序章
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久しぶりに3人でアンケートを整理して1週間。
今日はあと少しだから自分でやると言い出した咲季の言葉に、僕と野梨子は残りを咲季に任せて囲碁を打っていた。
神無祭は毎年のことだが、今年は自分たちが3年ということもあって去年よりも仕事が多いようだ。
これ以外にもいくつかあるが、まずは大きなまとめの仕事が終わった。これ以上咲季に負担をかけることがないように、特に何も告げずに次の手を考える。
出来上がった資料をまとめて咲季が部屋を出て行ったのはついさっきのことだ。
日がポカポカと当たる窓際で、野梨子の一手に多少面食らいながら次を考えていると、魅録が手を挙げた。
それに気が付き魅録の方を見ると、魅録はゆっくり立ち上がる。
「校長とメガネの声だな…こっちにくんじゃね?」
魅録の言葉に野梨子が立ち上がり、特に散らかった悠理の食べ散らかしを片づけ始める。
部屋に入ってきてはサボりを咎められ、持ち物検査を強行しようとする徹底ぶりだ。
咲季にあんなファイルを渡して対処しようとしているのだから、こちらも少しは対応しなければならない。
「咲季?」
「…咲季がどうかしましたか?」
ドアの前で聞き耳を立てる魅録の口からこぼれた言葉にぴくりと反応して、つい聞き返してしまった。
この1週間でずいぶんと距離を縮めたようだ。あまりいい気がしないが、表情を崩さないように細心の注意を払う。
清四郎の質問に、魅録は自信なさげに咲季の声も聞こえる気がすると言った。
魅録のそばに行って同じように耳を澄ませた野梨子が、本当だ、と言って清四郎たちの顔を見る。
皆が黙って聞き耳を立てたので、清四郎もそれに倣ってドアの前に向かい、耳を澄ます。
すると小さく聞こえる少女の声。
「もしかして…校長たちにつかまった?」
美童がドアをこっそり開けた。
隙間からは廊下に反響する校長らしき声が聞こえる。
皆でバランスを取りながら隙間に顔を近づけて外の様子を窺うと、二人に何かを言われながら焦りを見せる咲季の後ろ姿が見えた。
「な、なんかヤバそう…」
ドアから見える様子だと、校長たちは咲季が授業をさぼって外にいるという事実に相当驚愕しているようだった。
その驚きと困惑をすべて彼女にぶつけているようで、いつもよりも声も大きく責め立てるような口調だ。
その様子に悠理が小さく喚いた。それに同意するように野梨子や可憐も頷いた。
彼女は優等生だ。成績も優秀。品行方正。つい最近まで無遅刻無欠席。
父親は世界的に権威のある薬品会社の社長、祖父は会長。彼女の家は古くから医療薬品、化学薬品を開発、製造している。
そんな彼女の母親はこれまた世界に名を馳せるマエストロで、ヨーロッパ各地のホールを転々としている。
彼女もその影響で音楽を幼いころから学び、勉学に勤しみ、同じような幼馴染と共に幼少期を過ごしていた。
友人たちと出会い生活が変わった清四郎・野梨子といつしか距離を置き、孤高の存在として学園に存在する。
誰もいない時間に登校し、休み時間も楽譜を読む。テストは常にトップレベル。
その端正な顔立ちで人を寄せ付けないオーラを一層醸し出していた。
両親からの莫大な寄付とその本人の生活態度で、先生たちからの信頼も厚い。
そんな彼女が、よりにもよって先生たちの悩みの種である有閑倶楽部の部室から授業時間に出てきたのだ。
さすがにもうまずいかもしれない、そう思った僕が動きだそうとした時だった。
「み、魅録!?」
動き出す清四郎よりも先に立ち上がり、美童の驚きの声を背に、魅録が半開きのドアを開け、咲季の所へ歩いていく。
予想外すぎて清四郎はそこから一歩も動けなかった。目の前で起こっていることを見ているだけしかできない。
そうこうしない内に彼らのところにたどり着いた魅録は、咲季を背に隠すようにして校長たちの前に立ちはだかった。
「何やってんの。」
「魅録!」
驚いたのは一瞬で、咲季はほっとした顔で息をついた。周りの皆も同じように安心し、小さな声で魅録ナイス!と悠理がつぶやく。
どこがナイスだ、という悪態が自然に心に浮かんでいて、そんな自分にもやもやと嫌気がさしてくる。
「こいつに何の用?」
「ぐぬぬ………ああ!」
魅録は校長相手に淡々と喋る。ぬぬ、とうなり声を上げていた校長だったが、急に閃いたように大きな声を出す。
それには咲季も隣にいた教頭も驚く。
魅録だけが「声がでけぇ」と顔をしかめた。
「はは~ん…、わかりましたよ!君たちが彼女を
