序章
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ドアの閉まる戸が響いた部屋の中、5人はそのドアを見つめたまましばし無言になった。
皆驚いたのだろう。咲季も同じようにドアを見て、その後同じ顔をして静止している皆の顔を見た。
「…清四郎……怒ってたね。」
「本当ですわね…。」
目があった野梨子にそう言うと、野梨子のが同意する。
あんなところは小さいころから一緒にいた私たちでもなかなか見たことがなかった。
「腹でも減ってたんじゃね?」
「悠理じゃあるまいし、そんなわけないじゃん。」
「んだと?」
悠理が手に持っていたカステラを口に放り込んでそう言うと、美童がふっと緊張の糸をほぐして笑った。
美童の切り返しに全員が笑ったので悠理は食って掛かる。
食べ終えたカステラのごみを大雑把に包んでごみ箱に投げた。
がこんと音が鳴ってごみ箱に収まり、それを見た悠理は満足げに笑って鞄を引っ掴んだ。
「あれ、悠理帰るの?」
「魅録も清四郎も帰ったから、あたいも帰ろうかと思ってさ。今日のおやつ、フランスから帰ってきたパティシエの新作モンブランなんだ!」
うふふふと頬に両手を当てて嬉しそうにする悠理に、咲季は苦笑いした。
さっきまで食べてたカステラはいったいなんだったんだろう、そう考えるとつい笑ってしまう。
よくあることだという風に、皆はそこに一切突っ込まなかったが。
じゃあな!と言い残して急いで走っていく悠理の姿を見送って、美童が口を開いた。
「じゃあ、僕らも帰ろうか?」
「そうね~…デートまできちんと用意しておきたいし。」
「デート?」
美童と可憐がそういって席を立つ。
二人ともデート…そんな関係なの?と思ったが、すぐに美童が今日のスケジュールを説明し始め、可憐がそれに対抗して同じように説明する。
結局のところ、二人とも今日は夜まで何人かのデートの予定が入っていて大忙し、ということだった。
誰かからもらったらしい、いかにも高そうな時計をちらりと見た可憐が「いかなくちゃ!」と言い出し、二人は慌ただしく出て行った。
一気に静かになった部屋の中は少しの間、時計の秒針の音しか響かなかった。
こうも一気に人が出ていくと、途端に部屋が広く感じる。
咲季はなんとなく目についたので、机の上に広がったお菓子や本を片付けるために立ち上がった。
「私も手伝いますわよ。」
「あ、ありがと。」
それを見て野梨子も同じように立ち上がり、手紙やプレゼントの包装紙を手に取った。
せっかく誰かからもらった手紙なのに持って帰らないのかな、と考えていると、野梨子はその手紙を、机の真ん中に寄せられた箱の中の一つを開けてその中に入れた。
おそらくその中には今まで必死で誰かが綴った手紙がたくさん入れられているのだろう。
あの中身は見ないことにしよう。そう思いながらごみ箱に向かうと、そこには野梨子が朝捨てたと思われる同じような手紙が、悠理が投げたカステラの包装に押しつぶされて入っていた。
「………」
思わず手が止まるが、当の本人は迷惑がっているのだ。熱心なのはいいですが、と言葉を濁していたのを思い出す。
この手紙たちは悠理の食べ散らかしたごみと一緒に捨てられるんだな、と思うとやっぱり寂しい気もするけれど。
「咲季?」
「あ、ごめんごめん。」
ごみ箱の前で考えていると後ろから野梨子の声がした。
はっと我に返り、心の中で顔もよく知らない野梨子のファンたちに謝りながらごみを捨てる。
振り返ると野梨子がどうしましたの?と尋ねてきた。
さっき考えたことは言わないでおこうと決めて、なんでもないと首を振った。
一通り片付けが済み、綺麗になった机の上に満足して咲季はまた、つい1週間前に設けられた自分の席に座る。
そこは清四郎と野梨子の間で、右に清四郎、左に野梨子という昔からの並び順だ。
野梨子が席に座らずにいるので、咲季は野梨子もこれから帰るのかどうか気になった。
とはいっても、まだ午後の授業は終わっていない。
午後の授業は4時前まである。本来なら、それまで勝手に帰ってはいけないはずだが、例によって有閑倶楽部ではすでにほとんどのメンバーが学校を後にしていた。
「あっと…、野梨子も予定…あるの?」
「私はありませんわよ?」
「…じゃ、もう少し話してから帰らない?」
「わかりましたわ、お茶でも入れましょうか。」
咲季は数日前から残るある疑問について野梨子に尋ねようと思い、提案してみた。
野梨子は快諾してくれて、慣れた手つきで戸棚からティーセットを取り出す。
