅっとつかんでそのまま前に進んでいく。
自分の手を掴んでいるつもりなのだろうが、彼女の小さな手は清四郎の手をつかみ切れておらず、清四郎はそれを見て少しだけ笑った。
そして咲季の手を握ろうとしたときだった。
そんな2人をある女性が呼び止めた。
「あら!二人ともいいところに!」
「っ!」
振り向いてみるとそこには聖プレジデント学園の理事長先生と、何やら様子のおかしいダンス部の顧問の先生がいた。
清四郎は驚きのあまりぱっと咲季の手を離す。
咲季はそれに気づいたが、今まで自分たちが手をつないでいたのだと認識したのか、あ、えっと、とよくわからない声を上げていた。
「…どうかしたんですか?」
「菊正宗君、高天原さん、ちょっと困ったことになったのよ…」
平静を装って清四郎が理事長に問うと、困った様子のダンス部の顧問が話をし始めた。
どうやら神無祭のダンス部門に出場するはずだったペアが突然の事故でけがを負ってしまったらしい。
そのけがでダンス部門には出場できなくなってしまったそうなのだ。
今年のダンス部の二人は学園始まって以来のコンビネーションと実力で、夏の大会でも評価を受けていた。
今回の神無祭でもその実力が期待されていた。
その話を理事長に相談しているところに、清四郎と咲季が偶然通りかかったようだ。
清四郎はその話を聞きながら、怪訝な表情を浮かべており、咲季も同じようにその話を真剣に聞いていた。
すると、前方から大きな声が響き渡り、そちらの方に顔を向けると見慣れた5人がやってきた。
「あー!」
「やっと見つけた!」
声を上げたのは悠理。それに続いて可憐が声をかける。
どうやら皆もう登校して、清四郎たち2人を待っていたようだ。
「あ、おはよう」
咲季が普通に挨拶をすると、美童がささっと現れ咲季の手を取った。
そのすばやい動きに咲季は少しだけ身を後ろに引く。美童はオーバーに驚いたような困ったような表情を浮かべて咲季に詰め寄った。
「おはよう、じゃないよ!何で清四郎と…!」
「そんなことより!」
そんな美童を遮ったのはダンス部の顧問。悲壮な顔つきで私たちを見ていた。
ダンス部の二人はエースであり、顧問の先生にとっても期待の星だ。
どうすればいいんですか…と嘆く先生に、さすがの美童も咲季の手を離してふざけるのをやめた。
「二人の代わりにダンスに出てくれる人…いないかしら…!」
ダンス部の顧問はそう言いながら視線を泳がせる。そしてある人物が目に入るとぴたりと視線を止めた。
そしてもう一人と見比べる。
「黄桜さん、グランマニエ君…!そうだわ…いるじゃない!」
「え?」
若干女口調のダンス部の顧問が表情をみるみるうちに明るくさせていく。
それを見ていた理事長が「いいわね、この二人なら」と賛同した。
困惑する二人に、おもしろそうと悠理までもが二人を煽る。
テレビ出演の一言に、困惑していた二人の表情は一瞬で消え、笑顔で言い放った。
「やります!」
そんな二人に咲季はふと思う。
この二人はダンスの経験があるんだろうか。美童はできそうだが、可憐が踊っているところは見たことがない。
周りの皆の顔を見回しても、そのような疑問を持っていそうな人は誰もいなかった。
咲季はその様子に、心に浮かんだ疑問を言いだすことはしなかった。
結局その後、二人がさっそく練習を、と言い出したのでダンス部の練習場に赴き練習を見学することになった。
しかし咲季は理事長先生に授業に出ないことを心配されたため6人と別れ、授業に参加した。
***
翌日、咲季は午前の授業を受けてから生徒会室に入った。
6人は円卓を囲み作戦会議をしていたそうだ。
昨日のダンスの件から話の流れが一変していることに驚き、最初から話を聞く。
「ダンス部のけがも仕組まれてたってこと?」
「そういうことになりますね。現に聖プレジデント以外の学校のダンス部が襲撃されています。」
どうやら昨日の夕方、別の学校のダンス部の女の子が襲われていたところを魅録が助けたらしい。
その子は早希ちゃんという可愛らしい子だそうで、悠理がニヤニヤしながら魅録を茶化していた。
「それで、どうして…高清水建設のパーティーに?」
「魅録がその襲ってきた男たちの車に発信器を付けたんだよ。」
「は、発信器…。」
発信器なんて普通の男子高校生が持ち歩くものなのだろうか。
またしても疑問が浮かんだが、いつも机の上によくわからない機械を広げていじくっているのだからそれくらい持っていてもおかしくないのかもしれない。
そう思い、そのままみんなの説明を聞く。
発信器を付けた車は高清水建設に向かっていたそうで、黒幕が判明したということだ。
しかし、何故ダンス部に対してこのような妨害工作を行っているのかがつかめていないという。
それを掴むために相手の懐に飛び込もうという作戦だ。
「早希ちゃんのためにもがんばらなきゃ!」
「そうだぞ魅録!」
可憐と美童までもが便乗し、魅録を茶化す。
魅録は慌てた様子で否定をしているが、咲季はその光景を見ながら不安な気持ちを隠せずにいた。
ダンス部の二人のけがを今朝の授業の後にちらりと見た事を思い出す。
あんな危険な目に遭うような問題に簡単に首を突っ込んでいいのだろうか。
相手の懐に飛び込む、というのは危険が伴う行為だ。何をされるかわからない。
清四郎や野梨子がこんな無謀なことをするとは思えなかった。
そこで咲季は隣にいる清四郎に話しかけた。
「あの、清四郎…。」
「なんですか?」
咲季の不安そうな表情に気が付いたのか、清四郎は少しだけ心配そうに咲季の方を向いた。
清四郎の様子ではこのパーティーへの潜入に対して不安な部分はないようだ。
「明日って、何か計画とかがあるの?」
「ええ、ありますよ。適当に動くわけではありませんから。」
「そっか…」
「不安なんですか?」
清四郎の言葉に咲季はぐっと口をつぐんだ。
ここで不安だと答えれば、またからかわれるかもしれない。
咲季はそれが嫌ですぐには返事をせず、ふるふると頭を振って否定した。
しかしこれもどうせ、清四郎には見破られてしまうのだろうが。
そのまま視線を落としていると、頭に優しい衝撃を感じた。
大きな掌が頭の上でぽんぽんと跳ねている。
清四郎が頭を撫でているのだと分かり、咲季はばっと顔を挙げた。
驚く咲季の顔を見て微かに笑う清四郎は優しい声で言う。
「大丈夫ですよ。僕達が、いますから。」
その言葉を聞きながら、皆がこちらを見て微笑んでいることに気が付いた。
咲季はずっと心に残っていた不安が少しずつ消えていくのを感じて、皆につられるように笑った。