8章
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豪勢なご馳走を食べた後、全員今日の疲れが出たのか早々に寝支度を整えた。
女子と男子に分かれて大きなベッドルームに入り、まるで病室にも見えるベッドの並んだ部屋で女子4人は息をつく。
始めはなんだかんだと話をしていたものの、すぐにベッドの中の悠理からは豪快な寝息が聞こえ始め、それに続くように化粧を落として年齢相応の顔になった可憐も眠りについた。
それを確認した野梨子が部屋の電気を消し、窓際から差し込む月の光のみになった部屋の中で、どちらともなく話すことをやめる。
一番窓側のベッドを選んだ咲季は月光のまぶしさを感じ、布団の端からちらりと顔を覗かせるともうすぐ満月になりそうなふっくらした月が煌々と光っていた。
咲季はその月の光を一身に浴びた後、眩しさに目がくらみ逃げるように目を閉じて頭まで布団をかぶった。
恐る恐る目を開けると、高級な羽毛布団を通り抜けてなお光を感じ、やはり目を閉じてそのまま眠りに落ちた。
翌朝、さすが剣菱家ともいえる朝食を堪能し一息ついたところで、魅録がソファに座り込み、机の上にパソコンを取り出した。
両サイドには野梨子と可憐が座り、魅録の後ろに美童や悠理、清四郎が陣取る。
咲季も画面が気になり、野梨子の座る席の横に立った。
魅録は慣れた手つきで369マークのついたUSBを差し込み、読み込むのを待つ。
「それって……」
「昨日鮫島組のパソコンからデータ抜き取ったんだよ。これ、まじでやばいから」
「てっきり敵に奪われたのかと思いましたが……」
「あれはニセモノ」
あの窮地でもそこまで考えて行動できるとはさすがである。
全員が感心したところで、データが読み込まれ画面に表が表示される。
『銃器取扱い先一覧』と書かれた表には相手と送った銃の種類が詳細に記されていた。
「これが拳銃を売った相手のリスト。犯人もたぶんこの中にいる」
「でも、犯人はいったい何のために?」
憶測が飛び交う中、魅録がゆっくりと画面をスクロールする。ふと野梨子が身を乗り出し、ある一人の人物の名前を指さした。
「ねえ、この高千穂って、うちの学園の……?」
「え?」
「校長先生と教頭先生がお見えよ!みんな隠れなさい!」
野梨子の指さす先に書かれた名前に全員が注目したところで、悠理の母の声が部屋に響いた。
昨日言い渡された自宅謹慎をすっかり忘れていた面々は慌ててソファの裏に隠れる。
身体を小さく丸めなければ頭が見えてしまいそうで、7人が横に並ぶとあまりにも窮屈だった。
「やばいやばい!美童もっと寄って!」
「そんなぁ……こっちも狭い…」
「静かに!」
どよめく悠理と美童を清四郎が一蹴するが、確かにせまいのか全員が身をよじる。
咲季もまた幼馴染二人に挟まれながら、自分とは違う硬い清四郎の右腕にやたらと意識が集中してしまい別の意味で緊張が高まっていた。
やっと全ての身体が納まったかと思ったところで、喚き声にも似たがやがやとした声が聞こえてくる。
剣菱邸の廊下が長くて助かった、と思いながら耳を澄ませると聞きなれた校長と教頭の声がはっきりと耳に入ってきた。
「シャラップだがや!!」
その一言で一瞬静まり返り、残響だけが部屋に響く。
そしてその余韻もなくなりかけたときに校長は勢いよく膝をつき、真剣な表情で切り出した。
「この通りです!私に1億5千、いや!2億!!お貸しくださいませ……!」
その言葉にソファの裏にいた7人は交互に目を合わせた。
***
結局事の顛末を聞き終わる頃には剣菱邸に全員がそろっていることもばれてしまった。
校長の話が想像をはるかに超えていたこともあり、驚きで立ち上がった時にはすでに遅かったのだ。
どうやら昨年改装した体育館の工事費用を期日までに払えず、学校の権利書を担保に高千穂理事から金を借りたという。
なんとも間抜けなものだが、そもそも支払期日前の急な融資のストップや、わざわざ権利書を担保に話を持ち掛けるとことなど、冷静に考えてみれば怪しいことこの上ない。
なにより、高千穂理事が噛んでいるというところが怪しすぎる。
ほぼ確定の状況で、清四郎は最後の確認のために校長から高千穂の名刺を借り、住所を確認した。
全く同じ文字が画面上に並ぶ。
ビンゴだ、と全員が確信したところで、清四郎ははっきりと口を開いた。
「おそらく、魅録に銃を送り付けたのも高千穂でしょうね」
「なんですって!」
「最初から権利書が目当てだったってことだ」
学園を守るためには高千穂から権利書を取り返さなければならない。