何がいいかしら、そう言いながら茶葉を選び、着々と準備をしていく幼馴染の背中を見ながら、咲季は恐る恐る口を開いた。
「相談、っていうか。」
「相談?」
「うん…えーっと…その…。」
トレイの上にティーセットを乗せて野梨子が聞き返しながらこちらにやってきた。
さすが手際がいいな、と思いながら、野梨子の手伝いをする。
咲季は続けてくださいな、と話の続きを聞かれたので、席について野梨子の横顔を見た。
「聞きたいことがあるんだけど…」
「はい」
野梨子は視線をこちらには向けないが、優しい声で返事をしてくれた。
咲季は頭の中で先日のことを思い出す。
それはまだ自分が急に変わっていく生活に動揺しながら車に揺られていたときのことだ。
その日は朝から清四郎に呼び出された。言われたとおりに出ていくと、マンションの前で清四郎が待っていたのだ。
車に乗りながらぎこちなく会話をしたのを覚えている。
最初はなんてこともない会話だったのに、最後だけは違っていた。
さっきまで面白がるような笑顔で話していた清四郎が、やけに真面目な顔をしてあることを咲季に尋ねてきたからだった。
「その時だけすごく真面目な顔だったんだよね…。何か大切なことだったんじゃないかって」
「なるほど」
清四郎は普段、人に嫌味をよく言う。本人がよくできるだけあって、なんとなく人を小馬鹿にしたような物言いも目立つ。
実際は本人に非の打ちどころがなく、言い返せないことの方が多いのだが、長い付き合いの所為か、それが本気なのか冗談なのかの見当くらいはつくのだ。
そしてその時はどうだったかというと、もちろん本人が真剣に尋ねていたということだけは確信をもって言えることだったのである。
「それで、一体何を聞かれましたの?」
そこまで話を聞いた野梨子が紅茶を一口飲んで、尋ねた。
咲季はどこまで話していいのかわからず、目を伏せて少し考えた。
野梨子は知っているのだろうか。知っているとしても教えてもらえるんだろうか。
少しでもヒントが欲しいと思った咲季は、思い切って尋ねることにした。
「野梨子は、初等部の頃のこと、覚えてる?」
「もちろんですわ。…それが、何か関係ありますの?」
野梨子はにっこり笑って答えた後、きょとんとして質問を付け加えた。
咲季は野梨子の予想通りの返事に少し笑って、そのまま話を続ける。
「初等部の時のことを清四郎に聞かれたの。ちゃんと覚えてますか、って」
「……」
「昔…その、初等部の時にさ、清四郎と何か約束をしたらしいの」
「約束…」
小さいころならそんなこと、数えきれないほどしたでしょうに、と心の中でつぶやいた。
明日遊ぶ約束だとか、今度はどっちが当番をするか、なんてことを。
それでもこの年になってまで引きずるような約束が果たしてあっただろうか。
あったとしても、あの清四郎が、今の今までそれをちゃんと覚えているなんてなんだかおかしな話だ。
咲季は一口紅茶を飲んで、また野梨子の方を見る。
野梨子はなにかあったかと考えながら咲季の次の言葉を待った。
「清四郎にね、覚えてるか、って聞かれたの。…野梨子、何か知らない?」
咲季の様子を見ると、その約束とやらがまったくわからないようだった。
清四郎がこだわって、咲季は忘れてしまうようなそんな約束、一方的過ぎてまるでわからない。
そこで一つ、あることが浮かんだ。
いつだったかそんな話を聞いた気がする。明確ではないが、清四郎がこだわるならこれぐらいだろう。
黙って考えている自分の顔を、じーっと見つめる咲季に気づき、野梨子はふっと笑った。
思いついたの?と言わんばかりに期待に満ちた目をする幼馴染が妙にかわいらしくて、野梨子は微笑みながら紅茶を一口飲んだ。
そして口に広がる香りを確かめながら、もう一人の幼馴染を思い浮かべる。
覚えているかどうかを、どうして咲季に問いかけたのかを考えながら。
「私は…特に何も知りませんわね…」
「え…」
さっきまでの期待の目は少しだけ落胆の色に変わる。
可哀想だけれど、これは仕方がない。自分の考えていることが正解にしろ不正解にしろ、清四郎が咲季に尋ねたのだから、自分で答えを見つけてもらわなければ。
そうしないときっと意味のない約束になるだろう。
律儀に今も守り続けている堅物な幼馴染の努力が水の泡になってしまう。
「それに…たとえ知っていたとしても、教えたりしませんわ」
野梨子は真剣な眼差しで咲季を見つめた。少しだけ傾いた日差しが窓から差し込み、長い睫毛の影を落としている。
咲季はその言葉に返事ができず、野梨子を見つめたまま固まってしまった。
少しの間沈黙が流れる。咲季は野梨子の言葉に少し不安を感じた。