「ちょ…」
廊下に響き渡る校長の得意げな声に、清四郎以外の4人が小さな声で毒づいている。
清四郎だけは、それを否定できないと思いつつ様子を見守った。彼女をここに引き込んだのは自分の提案ゆえだ。
ほかの皆が快諾してくれためにそう見えないだけで、実際ともに時間を過ごすことを望んだのは清四郎自身なのだから。
「校長先生、違いま…」
「だからなんなの?」
「えっ?」
校長の言葉に反論しようとした咲季を庇うように、魅録が二人の前にずい、と一歩歩み出た。
きっと咲季は皆を悪く言う校長たちに食って掛かろうとしたんだろう。
魅録は彼女のそんな姿に、内心とても驚いていた。成績優秀で先生たちから厚い信頼を得ている彼女が。
自分たちのような人間を庇う?それも1週間くらいしか時間を共にしていないというのに。
「俺らが咲季と一緒に居たいからこいつはここにいんの」
自然と口に出ていた。背中に感じる小さな存在に、魅録はいつの間にか少しずつ引き込まれていた。
清四郎が気に入っているとか、野梨子が大切に大切にしているとか。そんなことはどうでもよかった。
自分だって、こいつを仲間だと思ってる。気に入ってる、大切に、したいとも。
「やっぱり!!高天原君!今すぐ彼らと縁を切りなさい!」
魅録の返答に、教頭先生が大きな声で反論する。二人とも今は授業中だというのにそこまで大きな声が出せるのか。
咲季はそう考えながら、魅録の背中から顔を出し、手元に持っていたアンケートを教頭の手にどさっと乗せた。
「これ、アンケートです。時間がなくて生徒会の皆さんに手伝ってもらっていました。」
「え?」
校長と教頭は間の抜けた声を出して、咲季から手渡された集計結果とアンケートを見る。
なるほど確かに締切も今日中、学年全員のアンケートとなると、同じ生徒会の力を借りなければ終わらなかったかもしれない。
巧い返しだな、と魅録は思う。この凛とした態度ならまず言い返せないだろう。やっぱりこいつは面白い奴だと思うと自然と笑みがこぼれる。
そんな咲季の態度に、校長たちは何も返せず、そうだったんですかと笑いながら去っていった。
「………行ったな」
「うん…」
ふぅと魅録はため息をついて咲季を見る。さっきまでのオーラはどこへやら、咲季は安堵の表情で魅録を見上げた。
部屋に戻ろうと後ろを振り返ると、ドアの隙間から悠理がぐっと親指を上にした拳を突き出した。
咲季はそれに微笑み返し、魅録と共に生徒会室へ帰って行った。
その光景を見て安心したのか、美童たちは席に帰っていく。皆が安心した表情を浮かべる中で、清四郎だけが複雑な表情をしていたが。
野梨子はそれに気づきながらも敢えてそれには触れなかった。
生徒会室に帰ってくる魅録と咲季は何かを楽しそうに話しているようだった。
なんとも言えない不快な感情が胸をざわつかせる。
しばらく見てなかったからか、咲季の見せる表情の一つ一つに、心が言うことを聞かなかった。
***
「魅録のおかげで助かったよ…!本当にありがとう!」
「いや、いいって。」
部屋に入ってきて、悠理たちが魅録に声をかける。咲季はそれを見て楽しそうに笑っていた。
僕はただその場で立ったまま、彼女を見る。
その視線に気づいたのか、咲季がこちらを見た。
「ちゃんと無事帰ってこれました。」
「…はいはい。」
無邪気に笑う咲季に、僕は適当な返事しかできなかった。
彼女は「また馬鹿にしたー」と一言喚いてさっきまで自分が座っていた場所に向かう。
咲季は席についてはぁ、と息をついた。
「今度からは気を付けないとな。」
「結構巡回してるらしいよ?」
「げっ、そうなんだ…。」
皆と楽しそうに話し始める彼女を見て、胸のもやもやが晴れない。そして何より咲季を見つめる魅録の表情がそれを一層強くした。
それは魅録の目が今まで見たことがないほど優しく、そしてそれに応える咲季の笑顔を僕は長い間見ていなかったからだ。
「…。」
僕は一瞬冷静になり、ゆっくり自分の席に着いた。
どうしてこんなに取り乱したりしたんだ?有閑倶楽部の仲間として、魅録が彼女のピンチを助けた。ただそれだけのことじゃないか。
今度はイライラしている自分に嫌気がさしてきた。
席についてからもそう考えていると、魅録が立ち上がった。
「じゃ、俺帰るわ。男山…犬の散歩があるからさ。」
「すごい名前だね…。」
魅録の言葉に咲季がまた反応する。どうしてこうも距離を近づけていくのだろう。
言いようのない焦りが生まれてきた。
彼女がこれまで自分以外の男と親しく話すことがあったか?