そうと決まればと清四郎は作戦を伝える。
獲得されてまだ時間の浅い権利書をすでに誰かに売りさばいたとは考えにくいため、多額の値段で買い戻すという策を練る。
早速剣菱家から20億を借り、魅録と悠理に剣菱夫妻に扮してもらって高千穂不動産へ乗り込むことにした。
二人に任せ、他のメンバーは車で待機する。
しばらくして戻ってきた彼らの表情から、権利書の買戻しが不可能であったことはすぐに分かった。
「くそっ……」
「明らかにおかしいですね……あれだけ広大な土地を、1日も経たないうちに購入できるなんて…」
「嘘ついてたとか?」
「…本当に売りに出しているのであれば、すでに買い手が決まっていたということになりますわ」
「じゃあ、土地を本当に欲しがっている別の人間がいるってこと?」
咲季の言葉に全員が黙り込み、高千穂の背後にいる人間を想像する。
しかしどうにも見当がつかない。そもそも、聖プレジデント学園の土地をいまさら購入することのメリットが思いつかないのだ。
「あの土地にそんな価値があるのかなぁ……」
「確かに美童の言う通り、私もそこは疑問ですわ」
「しっ、静かに」
清四郎がそういうと皆も口をつぐんで耳を澄ました。
魅録が取り付けた盗聴器から高千穂の声が聞こえてくる。電話をしているのか、相手の声は聞こえないが高千穂が相手の名を確認したところで車内に緊張が走った。
「出羽桜……!」
時期総理大臣を噂されている今話題の大臣、出羽桜は文部科学大臣を務めている。
咲季も歌唱コンクールで何度か目撃しているが、いかにも政治家という風貌で、歯に衣着せぬ物言いから世間にもよく知られている。
つい先日も魅録の発砲事件に対してコメントをしていた場面がよくニュースやワイドショーで流されていた。
高千穂はかしこまった様子で出羽桜と話をしており、権利書の入手がさっそく外部に漏れたことについて報告していた。
どうやら聖プレジデント学園の土地が彼の総理大臣への道を支える大きな布石となるようだ。
銀行融資のストップも、彼が背後にいるとなれば納得がゆく。
高千穂の背後の黒幕を知った彼らはすぐさまその場を後にし、今後の作戦を練るために剣菱邸に戻った。
***
「つながったな……」
早速出羽桜について調べると、すぐにそのつながりははっきりした。
高千穂理事は出羽桜の後援会長をしており、総理大臣就任のために今回繋がっていることが明らかになった。
そして何より、聖プレジデント学園を狙う一番の理由はあの土地に眠るとされる徳川埋蔵金の存在であることも剣菱万作の話で明らかになった。
後者の話は果たして真実かわからないが、それがもしも本当なら莫大な金額を手にすることとなる。
その金をどこで使うかというのはもはや想像も難くない。
「出羽桜に近づくしかないか……」
「でもどうやって?権利書もどこにあるのかわからないし…」
「あの口ぶりでは、高千穂が権利書を持っていると考えるのが妥当ですわ。ということはどこかで接触する予定のはずでは?」
「その予定だけでもつかむことができればいいんですが…如何せん、出羽桜に接触する術がなくては……」
「…………あ」
接触の方法を考えていた時、咲季はふとあることに気づく。
そういえば、高校生スポーツ功労者の祝賀会が開かれてはいなかっただろうか。
毎年この年末の時期にスポーツ功労者と文化功労者の表彰式が都内のホテルで開かれる。咲季も昨年のコンクールの成果もあり招待されたことがあったのだ。
時期としてはこの時期だったはず、と咲季は魅録の使っていたパソコンを借りる。
「おい、どうした?」
「たぶん……あ、これ!ほら!」
「スポーツ功労者表彰式記念祝賀会………?これ、今日の日付になってるけど」
「毎年この時期に高校生のスポーツとか文化の表彰式があるの。私も去年行ったことがあるけど、そこで文部科学大臣も挨拶があるんだよ」
「これは使わない手はありませんね」
パソコンの画面に映された日時と場所をしっかり見た後、清四郎はよくやったと目を細めて咲季をみた。
咲季は素直に褒められたことが気恥ずかしくなり、「あ、うん、だね」とぎこちない返事を返す。
そうと決まればと準備に取り掛かろうとする中、魅録はパソコンを見つめた後隣にいる咲季に声をかけた。
「流石じゃん」
「いや、偶然思い出しただけで…ていうか、勝負はここからだし」
「勝負って……めっちゃやる気」
「そんなことない」
「いやいや、俺みたいに無茶しちゃだめだよ」
「ほんとにね」