清四郎も野梨子も知っているのに、自分だけが知らないのかと。
しかもそれを教えてもらえないなんて、理由がわからない。野梨子の真剣な表情と相まって、咲季はこれを尋ねたことを少しだけ後悔した。
もういい、と話をやめようとした時に、野梨子が咲季の方に向き直し、諭すように話し始めた。
「清四郎と咲季が、以前に何か約束をしたというのは聞きましたわ」
「そう…なの?」
「でも清四郎がそれを咲季に尋ねたということは…」
ふふっ。
言葉の続きを待っていると、野梨子の真剣な表情が一変して笑顔になる。
咲季は拍子抜けした。
ふっと空気が変わって、野梨子は楽しそうな顔をした。咲季は慌てて野梨子に詰め寄る。
「野梨子…!」
「ふふ、きっと、咲季自身の力で思い出してほしいんだと思いますわよ」
「………私自身の力で…」
そう言われて、咲季は野梨子に詰め寄っていた体を戻した。ゆっくり椅子にもたれて、噛みしめるように野梨子の言葉を繰り返す。
野梨子はその姿を見て満足げに微笑み、紅茶を飲みほした。
3人で約束したのではなく、自分と清四郎が交わした約束だ。
清四郎が初等部の時から今まで大事にしてくれていたらしいその約束を思い出せなかったのは自分が悪い。
せっかくの約束なんだから、自分の力で思い出してみたい。
思い出せたら清四郎は聞いてくれるだろうか。その約束を、咲季自身が守れているかどうかはわからないが。
「…ありがとう!あー、やっぱり野梨子に相談してよかった!」
「いえいえ。またいつでも言ってくださいな」
「うん!」
さっきまでの不安もなくなり、咲季は紅茶を一口含む。
そしてふふふ、と思い出し笑いをする。いったいどんな約束だろう?
そう考えると小さいころのことが少しずつ頭によぎっていった。
「ふふ…やっぱり二人は変わりませんわね」
「え?」
それを見ていた野梨子が小さく笑った。
二人?変わっていない?
さっきもどこかで聞いた言葉だ。咲季は笑う野梨子の方を見る。
野梨子は嬉しそうな笑顔で続けた。
「きっと、これからも変わりませんわ」
その言葉の意味が、咲季は何だかよくわからなかった。ただ何となく恥ずかしくなって顔を伏せる。
変わらない、ならそれでもいい。ただ当たり前のように清四郎と野梨子のそばにいて、楽しかったあの時みたいにいられたら。
「さ、そろそろ帰りましょうか」
「…そうだね!」
にこにこ笑う野梨子が、帰る支度をし始める。咲季も同じように支度をして、二人で部室を後にした。
***
二人で中庭を歩きながら会話をする。もう少しすれば授業が終わるだろう。
人があふれかえる前の中庭を、静かにゆっくりと歩く。手入れされた中庭はいつみてもきれいだ。
「あー…もうすぐ神無祭だねー…」
「そうですわね…」
張り切る校長たちのことが目に浮かび、二人で呆れながら言葉を交わし、目を合わせて笑いあった。
陽射しを浴びながら車までの道を歩く。
野梨子は眩しそうに目を細めながら、でも、と続けた。
「咲季が有閑倶楽部に来てから初めてのビッグイベントですわ」
「あ…そうだね。そう思うと楽しみかも!」
野梨子が笑顔でそうつづけたので、咲季は気恥ずかしく思いながらも嬉しそうに笑顔を返す。
その顔に満足したかと思うと、野梨子はふぅとため息をついた。
頭の回転が早い分、展開も早いところは野梨子も清四郎も同じだなぁと頭の片隅で考える。
「でも、それまでが暇ですわね…」
「確かに、書類整理終わったしね」
今日終わらせたアンケートの束で、生徒会としての仕事は終わりだろう。
聖プレジデント学園は今年、運営校の中に選ばれていない。
そのため生徒会や実行委員が無理に動く必要がなくなったのである。
そんなことを話しながらしばらく歩くと、先ほど連絡しておいたお互いの家の車が待っていた。
黒塗りのベンツに二人で近づいていき、自分の家の車の横で立ち止まる。
白鹿家の車の後部座席のドアが開く。咲季は野梨子を見送ろうとしたが野梨子は車に乗らず、改めて咲季に向き直って口を開いた。
「私、最近は前よりも生徒会室に行くのが楽しみですの。」
「え?なんで?」
「咲季いるから、ですわ。」
くすっと笑う野梨子の言葉に、咲季は驚いて目を見開く。
予想外の言葉に咲季が反応できないでいると、野梨子は続けた。
「清四郎や悠理、他の皆も同じですわよ。」
野梨子はそう言うと、それではまた、と言って車に乗り込んだ。
しばらく呆然としていたが、咲季はは去っていく車に笑い掛ける。
「私も、…楽しみだよ」
車が小さくなって見えなくなる。
咲季はずっとそれを見送って、自分も車に乗り込んだ。