冷静になれそうもないな、そう思いながら近くにある本を手に取る。
開いてみても内容が頭に入ってこない。
「じゃあな。また明日。」
魅録が部屋を出て行って、僕はそれを横目で見た。そのまま隣の咲季を見る。
彼女は魅録の飼っている犬―先ほどでた男山のことだが―について野梨子に尋ねている。
「可愛らしくて頭のいい犬ですわよ。」
「へぇ…どんなふうにしつけてるんだろう?」
「魅録はその辺、しっかりしてそうですわね。」
楽しそうに野梨子と話す咲季だが、僕はその話題が気に食わなかった。
魅録、という言葉が咲季の口から出てくるたびに、割って入りたくなる。
そういえば午後の授業はあれだったとか、昨日あったこと。
なんでもいいから、魅録以外の話をしてくれないかと。
「今日も魅録のおかげで助かったしね!」
どくん、と鼓動が一段大きくなった。
さっきまでのイライラが一気に湧き上がるようで、僕はその場で大きな音を立てて立ち上がっていた。
もうこの場にいたくない。この場で、咲季の話を聞いていたくない。
ゆっくり息を吐きながら、その言葉が出てこないよう注意する。
ダメだ、今日はもう余裕がない。
「!…清四郎?」
「…どうしましたの?」
ガタッと音を立てて清四郎が立ち上がった。
その音に驚いて、咲季と野梨子がこちらを見ている。
僕は本を閉じてソファに置いてあるカバンを取りにいった。
二人の様子に気が付いたのか、違う話をしていた悠理たちもこちらに目を向けた。
「清四郎も帰るの?」
「………今日は、先に失礼します。」
咲季はこちらをじっと見てそう問いかける。
なぜか彼女の顔をうまく見つめることができなくて、目を逸らしながら言葉を絞り出した。
今にも溢れ出しそうな言葉が出てこないようにするために、ぐっと奥歯を噛みしめ、他のメンバーには目も向けず部屋を出た。
静かな廊下を歩きながら運転手に電話をする。
予定よりも早く学校を出た為にまだ車はまだ来ていない。さっきとは逆にゆっくりと廊下を歩くと、遠くから誰かが朗読する古典の一部が聞こえてきた。
「…咲季……。」
窓の外には理事長が丁寧に手入れしている中庭が広がっている。
その向こう、小さな木の茂みの向こうには、この学園の中等部や初等部がある。
じっと見つめていると、この数年間が頭をよぎった。
初等部までは3人でいつも一緒に居て、中等部に上がってから咲季はレッスンで忙しそうにしていた。
いつの間にか咲季は自分たちとはかかわりを持たなくなってしまった。
野梨子はたまに連絡を取っていたようだったが、自分は稽古や勉強、生徒会の仕事や部活動で同じように多忙を極めていた。
それから高等部のつい最近まで、クラスが一緒になることもなく、たまに学校のどこかで見かける程度になってしまっていた。
彼女も野梨子と同じで、誰かと親しくなることが苦手なほうだ。誰かに慕われながらも自分はどこかで一線を引きながら生きていく。その結果なのかわからないが、高等部で見かけるとき、彼女はいつも一人だった。それが「孤高」であることに拍車をかけていく。
「勝手に僕だけだと思っていましたよ。」
有閑倶楽部に引き入れた時も、ほかのメンバーと仲良くなるには少し時間がかかるだろうと思っていた。
面識がある可憐や悠理ならともかく、美童や魅録といった男連中とは時間をかけて仲良くなるんじゃないかと。
これが自分の計画のうちだった。
だけどそれはあくまで予想でしかなかった。
今も脳裏に残る魅録と咲季の姿。
咲季にとって有閑倶楽部という場所が大切なものになっていくのが目に見えてわかる。
自分のそばに置いて、自分だけが独占しようなんて考えは甘かったようだ。
いや、独占ではない。それがごく当然のことだと思い込んでいたのだ。
「は、…まさか、魅録だとは…。」
校舎を出るころにはさっきまでの苛立ちは自嘲に変わっていた。
そうだ、いつもは咲季の前に立ちはだかるのが自分で、咲季が見上げるのは僕の背中だ。
それが自分じゃなかったから。
咲季があいつの名前ばかりを口にするから。
「この僕が嫉妬なんて、らしくない」
はぁ、とため息をつくと陽の光を反射しながら車がやってきた。
家に帰ったら、みっちり稽古をして心の迷いを振り払わなくては、と考えながら、車に乗り込み座席に体を預ける。
車は走り出し、さっきまで見つめていた茂みの中を通り抜けていった。