ふふっと笑う咲季の様子を見て、もう負い目を感じているような申し訳なさも、変に距離を置いた態度もないことを確認した魅録はホッとする。
確認しなければいられなかったモヤモヤも少し晴れ、魅録は咲季を促して準備に取り掛かった。
その様子を小さく見つめていた清四郎と野梨子は自然と目を合わせる。
「あら、憑き物が落ちたようですわね」
「なんのことですか?」
「あと一息ですわよ。咲季を泣かせたら許しませんからね」
「魅録よりも、野梨子のほうが手ごわいですよ……」
「まあ」
失礼な、と清四郎をにらみつけて野梨子は咲季のほうに向かう。
一人残された清四郎は皆に囲まれイヤホンマイクを手にする咲季を見てぐっと唇を引きしめた。
そして何事もなかったかのように自分もまた防弾チョッキを手にした。
「僕は車内のモニターで確認をしながら指示を出しますが、何かあった時には必ず報告してください」
「去年の会では確か、大臣は最初に挨拶をして、その後は中座してた気がする。きっと最後まではいないと思うから」
「じゃあ俺はバイクで待機して出羽桜が出たところで尾行するわ」
「OK、ではその段取りにしましょう。咲季は大臣と面識があるのですか?」
「うーん、一言話はしたことがあるけど覚えているかどうかはわからないな…」
「分かりました。では十分に気を付けて。……そうだ、今回は万が一のためにこの連絡先を登録してください」
そう言って清四郎は全員の携帯電話にある番号を登録させる。
魅録はそれに従うが、番号を見た瞬間驚きの表情を見せた。それは警視総監である松竹梅時宗の連絡先だった。
「相手は大臣。政治家です。魅録の話では警察も彼を追っているようですし、味方になってもらいましょう。何か僕たちで対処しきれないことがあったとき、ここに連絡を」
「これは……連絡せずに済むことを祈るしかないね。僕は女の子以外の電話を発信履歴に入れたくないんだ」
「私だっていくら金持ちでも時宗おじさんは嫌よ」
「おい、一応息子の前だから遠慮くらいしろよ…………」
咲季は言われた通り、電話に番号を登録した。そして用意したミニバックの中にしまい込む。
初めて皆で挑戦したあの岩清水のパーティーの時と同じバッグ。
あの時はイヤホンマイクを外して逃げ出したのだ。
苦い思い出がよみがえり、咲季はぎゅっと膝の上でバッグを握りしめた。
「怖いですか?」
「えっ……そ、そんなことは……ない、と、思う」
「うーん」
「なんだよ清四郎、そこは男ならバシッと言うとこだろ」
「今回に関しては本当に危険が伴いますからね。バシッと言うとすれば、ここで待っていてほしい所です」
「清四郎……」
「咲季だけじゃありません。皆に無事でいてほしいと思ってますから」
言っても聞かないでしょうけどね、と付け足し、ふぅとため息をついて清四郎は皆の顔を見まわした。
いつになく素直な清四郎に感動を通り越して怪しげな目線を送る悠理や野梨子だったが、咲季はその真剣な目を知っていることもあって何も言わずに清四郎を見つめ返した。
あの日の夜の、魅録の話をしたときの清四郎の顔だ。彼もまた、仲間のことが大切なのだ。
「ただ、ここで僕だけ乗り込んでも昨日の誰かさんと同じになってしまいますからね」
「あ?」
「さて、行きますか。準備はできましたか?」
「おい清四郎無視すんな」
その言葉に緊張の糸は途切れ、皆が笑いだす。
作戦の前の張り詰めた空気は少し和らぎ、それと同時に始まりが近づく胸の高鳴りは増してゆく。
すっと手を差し伸べられ、咲季が座ったまま見上げると、清四郎が自信たっぷりの表情で手を差し出していた。
「行きましょう」
「……うん!」
少し照れながらも差し出された手に自分の手を重ねた。
すると周りから何本も手が伸びてくる。驚きながらも立ち上がると、同じような表情で全員が手を重ねていた。
あったかい、頼もしい、想いが流れ込んでくる感覚の中、咲季は全員の顔を見回した。
***
会場である高級ホテルでは会場受付があったものの、大使館御用達のホテルであったこともあり美童の口添えで侵入することができた。
事前に監視カメラをハッキングできればよかったのだが、どうやら石清水の時のようにはいかず、音声だけで内部を把握することになった。幸いマイクの感度が良いこともあって会場内のどよめきも鮮明に聞こえるようになっていた。
清四郎は車内に待機し指示を出すことになり、魅録は中座する出羽桜を追いかけるために外で待機することになった。
「それでは、出羽桜の秘書を狙いましょう。予定さえわかればすぐに退散です」
「ラジャー」
一歩フロアに足を踏み入れると全国から集められたスポーツ特待生とその学校の関係者、プロスポーツチームの管理者であふれかえっていた。
先ほどスピーチを終えた出羽桜がオリンピック出場も内定している一人の生徒と言葉を交わしており、咲季はその様子を清四郎に伝える。
遠くの方で可憐が視線を動かしているのが見える。彼女は出羽桜の第一秘書を狙っていた。彼の手には手帳が握られており、おそらく出羽桜の公務の予定もそこに書かれているだろう。可憐の狙いはそれだ。
咲季は不自然にならないように場所を移動する。食事をとるふりをして窓際の方に移動する。フロアの中心ではきょろきょろと視線を動かすと目立ちすぎる。
「……あ、魅録のバイクが見える」
ちらりと視線を落とすと魅録のバイクらしきものが見えた。ハーレーのボディに窓から漏れた光がかすかに反射している。ちらちらと動く影が気になり、咲季は窓のほうに向きなおって目を凝らした。バイクのそばで動く影は一つではないようでで、バイクのあたりをうろうろしたかと思うと一瞬立ち止まり、そして立ち去った。
今のは魅録か?そう思ったが影が一つではない時点でおかしいことは明白だ。
咲季は急いでイヤホンマイクに向かって声をかけようとした。声を潜めてイヤホンマイクに声をかける。
「ねえ、魅録」
『痛ったぁ~い!』
『逃げろ可憐!』
「えっ?……うそ、可憐!」
耳に入ったのは痛みを訴える可憐の声と、それに反応する悠理の声。
咄嗟にフロアの方に振り返ると、入り口付近に不自然な人だかりが見える。黒いスーツに取り囲まれているがその輪の中に茶色い頭が見えた。真ん中の人物は抵抗しているようだが、その抵抗も虚しくフロアの入り口に引きずられていく。慌てて追いかけるが人だかりもあり、咲季はうまく前に進めない。そうこうしているうちにイヤホンからはメンバーたちの抵抗する声ばかりが聞こえ始めた。明らかな異常事態に咲季はどうしたらいいのかわからずフロアの入り口付近に立ち尽くす。
すると目の前を出羽桜が通りすぎた。
「それじゃ、行こうかね」
別の秘書にそう声をかけた出羽桜がフロアを出た。どうやら彼はここでホテルを後にするようだ。
咲季はハッとして小さな声でイヤホンマイクに話しかけた。
今の自分にできることを一つ一つしていくしかない。まずは動向を伝え、魅録にもバイクの件を伝えなければいけない。
「清四郎、出羽桜が退席するみたい……!」
『わかりました、僕は会場に入ります。咲季はそのままフロアで待機して情報をください。魅録、聞こえますか。出羽桜がホテルを出ます。こちらは僕に任せてください』
「了解」
「あ、ちょっと待って魅録…」
回線に割り込もうとしたが直後にバイクのエンジン音が響く。当然こちらの声は聞こえないようで、咲季に対する返事はなかった。バイクは無事にエンジンがかかったようだが、このまま大人しく追いかけることができるのだろうか。ここまではすべて相手の方が一枚上手だ。まるでここに自分たちが来ることを相手は知っているような動きで、このままでは何が起こるかわからない。銃まで持ち出した相手なのだ。
「せ、清四郎?」
『……』
イヤホンマイクに話しかけても返事はない。ガサガサと微かに音は聞こえるが、音声は途切れていて通信はできないようだ。仲間の無事を思い焦る脳内はうまく働かず、咲季は思わずフロアを飛び出した。
一つ深呼吸をして心を落ち着かせる。手元のポーチから手帳を取り出し、まずは緊急時にかけるように言われた時宗の番号を探す。手の震えを押さえながら携帯電話のボタンを押して通話ボタンを押した。手帳を脇に挟んで耳に当てる。1コールもしないうちに電話がつながった
「どうした!?」
「時宗のおじさん、魅録が出羽桜を追いかけたんですけど、その、バイクに仕掛けがあるかもしれなくて……た、助けてください!」
「何ぃ!?分かった!こちらで追いかける、ありがとう!」
電話の向こうで「いくぞおぉ!」といつになく殺気だった声が聞こえたかと思うと電話が切れた。どうやら自宅謹慎を無視して出羽桜を張っていたようで、遠くの方からサイレンの音が聞こえたかと思うとすぐに遠ざかっていった。
支離滅裂な説明ではあったがなんとか伝わったようだ。魅録の方は時宗を信じるしかない。あとは他の皆だ。
「どこにいるんだろう……誰にもつながらないし……うわっ」
手帳に挟んだフロアマップを見ようと脇に挟んでいた手帳を手に取ったところで入り口から急ぎ足で出てきた誰かとぶつかる。その拍子に手元から手帳が転がり落ち、咲季はつい間抜けな声を出してしまった。バサバサと手帳が落ちる音がする。
「失礼」
一言、男の声がしたかと思うと、男は床に落ちた手帳を持って急ぎ足で立ち去った。咲季も遅れて落とした手帳を拾ってフロアマップを見ようとした。
しかし、開いた手帳には自分とは全く違う字が並んでいる。何かがおかしいと思いぺらぺらとページをめくって、それが自分のものではなく先ほどの男のものだと気づいた。
「あ、これ、私のじゃ……もういない」
エレベータに乗り込む姿が見え、咲季は自分のものではない手帳を手に途方に暮れた。フロアマップをなくし、この広いホテルの中を歩き回るのは危険でしかない。かといって何もしないわけにもいかない。どうすればいいのだろうか。そう思えば思うほど何も聞こえないイヤホンマイクが気持ち悪く感じ、咲季はあの時と同じようにマイクを耳から外す。
「聞こえなきゃ意味ないし…………あれ?」
イヤホンマイクには電波状況を示すランプが光っており、緑色を示していた。電源が切れれば光るはずもないその光を見て、咲季は何かに閃き弾かれるようにその場を走り出した。
咲季は急いでエレベーターホールに向かった。今いるのはいくつかのフロアが並ぶ3階だが、咲季は電波の繋がらない状況から彼らが地下にいるではないかという仮説を立てた。今自分ができること、それは閃いたことを片っ端から試していくしかない。ここで自由に動けるのは自分だけだ。そう思ってエレベータに向かい下向きの三角を押した。暖色に光ったことを確認し、ドアの上の階数を確認する。
まもなくして到着したエレベータに乗り込むが、階数を指定するボタンは1階までしかなく、それよりも下にはいかないことがわかった。
「嘘……!」
咲季は急いでエレベータを降り、近くを通りかかったボーイに階段の位置を尋ねた。訝しげな様子ではあったが必死の形相に圧倒されたのか、人通りの少ない廊下のはずれにある階段の位置を教えてくれた。適当に礼を言い、咲季はまた走る。
しばらくしないうちに木製の階段を見つける。どうやら地下にもホールがあるようで、示された矢印の通り階段を駆け下りた。
地下深くにも同じようにいくつかのホールがあるようだが、今日は使われていないようで人はほとんどいない。申し訳程度に間接照明がついているだけで、暗く広いだけの廊下には等間隔でオレンジ色の光が並んでいた。
「どこにいるの……?」
あたりを見回し、いくつか並んだ装飾されたドアを見る。こうしてはいられない、と一つ一つのドアを確認することにした。緊張で自分の鼓動しか聞こえない。もしも自分も囚われたら?そうすれば清四郎に連絡する術もない今、ただやられるだけになるだろう。ほかの皆は無事だろうか。魅録のバイクは、時宗は間に合っただろうか?
良くない想像ばかりが頭に浮かび上がるのを必死で振り払うようにドアに駆け寄る。地下だからだろうか、やけに足元がひんやりして強張った。
どのドアを確認しても、ドアのカギはかかっており耳を澄ませても部屋の中は静かだった。どんどん奥に進みながら、最後のフロアのドアに近づいたとき、そのドアがかすかに開いていることに気が付いた。
ここしかない、そう確信を持ちながら進んでいくと、男のうめき声と何かにぶつかる音が小さく聞こえた。
咲季は思わず声が出そうになるのを押さえる。
恐る恐る近づいて隙間から中を覗き込むと、複数の人間が蠢いていた。途端に、強く空を切る呼吸の音が響き、何かがぶつかる音がして人が床に倒れこむ。しかしすぐに別の人間が声を挙げながらその呼吸の主に殴りかかった。
咲季はそれが誰かすぐに見当がついた。そして無意識の内に重たいドアを開いていた。
「清四郎!」
「!?」
「なんだ!?まだ仲間が居やがったのか!」
「咲季!来るな!隠れてろ!!」
気が付くと咲季は声を上げて清四郎の名を呼んでいた。
ドアから差し込む光にかすかに照らされた清四郎はその声のするほうを向いてすぐに駆け寄る。咲季は清四郎の叫ぶような声に一瞬身体が固まり、駆け寄る清四郎に襲い掛かる男を見つけて声にならない悲鳴をあげる。
「ひっ……!」
「くそ…っ」
間一髪のところでその男の拳を避け、反対に手刀を首に食らわせた清四郎だが、別の方向からもう一人の男が殴り掛かった。それを避けきることができなかった清四郎の顔面に拳が入る。今まで聞いたことのない清四郎の痛がる声に、咲季はやっとこの状況を理解した。
顔面への一発を合図にほかの男たちも清四郎に襲い掛かる。なんとか防御しているようだが、防戦一方で反撃は難しいらしく、それでも咲季のほうをみる清四郎に咲季は追い詰められるように後ずさりする
なんとかしなければ。でも、どうやって?
もはやまともな処理もできない脳内で、咲季は何かに縋るように周囲を見渡す。暗がりの中でぱっと目に飛び込んできたのは赤い色。普段なら触ったことのない代物だが、これしかないと咲季は部屋の隅に置かれた消火器に駆け寄った。
重たい消火器を担いで走り、部屋の中心に向けておいたところで、無我夢中でピンを引き抜く。何人いるかわからない人の塊にホースを向けて、思い切りレバーを握った。
「うわああああああ!!」
「ぐああっ!ゲホッゲホッ!!」
突如、大きな空気音と共に白い煙が噴き出した。咲季は叫びながら消火器のレバーを握り続ける。とめどなく噴き出し続ける白い煙は一瞬のうちに周囲に広がり、煙を吸い込んだ男たちは殴る手を止めて口を押さえだすが、すぐに何者かに殴られ倒れこむ。どさりと倒れこむ音が何度かしたかと思うと、煙の中には一人しか立っておらず、まもなく煙の中心から口元を押さえてその人物が出てきた。
「咲季」
「はぁっ…はぁっ………せいし、ろう?」
自分の名前を呼ぶ声を聞いて、レバーを握る手を離すと煙は出なくなり、少しずつ視界は開ける。
口元と腹部を押さえて清四郎が咲季の方に歩き出すが、すぐによろけてもともと置かれていたテーブルに手をついて体を支えた。
「清四郎!大丈夫!?」
咲季は慌てて駆け寄り清四郎のけがを確認する。男たちを退けたことと清四郎に大事がなかったことへの安心感で滲む涙がこぼれないようにこらえ、清四郎を見上げた。
「ありがとうございます、……大丈夫ですよ」
「よかった……」
「咲季こそ、けがは、ありませんか?」
「ない、…ないよ、大丈夫……」
テーブルに腰をかけて身体を支えながら、清四郎はかすれた声で無事を伝えた。うっすらと口元には血がにじんでおり、いつもセットしている髪もはらはらと乱れている。
咲季はこんな状態になっても自分のことを心配する清四郎に戸惑いながら、さっきまで振るわれていた清四郎の右腕に触れて俯く。そこにいることを確認するように額を押し付けて、大きく息を吐いた。
服の上からでもわかる右腕の熱さに、さっきまでの緊張と不安が一気にほぐれて我慢ができないほど涙が込み上げた。
突如頭の上に優しく重力がかかる。
清四郎の大きな左手が咲季の頭に乗せられ、なだめる様に数回優しく跳ねた。咲季はそれを味わうように瞼を閉じ、涙が一滴落ちるのを感じた。
「……守られるのも、いいものですね」
「ばか」
ぽつっと清四郎の呟きが聞こえ、咲季はバッと頭をあげて清四郎を睨んだ。半分泣きながら怒った顔をする咲季に顔が緩んでしまった清四郎は、それを隠すように咲季の頭から左手を離して口元を隠した。
倒れた男たちから小さなうめき声がしたのが聞こえ、二人はハッと我に返った。辺りに振りまかれた煙はすでに落ち着いており、清四郎は咲季を促してその場から離れる。
フロアの奥の控室に向かいドアを開けると、手足を拘束されて口元に布をかまされた野梨子や可憐、悠理、美童がいた。
「皆…!今縄ほどくからね……!」
咲季は目の前にいた可憐の前にしゃがみ込み、顔に巻かれた白い布と細い腕に荒く巻き付けられた縄をほどいた。清四郎も腹部の痛みを押さえながら野梨子のもとに駆け寄る。布をほどくと可憐は思い切り咲季に抱きつき、涙声で咲季の名前を呼んだ。
「咲季っ!」
「可憐!痛かったよね…!大丈夫?けがは…」
「よかった、無事で……」
しゃくり声をあげながら咲季を抱きしめて震える可憐に、咲季はそれ以上何も言うことはしなかった。代わりに震える肩を同じように抱きしめた。全員の拘束を解き、急ぎ足でフロアを出たところでお互いの顔を見合わせる。魅録の姿が見えないことに気づいた面々は、助かった安心感がすぐに遠ざかり再び不安そうな表情で清四郎の顔を見た。どうやら清四郎は4人が監禁された後にあの部屋に向かい、そこに現れた手下と戦っていたようで、魅録との通信はあれが最後だったようだ。咲季が説明をしようとするとポケットに入れた携帯が震えた。1件のメールがあり、送り主は魅録だった。
「魅録からだ!」
「え!?」
全員に見えるように携帯の画面を水平にしてメールを開く。“なんとか無事。親父と合流した。”と書かれている。どうやら無事だったようだ。その文面に安堵のため息が漏れるが、清四郎だけは険しい表情をしたままで、咲季は安堵の表情をすぐに戻して清四郎を見た。
「ここを早く離れましょう」
「そう、ですわね……魅録とも合流しませんと」
二人の言葉に他の面々も頷き、地下の駐車場へ続く道へ向かう。監禁された4人と違い、複数人とまともに戦った清四郎は傷がまだ痛むのか、途中で足を引きずる。そんな清四郎に、咲季は思わず声をかけようとするが「大丈夫です」と一蹴され、咲季も何も言わずに急ぎ足でその場を立ち去った。
「大丈夫ですか?手当を」
通用口を使って地下駐車場に出ると黒塗りの車が並んでおり、そこからスーツ姿の男たちが現れた。車には赤色灯が乗せられており、それが警察であることがわかる。救急車も一台止まっており、その車体には菊正宗総合病院の名前があった。どうやら時宗と合流した魅録が連絡し待機していたようで、学園まで送ってくれるという。魅録もまた同じように手当てを受けてから学園に来るらしく、咲季たちもそれに従うことにした。
菊正宗総合病院の救急車の運転手が清四郎に近づき話しかける。
「清四郎様、警察の方がお車を点検しましたが特に問題ないようです。どうしますか?…清四郎様は手当てをしてから向かわれたほうが良いかと」
「…わかった」
「じゃあ、私も行く」
「え?」
そのやり取りを聞いていた咲季はすかさず間に入った。殴られるところを見ていたこともあり、清四郎のけがの状態がどうしても気になっていたのだ。真剣な表情の咲季に根負けし、清四郎は咲季とともに救急車に乗ることを了承した。有閑倶楽部の車は警視庁の応援の一人が運転してくれることとなり、他の4名はその車で簡単に手当てをしながら学園に向かうことになった。停車した救急車に清四郎が隊員とともに救急車に乗り込むと、咲季もそのあとに続く。
「一応受け身は取りましたから、問題はないと思いますが…ただ、足は少し痛みますね」
「ではアイシングをしてこのテープを」
「あとは自分で何とかします。それより学園に急いでもらえますか?」
「わ、私がやります」
気丈な清四郎に困り顔を返した救急隊員の横で咲季は名乗りをあげた。一瞬驚いた顔をした隊員だったが、すでにほかの4人が乗った車が走り去っていくのを見て納得したのか「わかりました」と返事をする。清四郎が何かを耳うちすると頷いてそのまま車を降りて後部ドアを閉め、助手席に乗り込んだ。直後、車は学園に向けて発車した。
揺れる車内で咲季は清四郎の右太ももにタオルを巻いた保冷剤を当てていた。手が冷たくなるが先ほどちらりと見えた青あざが脳裏に浮かび、黙ってそのまま傷を冷やし続ける。清四郎はそんな咲季の神妙な表情に小さくつぶやいた。
「この前と逆か」
「え?」
「咲季が刺された時です。咲季は気を失っていたので覚えていないと思いますが」
「ああ、そんなこともあったね」
刈穂裕也を助けるために首を突っ込んだものの、結構な傷を負わされて倒れたあの夜を思いだす。
それと同時に、次の日の朝言いつけを破って菊正宗邸に残らず勝手に出ていったことも思い出した咲季は急に少し居心地が悪くなった。
車は結構なスピードを出しているのかがたがたと揺れ、咲季は保冷剤を持つ手の力を強めた。
「あの時の傷はもう大丈夫なんですか?」
「もう平気。結構すぐ治ったよ」
「ならよかった」
「……清四郎こそ、痛くない?大丈夫?検査とかしなくても…」
「大丈夫です」
今現在ケガをしているのは自分なのに、やはり咲季のことを心配する清四郎に戸惑いながら、咲季は清四郎のケガの心配をする。
本当にどこも大きなケガはないのだろうか。
あの清四郎が痛がるのだから、相当なもののはずだ。
保冷剤に落としていた視線を上げて清四郎の顔を見ようとすると、清四郎は一言返事をして保冷剤を持つ咲季の腕に触れた。そこには数針縫われた跡がかすかに残っていた。急に肌に感じた清四郎の体温に、咲季はドキッと鼓動が跳ねる。
「あの時は心臓が止まるかと思いました。家に戻ったら勝手に帰っているし」
「う、ごめん…」
「でも、いないかもしれないと思ってもいました。それに会ったところで何を話したらいいのかわからなかった……こんな日が来るなんて想像もしてませんでしたよ」
ふっと気弱な笑みを見せて話す清四郎を見て、いつもと違う小さな清四郎の姿に咲季は胸が切なくなる。
あの時そんなことを思ってたの?
頭の中で清四郎への問いかけが浮かぶが、笑う清四郎の口角に滲む血を見て咲季は再び泣きそうになった。咲季は今まで殴られる清四郎を見たことがなかった。
だからこそ、傷つく清四郎を見てとてつもない恐怖を感じたのだ。もしも、もしも清四郎がいなくなったら、と。
「私も……心臓、止まるかと思った…」
「咲季…?」
「無茶しないで……守ってくれるの嬉しいけどさ、清四郎が傷つくんだったらいらない……守ってほしくなんかない」
顔を伏せてそこまで話したところでずっと我慢していた涙が一気にあふれる。下を向いているせいで涙がぼたぼたと膝の上に落ち、止まらない。
辛かったし、怖かった。
いなくなってしまうのではないかと思うと怖くて仕方なかった。
その気持ちを必死に抑えてここまで来たが、言葉にして形になって口から出てくると、感情が一気に襲い掛かってくるようで、嗚咽にならないように口をつぐんでもそれを代弁するかのように涙が溢れてくる。
先ほどから清四郎が触れている腕とは反対の手で、咲季は乱暴にあふれ出る涙をぬぐった。
すると、清四郎の開いている手が伸びてきて、目をこする咲季の手首をつかむ。
咲季は抵抗するより先に驚いて頭を上げて清四郎を見た。
「はは、化粧が落ちて黒くなってますよ」
「なっ……!うるさい!ばか!」
一瞬見つめ合ったかと思うと清四郎はいつもの小さな笑みではなく、幼いころと変わらない無邪気な笑顔を見せて咲季の顔を笑った。
そこまで濃い化粧をしていたわけではないが、乱暴にこすったせいで咲季の目元は黒い跡が広がっていた。
清四郎は涙目と黒い目元を見て笑顔を見せるが、笑われた咲季は掴まれた手首のことも忘れて清四郎に必死の文句を言った。
「……」
子供じみた悪態をつき、全く怖くもない睨みをきかせる咲季をじっと見つめた清四郎は笑うのをやめ、咲季にゆっくりと顔を近づけた。
咲季は咄嗟のことに何も反応ができず、ただ暗くなった視界の中で自分の眉間に清四郎の前髪がかかる感覚を感じ取る。
同時に唇から伝わる感じたことのない生暖かい柔らかさに体中の感覚が集まった。
それは一瞬だが咲季にはひどく長い時間に感じられた。
当たり前のように揺れていた車内に慣性がかかり、車内は静かになる。それと同時に咲季の視界も明るくなり、目の前に映る清四郎の顔を意味もなく見つめた。
目を丸くする咲季に清四郎も自分が何をしたのかと冷静になり、すぐさま「すいません」と謝って掴んでいた両手から手を離す。
バタン!という前方のドアの開閉音が響き、咲季は少し我に返った。数歩の足音の後、後ろのドアが開く。
冷気が車内に入り込み、その冷たさに咲季は完全に頭がはっきりし、そして先ほどの出来事に一気に顔が赤くなるのを感じた。
清四郎はドアが開いた途端に車を降り、「行きましょう」と暗い車外から声をかけた。
「……あ、うん…」
ただそれだけ返事をして咲季も車を降りる。
隊員に礼を言い、ぎこちなく歩き出す咲季に、清四郎もしばらく無言で咲季の少し前を歩いて校舎に向かった。
咲季の熱くなった顔には冷たい風が気持ちよいくらいで、薄明かりの中で先を行く清四郎の後姿を見ながら必死に歩を進める。
清四郎は一度もこちらを向かず、冷気は頭を冷やしてくれたのか脳裏には少しずつ先ほどの出来事と交差するように、清四郎が少し足を引きずる様子が視界に映りこむ。
皆はもう着いただろうか、魅録は無事だろうか。そんな問いと入り混じるように清四郎の感触が浮かび、咲季の頭の中は混乱していた。
「さっきのことは、忘れてください」
「っ……」
混乱した咲季の頭に新しく降ってきた思いがけない言葉に、咲季は驚きと戸惑いで返事ができなかった。
何よりその言葉を聞いて、夜空に纏う冷たい空気がさらに冷たくなった気がした。今度は頭の中で、そう言った清四郎の妙に冷静な声だけが響いていた。